「架空索道かぁ。以前に試乗会をしてたね」
人間の里と守矢神社を結ぶ索道が開通し、妖怪の山の神社まで手軽に参拝できるようになったのは記憶に新しい。当時は珍しいもの見たさに多くの人が詰め掛けていた。けれど、索道の人気は一過性のものとして終わる事なく、里の人々が守矢神社へ参拝する為の足として今も重宝されている。
「確か今日は運休日ですけど、大丈夫なのですか?」
「勿論です。明香さんにお会いしたいと言う神奈子様たってのご希望ですから」
東風谷早苗さんの話を聞く限り、以前に広められた私に関する誤情報がかなり浸透しているようだ。守矢神社の方々は私を現人神だと思っていて、何やら話があるらしい。
「現人神? 此奴は人間だぞ」
オオワシが呆れ顔をしていた。彼は地上の視察という名目で饕餮さんに送り出されてくる事が多々ある。今日も同様であり、私と一緒にいるところを共に連れられて来ていた。
「そうなのですか? しかし、一先ずお越しいただかないと神奈子様が納得しませんので」
「自らの都合で周囲を動かすとは傲慢だな。用があるならば其方から足を運ぶのが筋というものだろう」
「オオワシさんは随分とその……お堅いですね。動物霊ってみんなこうなのですか?」
「う〜ん、いや、彼は結構特殊な方かなぁ」
私の肩に乗ったオオワシは、早苗さんにかなり苦言を呈していた。アポもなく呼び出すなとか、早朝など非常識だろう訪ねる時間を考えろ、などなど。
「礼を尽くさないという事は相手を舐めているという事だ。畜生界ではそれは抗争に直結する。争いを避けたければ礼儀を重んじ、互いに尊重し合うしかない。さもなければ血が流れることになるのだ」
「ぶ、物騒過ぎないかなぁ……」
あまりの畜生界の物騒さに空いた口が塞がらない。しかし、早苗さんは改まった様子で頷いていた。
「確かにその通りですね。礼儀は無用な争いを避けるために有効な方法です。次からは気をつけましょう」
ありゃ、早苗さんって実利的な人だなぁ。相手に対する気持ちのどうこうよりも、それが齎す効果に彼女は注目しているようだった。オオワシも彼女の言葉に頷いているが、私としてはもう少し情緒的な解釈が適切だと思うのだけどなぁ。
「守矢神社までは飛んで行くのか? 私が憑いてやらねば明香は飛べんぞ」
「大丈夫です。このように──索道を動かせば直ぐですから」
索道を動かした早苗さんは、私の手を引いて搬器に乗り込んだ。彼女は私たちの視線を外に向けるように手で指し示す。そこには、流れ行く秋の風景があった。この調子ならば程なく着きそうだ。便利になったものだねぇ。
「早苗さんは、外の世界から来たのですよね?」
「そうですよ。もしかして明香さんもですか? かなり外の世界に詳しいと聞きますが」
「いや、私は幻想郷生まれ幻想郷育ちですよ」
「そうなのですか……」
索道で空を行きながら早苗さんと雑談していたのだが、彼女は私の答えに肩を落とした。やはり、異邦の地では同郷のものが恋しくなるのだろうか。
「そう言えば、天狗の新聞には
新聞の情報を元にした早苗さんの推察は至極妥当なものだった。流石は文さんと言うべきか、実に尤もらしい騙りを記事に練り込んだものである。惚れ惚れしちゃうなぁ……。
「ほう、元現人神だったとは初耳だぞ。道理で畜生界でも肝が据わっていた訳だ」
オオワシも腑に落ちたような様子だ。でも、違うのだよねぇ。
「私は人間だし、現人神だった事もないよ」
「胡散臭いな。隠す必要もない事だろう。知られて困る事でもあるのか?」
「オオワシさん、あまり聞き込むのは悪いですよ。明香さんにも話したくない事はある筈です」
わぁ、見事に信じられてないねぇ。私が語る事実よりも文さんの広めた虚偽の方が信憑性が高いなんて悲しいなぁ。とは言え、昔から私を知っている人々なら騙されないだろうけれど。
「もうすぐです。見えてきましたよ」
架空索道からの景色に守矢神社が写り込んだ。その境内は閑静で人影もない。索道の運休日に妖怪の山まで参拝に来る人は流石に居ないのだろう。
しかし、博麗神社と比べても立派で小綺麗だ。豪華絢爛といった訳ではないが、索道然り人々の為に隅々までしっかりと手が入っている。数ある神社に特有の厳かで近寄り難い雰囲気もなく、気軽に訪ねられるような空気だ。
「これは霊夢さんには手強い相手だねぇ」
境内に妖怪や人外が屯している事もなく、険しい参道を行かねばならない事もない。守矢神社はまさに人と神の為の場所なのだろう。霊夢さんには悪いけれど、人間としては守矢神社の方が親しみやすいに違いない。
「よく言えば馴染みやすく、悪く言えば大衆的。けれど、信仰の大事さを知る神々からすれば人を遠ざける理由はないのかな?」
「勿論です。適度に畏れられる必要はありますが、神々にとっては人々からの信仰こそが要です。神社にも沢山の人が参られるに越した事はありません」
索道は終点に辿り着き、その動きを止める。早苗さんは境内へと降り立った。
「ようこそ、守矢神社へ」
私たちは先導されるままに歩を進めた。鳥居を潜って参道を行き、静謐な境内を脇目にしながら拝殿まで足を運ぶ。しかし、早苗さんは更に進み続ける。困惑して立ち止まると、彼女は振り返って私の元まで戻って来た。
「どうしたのですか? 付いて来てください」
早苗さんは私の手を引いて拝殿の中を通り抜け、本殿の目前まで私たちを案内した。正月の初詣でも参るか分からない場所だ。
「あの、一体何処まで……」
早苗さんはまだ止まらない。彼女は本殿の中まで上がり込む。その手は床へ向けられていた。私に此処に座れという事なのだろう。
「適当にお寛ぎ下さい。直ぐに来られますので」
恐れ多くも本殿の中で腰を下ろすなど初めての経験だ。恐る恐る座り込むと、早苗さんは一礼をして去って行ってしまった。オオワシが私の隣に降り立ってバツが悪そうな顔をする。
「おい明香よ。これは居心地が悪いぞ」
「同感だね。落ち着かないよ」
何とも場違いで居た堪れない。決まりの悪さに耐えきれず、この場を立ち去ろうとしたその時、剛毅で厳かな声が私を引き留めた。
「遠慮するな、招いたのは此方だ」
その言葉は重く、立ち上がろうとしていた身体を硬直させる。ぎこちなく顔を上げて仰ぎ見ると、本殿の祭壇に豪胆に座り込んでいる一人の女性が目に入った。
「
「いかにも。貴方は雲見明香ね」
守矢神社の祭神である八坂様は、私が目にしてきた中で最も神様らしい神だった。本殿に差し込む朝日に照らされている彼女は、尊大に在りながらそれに足る威厳に満ちている。
「言ってはなんだが、幻想郷は空も飛べない無力な人間が呑気に旅をできるほど平和な場所ではない。何かあるだろうと皆が疑っていたが、まさか現人神だったとはねぇ」
八坂様は祭壇から飛び降りると、私の対面までやって来て胡座をかく。
「ほら、そう畏まるな。如何に貴方が信仰を失っていようと、私たちは同業者みたいなものだ」
砕けた調子でフランクに接してくれた八坂様のお陰で、幾分か場の空気が弛緩した。一方オオワシは私に思う所があるようだ。少しばかり考え込むような素振りをして彼は口に出す。
「明香よ、お前は何故信仰を失ったのだ?」
実の所、私には失う信仰など元より無かったので答えに困る。下手に取り繕ったりせずに単純に答えるのが一番かなぁ。
「それは私が神を信じられなくなったからだよ」
答えを耳にして八坂様は眉を顰める。信仰を集めていた現人神その人が神への信仰を失うとは思いも寄らなかったのだろうね。
「私はこうして貴方の前にいる。空に浮かぶ星々には手が届かなくとも、目前の神には触れる事ができるわよ。それでも信じられないのかしら?」
「はい。神が実在するかどうかは、神を信じるかどうかとは、私にとっては関係ないのですよ」
「それは残念。けれど、貴方が何を信仰するかは自由だから無理強いはしない」
信仰を否定した私に対しても寛容に、揺らぐことのない平坦な声音で淡々と八坂様は告げる。
「自由とは、無数の選択肢の中から自らにとって最適なものを選び取る事よ。更に、自由は常に個人的なものだから、失敗すればその損失は自分で背負うしかない」
八坂様の語った自由は、選択肢を削ぎ落とす為の技法であった。好き勝手に感情に任せて選択する事ではなく、粗悪な選択肢を排除する事を自由だと彼女は言う。
「だからこそ、私は信仰を捨てた貴方の選択が腑に落ちない。噂を聞く限りは相当な自由人だと思っていたのに、何故そんな選択をしたのかしら?」
「信じるという事は目を瞑る事であり、愛する事は目を向ける事です。人も神も私からすれば愛おしいものであって、信仰の対象ではありません」
「成程、赤ん坊から目を離せない親のようなものね。愛おしくて目が離せないから信じるなど以ての外だと」
納得したかのように頷いた八坂様は、しかし困り顔をした。
「これでは貴方が信仰を取り戻すのは無理そうね。残念、全く残念だわ」
確かにそれは出来ない話だった。美しいものを前にして目を瞑るなんて、私に出来る訳がないからね。
「信仰を失えば現人神はその力も失います。しかし、その存在はこのように、神としての権能とは異なり確かなものです。きっと八坂様もそうなのでしょう?」
八坂様の手を握る。文さんの手もそうであったように、血の通う温かな手だった。妖怪も神々も、酒を飲んで共に酔っぱらえるくらいなのだ。彼らが信仰や恐れを失っただけで消えてしまうような儚い存在とは私には到底思えなかった。
「ほら、こんなにも確かに在るものが、人の思いなんていう曖昧なものでなくなってしまう訳がない」
「それは幻想郷で私が信仰されているからだ。そうでなければ直ぐに、無名の神霊のように掴み所のないものになるさ。だが、人間は違う」
私の手に温かな手が添えられた。八坂様が私の手を握り返したのだ。
「信仰を捨てたのにこんなにも温かい。これが独立不撓の人間というものか。少し、羨ましくもあるな」
「けれど人間は、必要とされなくとも存在できるからこそ底無しに醜くなることだってできます」
「それは悲観的過ぎる考え方ね。もう少し人間を信じてやっても良いでしょう」
「いえ、人間は目を離せば低きに流れて怠惰に腐ります。彼らには、自らを監視して律してくれる神の
八坂様は溜息を吐いて目を瞑った。
「冷たい愛ね。確かに傷口には冷たいものが良い。膿んで醜く腐らないように冷やしてやるのも大事なのかもしれない。けれど、貴方の考え方は極端過ぎる」
私は少し考えてみたけれど、何処が極端なのか見当が付かなかった。首を傾げて見せると、八坂様は答え合わせを始めてくれる。
「傷口を冷やして、体を温めてあげる。それが優しさというものよ。貴方の愛はまるで人を丸ごと冷凍庫に放り込んでいるようなものよ。腐りはしないでしょうよ。でも、死んでしまうわ」
「それは……そうですね」
言われてみれば確かに、ずっと見つめられていては息も詰まる。過ぎたるは猶及ばざるが如しと言うし、厳格な愛も考えものなのかもしれない。人を愛すると言う事は、やっぱり難しい事なのだ。
「八坂様、ごめんなさい。私は──もっと人間に優しく目を向けてあげるべきでした」
「そうね。分かればよろしい」
私の頬に手が添えられて、無理やり笑顔を作らされる。八坂様もまた笑顔を浮かべながら言った。
「笑え。貴方には人に対する優しさが足りない」
「それでだな、私たちは結局何の為に呼ばれたのだ」
オオワシは八坂様に単刀直入に切り込んでいく。
「現人神が現れたとなれば、私からすれば新手の同業者だ。信仰の奪い合いになることも視野に入れていた。敵情視察のつもりだったが、杞憂だったようで何よりだ」
上機嫌で腕組みしている八坂様は、不敵な笑みを浮かべている。
「呼び付けた代わりと言っては何だが、何か悩みでもあれば神らしく助言してやろう」
「うーん、ちょっと思い付かないです」
「ならこの旅のお守りを持って行くといい。気休め程度の力はあるぞ。迷った時に帰り道を思い出せる程度の能力だがな」
私はお守りを受け取り、八坂様と他愛もない雑談をした。それからは折角来たのだからと早苗さんに社務所に招かれたり、掃除を手伝ったり、お茶をご馳走になったりした。オオワシも私の体を使って空を飛び、手の届かない場所の掃除を器用にこなしてくれた。
「何故私が地上まで来て神社の掃除をせねばならんのだ」
「まぁ、そう言わずにさ。徳が積めて早く畜生界からおさらばできるかもしれないよ」
「ふん、饕餮様の元を去るつもりなどない」
けれど、オオワシは私の体を使って味わった茶菓子が気に入ったらしく、お茶をしてからはかなり気分を良くしていた。
「オオワシさんは茶菓子を食べた事はなかったのですね」
「山の巫女よ、私はオオワシだぞ。何処の世界に緑茶を飲みながら茶菓子を啄むオオワシがいるのだ」
「オオワシさんは地上に来て日が浅いのでご存じないのですね。幻想郷では常識に囚われてはいけないのですよ」
「……そうなのか?」
不安そうに私に問うオオワシに、早苗さんは自信たっぷりに答えていた。
「勿論です! 例えばですね、以前の異変では──」
早苗さんは、空飛ぶ船や、月からやってきた兎の侵略者や、ばら撒かれた不思議なカードを端緒とした異変を語った。私もまた彼女の話を聞くうちに昔の異変を思い出していた。
「そう言えば、四季全ての花が咲き誇った春や、各地で四季折々の風景が楽しめた夏もあったよね。異変って私みたいな普通の人間からすると、解決する手間がないぶん楽しみでさえあるのだよね」
「確かに、眺める分には物珍しくて良いかもしれませんね。弾幕ごっこも見ている分には綺麗でしょうし」
避けている方は必死なのですよと朗らかに言う早苗さんをよそに、オオワシは私たちの話を統合して一つの結論を口に出した。
「幻想郷とは奇妙な……不思議な場所なのだな」
「ですね。非常識の詰め合わせですよ」
「そうかな? 確かに奇天烈な異変ばかりだけど、他の世界も大概だと思うよ」
畜生界からやって来たオオワシと、外の世界からやって来た早苗さんと、私。三者三様の見解が交差しつつも、私たちは一点で合意した。
「ただ、美しいな」
「ええ、神々が恋する程に」
「うん、愛おしくてやまないよ」
どの目で見ても、同じく美しく見えるものがある。私はそう思えて、少し嬉しかった。
あっという間に時間が過ぎ去り、日が暮れかけてきた守矢神社を私たちは後にした。索道まで見送りに来てくれた八坂様は、搬器に向かう私に声をかける。
「空飛ぶ綿毛が風の止んだ土地に根付くように、旅人はその心の風が止んだ土地に根付く。だが、風がいつ吹き止むのかは誰にも分からない」
八坂様は私を真っ直ぐに指差した。
「流れ歩くもまた良かろう。漂泊した種はきっと最後には良い土地で花を開かせる。貴方もまた最後には美しい場所に居ることを祈っている」
索道が動き出し、守矢神社から離れていった。当て所なき彷徨を続ける私への最大限の肯定を示した神は、踵を返して手を振りながら去って行く。
「お前といると、良く良い神に会うな」
「そうだね。オオワシといると神様に会ってばかりだ」
胸に手を当てて息を吐く。心中は穏やかで爽やかだ。まるで雨後に吹く風が湿った空気を掃いていくように晴れやかだった。こんなにも忌憚なく自身の在り方を全肯定されたのはいつぶりだろうか。
「なんだか良い気分だね。救われた感じがする」
索道から目にできる夕暮れの景色に私は息を呑む。手にしたカメラで写真を撮ってから、搬器の縁で頬杖を突いて嘆息した。
「昔、こういう景色を歌った詩人が居てね。たった数行の詩なのだけれど、風景が目に見えるような名句だったんだ」
オオワシもまた、流れ行く景色を私の隣で目にしていた。
「『山は暮れて 野は黄昏の
晩秋の風が索道を吹き抜けて搬器を微かに揺らしていた。夕陽が差し込んできていて、私の顔を暖かく照らしてくれる。気分良く鼻歌を歌いながら風に合わせて揺れていると、オオワシが私をじっと見つめていた。
「どうしたの?」
「綺麗だなと思ってな」
「うん、綺麗な景色だよねぇ」
「……」
索道が里に着いてしまうのを名残惜しく感じる。どうしていつだって、美しい時は一瞬なのだろうか。
「私は饕餮様の元に帰らねばならん」
「気を付けてね」
オオワシは頷いて羽を広げた。
「さらばだ、我が飛べない友よ。また会おう」
飛び立って行ったオオワシは風景の一部となった。藁の匂いも虫の音も遠退き始めていて、秋も終わりが近い。けれど、別れた友とはいつか再会するだろうし、暮れた秋もまた再帰する。そう思うと、過ぎ行く時を惜しむ事もまた楽しみだ。
「長生きしたいなぁ……」
私の呟きは、夕暮れの空に溶けて消えていった。