物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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バー・オールドアダム

「お酒の匂いが凄いですね……」

 

 紫さんに手を引かれて連れて来られたのは、外の世界の酒場だった。眠くなるような甘い匂いが漂う不気味な雰囲気で、鼻を効かせると仄かな煙草の匂いも混じっているように感じる。私は若干気が引けていたが、紫さんは気にする風もない。

 

「酒場ですもの。さあ、早く何か頼みましょう」

 

 隅のテーブル席に着いた紫さんは、対面の席を私に勧めてバーのマスターを呼んだ。しかし、やってきたマスターは私を見て無愛想に告げる。

 

「当店、バー・オールドアダムでは未成年に旧型酒はお出ししていません。そちらのお嬢さんはソフトドリンクで構いませんか?」

「構わないわよ。私はフォービドゥンサイダーをお願い」

 

 私の元に運ばれてきたのは林檎ジュースだった。それはとても美味しかったけれど、酒場に来て酔えないのは致命的だよねぇ。紫さんは黄色いカクテルに口を付けて申し訳無さげな表情を浮かべている。

 

「私たちの地元だと年齢は気にしなかったから失念していたわ」

「旧型酒って名前も耳にしないぐらい田舎でしたからね」

 

 周囲の目を気にしてか、紫さんは幻想郷については暈しながら話をしていた。私はそれに乗っかりながら聞き慣れない言葉について探りを入れる。彼女はウインクをして答えてくれた。

 

「今は新型酒が主流の時代なのよ。どれだけ飲んでも悪酔いしないし、身体にも比較的悪くない。おまけに安価よ。アルコールを分解する酵素が含まれているから、どんな人でも飲めるの」

「あ〜……成程、私は旧型酒の方が好きです。飲んでも酔えないお酒なんて、飲む意味無いじゃないですか」

 

 私の言葉を聞いて紫さんは微笑んだ。きっと、予想通りの答えで笑えてしまったのだろう。

 

「新型酒だって酔えない訳じゃないわ。どれだけ飲んでもほろ酔いしかできないだけよ。お酒に潰されてばかりの明香にはピッタリじゃないかしら?」

 

 ぐうの音も出ない。私は沈黙して林檎ジュースに口をつけた。紫さんはカクテルに口をつけている。羨ましいなぁ、私もお酒飲みたいなぁ……。

 

「さて、此処での用事は聞き耳を立てる事よ。このバーでは客が不思議な体験談を披露するのが常になっている。私はその中から()()の話を探しているのよ」

「それって、百物語みたいなものですか? とてもそんな事をする雰囲気には見えないのですけど」

 

 店内は不気味ではあるもののお洒落で、客も中年や初老の身なりの良い人が大半だ。好い年の紳士然とした人々が、怪談やオカルトの類の話に興じるのは奇妙な感じがする。

 

「このバーの客は情報の質的セレブなのよ。情報の量や速度ではなく質を求めている。不思議なものは希少で価値があるし、体験は経験を伴った記憶だからそれなりに確かなものよ」

「つまり、不思議な体験談はそれなりに確かな価値があるものだと言う訳ですね」

「少なくともこのバーにはそう考えている人々が集まっているわ」

 

 紫さんはこうした酒場を幾つか巡っていて、本物の話を耳にしては結界を封じて幻想にするといった事を繰り返しているのだと耳打ちしてくれた。

 

「ほら、始まるみたいよ」

 

 紫さんが指差す先では、バーの客が一人ずつ語り手となっていた。酔っ払い達の語る体験談は様々だが、一様に眉唾物に感じる。私からすると、彼らの話は慎み深過ぎるのだ。

 里の外では妖怪が跋扈し、神社には神が居る幻想郷の住人としては、妖怪はもっと大胆で目立ちたがりだし、神は自由奔放で人の目を惹く事をするものだとアドバイスしてあげたいぐらいだ。

 

「私たちが語る順番が来たら、明香に任せるわ」

「私にですか?」

「語らなくても良いわよ。見せてあげなさい。そして、本物を見た者が居ないか見ておきなさい」

 

 私の能力を使えと、そう紫さんは暗に言っていた。この用事に私が連れて来られた理由の一つなのだろう。私は目に写したものを人に見せられるし、人が目に写したものを覗き見れる。

 

「構わないのですか?」

「どうせ新手の手品か何かだと思われるだけよ」

 

 そこで私は、何を見せるべきか紫さんと相談した。曰く、怪談らしく恐ろしい話の方が受けが良いらしい。首を捻って考えた後、私は見せる風景を決めた。紫さんにも秘密にして、見てのお楽しみだと嘯く。

 

「えぇ、私も楽しみにさせてもらうわ」

 

 にっこりとした紫さんは、カクテルを飲み干して注文を重ねる。私のカウントではこれで19杯目だ。バーのマスターもグラスの回収に忙しなく往復することに疲れたのか、注文を纏めて取るようになっていた。因みに、紫さんは7杯分も纏めて注文している。冗談でしょ……。

 

 

 

 

 

「さて、そちらのお嬢さんたちの番ですよ」

 

 空のグラスがテーブルを占有し始めたタイミングで、他のお客さんが私たちに声を掛けた。曰く、私たちが体験談を語る順番なのだそうだ。紫さんは頷き、私は席を立って酔っ払いの輪に混じる。周囲からは好奇の目を向けられた。

 

「随分と可愛らしいお嬢さんだね、まだ子供じゃないか。こんな所に来て大丈夫なのかね?」

 

 実際、酔っ払い達と私の間には親子程の年の差があった。下手をすれば孫扱いされてもおかしくない程だ。

 

「友人が居ますから大丈夫ですよ。それで、私も皆さんに倣って不思議な体験談を披露しようと思います。今となっては昔の話ですが、私は一度死んだ事があります。その時に、地獄を見たのです」

 

 しんと、一瞬だけバーが静まり返った。多分、私の語ろうとしている体験談が酔っ払い達の想定外だったのだろう。見えないお友達が居るとか、お化けを見たとか、そうした話を彼らは予想していたに違いない。

 

「私の目を見てください。そうすれば見える筈です。地獄の風景が」

 

 胡散臭そうに、或いは恐る恐ると言った様子で人々が私の目を見つめる。その目を通して一連の風景を私は垣間見せた。積み石の散乱する賽の河原から始まり、広大無辺な三途の川を越えて、彼岸花の咲き誇るあの世の更に向こう側、骸の山が積み重なり暴風の吹き荒れる地獄の風景が広がる。

 

「これは……素晴らしい映像美だ」

 

 酔っ払い達は感動したように息を呑み、見惚れていた。彼らは私が目を閉じると、拍手をして応えてくれる。どうやら私の見せ物は彼らのお眼鏡に適ったらしい。しかし目立ちすぎたのか、話を終えた後の私に一人の男が赤ら顔で近付いてきた。

 

「コンタクトレンズに仕込んだ複合現実デバイスでしょう。しかし、これ程に精細な現実を他者と共有できる技術は聞いたこともない」

 

 興奮した様子の男は懐から名刺を取り出す。

 

「このような場所でこんな真似をするのは無粋でしょう。しかし、お話を詳しく伺いたい」

 

 名刺には知らない企業名が記されていた。男はデバイスの入手経路について執拗に尋ねてくる。どう答えたものか返答に窮して視線を逸らすと、周囲の客たちは呆れた表情をしていた。するうち、客の一人の老人が立ち上がって男の肩に手を置く。

 

「気持ちは分かるがね、あまりしつこいのは良くない。ほら、小さな嬢ちゃんも困っている」

「しかし……これは世に知られていない革新的な」

「ごめんなさいね、彼女は私の連れなのよ。そう言う話はお断りさせて貰ってるわ」

 

 紫さんもやって来て、私と彼を引き離す。赤ら顔の男はしょぼくれた様子でしゅんとしていたが、老人に酒を勧められて酔っ払い達の輪に戻って行った。

 

 

 

 

 

「素敵な見せ物だったわよ」

「ありがとうございます。それに、皆さん良い人ばかりですね。好奇心旺盛過ぎるのが玉に瑕ですが」

 

 紫さんはカクテルを更に飲み干していた。卓上には空のグラスが増え続けている。酒が進んでいると言う事は、きっと機嫌が良いのだね。

 

「良い店には良い客が集まるし、その逆もまた然りよ。店の良し悪しは客を見れば分かる。けれどその様子では、本物を見た者は居なかったみたいね」

「はい」

 

 紫さんは、酔いが回ったのか顔を紅くしていた。彼女は周囲に目を向け、人の目がない事を確認してから語り出す。

 

「貴方は変わったわね。丸くなったと言うべきかしら? 良い人、なんて言葉がその口から聞けるとはね」

 

 含みを持たせた言葉を漏らし、紫さんは妖しい目をして私を見つめる。かなり酔いが深いのか、その目は据わっていた。

 

「昔の貴方は、人間に対する嫌悪をもっと露わにしていたはずよ。それに、貴方が見せた彼岸の風景は尸解の法を用いた時のものでしょう。私はあの時、貴方が遂に人間を超越すると確信していたのよ。けれど、そうはならなかった。一体どうして貴方は人間でいる事を選んだの?」

 

 紫さんは私に問うけれど、あの時に何故人間として蘇ったかは私自身にも分からないのだ。過去の光景を瞼の裏に想起しながら、考えを整理して私は答えた。

 

「この世を見たら、あの世を見に行きたいからです。死ねなくなってしまったら、あの世に行けなくなってしまいますから。それに、私はもう人間の事がそこまで嫌いではありません」

「……それは本心かしら?」

 

 真っ直ぐに、紫さんの目を見つめる。

 

「本心ですよ。私は人について歴史から学びました。それはとても劇的で、読み物としても素晴らしかった。けれど、その演台に上がる僅かな奇人変人達の物語を聞いたところで、果たして人のどれだけのことが分かるでしょうか?」

 

 私は断言する。

 

「人について知りたければその中央値(凡人)について知るべきなのです。外れ値ばかり参照しても認識が歪むだけです」

「歴史の影に埋もれた者たちを見て、人に対する見方が変わったのね」

「はい。人間という生き物は、きっとそれほど善い生き物でもないし、悪い生き物でもないのだと私は思うのです。異常なものは目立ちますが、目立つものに目を奪われては、それ以外のものを見落とします」

 

 取るに足らないもの、下らないもの、詰まらないもの。そうして祀り捨てられた莫大な平凡こそが、人の歴史の殆どなのだと私は訴えた。

 

「私は目の前に在るものを見ます。里で暮らしている人々は、歴史で語られるような暴虐や虐殺とは無縁ですし、このバーの客達も気の良い大人達です。輝かしい素晴らしさもないけれど、悍ましい醜さもない、この平凡とした人々の語られ得ぬ歴史を私は愛しています(見つめています)

 

 紫さんは深く頷いた。

 

「良い答えだわ。貴方はもう人を目の敵にはしないのね」

 

 そして、身を乗り出した紫さんが私の頬を摘む。

 

「でも生意気。もっと子供っぽい理屈をこねなさいよ。可愛くないわ」

 

 グリグリと頬をこねられて、言葉にならない呻きが漏れる。紫さん、痛いです……。

 

「歴史とは堆積した現実であり、地層のように幾重にも折り重なってできている。その層理は土地によって異なるわ。だから、世界各地で過去を掘り起こして、物珍しい地層を集めて継ぎ接ぎにする。そうして私たちが普段目にする歴史ができるのよ。面白いニュースだけを集めたワイドショーのようなものね」

 

 全てのカクテルを飲み干した紫さんは、私の隣の席にやって来た。酒の香りが一層強く周囲に漂う。

 

「故に有りの儘の歴史というものは、貴方の言うように大概平凡で穏やかなものよ。けれど人は、割と困ったちゃんなのよ。こんな風にね」

 

 私の手に指を絡ませて、紫さんは私にキスをした。彼女はたっぷりと時間をかけて一方的に私の唇を貪り、肌着の中に手を這わしてくる。グラスに結露していた水分とカクテルで仄かに濡れた粘着質な指が背を這い回った。

 

「っ!」

 

 びくりと身体が跳ねて、堪らず私は紫さんから顔を逸らす。唾液が糸を引いて離れた唇を繋いでいた。酔ってもいないのに、顔が酷く熱い。

 

「驚かせてしまったかしら?」

 

 耳元で紫さんがねっとりと囁いた。

 

「顔が真っ赤よ」

「……カクテルの味がしました」

 

 言うや否や、紫さんは笑って私を離した。手離された私は、背もたれに深く沈み込み深呼吸する。脈打つ胸が少しずつ落ち着いていった。

 

「ふふふ、飲み過ぎたわね」

 

 私は唇に手を当てて、芳醇な酒の残り香を嗅ぐ。

 

「私は飲み足りないです」

「……分かったわ。けれど此処では人の目もあるし、お会計をして帰りましょう。貴方好みのお酒をたっぷり飲ませてあげる」

 

 私は目を輝かせた。酒場で酒を目前にしながら手を出せないという生殺しの目に遭ったのだから、それもむべなるかな。胸中でまだ見ぬ美酒に思いを馳せ、浮き立つような気持ちになる。

 

「それは楽しみです。約束ですよ。忘れないで下さいね」

 

 紫さんに釘を刺して、私はバーのマスターを呼んでお会計を頼んだ。上着を羽織って店の外に出ると、冬の夜風が身に沁みる。カメラを構えてバーの外観を手早く写真に収めた。

 

「早く飲みたいです。人の目が無いところに行きましょう」

 

 スキマを開いてもらう為に紫さんの手を引いて急かす。一刻も早く幻想郷に帰って彼女の秘蔵しているお酒を飲みたかった。

 

「せっかちねぇ。そう焦らないで」

 

 優し気に笑う紫さんは、人気の無い路地裏でスキマを開いてくれた。

 

「さぁ、帰りましょう。私はお酒をとって来るから、少し待っていて頂戴」

 

 私は勢い良くスキマへ飛び込んだ。深夜の路地裏から一気に景色が様変わりし、幻想郷の平野に着地する。背後を振り向くと、スキマは既に閉ざされていた。興奮冷めやらぬ胸を抑えて、私は紫さんを今か今かと待ち構えるのだった。

 

 

 

 

 

「紫様、何をお探しなのですか?」

「昔この辺りにしまったお酒を探しているの。明香から酒を飲みたいとせがまれたのよ」

「例の人間ですか……」

 

 八雲紫の式である八雲藍が、蔵を漁る主人を目にして呟く。

 

「私には、紫様があの人間に何故執着するのかまるで分かりません」

 

 棚に並べられていた酒瓶の一つを手に取って紫は目を細めた。それは酷く埃を被り、蜘蛛の巣が絡まってしまっている。藍はそれが自らの主人のお気に入りの酒だと気付いた。世の人々から忘れ去られて久しいその酒は、藍の記憶によれば凡そ100年は昔のものだ。

 

「長い時は全てを擦り減らしていく。この幻想郷を創設した当初は、私はこの郷を心から愛していたわ」

「まるで、今は違うかのような物言いですね」

 

 従者の言葉を耳にして、紫は首を横に振る。

 

「今も愛しているわ。けれど、初心忘れるべからずというでしょう」

 

 埃を被った酒瓶をゆっくりと棚に戻し、紫は嘯く。

 

「御阿礼の子は総じて短命な上、その記憶を次代へと引き継ぐ事ができない。幻想郷縁起も人の手によって編纂された書物であるからには、どうしても歴史的なものになってしまう」

 

 自嘲しつつ、紫は自らを指差した。

 

「妖怪は総じて長命だけれど、あまりにも長く生き過ぎて、摩耗と腐敗を避けられない。記憶は虫食いとなり脚色され、鮮烈な思い出しか残らなくなる。心も体も擦り減って、死ぬ事もできずにゆっくり腐っていくのよ」

 

 紫は、真新しい酒を選んでスキマにしまい込んだ。

 

「時は、認識できない小さな須臾が繋ぎ合わされてできている。永遠は時を無限に引き延ばすけれど、その引き換えに須臾の境目は際限なく綻んでいくわ」

「難解です。理解しかねます」

「あら、そう難しいことを言っている訳ではないのよ。つまりね、()()()()()()()()()()()()()()というだけの事よ」

 

 胸に手を当てて、紫は過去を思い出そうとする。しかし彼女は、自分自身が覚えている過去が氷山の一角でしかなく、莫大な日常が失われてしまっていることに気付いた。

 

「儚い時は容易く摩耗する。だから、しっかり見つめ直して誰かに覚えていてもらうのが一番よ。明香には、私が目に写して来た全てを写している。彼女は永遠の時を生きる私たちとは異なり、堅強な時をもつ人間であり、その目に天地万象を写すことができる」

 

 藍はようやく、紫が自らの最初の疑念に答えているのだと理解した。

 

「儚いものは、堅強なもので包み込む。大事なものをしまい込む時の基本ですわ」

「だから紫様は、あの人間を気にかけるのですね。ですが……人間は、死にますよ」

「それは仕方がない事よ。もし明香が死んでしまったらその時は、せめて素敵な墓場で暮らさせてあげましょう」

 

 欠伸を漏らした紫は、目を擦りながら言う。

 

「もう眠たくて堪らないわ。普段冬眠している季節に起きるのは辛いわね。明香にはまだ見せてあげたい外の世界の風景が沢山あるわ。後は藍に任せたわよ」

「私にですか?」

 

 藍は目を丸くする。

 

「藍も最近の外の世界には足を延ばしていないでしょう。見聞を広めて来なさいな。きっと良い経験になるわよ」

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