「ふむ、この駅だ」
藍さんは駅名を目にして言う。
「京都と東京を結ぶ
私たちは、
「空いてますね」
「真昼だからな。早朝だと通勤客でぎっしりだ」
「それに随分と古風な内装に加えて……窓?」
卯酉新幹線ヒロシゲは、その全車両が半パノラマビューだった。つまり、天井と床以外は全て窓になっているのだ。まるでガラスの筒のように開放感溢れる作りである。
「何故こんな不思議な作りに?」
「それがだな、地下トンネルがスクリーンになっていて、通過する列車に映像を見せる仕掛けになっているらしい」
「それはまた大掛かりな仕掛けですね」
「この仕掛け、カレイドスクリーンには卯酉東海道最大の予算が投入されたそうだ。広告費で元が取れる想定らしいが、随分と思い切った事をしたものだ」
「うへぇ……広告ですか。風情がありませんね」
朝の通勤列車に詰め込まれたサラリーマン達が、半パノラマのスクリーン全面に映る広告に照らされている様子を想像してゾッとする。
「その心配はいらない。カレイドスクリーンに映る風景は、歌川広重の東海道五十三次をモチーフとした京都と東京間の旅の風景だ。この時間帯は利用客も少ないから、広告枠を取る者がいないのだ」
私はほっとして胸を撫で下ろした。広告視聴の旅になるかと思ったよ。
「東京までたった53分間の短い旅だが、楽しむといい」
ヒロシゲは駅を出発して加速し、カレイドスクリーンには東海道の風景が映り始めた。藍さんは、駅の売店で売っていた新型酒に口をつけている。私も同じく購入した駅弁を口にした。
「不味くないけど……美味しくもない……」
「合成食品だろう。幻想郷の食事には敵わないようだな」
「バー・オールドアダムのソフトドリンクは美味しかったのですが」
「旧型酒を出すような高級バーのメニューと駅の売店を比べてやるな。それは酷というものだ」
私たちは飲食しながら窓の外に目を向けた。方や見渡す限りの海岸が広がり、方や一面の平野と松林が目に入る。だが、こうしたスクリーンの風景は外の世界でもそれほど珍しくはない。
外の世界では人口減少によって小規模な村落は消滅し、一部の都市部に人口が集中していた。結果として大部分の自然は人の手を離れて、かつての姿を取り戻している。
「皮肉ですよねえ。一歩でも都市から足を踏み出せば大自然を目にできるのに、通勤電車には作り物の映像だなんて」
「しかし、狐に化かされた者がその幻に心動かされるように、人間は現実と幻想を区別できないようだぞ」
「作り物か本物かは関係ないと?」
スクリーンの風景は目まぐるしく転変していた。そこには、切り立つ峰の連なる山脈、青く澄んだ大海原、幾何学的な鳥居、そして旅路を行く人々が次々と映し出されていく。スクリーン全面の風景の中で小さく描かれた旅人達は、彼らが旅する道のりの遠大さを思わせた。
私たちが椅子に腰掛けながら過ごす53分間の距離を、旅人達は徒歩で、或いは騎馬で旅したのだ。幾つもの河川と53の宿場を越える旅路の果てしなさは、どれだけの物語を生んだのだろうか。きっと彼らの人生に刻まれる旅となったに違いない。
「そうだ。作り物でも本物でも、重要なのは真に迫っているかどうかだ。夢でも現でも、素晴らしいものに感動し、詰まらないものに退屈する。それが心というものだろう」
「確かにそうですね」
私は頷き、スクリーンに映る幻想の旅人達に想いを馳せた。
「私が経験してきた感動の中には、作り物の物語に依るものもあります。現実と幻想のどちらにより感動してきたかカウントしてみれば、私の心の本質がどちらなのか分かるかもしれませんね」
次第に東京へと近付いていく東海道の原風景は、まるで旅人が織り成す遍歴のアルバムのようだ。花より団子とは言うけれど、私は駅弁を傍に置いてスクリーンに見惚れたのだった。
「そう言えば、紫さんはお元気ですか?」
「勿論だ。今は私に後を任せて冬眠中だ」
藍さんは新型酒を飲み干して、深く席にもたれていた。彼女は憂鬱そうに目を細めている。
「紫様は矛盾したお方だ」
「矛盾、ですか?」
ぼんやりと窓の外へ目を向けながら、藍さんは呟いた。
「矛盾とは閉じられた窓のように、真実が隠された有様だ。だから、矛盾に目を向ければ隠されたものが見えてくる。例えばだな……」
藍さんは顎に手を添えて考え込む素振りをする。
「紫様はお前に幻想郷に居てほしいと思っている。だが、紫様はお前を外の世界へ連れ出すように仰られた。矛盾している。そこには目に見えない隠された真実が存在する訳だ」
僅かに落ち込んだ様子で、藍さんは自嘲した。
「真実を見抜くだけの賢しさが無い者にとっては、世界はきっと矛盾に満ちているのだろうな。私もそうだ。紫様の矛盾から真実を見抜く事ができずにいる」
藍さんは更に落ち込み、鞄から旧型酒──幻想郷のお酒を取り出して口にした。とても大胆な飲みっぷりだ。
「私は紫様に比べれば遥かに未熟だ。従者は主人を支えるものだが、私は逆に助けられてしまう事も多い。こんな様で大丈夫だろうかと不安に思う時もある」
「でも、藍さんが居るお陰で紫さんが冬眠できているのですよね? 後を任されているのも信頼の証ですよ」
「……そうだな。ありがとう明香。少し気が楽になったよ。甘えてしまってすまない。お前にも悩みがあるなら言ってみてくれ。私ばかり話しても不公平だからな」
私は悩んでしまった。悩みらしい悩みが思い付かないのだよね。
「う〜ん、悩みが無いのが悩みですかね」
「はは、羨ましいよ」
「強いて言うならば憂鬱です。こんなにも良い風景なのに酒が飲めないなんて」
藍さんは苦笑して酒を煽った。するうち、周囲が一斉に仄暗くなる。カレイドスクリーンが暗転してエンドクレジットが流れていた。53分間の旅は終わり、卯東京駅に到着した事をアナウンスが知らせる。
「さあ、行こうじゃないか。東京へ」
私は街の通りの隅で立ち尽くし、お上りさんのように周囲を見回して確信した。東京では、京都とは正反対に時が進んでいるのだと。
かつて栄えたこの都は、今や寂れて旧時代の姿を取り戻しつつある。未来と過去へ向かうそれぞれの都は、時を経るほどにその差異を広げ続けていくのだろう。
「道路はひび割れて荒れ放題。環状線は草原となって謎の花が咲き誇っている有様だ。正直、治安も良くはない。気は抜くなよ」
「でも、何故か落ち着きます」
「京都には潔癖に過ぎるきらいがある。それに比べれば多少荒れていても東京のほうが落ち着くのかもしれん」
東京は精神的に未熟な都市だと、京都と比較されて揶揄されることもある。けれどそれは、裏を返せば若々しい精神が生きていると言う事である。洗練されて冷たい都市か、荒削りで熱っぽい都市か。これはもう、善し悪しではなく好みの問題だろう。
「さあ、紫様の指示通りに一つずつ閉ざしていこう」
藍さんが手にしている地図には、山のように印が付けられていた。今時、紙媒体の地図を用いるのは珍しい。街中で屯している人々の目も集めているようだった。
「問題が起こりそうな結界の切れ目は……11箇所か」
「私にできる事は無さそうですね」
「いいや、しっかり手伝ってもらうぞ」
私の手をぐいと引っ張って藍さんは言う。
「猫の手も借りたいぐらいだ。まあ、橙はまだ幼すぎるからお前の出番さ。結界の切れ目を見つけたらリボンで縛れば良い」
紫さんのスキマによく付いているリボンを手渡された。かなりの束になっている。
「それと、これがお前の分の地図だ。印の付いている場所を頼んだ。終わったら此処で集合だ」
「分かりました。やってみます」
「身の危険を感じたら無理をする必要はない。集合後に教えてくれ。私がなんとかしよう」
三時間後に集まる約束をして藍さんと別れた。時間が余れば自由にして良いとの事なので、実質的には東京現地解散での遊行である。
「う〜ん、ちょっと遠出してみようかな」
何処を見ても懐古を誘う有様で、京都から過去の世界に迷い込んだみたいだ。人々は皆怪しい格好をしていて、あちこちで小さな騒ぎが起こっている。寂れてはいても騒がしく賑やかな街並みだった。ふと、火事と喧嘩を花とまで呼んだ太古の都市が脳裏を過ぎる。
「おっと、しっかりやる事はやらないとね」
私はリボンで髪を纏めて気を引き締め、地図と睨めっこしながら路地裏へと向かうのだった。
「また無駄な事を。外の世界の結界まで気にする事はないだろう」
「そうは言っても、捨て置くわけにもいかないわ。特に人口密集地の結界は、神秘の露見の危機を伴う。出来る限り人々にはオカルトを馬鹿らしく思っていて欲しい。それは隠岐奈だって同じ考えでしょう?」
布団から上半身を起こした紫は、冬眠中の自らを訪ねてきた摩多羅隠岐奈に答える。しかし、彼女は納得していないようであった。
「だが優先順位と言うものがある。式まで送り出してはならん。冬眠中の警護が居ないではないか。お前の身の安全が最優先だろう。私たちには敵がいる事を忘れたのか?」
「その時は、隠岐奈が私を助けてくれる──わよね?」
「ああ。だが紫の為ではないぞ。あくまで幻想郷の為にお前が必要だからだ」
「あら、冷たい」
寒さに震える紫に羽織を被せて、隠岐奈は溜息を漏らした。彼女は気を削がれて、やれやれと首を振りながらジト目で紫を見つめる。
「全く、もう少し厚い布団を使ったらどうだ。それにその寝巻きも冬に着るには薄着だな」
「あら、寒くないと冬眠できないでしょ。それで、今日は態々私を起こしてまで何の用事かしら?」
「座敷童子の件だ。一時期、外の世界に彼女達の需要があって送り出していただろう。今は後戸の国からテレワークをしているが、そろそろ戻って欲しくてな」
「何故かしら?」
「後戸の国をいつまでも仕事場にされても困る。座敷童子は座敷に居てこそだろう」
気怠げに欠伸をしてから、紫は仕方無しに気のない返事をした。だが、続く隠岐奈の言葉に彼女は雰囲気を変える。
「それでだ、お前の子飼いのあの人間はいつになったら喰うつもりなのだ? 私も以前に見たが、あの目はもう十分に熟れているだろう」
「食べないわよ」
隠岐奈は呆れて頭を掻く。
「何を言っている。あの目にありったけの物を写してから手中に収めるつもりだった筈だ。紫が最近は人間を喰っていないのも、量より質を重視するようになったからだと思っていたのだが」
「……」
黙して語らない紫を見て、隠岐奈は頭を抱えて悩みこむ。
「参ったなぁ」
うんうんと唸って、隠岐奈は厳しく言い放った。
「紫、お前は人間側に寄り過ぎている。人と妖、その狭間こそがお前の在るべき場所だ。少しは身の振り方を考えろ」
「それなら……きっと私は妖怪の賢者失格ね。ただの一人の少女が愛おしくて堪らない。色んな理屈は考えたのよ。私のバックアップ、或いは同じものを愛する同志。けれど、この胸の重みの理由には何一つしっくりこない」
乾いた笑いを漏らして隠岐奈は俯いた。彼女には紫の心中が手に取るように分かったからだ。寧ろ、共感できたとさえ言えるだろう。
「分かるよ」
ポツリと呟かれたその言葉に、紫は刮目する。
「人間は、愛おしいよなぁ」
隠岐奈は、自分の胸の内に何度も波のように引いては寄せるその感情が心底不思議だった。彼女はそれに折り合いをつけて愛と呼び、自らが寄り添う者達に向けるごく自然な感情だと結論付けていた。
「人間に惹かれて、手を伸ばして、また引っ込めて、その繰り返しだ。私もお前もずっとそうだ。博麗の巫女も二童子も、私たちが人間から離れられずにいる証拠みたいなものさ。まるで不治の病だな」
紫とは違い、隠岐奈は人間であった二童子を配下に加えている。その上彼女は、障碍を負い嘲笑と差別を受ける者たちの傍に在り続けた被差別部落民の神でもある。彼女もまた紫と同じく、ともすればそれ以上に人間に惹かれていたのだ。
「隠岐奈と一緒にしないで頂戴。私は人類種云々の話をしている訳ではないわ。もっと個人的な対象への愛についての話よ」
「ならば、お手上げだ」
隠岐奈は両手を上げて降参のポーズをする。これ以上話を進めるなら、苦虫でも噛み潰さないと聞いていられないと彼女は判断したのだ。
「お前は変わったな、八雲紫。まるで人間みたいだ」
「貴方も見てきたでしょう、摩多羅隠岐奈。堅固な岩が風雨に晒されてその形を変えるように、幻想郷は少しずつ変わってきた」
隠岐奈は、口元を緩めて笑みを浮かべた。馬鹿にするでもなく、面白がるでもない、悲しい笑みであった。
「世界でさえ変わるのよ。私たちが変わらずに居られるなんて幻想、馬鹿らしいとは思わないかしら?」
隠岐奈は目を伏せ、冬風が吹く庭先を障子の隙間越しに見る。
「それは少し、寂しいな。まるで自分が見知っていたものが無くなってしまったみたいだ」
「過ぎ去ったものを偲ぶ心があれば十分。頬を撫でた風に手を伸ばしても二度とは触れられない。仕方がない事よ」
「そうか……」
「因みに、今の私の事を隠岐奈はどう思う?」
「良いんじゃないか? 昔のお前よりは可愛げがある」
「あら、酷い言い草。私は昔から可愛らしいわよ」
二人は顔を見合わせて、吹き出して笑った。