物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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夏の川は虫の山、冬の山は雪の海。


三途の川

「なんとも物寂しい風景ですね」

「そりゃそうさ。なんたって三途の川だからね。それともなんだい、雅であわれな川でも期待していたのかい?」

 

 小野塚小町さんは、呆れた様子で肩を竦めた。三途の川をいざ目の前にしてしまうと、それはなんとも殺風景だ。美麗さに関して言えば妖怪の山の清流の方が何倍も素晴らしいだろう。

 だが、この川はどうしようもなく強く私の心を揺さぶった。生と死の境界の象徴が正に目の前にあるという事実がそうさせたのだ。

 

「小町さん、少し船に乗せてくれませんか?」

「だめだよ。川を渡れば戻って来れなくなる」

「ですが、三途の川には絶滅してしまった魚の幽霊が潜んでいると聞きます。それを写真に撮りたいのです」

「あたいの船は遊覧船じゃないんだけどねぇ。そんなに乗りたいなら条件があるよ。三文銭を支払うこと。タダ働きはできないんだ。これでもあたいは船頭だからね」

「分かりました。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 唐突だが、私の父には口癖があった。『世界はクソだ。俺たちはクソに(たか)る蛆虫だ』父はそう口にして(はばか)らなかった。汚い言葉遣いだと思ったし、世界はクソなんかじゃないと私は思っている。

 

「どうだい、川岸が見えないでしょ。間違って向こう岸に着かないように、あたいの能力で三途の川の距離を引き伸ばしたのさ」

「幻想郷で死んだ人はみんなこの川を渡るんですか?」

「そうだよ。船頭はあたい一人ってわけじゃないが、幻想郷の死人が渡る三途の川は此処一つさ」

 

 そうなると、父もまたこの風景を見たのだろう。三途の川のどこまでも殺風景な有り様に、きっと父はやはりと手を打ったに違いない。

 私は父とは違い、人間の里を飛び出して幻想郷中を巡っている。今のところ幻想郷は美しい。一つずつ集めていくのだ。自分が生きている世界が好きだと胸を張って言えるように。

 

「あんた、死人を視る目をしてるね。職業柄そういう目はよく見るんだよ。あたいはあんまり好きじゃない、湿っぽい目だ。死者を想うのは程々にするのが一番だ」

「私はそうは思いません。死者は此処にいます。私の頭の中にね」

「へぇ?」

 

 死人の魂を運ぶ死神からすれば、死者が頭の中にいるなんてのは聞き捨てならないだろう。けれど私にはそうとしか思えないのだ。

 

「死ねば身体は土に還り、魂は彼岸へ向かいます。死者はこの世の何処にも存在しなくなる。ならば、もし死者が私の頭の中に居なければ、どうして私は死者を想うことができるのでしょうか?」

「存在しないものを想うことができる能力が人間にはあるってだけじゃないかい? あたいだって、今此処には存在しない上司の事を想ってる。いつあたいのサボりがバレるか気が気じゃないんだ」

「そうですか……そうかもしれませんね」

 

 私の頭の中にある、存在しないもの。奇妙な感じがしたが、思えばそれは当然のものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「さて、淵についたよ。三途の川で一番深い場所だ」

 

 船から身を乗り出して覗き込むと、水中を遊泳している無数の魚影が目に入った。波ひとつ立たない硝子のように透き通った川の水のお陰で、まるで水槽を上から見下ろしたようだ。

 

 魚達を良く見ようとして、前のめりに身を乗り出した。カメラを置いて両手で舟の縁を掴み、限界まで水面に顔を近づける。水は透明だけれど、底なしだ。魚達を隠す闇は、光が届く限界付近の深さを表している。

 

「あんた、なにやってんだい! 危ないよ!」

 

 小町さんの声が背後からして気が付いた瞬間、私の重みでぐらりと船が傾く。

 

「あ……」

 

 

 間の抜けた声を口から漏らした直後、三途の川に真っ逆さま。

 

 

 光り輝く水面を見上げる。身体はまるで浮力がないかのように水中に沈み込む。周囲を見回すと、巨大な首長竜や私の何十倍もありそうな魚達が漂っている。距離感が狂っていて、実際にはどれくらい離れているのか、水面からどれだけ落っこちてきたのかさえ分からない。光は少しずつ弱まっていき、息苦しさがゆっくり増していった。

 この深さならば私は水圧で潰れているはずだ。浮力が働かないことと言い、三途の川はやはり普通の川ではないらしい。なんて現実逃避していると、身体の落下が止まった。ゆっくりと下を向く。鱗だ。

 

 鱗がびっしりとあった。巨大な魚に乗っかっているのだろう。ふと魔が差して、その鱗を掴み……気がつくと私は船の上だった。

 

 

 

 

 

「馬鹿だね、あんなに身を乗り出す奴がいるかい」

 

 盛大に叱られた。

 

「私が能力で助けられたから良かったが、三途の川で溺れちまったら普通は助かることはないんだ。これに懲りたら水辺では気を抜かないことだね」

 

 死神に命を救われるなんてまたとない経験だね。無言で小町さんの説教に耳を傾けていると、カメラを没収されてしまう。三途の川の上ではもう撮影禁止だと、強く言われた。

 

「なら、小町さんが写真を撮ってくれませんか?」

「あたいが? 何を撮ればいいんだい?」

「私を撮ってください。三途の川で溺れた人間なんて滅多に見れないでしょ。ましてそれで助かった人間なんてさ」

 

 びしょ濡れになっている自分を指さした。小町さんは渋々と言った様子で何枚か写真を撮ってくれる。船は穏やかに揺れながら淵を離れていった。その揺らぎがまた絶妙で、私もまた船を()ぐ。

 

 

 

 

 

「此処は……」

 

 目を覚ますと、見知らぬ部屋のベッドで横になっていた。周囲を見回してみるが、やはり見覚えがない。何故こんな部屋にいるのか皆目見当もつけられない。私は三途の川で小町さんと船に乗っていた筈なのだけど。カメラの写真を現像してみれば分かるかな?

 

 するうち、制服姿のうさ耳少女が部屋に入ってきた。ベッドから身体を起こした私と視線が合わさる。互いに無言で見つめ合うこと暫く。

 

「ようやくのお目覚めね」

 

 困惑している私を見て察したのか、彼女は事の顛末を説明し始める。

 

「此処は永遠亭よ。あなたは無縁塚で意識を失って目を覚まさないって担ぎ込まれてきたの。私の師匠が隅から隅まで調べたけど異常なし。どうにも出来ないからベッドに横にして様子を見てたってわけ。丁度丸一日寝たきりだったのよ」

「それはまた……手間と迷惑をおかけしました」

「本当にね。香霖堂の店主はかなり当惑してたわ。後で礼を言いに行ったほうが良いと思う」

「そうします」

 

 彼女、鈴仙さんのお師匠様とやらに私が目覚めた事を報告するとかで、部屋に一人残された。特にすることもなく窓の外の竹林を眺める。

 此処が噂に聞く永遠亭ならば、目に入っている竹林はかの迷いの竹林に違いない。ふと思った、是非とも撮りに行きたいなぁ。

 

 

「存外に貴女は命知らずなのね」

 

 

 声がした。視線を向けると、物陰に寄り添うようにして一人の女性の姿が見える。

 

「無縁塚で三途の川に行きたいなんて強く想ってしまったものだから、貴女の魂は彼方此方(あちこち)へゆらりふらり。それで願いは叶ったかしら?」

「はい。三途の川で写真を撮れました。といっても私の写真ですけど。いや、それよりも貴女はどちら様ですか?」

 

 

「この世のものでもあの世のものでもないものに触れたわね」

 

 

 問いかけは無視され、代わりに指差された。

 

「本来触れるはずのないもの、そういうものは触れると憑くのよ。大概は碌なことにならないのだけど、貴女の場合は大したことなさそうね。安心したわ」

「待ってください。何を仰られているのか、さっぱり分からないのです」

 

 私の言葉を全て無視した胡散臭い女性は、目の前で唐突に消え失せてしまった。幻の類いだろうと思う。最近妙なことばかりで気が参ったのだろう。布団を被り直そうとすると、手に不思議な感触があった。

 

 鱗だ。綺麗な鱗が一枚、いつの間にか私の手に握られていた。魚の鱗だ。まさか三途の川から持ってきちゃったのかな? そうだ、博麗神社の霊夢さんに頼んで御守りにでもしてもらおう。何せ私が三途の川から生きて帰った記念なのだ。大層縁起がいいに決まっている。

 

 心に決めた私は、手早く鱗をしまってベッドに身を委ねた。

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