鈴奈庵
「いらっしゃいませー。あ、お久しぶりです明香さん!」
扉を開くと、店番をしていた本居小鈴さんが笑顔を見せてくれる。彼女は手にしていた本を閉じて、鼻にちょこんと乗っている丸眼鏡のズレを直した。店内は古書と木の香りが満ちていて、真昼の里の通りとは対照的に仄暗く密やかだ。
「どんな本をお探しですか?」
「暇な時に手軽に読める本を。今人気の本があれば有難いのですが」
「流行りなのは娯楽小説ですね。『目が覚めたら博麗の巫女になっていた件』みたいに、簡単に読めて面白いものが人気です。王道の
「へぇ、小説が人気なのですね。私はすっかりそういうのとは縁遠くなってしまって」
小説を最後に読んだのはいつだっただろうか。昔を思い出してみると、阿求さんから頂いた小説を読んだ時な気がする。
「それは勿体無い。世の中には面白い本が沢山あります。明香さんはどんな本が好きですか?」
「私? 私は……図鑑とか好きだよ。読めば読むほど見識を広められるからね。なんなら、自分の本棚にしまっておくだけで満足しちゃうかも」
「でもそれは、借りるのではなく買わなければダメな感じですね」
「うん。外付け記憶としての本だから、常に本棚に入ってないとダメだね」
「残念です。鈴奈庵は貸本屋ですから、書籍の販売は──」
小鈴さんは、言いかけた言葉を飲み込んで私に詰め寄る。
「ちょっと待って下さい。明香さんの能力があれば外付け記憶は要らないですよね? 図鑑に目を通せば阿求みたいに全部覚えられません?」
「そんなに便利な能力じゃないですよ。図鑑を手に取って索引を引くのと、これまで目に写してきた全てから図鑑の一頁を見つけ出すのと、何方が楽かなって話です」
「あー、なるほど」
小鈴さんは頷いて理解を示してくれた。
「だから、私の能力で読書の楽しみが損なわれる事はないよ」
「それなら、図鑑以外で好きな本はありますか?」
「『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』 みたいなのも好きかな」
「まるでライトノベルのタイトルみたいですね」
クスクスと笑って、小鈴さんはガリヴァー旅行記を手に取った。
「明香さんの好みは心躍る冒険譚か、それとも皮肉と風刺の塊か。悩ましいです」
暫くして、小鈴さんは幾つかの冒険小説と風刺小説を見繕ってくれた。今日は何の予定もないので、本を借りて店内で読書しようと思う。穏やかな哀愁漂うフォークソングが卓上の蓄音機から流れていたが、私が本を開くと小鈴さんは気を遣って音楽を止めてくれた。
「お邪魔しまーす。わぁ、スッゴイ古風な店ねー」
頁を捲る音だけが聞こえる店内に快活な少女の声が響く。目を向けると見知らぬ少女がいた。彼女は外の世界の衣服を着こなしていて、一目で外来人だと分かる。
「此処に雲見明香って人が居るってレイムッチに聞いたんだけど?」
少女は私を探しているようだ。どうしようかなと考える。面倒事の予感がするのだよね。
「えぇと、明香さんなら──」
小鈴さんがチラリと目配せをした。私の事を伝えて良いか迷ってくれているみたい。私は頷き、少女に答える事で応えた。
「うん。私だよ。貴方と面識はない筈だけど、何か用なのかな?」
「初めまして、私は
「レイムッチ?」
「ほら、博麗霊夢さんの事。貴方は外の世界にも詳しいらしいわね」
霊夢さんの魂胆が透けて見えた。きっと、宇佐見さんの相手を私に丸投げしたかったのだろう。実際、幻想郷の案内なら私を紹介するのは妥当な判断ではある。一番は紫さんだけど、彼女は滅多に捕まらないからねぇ。
「話は分かったよ。でも、幻想郷は危ないから出歩くのはオススメできないかな」
「私は超能力者よ。色々と役に立てると思うし、自分の身は自分で守れるわ」
宇佐見さんは宙に浮いたり、帽子から鳩を出したり、スプーン曲げを披露したりした。小鈴さんは目を輝かせて拍手していて、私も驚きから言葉を失う。私たちの反応に満足げな宇佐見さんは、いつの間にか羽織っていたマントをはためかせて奇術師のように礼をしていた。
「どう? 凄いでしょ!」
確かに宇佐見さんは本物の超能力者のようで、彼女の話によると霊夢さんと戦った経験もあるそうだ。
「なら、私が案内役になってあげる。でも、もし危ない目に遭っても自己責任だよ?」
「構わないわよ。寧ろ、いざという時には私が明香ちゃんを助けてあげるわ」
宇佐見さんはとても自信満々だった。幻想郷では超能力を十全に披露しても大丈夫だから有頂天なのだろうね。外の世界はメリーさん曰く
「それは良かった。よろしくね宇佐見さん」
「勿論よ。よろしくねメイカッチ」
「……まるでサスカッチみたいでなんか好かないなぁ」
「あの毛むくじゃらのUMAの事ね。こう見えてオカルトサークルの会長だからUMAには詳しいわよ。幻想郷にはネッシーとかいないのかな? 居たら写真を撮ってSNSにアップしたいわ」
「霧の湖にそんな噂が立った事もありましたけれど、所詮は都市伝説ですよ」
オカルトサークルの会長と聞き、私は興味を惹かれた。宇佐見さんが暴いてきた
「う〜ん……幻想郷でもUMAは見つからないのね」
「外の世界ではどんなオカルトが見つかるのですか?」
「有名所やSNSで流行りのオカルトなら話せるけれど、多分そういうのは明香ちゃんも知ってると思うわ。それ以外となると、身近で小さなオカルトについてね。例えば、子供が夜のトイレに行く途中に現れる黒い鳥みたいな話」
随分と身近な話で、オカルトではなく身の上話みたいだと思った。そう言うと、まさにそうだと宇佐見さんは教えてくれる。
「オカルトはね、いつだって身の上話から始まるのよ。沢山の人々の不思議な体験談の積み重ねが、やがてまとめ上げられて語られるようなオカルトになる。オカルトを知る為には、市井に暮らす無数無名の人々の事を知らなきゃならない」
七十五日で消えてしまうような風の噂、子が親にしか話さないような恐怖体験、語られず忘れ去られるような悪夢。そうしたモノからオカルトが生まれるのだと宇佐見さんは言う。
「オカルトは、身近で些細な不思議の継ぎ接ぎで出来ている。だから究極的には、オカルトサークルは自分が経験した些細な不思議を語り合う雑談の場になるのよ。部員は私一人だけど……」
宇佐見さんは目に見えてしょぼくれてしまった。たった一人のオカルトサークルで何ができると昔の私は考えていたのだろう。そう彼女は嘆いた。
「少し前までは、友達なんて要らないって思ってたのよ。オカルトサークルを立ち上げたのも、私に興味を持った人間を集めて追い払う為だった」
「賢いやり方ですね」
興味の対象に期待を裏切られた時に、人は最も関心を失うからね。人払いの為に人を集めるなんて、宇佐見さんはとても行動力のある人なのだろう。
「昔の私は、友達になろうと手を差し伸べてくる人間が怖かった。まるで、有象無象の人間が超能力者の私を同類に引き摺り下ろそうとしているように感じたの」
「今は違うのですか?」
「幻想郷に来れば、レイムッチやマリサッチみたいに凄い人間が沢山いた。人間にも色んな人がいる。だから、普通の人間と友達になるのも悪くないかなって」
幻想郷に来た事で、宇佐見さんの中で人間という言葉の指す範囲が広がったのだろう。お陰で彼女は、身の回りの人々を同じ人間だと見做せるようになったのだろうね。
「それなら、些細な不思議について語るぐらいしかできませんが、私とも友達になりませんか?」
「良いの? 勿論よ!」
宇佐見さんは、明るい笑顔を見せて頷いてくれた。嬉しそうにしている彼女を見ていると、私も嬉しくなって頬が緩む。
「そうなると、宇佐見さんに語る不思議を探さないといけませんね」
「宇佐見さんなんて他人行儀な呼び方ね。友達なら菫子って呼んでくれない?」
「分かりました菫子さん。では、幻想郷の何処に案内して欲しいですか?」
「それは明香ちゃんに任せるわ。お任せの方がワクワクするでしょ?」
「う〜ん、何処にするか迷いますね……」
菫子さんは、小鈴さんと談笑してスマートフォンで店内の写真を撮っていた。私はどうしたものかと悩み込む。どんな場所に案内すれば彼女は喜んでくれるだろうか?
「ガリヴァー旅行記? 懐かしいわね、小学校の図書館で読んで以来だわ」
私は頭を捻った。これまでは自分が行きたい場所を決めてきたけれど、人を案内するとなると話が変わる。試しにどんな場所が好きか聞いてみると、SNS映えするなら何処でも良いと言われてしまった。
「参ったなぁ」
「ほらほら、見て明香ちゃん! 小人の国の挿絵よ。そう言えば幻想郷にも小人族の子が居たわよね?」
本の挿絵を私に見せる菫子さんは、しかし急に落ち着いて頭を掻く。彼女は深く溜息を漏らして、はしゃいでいた様子は鳴りを潜めた。
「はぁ〜……もうそろそろね」
「そろそろ?」
「ほら、私って外の世界で眠っている間に幻想郷に来てるの。だから、もう目が覚めそうな感じなのよ」
名残惜しそうな表情をしながらも、菫子さんは手を振って別れの挨拶をした。彼女はそれから、まるで日に当たった影が消えるように、跡形も無くなってしまう。私は目を丸くした。人間が消えてなくなるのを見たのは初めてかもしれない。
「わぁ、宇佐見さん消えちゃいましたね」
小鈴さんも驚いた様子で、先程まで菫子さんが手にしていた本を拾い上げている。外の世界の超能力者の女学生がやって来て、友達になったと思ったら急に消えてしまった。そう振り返ってみると全く不思議で、今日という日は私にとってオカルティックな一日だったと言えるかもしれない。
「次までには、案内する場所を決めておかないとね」
借りた本を鞄にしまい、私は鈴奈庵を後にした。