「あっはっは! 似合わないぜ!」
命蓮寺を訪ねてきていた魔理沙さんが、私を指差して笑っていた。どうやら、彼女は尼さんの格好をした私が可笑しくて堪らないようだ。
「いつの間に出家したんだ?」
「してないですよ。次の縁日まで修行体験しないかって白蓮さんに勧められたのです」
「それを出家って言うんじゃないか?」
「期間限定ですからノーカウントです」
「それじゃあ、私も生きてない事になっちまうぜ。私の人生だって期間限定だからな」
魔理沙さんは、休憩していた私に詰め寄って隣に腰掛ける。そのうえ、彼女は興味津々と言った様子だ。
「それで、どんな修行をしてるんだ?」
「掃除や炊事です。買い出しやゴミ捨てもしますね」
「メイドみたいだな。程の良い使い走りじゃないか」
「でも、ご飯も宿泊代もタダですよ」
「賃金は?」
「ありません。生きる事そのものが即ち修行であり、生きる為のあらゆる行いもまた修行らしいです」
「何と言うか……雑用を扱き使う方便みたいだぜ」
「正直、私はお邪魔しているだけですよ。聖さんなんて、私が雑巾を絞っている間に掃除を終わらせてしまうような手際ですし」
「身体強化の魔法でも使ってるのかもしれないぜ。魔法ってのは日常生活でも色々と便利だからな。そう言えば、明香は縁日で出店するんだろ? 里では結構話題だぜ」
幻想郷内外の風景を見世物にする話が、それなりに噂になっているようだった。そもそも、私はカメラマンとしても、家出ばかりする放蕩娘としても有名だからね。
「その為に聖さんに頼み込みましたから。境内の一角を借りられたので、そこで座っていようかなと。ほら、要るのは目だけですし」
「上手くいけば良いな。応援してるぜ。さて、こいつが頼まれてたキノコだ。聖によろしくな」
魔理沙さんは、キノコの入ったバスケットを置いて飛び去っていく。彼女が置いていったバスケットを手にして、私は聖さんを探しに腰を上げた。
賑やかなりしは黄昏の、縁日を行く童かな。
「なんて、洒落た事を考えてみる訳ですよ」
縁日当日の命蓮寺の境内には露店が立ち並び、里の大通りのように人々が往来していた。子供特有の甲高いはしゃぎ声や、客引きの声が混じり合った祭囃子が聞こえて来る。
「まだ始まったばかりなのに大した賑わいよねー」
霊夢さんは妬ましげに人波を眺めていた。するうち、私の元にやって来る人々を見て彼女は言う。
「本当にお金取らなくて良いの? 勿体無くないかしら?」
「良いのですよ。ちゃんと対価は頂いてますから」
肩を竦めて見せた霊夢さんは、縁日の露店で購入したであろう一升瓶を手にして、私が用意していた椅子に腰を降ろした。他に行く先もないのか、彼女は私のスペースを休憩場所に選んだみたいだ。
「おう、雲見の嬢ちゃん。俺は妖怪の山にあるっていうマヨヒガを見たいんだ」
「はい、大丈夫ですよ」
やって来た男と目を合わせると、彼は感嘆の声を上げて目を輝かせた。その有様は側から見るとかなり奇異で、霊夢さんは少し引いている。彼女は小声で私に耳打ちした。
「何と言うか、目に見えない物を相手にしている人間って不気味よね」
「妖怪退治を生業とする巫女さんとは思えない感想ですね」
「妖怪は目に見えるでしょ。あ、見えない奴も居るには居るわね」
歯切れの悪い霊夢さんをよそに、私はひたすら人々の目を覗き続けた。さっきの男の人は建築解体業に携わっていたようで、解体されつつある家屋の棟から見た人里の景色をその目に写していた。
「見る目が変われば世界が変わる。やっぱり、人々の目を集めようと思ったのは正解でした」
「何か面白いものでも見えたの?」
「見えましたよ。ほら」
霊夢さんにも同じ風景を見せてみると、彼女は目を丸くした。
「この家、取り壊される前に私がお祓いしたのよ。世界は狭いわねぇ」
人々から写し取った風景は、人里に対する私の印象を変えるものばかりだった。退屈な程に何事も無いように見える里は、しかし他人の目を通して見ると変化に満ちている。
「時は幾かえりも同じ処を眺めている者にのみ神秘を説く……。思えば私は、里にしっかりと目を向けた事はありませんでした。退屈だからと外に飛び出してばかりだったのです」
「ふ〜ん、つまりあんたにとって人里は新鮮って事ね」
全ては変わっていく。家屋が建ち、空き家が取り壊され、店頭に新商品が並び、古い商品が姿を消していく。道は踏み固められ、時には雑草が茂り野花が蕾を開かせる。人々の目には、一見して不変であるものの移ろいが写り込んでいた。
「とっても新鮮ですよ。ほら、見てくださいよこの桜の花!」
里の桜並木は、春が巡る度に沢山の花見客を集めていた。しかし、どうせ毎年同じだからと、私は花見に行かなくなって随分と長い。
「花も毎年、少し違って咲くのですね」
噂が噂を呼んで、人集りが私の元に出来ていた。縁日が始まってからずっと長蛇の列ができていたので、此処らでしっかり捌かないとね。
「ふふふ、少し気分がのって来ました。祭囃子に当てられちゃったみたいです。さあさ、皆さんご覧下さい。これぞホントの
霊夢さんに肩車してもらって目線を上げ、祭りの喧騒を押し退けるように声を張り上げた。博麗の巫女に担がれた私は、それなりに目立って好奇の目を集める。そうして、私に注がれた無数の双眸から集まった風景は、継ぎ接ぎになって視界を形作っていった。
私は夏空と秋空の下で、夕立に晒されながら紅葉に手を伸ばし、軒先の風鈴が風に揺れているのを見ながら街道の落ち葉を踏み締める。まるで打ち寄せる波のように、人々の人生が押し寄せた。
「う〜ん、困ったなぁ……」
「どうしたの?」
「胸が熱くて、ジリジリ痛むの」
「大丈夫?」
心配してくれているのか、霊夢さんはゆっくりと肩車から私を降ろしてくれた。けど、体調が悪い訳じゃないのよね。
「うん。これは──焼かれた心が焦がれる痛みだよ。好きなものを見ると胸が熱くなるでしょう?」
「情熱的ねー。何が見えたのかしら?」
私は両手を広げて、この世を抱きしめて見せる。
「沢山ありすぎて、言葉にできません」
「そっかー」
苦笑した霊夢さんが、椅子にどかりと腰を下ろした。私の目を通して森羅万象を目にした群衆が熱く沸き立つ中、彼女は凛として冷たい声音で言う。
「ただ、あまり変なものは見せないでよ。例えば外の世界の風景とか」
「大丈夫です。そこらへんの分別は付いてますから」
私に釘を刺して霊夢さんは酒を煽る。暫くすると、彼女は酒の肴が欲しいと周囲に目を向け始めた。
「そう言えば、三途の河の巨大魚を売り捌いていた露店がありましたよ。刺身もあったような覚えがあります」
「刺身かぁ、酒の肴にピッタリね」
露店の場所を教えてあげると、霊夢さんは祭りの雑踏の中へと分け入って姿を消した。千鳥足だったけど、大丈夫かなぁ?
「大盛況でしたね」
「お陰様で。ようやく余裕が出来て、今は暇をしてた所です」
「妖怪や神様が縁日に来てました。いつもこうなのですか?」
私が目を見た人々の中には、人間に変装した妖怪や神様が居た。彼らは人間のお祭りに混じっても大丈夫なのかな?
「ええ、いつもこうです。人も神も妖怪も、みんな根っこは同じです。祭りを楽しみとする者たち同士、この囃子の音頭のように共に手を叩いて笑い合っているのですよ」
聖さんは、あらゆる者を分け隔てなく捉える平等主義者だった。彼女からすれば、人間は刹那で消える儚い生き物であり、妖怪は忘失されていく幻想であり、神々は信仰なくして成立しない無名の靄であるらしい。諸行は無常である。それが彼女の見解だ。人も神も妖もみな無常であり、故に彼女はそのいずれでもない魔法使いになった。
「やっぱり、聖さんは豊聡耳様と似てますね」
「私が彼女と? 否定はしませんが、否定したいですね」
「聖さんも死ぬのが怖くて人間を超越したのだと聞きます。豊聡耳様は聖さんみたいな平等主義者ではないですけど、何処か雰囲気が似ている気がするのです」
「誰だって死は恐ろしいでしょう。私たちには、それを乗り越える力があっただけです」
聖さんは、私を見て言い淀みながら口を開いた。
「その……私には明香さんの事が理解できません。仙人に成れる素養があったのに棒に振ったと神子が言っていました。死ぬのが怖くないのですか?」
「怖いですよ。ただ、沢山の死後の世界を私は見て来ました。死が終わりではなく、河岸を変える事であるならば、受け入れられます」
「……私にはやはり理解できません」
「私は聖さんの事が理解できるよ」
表情を曇らせてしまっている聖さんを励まそうと、私は言葉を選んだ。折角みんなが笑顔のお祭りで、悲しい顔をするなんてダメだからね。
「死にたくないって事は、この世が好きって事です。私もこの世界が大好きだから、ずっと長生きして見ていたいって思います」
「ならば何故!」
「私はただ、同じぐらいあの世も好きだからね。地底の温泉街とか風情があって素敵だったし、畜生界は……まあ、自由に生きてみたいなら悪くないかも」
子供の笑い声がする。縁日の屋台で金魚掬いをしているようだ。射的の屋台では、鉢巻をした男が腕を捲って狙いをつけていた。焼きそばや、りんご飴の匂いが漂ってくる。奇妙な小物屋やお土産屋さんまで盛りだくさんだ。
「ほら、見てくださいよ聖さん」
縁日の境内を指して私は言う。
「みんな限りある命なのに、こんなにも幸せそうにお祭りを楽しんでいます。もしかすれば、明日死ぬ身かもしれないのにね」
聖さんは、黙して答えない。
「一分一秒を、愛しんで生きているのです。私はそういう生き方が好きです。時には須臾には永遠にも勝るとも劣らない価値があると思わせてくれますから」
にっこりと、私は笑顔を見せた。聖さんも縁日の様子を見て、私が言わんとしている事を理解してくれたのだろう。もう、彼女の表情に翳りは無かった。
「だから聖さんも、人や世を儚む必要はないよ。全ては変わっていき、諸行は無常だけれど、私たちは幸せで、世界は美しい」
「羨ましいです。明香さんは幸せ者なのですね」
「うん。それもとびっきりだよ」
月明かりと提灯で照らされた縁日は、夜が深まるにつれてその賑わいを増していく。恐らくは、数百年もすればこの縁日の事を覚えている者など誰も居なくなるだろう。人間は言わずもがな、妖怪や神も久しからず。けれど幸せはこの瞬間にあって、それは間違いなく確かなのだ。
「やはり明香さんは仙人になるべきですよ。貴女の能力があれば、こうして夢幻のように時に押し流されてしまう須臾を、いつまでも残しておけるのでしょう?」
「それは……そうですが」
「ほら、妖怪住職が絡んで困らせてんじゃないわよ」
「霊夢さん?」
酔いで顔を真っ赤にした霊夢さんが、魚の燻製を齧りながら声をかけて来た。
「アッチに上手い屋台が出てるわよ。八目鰻の蒲焼きが絶品だったわ。ほら、酒を呑みにいきましょ」
私たちの手を引いて、霊夢さんが誘ってくれた。
「ありがとう霊夢さん。でも手持ちが……」
「あぁ? だからお金を取っておけって言ったじゃない。仕方ないわね、私が奢ってあげるから呑みに来なさい」
「私は宗教上の理由で飲酒はできません」
「それなら酒を呑まなきゃ良いでしょ。蒲焼きが美味いし、肉食もダメなら酒の肴の枝豆もあるわよ」
ぐいぐい来る霊夢さん。私は聖さんと顔を見合わせ、ウインクをした。彼女は困ったように笑顔を見せながら頷いてくれる。
「分かりました。ご一緒しましょう」
霊夢さんに連れられて屋台に入ると、人間の格好をした夜雀のミスティアさんがいた。どうやら彼女が屋台を切り盛りしているようだ。私と彼女は初対面だけれど、迷いの竹林でそのような屋台があると鈴仙さんに教えてもらった事があった。
「私はもう一合。明香も一緒で良い?」
「はい、霊夢さんの奢りですから」
「私はお冷を。いえ、お酒ではなくて水でお願いします」
私はそっと財布の中身を確認し、強かに酔っている霊夢さんの懐に忍ばせた。蒲焼きが焼かれる匂いと、屋台にぶら下げられた提灯と電球の明かりが心地良く、穏やかだ。
「じゃあ、乾杯!」
カチンと、密やかな音が立つ。月下縁日の屋台であった。