物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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「態々すまないね。お陰で助かったよ」

 上白沢慧音(かみしらさわけいね)さんは、私に湯呑みを差し出した。

「貴重な歴史を見られたのですから、礼を言うのは私の方です」

 慧音さんの依頼を受けて、私は寺子屋を訪ねていた。依頼の内容は、彼女が見てきた歴史を子供達に見せる事だ。それというのも、子供たちに歴史を学ばせようと苦心していた彼女が、縁日の件で私の能力に目を付けたからだ。

「百聞は一見に如かずという。子供たちは、語られる歴史よりも目に見える歴史に興味津々だった。普段からあれぐらい興味を持ってくれると助かるのだが」
「子供は移り気ですからね。それに、金言耳に逆らうとも言います」
「そうだな。だが、過去から今までの繋がりを知る事は、今をより良い未来に繋げる為に大事な事だ」
「まるで教師みたいですね」
「教師だぞ。正真正銘のな」

 寺子屋で授業を受けていた子供たちは、みんな元気溌剌としていた。些細な事で笑い、叫び、騒いで暴れる子供というものは、見ていられる分にはとても微笑ましい。世話をするとなったら話は別だけれどね。

「子供たちにとっては、世界は謎に満ちているのですよ。全てが興味の対象たり得るのですから、歴史だけに目を向けるだなんて無理でしょうね」
「とは言え、教室に蝶が一匹入り込んだだけで授業が進まなくなるのは困りものだな。やはり、子供の感受性は何を捉えるか分からない」

 慧音さんは疲労の色濃く溜息を吐いた。その苦労は計り知れない。教師は他人を学ばせる者だが、子供は兎角勝手に学びたがる。故に彼女は、好奇のままに未知に伸ばされる童の手を引いて、その手の伸ばし方から教えなければならない。それはそれは大変な話である。

「心中お察しします。子供たちの興味は熱しやすく冷めやすい。だからこそ、熱いうちに一杯学ばせてあげたいですよね。でも、興味があるからと言って何でも学ばせて良いわけではない」
「ああ、時間は有限だからな。蝶について詳しくなっても里で飯は食えない。先ずは生きる為の学びを修めてから、世界に手を伸ばして欲しい」

 慧音さんは、茶菓子の落雁を振る舞ってくれた。一つ二つ手にとって口をつけると、特徴的な粘り気と強い粉砂糖の甘みが緑茶の渋味と調和する。舌鼓を打つ私を、彼女は和かに眺めていた。

「だが、人は学舎でなければ学べない訳でもない。私はね、子供たちに勉強の方法を教えたいんだ。そうすれば後は、私が教えきれなかったことも自分で学んでくれる」
「人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かずと」
「明香とは話が合うね。君は少し老成し過ぎだな。もっと子供らしくしてみないか?」

 苦笑した慧音さんは、緑茶に口をつけて一服した。するうち、彼女は寛ぐ私に話を切り出す。

「しかし、明香には()()()()()まで見えなかったかな? つまり、その……幻想郷で人間とそれ以外が融和的な関係を築けたのは最近の話だろう? かつては口にするのも憚られる事件が沢山あってね」
「確かに刺激が強いものもありましたね」
「それは──悪い事をしてしまった。申し訳ない」

 慧音さんは頭を下げて謝罪を始めた。あらら、随分と優しい人だなぁ。まさか、そんな事を悪いと思ってくれるなんて。

「お気になさらず。依頼を受けたのは私ですし、慧音さんの目から何が見えたとしても気を悪くする事はありません。それに、見慣れてますから」
「なんとも……逞しいな」

 頬を掻いて慧音さんは沈黙した。かなり彼女は気まずそうだ。多分、私が無理をして強がっていないか心配しているのだろう。ただ、それは杞憂というものだ。

「だって、妖怪や神様の目を覗くともっと凄いですもん。慧音さんは人間の目をしてますよ。きっと、人間と寄り添って生きてきたからですね」

 いや、本当に。妖怪とか下手したら食事シーンとか見えるからね。里の人々と共に人間の生活をしている慧音さんとは比べるべくもない。

「確かに、長らく人と共に生きてきた。だからきっと、人間の生き方に染まったのだろうな」

 慧音さんは、複雑そうな表情を浮かべていた。

「だがな、人間と共に暮らすほど、私が人間ではないことを思い知らされる。実は昨日、私の教え子が死んだんだ。老衰だったらしい」
「それは……」
「子供の頃は私に肩車をせがむような活発な少女だったが……大人になってからは物静かで温和になったらしい。老いてからは時折、孫に肩車をせがまれて困っていたそうだ。ふふ、因果だな」

 何も言えずにいると、慧音さんは私の額を優しく小突いた。

「そういう訳だ。人に寄り添って生きても、だからこそ、互いの違いが浮き彫りになるばかり。朱に交わっても赤くはなれない。生き方を真似れば真似るほど、似せられないものが見えてくる」

 その言葉とは裏腹に、慧音さんは穏やかで爽やかな面持ちをしていた。まるで自らを誇るように、彼女は言う。

「それが私だ。人の間に在る者さ」
「慧音さん、人はそれを……人間というのです」

 慧音さんは私の目をじっと見つめる。差し伸ばされた手が、私の皿の上の落雁を摘んだ。

「存外、甘いな」
「そうですか?」
「ああ。私を人間だなんて大甘だ。幻想郷において人間とそれ以外は峻厳な境界で別たれている。だがそれも、もはや過去の歴史でしかないのかもしれんな」

 慧音さんは、頬杖を突いて首を傾けた。彼女は、手に摘んだ落雁を弄びながら、じっと眺めている。

「今や、人間も妖怪も神々も混じり合い、何もかもが隣り合っている。里の通りを行けば、妖怪とすれ違い、祭りへ行けば、はしゃぐ神々が童の袖を引く。一つの世界に押し込まれて暮らす者たち同士が、いつまでも他人同士でいるなど不可能なんだ」

 幻想郷は少しずつ変わってきた。そして、これからも変わっていくだろう。慧音さんはそう断ってから、落雁を口にして笑顔を見せた。

「それはそれは素敵な話だろう?」
「慧音さんこそ、甘いじゃないですか」
「私は甘党なんだよ。苦い歴史ばかり食い過ぎたからね」

 何処か諦めたような様子で、手の掛かる悪戯っ子を宥めて仕方なしに許すように、慧音さんは穏やかに言い放った。

「これからの歴史は、もっと甘くなってほしい。耳にする度に胸焼けして、コーヒーを飲みたくなるぐらいに。そうだな、アイスクリームは知っているか? 冷たさと痛みを伴っても、最後には甘みが勝るんだ」
「うん、私も好きですよ。でも、痛みは病の所為でしょう?」

 目を丸くした慧音さんは、乾いた笑い声を漏らす。


「歯医者にでも行こうかな?」










fin. 2023/04/16


寺子屋

Extra 返らぬ者

 

「その……明香ちゃんって嫌われてるの?」

 

 宇佐見菫子さんと共に目的地へ向かう道すがら、彼女は言いにくそうな様子で問いかけてきた。

 

「だって、里の人たちが変な目を向けてたし。なんだろアレ? なんか、そう、悪い感情ではなさそうなんだけど……。まるで怖がってるみたいな、いや、ちょっと違うなぁ」

 

 うんうんと唸りながら頭を捻っている菫子さん。きっと、滅多に無い扱われ方だから言葉にし難いのだろうね。

 

「何となく分かりそうなんだよね。もう喉元まで来てる感じなんだけど……」

 

 私は黙って菫子さんの言葉を待つ。疑問の答えは、本人の口から吐き出させてあげた方がスッキリするだろうし。

 

「遠巻きにされて、でも邪険にはされていない。尊重されてるけど近寄り難いみたいな。そうねえ、畏怖かな?」

 

 結論に達して菫子さんは私に目を向けた。そこで、私はこれまでの経緯を彼女に伝える。妖怪の山で神様のフリをして賭場を荒らした事や、天狗の新聞で妖怪人間や現人神として扱われた事。そして、縁日で里の人々に能力を派手に披露した事などなど。

 

「思ったより明香ちゃんって破天荒ね」

「自分が好きなように生きてるだけだよ」

「他人とは思えないわ。まるで私を相手にしてるみたい」

 

 嬉しそうに菫子さんは笑顔を見せた。ただ、私は口を尖らせて胡散臭い忠告をしておく。

 

「私は私の道を行く。けれど、それはみんなそう。だから、時に道は交差して、誰かとバッタリ出会う。そうなるとね、互いに前に進めなくなってしまうの」

「あ〜それは良くある。好きな事をしようとすると兎角邪魔が入るよねー」

 

 頷いて同意してくれた菫子さんは、オカルトボールを用いた異変とその後の顛末を教えてくれた。それは、彼女の野心にどれだけの壁が立ち塞がったかを雄弁に語るお話だった。

 

「そう言う時、明香ちゃんならどうするの?」

「私なら、道を譲って座り込んで、景色を眺めながら休憩するかな」

「のんびりさんねぇ。まるで東北人並だわ」

 

 里を出てから野道を歩き続けて、ようやく彼女を案内したかった場所まで辿り着いた。そこは、魔法の森の周縁だ。寂れた祠が祀られた辻で、森と草原の境目でもあった。

 

 

 

 

 

「ほら、あそこ。あの祠の側の石が座り心地が良くてね。特に晴れた日は、一日中ぽかぽかした石の上で横になって雲を見てたりしたんだよ」

「里の外で危なくなかったの?」

「あの時の私は子供だったからね。祠の側なら神様がいるから大丈夫だって思ってたの。実際、無事でいられた訳だし()()居たのかもしれないね」

 

 石を腰掛けにして、菫子さんと駄弁っていた。天気は晴々しく、真白い雲が青い空に浮かんでいる。風は草木と髪を戦がせて、土の匂いを運んでくる。

 

「外の世界でも見れなくはない風景だけれど、悪くない場所ね」

「でしょ。其処にいる事が心地良い場所ってのは、風景も良く見えるものだからね。それに、この祠は私にとって細やかなオカルトなの」

 

 何故、幼かった私が何度もここを訪ねて無事でいられたのか。今ならば暴いてしまえると菫子さんに伝えた。

 

「ほら、錠が錆びて外れかけてるでしょ。昔はもうちょっとしっかりしてたのよ。今なら少し力を込めれば──」

「ちょっと明香ちゃん、それめっちゃ罰当たりっしょ!」

 

 バキリと、そう音を立てて錠で閉ざされていた扉が外れる。祠の中身にあったのは、古びた石ころ一つだった。だが、私はそれを見て納得する。

 

「見て菫子さん。伊弉諾物質の御神体だよ。こんな所にも神代の遺物があったんだね」

「あ、オカルトボールの原材料じゃん。う〜ん、明香ちゃんってヤバいよね。その、忌避感とかないの?」

「だって、このまま朽ちていく忘れ去られた祠なんだから、最期くらい私が看取ってあげなきゃダメでしょ?」

「看取る?」

 

 伊弉諾物質に目を向けた。かつて妖怪の山で目にしたアビリティカードのように、それは神代の風景を垣間見せる。けれど、酷く朧げで不明瞭なそのビジョンは、亡失された時の摩耗を色濃く反映していた。

 

「これは……」

 

 私の手中で、伊弉諾物質は塵に還っていく。

 

「あわわ、消えちゃったけど!?」

「寿命だねぇ。ちょっと来るのが遅かった。残念」

 

 風に吹かれて跡形もなくなったそれの形を、脳裏で思い起こす。

 

「こうやってね、過去は、ある時点を境に形を失っていくんだよ。隠されたものを暴く事ができても、失われたものを暴く事はできない。けれど、形を失っても残るものはある」

 

 私は自らの目を指差して示す。

 

「私たちは毎日多くの事を忘れて、世界からは毎日多くのものが失われていく。美しいものも、醜いものも一期一会で──二度とは返らぬ時の中で──」

 

 

 私は自らの、胸に手を当てる。

 

 

 

 

 

「生きている」




Phantasm 愛する者

 菫子さんは夢から目覚め、私は一人で横になって雲を見ていた。けれど、長閑な午後の青空が唐突に遮られる。キスだった。虚空から現れた八雲紫さんが、私の唇を奪っている。

「あら、こんにちは」

 唇を離してそう言った紫さんは、私を抱き起こして隣に座らせる。正直、その神出鬼没さとスキンシップの激しさには慣れていたのもあって、私は極自然体でいられた。と思う。

「眠り姫様を起こしてあげようと思ったのだけれど、連れないわね」
「いい加減キスには慣れましたよ」
「なら、それから先に進んでみましょうか?」
「冗談はよしてください。それで、何の用ですか?」

 クスクスと揶揄うように笑う素振りを態とらしく見せながら、紫さんは祠を指差した。

「明香、貴女、やったわね」
「はい。私がやりましたよ。何せもう古錆びていましたから」
「まぁ、明香なら──良いわ。きっとアレも最期に貴女に見てもらえて本望でしょう。何やら古くからの縁もあったようですし」

 私の手に手を重ねて、紫さんは空を見上げた。冷たくなり始めた風が頬を撫で、重ねられた手の熱が伝わる。空は夕暮れ始めていた。もうじきに夜が降りてくる。早く里に帰るべきだろう。

「紫さん、私は」
「私は、明香に告白しないといけない事があるの」

 帰らないといけない。そう伝えようとした私の言葉を遮って、紫さんは真剣な面持ちで私を見つめた。



「私は──明香を殺そうと思っていた」



 その言葉には、普段の飄々とした紫さんの軽薄さはなかった。一言一句重みを持った、滅多に無い彼女の真意を背負う言葉なのだと思う。

「明香の能力に目を付けて、頃合いを見計らって貴女を殺して目を奪おうと思っていた。だから、ずっと監視していたのよ」

 言葉の意味を理解するうち、打ち付けられた痛みが遅れてやってくるように、恐怖とそれ以上の困惑がやってきた。微かに手が震えて、それを感じ取ったであろう紫さんが手を離す。

「家畜を肥え太らせるように、明香がより多くのものを見られるように裏から手を回していたわ」
「……」

 聞きたい事は幾らでも浮かんだ。それでも、すぐには口が開かなかった。

「けれど、そうやって明香を見れば見るほど、貴女は私の中でどんどん大きな存在になっていった。いつからかしら……私は貴女を殺せなくなった」
「……どうして? だって、紫さんの目を見た時、ずっと私を見守ってくれてて、それで、私を助ける為に手を尽くしていたのが見えて、だから私は……私は紫さんが」
「何故なら、見る見る美しくなっていく貴女の瞳を、もっと見ていたくなったからよ。そしてその目が、私が愛するものを愛おしむようになった時に、私は負けたのよ」

 紫さんは、嘘偽りを感じさせる事のない目で私を見ていた。

「雲見明香、貴女は史上唯一私という妖怪を退治した人間よ」
「それが……紫さんの告白ですか?」

 無限にも思えるほどの沈黙と、逡巡があった。紫さんには、こんな秘密を私に伝える理由は無かったはずだ。黙っている事だってできた筈だし、そうすれば私はそんな事に気付くことは一生なかっただろう。

 一体なぜ?

 恐怖と困惑と疑問で震える心と体が、紫さんから離れようとした時、彼女は私の手を握り直した。

「愛しています。だから、秘密を貴女に打ち明けたかった。貴女に黙っている事に、きっと私が耐えられないから」

 紫さんの手が震えていた。彼女の恐怖が伝わり、私は我に返る。ああ、何ということもないのだ。私が人間で彼女が妖怪だからややこしくなってしまっているだけで、彼女は私に黙っていた疾しい秘密に耐えられなくなっただけなのだろう。


「紫さん、私は貴女に感謝しています」


 紫さんの震えが止まった。それだけでなく、彼女は時が止まったかのように動かなくなっていた。


「紫さんの思惑がなんであっても、貴女は私を助けてくれた人です。貴女に助けてもらえた時、私は本当に嬉しかった」


 また、永遠にも思える静寂が訪れた。鮮やかな黄昏の光が、私たちの間に差し込む。私は、夕陽に照らされた紫さんを抱きしめた。彼女の冷たい身体に熱が伝わって、石のように硬くなってしまっていたその体が柔らかくなるまで、茫然自失していた紫さんを私はただぎゅうと抱きしめ続けた。


「私は、貴女という存在が好きです。いや……」


 それは、正しくない。私は言い直した。





「私は、貴女を愛しています」
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