終わってる場合じゃない、見に行くよ。
そんな風に明香に引っ張られた物語でもあります。
ともあれ、お楽しみ頂ければ幸いです。
旧地獄街道
朝日が昇る寒々とした早朝に、私は縁側で火鉢に当たって暖を取っていた。文々。新聞の朝刊片手に庭先を眺めていると、有明の月が浮かぶ空からオオワシが舞い降りて来る。意外な来訪者に、自然と顔がほころんだ。
「久しぶり。元気にしてた? 最近顔を見ないから、ちょっと心配してたんだよ?」
「元気だったぞ。近頃はめっきり寒くなって調子が狂うがな。上空に行ってみろ。嘴が凍りついて開かなくなる」
「例え地に足つけていても、火に当たらないと凍えそうだよ」
「ははは、飛べない友よ、お前も私みたいに羽毛を生やしてみたらどうだ?」
私は、淹れたての緑茶をオオワシに差し出す。次いで、彼に見えるように朝刊を床に広げて、他愛のない世間話を二三した。彼は、剛欲同盟での最近の活動や、饕餮さんの不健康な食生活について楽しげに私に愚痴っていた。しかし、やがて彼は真剣な面持ちで口を開く。
「近いうちに、地上で動物霊達の戦争が起こる」
私はその言葉を聞いて溜息を吐いた。畜生達が争いを望む事は知っている。戦争は畜生にとって無上の喜びだ。それはもう構わない。動物霊達のそうした性分を私は理解している。共感は出来ないけどね。問題なのは、その戦場が畜生界から地上になる一点だ。
「私は平和を祈ってる。でも、畜生界のみんなに平和を押し付けたりはしないよ。争いになっちゃうからね」
「賢明だ」
「なのに幻想郷で戦争するの?」
「そうだ」
私は再び溜息を吐いて目頭を抑えた。オオワシも気不味そうにして目を逸らしている。多分、彼も悩ましいのだろう。
「饕餮様に忠を尽くす事に変わりはないが、正面切っての戦争は御免だ。故に、無血で勝利を収める策が無いか考えていた。明香よ、知恵を貸してくれないか? 人間は賢いのが売りだろう?」
「私も初耳だからね。これまでの経緯を教えてくれないかな?」
頷いたオオワシは、事の顛末を教えてくれた。曰く、無主物の神である天弓千亦が開いていた市場の影響で、幻想郷の古の土地の所有権が無に帰したらしい。これ幸いと、
「それで、思惑のぶつかった組織が睨み合ってる訳かぁ」
私は更に頭を抱えた。流石は畜生、争う理由も至極単純である。あまりにも単純過ぎて、どうにもしようがない。
「お手上げだね。饕餮さんが無血で一人勝ちってのは無理だよ。争いの理由と目的が単純過ぎて、交渉や取引の余地がない。欲しいものがあって、それを奪い合うだけだなんて」
悩ましげに沈黙するオオワシ。畜生の身でありながら争いを好まず、戦争に頭を悩ませるなんて、まるで動物霊らしくなかった。彼が優しい事は知っている。けれど、随分甘くなったものだと揶揄うと、彼は口を尖らせた。
「それを言うなら、お前も人間らしくないではないか」
「それは……そっか」
「戦争が起これば、敵味方問わず多くの者が死ぬだろう。それに見合うだけの物が得られるならば構わん。だが、そんな物は無い。よって割に合わん。割に合わん事をするのは、剛欲同盟のモットーに沿わん」
「えぇと、モットーは『漁夫の利』だったかな」
「その通りだ。正直な話、饕餮様もアホくさいと思っておられるかもしれん」
今回の戦争には利が無い。オオワシはそう判断していた。畜生界を牛耳る三大組織が全面戦争をして、幻想郷を火の海にして死体が山積みの荒野を手に入れたとして、何処に利があると言うのか。或いは畜生達にとっては、戦争そのものが目的そのものかもしれないが。
「ならさ、戦争止めにしない?」
「な……に?」
目を丸くしたオオワシに、私は説明した。今の話を纏める限り、私もオオワシも今回の戦争を良く思っていないのだから、戦争に行くのなんて止めてしまえば良いと。
「しかし、それでは饕餮様に顔向けできん」
「良いじゃん。剛欲同盟はみんな、饕餮さんみたいに好き勝手するんでしょ? 大体さ、戦争なんて行かずに安心安全でいる事が何よりの漁夫の利だと思うけど」
「一理あるな……」
オオワシは、更に悩み込んでしまった。私は冷たく透き通った青空を見上げて思う。どうか行かないで欲しいと。彼は私の友人だ。何処の世界に、友人が戦争で殺し殺される事を望む者がいるだろうか。
「一緒に逃げよう。畜生達の戦争に巻き込まれない所に。幻想郷には詳しいから、逃げ場所には困らない筈だよ」
私はオオワシをじっと見つめた。心配する事など何も無いと、努めて安心させるように微笑みを浮かべる。しかし、彼は首を横に振った。
「その気遣いには感謝する。だが、私は饕餮様の元に向かわねばならん。饕餮様に仕えることは、私が自らの意思で定めた誓いだからな」
「そっか……」
「逃げ場所に困らないのなら良かった。戦争が終わるまで明香は逃げろ。安全な場所に身を隠せ」
オオワシの警告を聞いて、簡単に思い浮かぶ逃げ場所を考えてみた。やっぱり博麗神社かな。食べ物を数日分と幾らかのお賽銭があれば、きっと霊夢さんなら神社の隅に匿うぐらいはしてくれるだろうし。
「何やら、肝心なお話をしているようね」
私が思索に耽っていると、唐突に横合いから声を掛けられた。目を向けると、まるで初めから其処に居たと言わんばかりに、紫さんが火箸を手にして火鉢の灰を弄んでいる。
「いつから居たんですか?」
彼女は答えず、代わりに微笑みを返した。
相変わらず神出鬼没な紫さんは、朝刊に目を通して寛いでいる。彼女は、幻想郷が畜生達の戦場に成りかねない現状にも関わらず、普段の余裕を崩さずにいた。
詰まる所、紫さんは今回の畜生達の大騒ぎにも既に一枚噛んでいるのだろう。彼女は、もう解決策や落とし所を見出していて、後は成り行きを見守るだけの心積もりなのかもしれない。私はそう見当をつけて、話を切り出してみた。
「幻想郷で畜生達が戦争をするって言うのに、紫さんが何も知り得ないなんて、あり得ないって思ってました」
「勿論よ。だから私は明香に会いに来たの。貴女には、
「どちら様で?」
「そうねえ……説明が難しいのだけれど、簡単に言うと今の地獄を創った鬼よ」
「今の地獄を創った?」
「そう。けれど、彼女が何処に居るかは分からない。だから先ずは、旧地獄の地霊殿を訪ねるしかない。古明地さとりならば、私よりも彼女に詳しい筈よ」
「鬼なら萃香さんの方が──」
私がふと思い付いた名を出すと、紫さんは首を横に振った。萃香さんは、故なく煙る霧雨のように捉え所がないのだと。つまり、行方知れずらしい。
「お使いなら藍さんの方が適任ですよ」
「地上と地底の妖怪は不可侵の間柄。勿論、いざと言う時はなりふり構っていられないけれど、事態はまだお行儀良くルールを守っていられる範疇よ」
紫さんは、火箸を深々と灰に突き刺した。その所作は、その言葉とは裏腹に、お行儀良くは見えない乱暴さを孕んでいる。意外と怒ってる……のかな?
「それに、残無と会うのは明香でなければならない。貴女の目で、彼女に今の幻想郷を見せてあげて欲しい。それが、今回の馬鹿騒ぎを最も穏便に済ませる方法よ」
紫さんは、私に向けて殺し文句を突き付けた。
「幻想郷の為に、力を貸して頂戴」
そんな頼み方をされては断れない。それに、戦争なんて無くなれば良いと私が祈っていた事も、紫さんにはお見通しだったのだろう。強かだなあと思って、思わず笑みが漏れる。
「構いませんよ。私は幻想郷が大好きですから」
「ありがとう。きっと幻想郷も貴女が大好きよ」
ああ、なんてお茶目な人なのだろうか。既知に無知を装うアイロニー。それは、否定される事を目的とした言い回し。けれど、そうした会話が成り立つと思われている事は、一種の信頼でもある。私は少し嬉しく思った。
「そんな世辞は通じないって、紫さんなら分かってるでしょ? 私が愛してやまない世界は、何者も、何物も愛さない」
「「ただ一人の例外を除いて」」
私と紫さんの言葉が、不意に重なった。私達は顔を見合わせて笑い合う。オオワシは理解不能だと言わんばかりに私達から離れたが、目敏い紫さんに見つかってしまった。
「できる事なら霊夢と一緒に向かわせたいけれど、彼女は最短最速の方法で物事を解決してしまうから今回は不向きなのよ。困ったわね……あら? 丁度良い所にオオワシ霊がいらっしゃる」
紫さんは、態とらしくオオワシに目を向けて朗らかに笑った。彼は、ゲンナリした表情を浮かべて私の影に隠れる。
「八雲紫よ。悪いが私は饕餮様から下された任務を遂行中だ。お前の指図は受けぬ」
「それは残念」
紫さんは、扇子をスキマから取り出して口元を隠した。彼女は、可愛らしく首を傾けて目を細めている。その表情は、態とらしく芝居がかっていた。
「つまり、私は貴方の友人を怨霊蔓延る地底へと送らなければならないのね。それもたった一人で」
「それは脅しか?」
「いいえ、単なる事実ですわ」
「明香は、お前にとっても友ではなかったのか」
「……」
「私なら、自らの友人を危地に追いやったりはせぬ。つまり──お前の思い通りか」
してやられたように、オオワシは苦々しげな表情だ。
「良かろう。私が明香に付き添う」
「感謝致します」
扇子を閉じて丁寧に頭を下げた紫さんは、一転して柔和で優しい口調になった。
「貴方にとって明香は紛れもなく友人なのね。私、動物霊は信用していないのだけれど安心したわ」
「抜かせ。お前のような類いの者は、元より何者も信用せぬだろう」
「それは誤解ですわ。ちゃんと信じて、ちゃんと疑ってあげる事。それが大切な事でしょう? 信じ過ぎたり疑い過ぎたりしないように、日々苦心しておりますのに」
「明香よ。此奴胡散臭いぞ」
くすくすと、紫さんと二人して笑う。煙に巻かれてしまっているオオワシを見ると、可笑しくて堪らなかったのだ。紫さんを相手にするのに、そんな真面目に臨んじゃったらお手玉にされちゃうよ?
「兎も角、久しぶりの地底旅行だね」
昔に地底へ向かった時は冬で、雪見酒ができた。今は秋だから、地底の彼岸花が──残念、少し季節外れかな。もう花は過ぎて木枯らしの季節だね。
「楽しみです」
胸を押さえてみると、久しぶりの遠出に心が躍っていた。カメラを引っ張り出して、お酒と肴を鞄に詰めて、後は旅装にお着替えしなければ。見たいものは尽きせずあるのだ。足を止める理由なんて、見惚れる以外にあるものか。
「以前は萃香さんと一緒だったんだよ」
「鬼と二人旅とは命知らずだな」
オオワシと駄弁りながら、私は旧都の街道を歩んでいた。昔に訪ねた時とは違って、沢山の妖怪や怨霊達が古風な街並みを彩っている。
「う〜ん、前は伽藍堂だったんだけど」
「その萃香という鬼が余程恐れられていたのだろう。お前が温泉にいた時も賑やかな有様だったじゃないか」
言われてみればそうである。或いは、今の私がオオワシ憑きで人間には見えない事も関係しているのかもしれない。私は歩を進めながら空を見上げた。地底だけあって、夜のような真っ暗闇が広がっている。
「いや、それでもやっぱり伽藍堂ではあるんだよ」
如何に賑やかであろうと、街道の大通りから入り組んだ路地裏に目を向ければ、暗く密やかな街並みが広がっている。常しえに暗がりの中にある事を際立たせるかのように、吊り下げられた提灯や行き交う鬼火が、精一杯の抵抗を見せてはいるが。
「ほら、日が暮れて寂れた見知らぬ繁華街を行く気分だよ。賑やかだけれど何処か寂しげで、暖かいけど身を寄せる事はできなくて、足を止めずに過ぎ去っていくことしかできない場所だ」
「そうだな。私もお前も、此処では余所者だからだ」
「それなら──」
私は、街道を抜けた先の遠景を見晴かす。すると、暗闇の中で朱に染められた橋が、鳥居のように川にかかっていた。
「あっちに行こう。そっちの方が、多分落ち着くだろうから」
私達のような余所者は、誰かの場所にいる事に耐えられない。だから、何処でもない場所が何より落ち着ける場所なのだ。
「嬢ちゃん、見たとこ素面だな。酒はどうだい?」
するうち、道沿いの酒屋から声が掛かった。目を向けると、鬼の店員が豪快に酒を煽っている。店内には、これでもかと酒瓶や通い徳利が並べられていた。私は地底の酒に興味を惹かれて立ち止まる。地上では口にする機会のないものだからね。
「これ、全部売り物なの?」
「勿論だ。うん? 地上の酒臭いな。ウチじゃ取り扱ってない筈だが……」
鬼が首を傾げる。そこで私は、手持ちの酒と交換してもらえる商品がないか問い合わせた。怪しげに私の酒に目を通した彼は、頷いて店頭の商品を見繕い始める。その間、私は店先の腰掛けに座り込んで結果を待った。余所者は、呼ばれると客人に変わるのだ。
「中々どうして、変わって見えるもんだね」
さっきまでの刺々しくて重苦しい空気は霧散して、周囲の景色がずっと身近になった。私もまた、この風景の一部に成れたように感じる。
「酒屋か。何処にでもあるものだな」
「都だからね。大抵の店は揃ってるんじゃないかな?」
旧都は、地上の人間の里と同じか、或いはそれ以上に繁盛している。街道や大通り沿いには、風呂屋に飯屋、茶屋に呉服屋までなんでもござれだ。花火屋まであるんじゃなかろうか? 屋台や露店にも、沢山の妖怪達で人集りができている。
「畜生界の方が都会だがな」
「変なとこで張り合うね」
「件の鬼について店員に聞いてみたらどうだ」
オオワシの言葉に頷き、日白残無という鬼を知っているか聞いてみると、鬼は露骨に表情を歪めた。彼は吐き捨てるように言う。
「地底でその名を知らない奴はいない。だが、敢えて口に出す奴もいない」
「どういう事?」
鬼の表情は不思議を極めていた。そこには嫌悪や軽蔑は無く、尊敬や憧憬を映す目がある。しかし、彼は侘しい面持ちをして困ったように微笑んでいた。その感情を量りかねて沈黙する私に、彼は選び抜いた商品を黙々と手渡す。
「誰も話したがらないって事さ。久しぶりだね。あんたは確か、萃香が攫ってた人間……人間?」
盃片手に赤ら顔の星熊勇儀さんが、目を擦って私を見返していた。彼女の目には、私の背中のオオワシの翼が写っている。
「いやあ、萃香の酒を飲み潰したぐらいだ。ただの人間とは思ってなかったが、やっぱり妖怪だったのかい」
ニッコリと笑って、勇儀さんは私の背中を叩いた。旧友にするかのように親しげに、彼女は私の隣に腰掛けて酒を勧めてくる。断る理由も無いので、口を付けてみると美酒であった。美味いねえ。
「久しく見なかったが、今日はどうしたんだい? 地上から来るなんて悪い奴だな。ほら、不可侵だってさとりの奴が煩くなるぞ」
「ええと、正にその古明地さとりさんに会いに来たんです」
「さとりに? そりゃ珍しい。あいつは嫌われ者だからな。訪問者なんていつぶりかね」
「霊夢さんとかは」
「ありゃあ訪問者って言うより襲撃者だろ?」
あまりにあんまりな物言いだけれど、見事に的を得ていて笑ってしまった。苦笑する私に更に酒を勧めながら、勇儀さんは酒屋の鬼から追加の酒を購入している。
「奇縁のよしみだ。私が地霊殿まで案内してやるよ。あんた、名前は何だった?」
「雲見明香です。以後にもよしみがあればよろしく願います」
「ああ、覚えとくよ」
勇儀さんに連れられて、私達は一路地霊殿へと向かった。余所者だなんだと言っても、過ぎ去ってしまえば名残り惜しくなるのが私と言う者。旧地獄街道に振り向いて、目を眇めて独りごちる。
「やっぱり良い街だ。また来たいね」
「また来れば良かろう」
なんて事もないように、簡単に言ってくれるオオワシ。しかし、これについては勇儀さんも彼と同意見のようだった。
「さとりの奴に聞いてみなよ。構わないなら、好きにすりゃあ良いさ。いつでも歓迎するよ。私が元締めの街なんだが、温泉街もオススメだぞ」
「それは──知ってます。温泉、気持ち良いですよね」
「なんだい、お得意様だったのかい」
豪快に笑う勇儀さん。しかし、付け加えるようにして彼女はこそりと呟いた。
「その……独り言は止めた方が良いぞ。気味が悪いからな」
あー……そっか、私とオオワシの会話は、側から見れば独り言だったね。
「すみません……独り言が癖になってて」
「悪癖だねえ」
「いや、その──誰かが答えてくれるような気がして」
「気を付けな。下手に言葉を吐いてたら、変な奴が憑いて来るよ」
正に、憑かれてます、とも言えず。私は苦笑して言葉を濁し、カメラを構えた。狙いは旧地獄街道だ。
「上手く撮れたかい?」
「現像して見るまでは何とも。でもきっと、良い景色ですから、良く撮れてますよ」
「そりゃ良かった。文の奴とは大違いだ。あいつは守秘義務だのネタがなんだので、撮った写真の一つも教えてくれなくてね」
「文さんをご存知なんですか?」
思わぬ共通の知人に話が膨らむ。私達は、鬼火や怨霊達が行き交う中、談笑しながら旧地獄の中心へと進み続けた。目的地の地霊殿がどんな場所か勇儀さんに聞いてみると、彼女は頬を掻く。
「動物園、かな?」
オオワシが、険しい目付きで警戒心を露わにした。畜生同士縄張り争いなんてしないでね。そう宥めると、当然だ、任せておけと彼は自信満々だ。いや、任せるって──何を? 不安だなあ……。