物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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どうも、お久しぶりです。
またもや、ですね。

時が経つのは早いものです。
けれど、小説はゆっくり進めたいと思います。
急ぐような旅路でも、ありませんし。

気長にお付き合い頂けると幸いです。


誰のものでもない願い
駒草の賭場出張所


 力強く戸を叩く音がした。こんな早朝に来客だろうか? 私は不思議に思って、布団から起き上がった。途端に、朝の冷気が骨身に染みる。身震いしながら寝室を出ると、廊下には氷のように冷え切った床が広がっていた。堪らず、私は早足で玄関口に向かう。

 

「明香ちゃん、おっひさー! 助けて!」

 

 戸を開けると、凍えながら笑顔を見せている宇佐見菫子さんがいた。格好を見ると、この寒暁の中で裸足のパジャマ姿である。驚きのあまり、私は呆然として立ち尽くした。するうち、風がびゅうと吹いて顔に当たり、その痛みで我に返る。

 兎にも角にも、私は菫子さんに積もっていた雪を軽く払い、彼女の手を引いて寝室に連れ込んだ。それから、布団を暖めていた湯たんぽを手渡し、掛け布団を羽織らせる。

 

「うぅ……寒い」

 

 菫子さんは、布団に蓑虫のように包まって湯たんぽを抱いている。その全身で暖をとり、表情を和らげた彼女は、ぐったりと脱力しながら事情を説明してくれた。曰く、夜更かしをして朝方に眠りにつくと、着の身着のままで里の通りに居たらしい。

 

「ちょっと待ってね。もう少し暖かくするから」

 

 私は、石油ストーブを押し入れから取り出した。それは、畜生界の饕餮さんから頂いたもので、原油から精製した灯油で暖をとれる優れ物だ。しかし、灯油も乾電池も人間の里では普及しておらず、普段使い出来ない為に死蔵していた。それが、遂に役立つ時が来たようである。

 換気の為に僅かに障子を開けてから、私は石油ストーブの電源を入れた。すると、燃焼筒が赤熱して一気に部屋全体が暖かくなる。火鉢や囲炉裏とは比べ物にならない、手軽かつ強力な暖房効果である。先程まで寒さに四苦八苦していた菫子さんも、すっかり寛げていた。

 

「わあ、レトロな暖房ね。いや、幻想郷だと最新なのかな?」

 

 菫子さんは、手足の指先をストーブに向けて温めている。やがて彼女は、障子の隙間から覗く中庭を見つめた。其処には、数本の庭木が植えられ、無骨な岩が転がっている。春には蝶が揺蕩い、夏には雑草が生い茂る其処は、落葉の秋を過ぎて閑散としていた。

 

 いつも通りの風景だ。

 

 降りしきる紅い雪を除けば。

 

 季節は冬、天気は紅雪の日であった。

 

 

 

 

 

「こんな天気は、幻想郷でも滅多にないよ」

「そうなの? ちょっと調べて……あ……」

 

 菫子さんは、携帯端末を手にする仕草を見せて呆然とした。それで、外来人然としたその所作に、私は苦笑する。

 

「菫子さん、着の身着のままで来たんでしょ。それに、此処はオフラインだよ」

「そりゃそっか〜。いつもの癖は抜けないね」

「悪い事じゃ無いよ。普段の動作は自動化した方が楽だし」

「機械じゃあるまいし……」

 

 眉を顰めている菫子さんをよそに、私は箪笥を漁って普段着を探した。だって、外には物珍しい風景が広がっているに違いないから。

 

「折角の天気だし、一緒に散歩しませんか?」

「パジャマで靴も無いし、今回はパスかな。此処でストーブに当たって待ってる。紅雪は確かに気になるけど、寒過ぎるし」

 

 菫子さんは、ストーブを背にして胡座をかき、笑顔を見せた。しかし、熱された畳の匂いが漂い始めていたので、私はストーブの火力を弱める。

 

「あ〜、下げないで〜」

「畳が焦げちゃいますよ」

 

 菫子さんを軽くあしらい、私は普段着に着替え始める。するうち、中庭に面する障子の隙間から突風が吹き込んできた。目を向けてみると、少女が元気良い笑顔を見せている。

 

「おはようございます。どうも、朝刊を届けに参りました」

 

 射命丸文さんである。彼女は私に新聞を突き付け、一言断って部屋に上がって来た。

 

「あやや、お着替え中にすみませんね。しかし、外の景色をご覧になりましたか? これは滅多に無い謎とスクープの天気です」

「新聞配達員さん?」

「こんにちは。宇佐見菫子さんですね。私はジャーナリストで、射命丸文と申す者です」

 

 文さんは、柔和な笑みを浮かべて菫子さんに応対していた。その様子は、親しみ易く礼儀正しい態度だ。けれども、それが彼女の数ある仮面の一つだと私は知っている。なにせ、彼女はとても多面的な妖怪なのだ。

 それはさておき、私は外出の準備を完了した。かくして、上着や手袋、マフラーもよし。つまり、ふかふかでモコモコな冬装備である。

 

「何処へ行かれるので?」

「折角の天気なので、散歩に」

「それなら、博麗神社がオススメです。紅雪にあやかった市場が開かれるので、賑やかになりそうですよ。ともすれば、目を引く物が見つかるかもしれません」

「でも、市場に行っても手持ちが少ないですし」

「懐が寒いなら、鯢呑亭で賭場が開かれてます。一稼ぎしてみては?」

「なら、そうしようかな」

「賭場……? ダメでしょ明香ちゃん。賭けってのは必ず損するように出来てるのよ」

 

 至極真っ当な指摘で、返す言葉も無い。返答に窮していると、文さんが得意げに胸を張る。

 

「宇佐見さん、それは外の世界の常識です。幻想郷では、賭博は運の強い者が勝つと決まっているのですよ」

「嘘でしょ……」

 

 文さん曰く、外の世界では運という概念は幻想となっており、故に幻想郷ではそれが機能するのだと言う。言われてみると確かに、霊夢さんはとても強運で、賭け事では負け知らずとも聞く。

 

「ともあれ、私は市場の取材に行きましょうかね。ただ、大っぴらには動けないので……助手を送りましょう」

「大っぴらに動けない?」

「あやや、影に隠れなければ見つからないネタもあるのですよ。ところで、あの痕は一体?」

 

 文さんは、話を逸らして話題を変えた。というのも、彼女は私の上腕部に残る火傷痕に気付いているようだ。きっと、着替え中に覗かれていたのかな。だとすると、流石は記者と言うべきか、目敏い方である。

 

「旧血の池地獄に降りる途中に、地獄の業火で焼かれた名残です」

「へえ、明香ちゃんって地獄に行ったんだ……え? ホントに?」

 

 驚きの表情を浮かべる菫子さん。一方、文さんは疑いの目を私に向けていた。おまけに、どうにも険しい顔だ。

 

「それが本当なら、詳しく経緯を伺いたい所です。ところで、其処にある石油ストーブも、里では普及していない筈ですが、何故此方にお有りで?」

 

 暖気を放つ石油ストーブを菫子さんと共に囲みながら、文さんは態とらしく首を傾げる。やはり、彼女には隠しても逆効果だろう。そんなわけで、素直に事情を説明しようとした。けれど、彼女は首を横に振って微笑む。

 

「いえ、忘れてください。聞かないでおきます。恐らくは、記事にできる話ではない筈です」

 

 文さんは、まるで全て分かっていると言わんばかりの不敵な笑みを浮かべた。

 

「骨身の髄に染み付いた血生臭い獣臭が、明香さんから匂ってきます。何があったのか、察するに余りあります」

「頼まれ事をこなしただけです」

「あやや、一体どんな酷い事を頼まれたのですかねえ? まあ、この話はここまでにしましょう。私は目下目前の紅雪を追わねばなりませんので」

 

 文さんは、慌ただしく飛び去っていった。続いて私も、目を丸くしていた菫子さんに断って家を出る。そうして、目指す先は鯢呑亭の賭場である。かくして、戸を出た通りでは、既に積雪が地を隠し、歩く度にほかほかと、柔らかい雪が凹んだ。

 

「沈むねえ」

 

 朝早いだけはあり、人通りは疎であった。しかし、紅雪の物珍しさ故か、ちらほらと空を見上げる通行者達が目に入る。また、彼らの表情は様々で、不気味がったり面白がったり十人十色であった。

 

「なんとまあ、しんしんと」

 

 紅雪は降り止む気配もない。そのため、私は立ち止まって傘をさし、身に積もった雪を払う。ふと、遠景の妖怪の山を見上げてみると、仄かに紅い雪化粧を施されていた。こうして、勝手知ったる道のりが見慣れぬ風景に様変わりするのは、新鮮な気持ちになれて心弾むものである。それゆえ、ちょっぴり高揚した私は、軽やかな足取りで雪上に足跡を残していった。

 

 

 吐く息白く、降る雪紅く、非日常の散歩である。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ!」

 

 早朝の鯢呑亭の暖簾をくぐる。すると、朝っぱらから大酒を食らう酔っぱらい達が沢山であった。

 

「盛況だね」

「いやあ、そうなんですよ。ほら、珍しい天気だって言うので、皆さん賭けに来られまして」

「実は私もそうなんですよ」

 

 美宵さんは、表情を引き攣らせながら奥の座席を指差す。そこには、花札で賭けに興じる男達の姿があった。中には、チンチロやら丁半やらで遊んでいる者達もいる。

 

「楽しげだけど、怪しげな酒場になっちゃったね」

「う〜ん、お客さんが楽しんでくれてるなら良いんですが」

 

 私は、賭けるつもりで鯢呑亭に来た。けれど、赤ら顔で楽しんでいる人々を見ると、素面で混じるというのも気が引ける。そこで、私は財布を覗いて手持ちを確認した。実のところ、一食分程度のお金はある。それは、市場を散策するには心許ない額だが、酒屋で駄弁るには困らない程度のものだ。

 

「先にお酒を頼もうかな」

「毎度、ありがとうございます!」

 

 笑顔の美宵さんからお酒を頂き、私は暫くお猪口に口を付けていた。するうち、特徴的な煙草の香りが漂ってくる。続いて、揺蕩う煙の元を辿ると、隣席に腰掛けた少女が一人。

 

「お久しぶりです。駒草山如さん」

「人違いだ。初めまして、でしょう?」

 

 含みを持たせた言い方だった。それから、駒草さんは龍を模った煙管を咥えて更に煙を吹かす。

 

「煙草はどうだい? 頭が冴えるよ」

「いえ、煙管なんて使い方も分かりませんから」

「そりゃ残念だ」

「駒草さんは、お酒は飲まれないので?」

「胴元が酔っ払う訳にもいかないからな」

「それは残念です」

 

 駒草さんとは、他愛無く近況を語り合った。例えば、里のどこぞの住人が妖怪に襲われただとか。或いは、山では賭場まで人間がやって来る事も減っただとか。そうして、雑談に花を咲かせていると、私のもう片方の隣席に少女がやって来た。

 

「隣失礼。ちょっと良いか?」

 

 少女は、黒髪や赤髪が入り混じったような頭髪をしていて、被り物で二本の小さな角を隠していた。そのうえ、特徴的な矢印の意匠が施された衣服を身に付けており、その奇特な服飾からは里の人間でない事が伺われる。

 

「鬼にしては矮小な」

 

 駒草さんは、私に微かに聞こえる程度の独白を漏らす。曰く、鬼ではないようだ。また、少女はメニューから食事を注文した。そうして、運ばれてきた鰯の焼き魚に、彼女は笑顔で箸を付けている。ますます鬼らしくない。……鰯?

 

「あの、美宵さん。この魚は何処から」

「お得意さんからの好意です。お気になさらず!」

 

 怪しい。美宵さんも言うのであまり詮索はしないが。するうち、少女は上機嫌で語りかけてくる。きっと、腹を満たして気を良くしているのだろう。

 

「私と賭けをしないか。金が入り用でね。コイツを賭けよう」

 

 少女が懐から取り出したのは、華美な金色をした小槌である。そこには、精巧な松の絵柄が見て取れて、一目で相当な一品である事が分かった。

 

「待ちな。金以外のものを賭けるのは此処では無しだ。トラブルの種にしかならん」

「そういうなよ。これはな、良いもんだぞ。相当な価値がある」

「なら、質にでも入れてきな」

 

 駒草さんは、取りつく島もなくぴしゃりと言い放つ。とはいえ、その言明は非の打ち所がないものだ。加えて、私もこの賭けに乗る事はできない。

 

「私は、大仰な賭けができる大金は持ってないよ」

「ええ? なんだ、胴元と親しげだから金持ちだと思ったのに。なら、代わりに賭けられそうな金目のもんはないのか?」

「ないよ」

「クソ貧乏人め。酒なんて飲んでんじゃねえよ」

 

 ド直球な言葉に笑ってしまった。そう、客観視しても主観視しても、金欠なのが現状である。なのに、酒なんて飲んでいる。要は、ダメ人間であった。

 

「じゃあ、願いとかあるんじゃねえか? 金持ちになりてえとか、成り上がりたいとか、なんかあるだろ」

「私はただ、散歩して、ご飯を食べて、寝るぐらいかな」

「野良猫かよ?」

 

 随分と辛口なお人である。一方、駒草さんは目を瞑って眉を顰めていた。恐らくは、雑談を遮られた上に吐かれた、その物言いを腹に据えかねているのだろう。次いで、開かれた彼女の目には、微かな怒気が見て取れた。

 

「騒がしい……。うせな! 煙草の味が濁る」

「よせよ、そんな嫌われたら、照れるだろ」

 

 少女の飄々とした様子に、相手をしても無駄だと駒草さんは悟ったのだろう。そんなわけで、彼女は呆れ顔で閉口して煙草を吸いなおしていた。するうち、背後から陽気な酔っ払いの声が届く。

 

 

「懐かしいね、打ち出の小槌じゃないか!」

 

 

 私の肩に手を置き、身を乗り出してきた酔っ払いには見覚えがある。というのも、彼女はかつて地底を案内してくれた伊吹萃香さんだったからだ。

 

 

「鬼の秘宝を、こんな酒場で目にできるなんて思いもしなかったね」

 

 

 嘘嫌いな鬼の彼女が言うのだ。つまり、間違いなく打ち出の小槌なのだろう。これから起こる悶着を思ってか、駒草さんは煙と溜息を吐いて物憂げに頬杖を突いていた。

 

 

 心中──お察し致します。

 

 

 

 

 

「で、賭けるもんがねえなら他所のヤツに当たるが、構わねえか?」

「だから、私の賭場ではそんな賭けは許さんと言ってるでしょうが」

「おい明香。あれは本物だぞ。乗ってみなよ」

 

 私は腕を組み、暫し考え込んだ。そもそも、打ち出の小槌があれば願いを叶えられる筈なのだから、少女が金に困る訳もない。

 

「それ、本物だとしても、願いは叶えられないのでしょう? だって、貴方も願いを叶えてないし」

 

 少女は面倒そうな表情を浮かべて頷いた。さらに、彼女は渋々な口調で酷く無愛想に語り始める。

 

「小槌で願いを叶えるには魔力が要るんだが、それが無いんだ」

「無いと機能しないの?」

「願えば叶うさ。ただ、願いの代償を踏み倒せなくなる」

「魔力はどうやったら補充できるの?」

「さあな? それが分かれば自分で使ってる」

「そりゃそっか。なら、これは小綺麗な置物にしかならない訳だね」

「……まあ、そうなるな」

 

 私は、暫く思案して願いを探る。つまり、少女が何を求めているのかを。

 

「貴方は、金なんて要らないでしょう。だって……()()()()()()のだし。どれだけお金があっても、里での飲食ぐらいにしか使えない」

「目敏いな。あんまり大声で言うなよ」

「だとすると、貴方の望みは──」

 

 ああ、妖怪の考える事が分かるようになってしまった。明らかに、私の身の回りに妖怪が多過ぎる所為である。

 

 

「混沌」

 

 

 しんと、沈黙が訪れる。それで、酔った博徒達の喧騒が耳に届いた。遅れて、駒草さんが吐く煙草の香りも鼻に付く。

 

「貴方は、小槌が人の手に渡る事を望んでいる。欲深くて愚かな人間が良い。そうだな、酔っ払いや博徒なんて人種なら完璧だ。手前勝手な願いで、周囲を巻き込んで破滅して欲しい」

 

 他人の考えを理解する事は、恐ろしい事だと私は時折思う。何故なら、理解を経れば他者の思考は模倣可能であるからだ。まるで、少女の切れ端が頭の中に居るようである。

 

「沢山の人の手を渡って、沢山の願いを叶えて、沢山の混沌を産んで欲しい。そうして、全てが台無しになってひっくり返って欲しい。何故なら──私はこの世界が大嫌いだから」

 

 ずいと、私は少女に身を寄せて囁く。

 

「そうでしょう? 鬼人正邪さん」

「きしょいな。何で分かるんだよ」

 

 不機嫌な表情を浮かべた正邪さんに押し退けられた。その為、私は寄せた身を戻して御猪口の酒を飲み直す。

 

「その小槌を私にくれませんか? 賭けではなく、贈賄で」

 

 私は、正邪さんの席に徳利を置いた。ただそれだけで、彼女は目を細めて私を敵視する。

 

「酒一合で、打ち出の小槌が欲しいなんざ、頭イカれてんじゃねーの? ……いや、寧ろ興味が湧いてきたな。私の思惑を一目で見抜き、酒と小槌を引き換えようとする酔っ払い。なんて欲深くて愚かなんだ」

 

 再び横たわる沈黙。やがて、正邪さんは溜め息を吐いて頭を掻く。

 

「やべえな、もしかして、()()()()()()()()()()()()() 跳ねっ返りが来る前におさらばするぜ。そいつは、くれてやるよ。精々派手に破滅しろ。じゃあな」

 

 卓に小槌を置き、正邪さんは鯢呑亭を後にした。結果として、置き去りにされたそれは、私の手中に収まる。それで、私は彼女の飲食代を美宵さんに支払う事にはなったが。

 

「貴方は本当に……不思議な人間ですね」

「いや、哀れだろ。無力な癖に力に集られてる」

 

 萃香さんは、正邪さんが去った後の席に座り込んだ。おまけに、席に残された酒も飲み干している。とはいえ、鰯の残骸には流石に手を付けていない。暫くして、彼女は珍しく素面そうな表情で見つめてくる。

 

「お前が破滅すると、癇癪を起こす奴を一人知ってる。面倒はゴメンだ。そいつを私に寄越しな。元はと言えば鬼のもんだ」

「嫌です」

「あぁ?」

 

 柄悪く睨み付けてくる萃香さん。けれど、私はそれを跳ね除けて言い退ける。

 

「これは、私のですよ」

「それは、魔力が空なんだぞ。例え何を願っても代償に破滅を振り撒く欠陥品だ」

「だからこそです。破滅を願う者ではなく──私のものになって良かった」

「なら、明香はどうするつもりだ?」

 

 私はひとしきり考えて、酒を一口含み、酒場の喧騒に紛れるような、瑣末な答えを口にした。

 

 

 

「後で庭先で焼きます」

 

 

 

 萃香さんは、私の答えを聞いて苦笑した。けれど、そこに嘲りや呆れの徴を見てとる事はできない。何故なら、彼女の表情はどうしようもなく諦観に満ちていたからだ。

 

「それができないのが、人間なんだ」

 

 萃香さんの諦観には、優しさがあった。まるで、好いた夫の短所をどうしようもなく受け入れる妻のような。或いは、愛する我が子の悪戯を叱り付ける母親のような。

 

「私は、これまで山程の酔っ払いを見てきた。そんで一つ分かったのは──」

 

 萃香さんは、伊吹瓢から酒を出して私のお猪口に注いだ。つまり、飲めと言う事だろうか?

 

「人の願いってのは、狂犬みたいなもんだって事だ。隙を見せれば、飼い主の手に噛みついてくる。おまけに、世話してやったって幸せを呼んでくれるとも限らねえ」

「夢の無い話ですね」

「あたりめえだ。夢ってのは人喰いの怪物だぞ。その怖さを知らねえうちは、まだまだガキだ」

「なんとも拗ねた大人ですね」

 

 にやりとして、私は萃香さんと乾杯した。それで、彼女は益々気を良くしたのか、赤ら顔で語り始める。しかし、その声音は賑やかな賭場に似合わしくない哀愁を誘うものだった。

 

「人の願いや夢ってのは、言ってしまえば我儘だ。人は自分の我儘を叶えるのが大好きだから、あの手この手でそれを美化するが、その先には結局碌なもんはない。まあ、私は我儘を力で叶える鬼だから偉い事は言えないが」

 

 ぐびりと、萃香さんはたっぷり十数秒程の間、伊吹瓢を口に付けたまま空を仰いだ。

 

「良いじゃないですか。願いとか夢とか、元気いっぱいって感じがして私は好きですよ」

「お前、分かって言ってるだろ……嫌味な奴だな」

 

 ケラケラして、二人して笑い合った。多分、酒場らしい賑わいの一つに成れただろうと思う。

 

「ええ、分かっています。早朝に花開いた朝顔を見たり、昼に川辺で蝶が舞っているのを見つけたり、ふと頬を撫でる夜風で涼を取れたり。そうした小さなものの積み重ねが幸福で、人が生きていたいと願う根っこなのだと」

 

 だから、夢だの願いだの大層な我儘を叶えても、幸せには成れない。夢を叶えて幸せになるだなんて言うのは、それこそ幻想(フィクション)なのだと。そんな風に私が言うと、萃香さんは目を丸くした。

 

 

「明香なら本当に焼けちまうかもな。その小槌を」

 

 

 火にかければ灰となり、水に浸ければ腐食する小槌が、幾星霜を越えて存続したのは、願いと破滅を振り撒く性故だ。それ故に、人も小人もそれを手放す事ができなかった。すなわち、この小槌の存在は、単に人々の愚かしさを端的に証している。

 

「やれるだけ、やってみます」

「ああ、土産話を楽しみにしてるよ」

 

 やけに楽しそうな萃香さんは、目を輝かせて私を見た。まるで、一世一代のショーの特等席に座る童のようだ。

 

「邪なる鬼の秘宝──人によって、絶たれるか。上手くいったら、伊吹瓢をくれてやるよ」

「ちょっと待っていてください。直ぐに焼いてくるんで」

「待て待て、先ずは酒が先だろうが。すっぽかすなよ」

 

 ぐいと肩を掴まれて、口元に瓢箪を突っ込まれた。それで、私は酒に溺れて目を泳がせる。堪らず、必死に萃香さんを振り解こうとした。しかし、彼女はまるで意に介さず笑顔を浮かべている。

 

「そう邪険にするなよ。連れないなあ」

 

 私は、アイコンタクトで駒草さんと美宵さんに助けを求めた。しかし、二人して黙祷するかの如く目を伏せる。

 

 

 あゝ、南無三……。

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