太陽の畑
「暑いなぁ」
真夏である。日差しがジリジリと肌を焼く中、麦わら帽子を深く被って歩を進める。目指す先は太陽の畑だ。向日葵が一面に咲き誇る光景が大層美しいという噂に釣られたのだ。
しかし、太陽の畑はかの悪名高い風見幽香の主な活動場所であり、更には悪戯好きな妖精やら妖怪やら騒霊三姉妹やらがコンサートで騒ぎ立てていたりする危険地帯なのだ。人間の里以外に幻想郷に安全地帯なんてない? うん、それは、そう。
「もうちょっとで着く筈なんだけどなぁ」
背負子を下ろして道端に腰掛けた。首からカメラと一緒にぶら下げていた巾着袋にふと目が向く。三途の川の巨大魚の鱗を、霊夢さんに頼んで御守りにしてもらったものだ。目にしていると少しばかり気が涼む。だが身体は火照ったままだ。暑すぎる。
耐えられずに水筒に口をつけていると、こんな人里離れた田舎道を行く人影が見えた。一体誰だろうかと目を凝らしてみて唖然とする。素敵な日傘を指して優雅に歩く彼女は、人間の里の花屋で何度か見かけた事のある少女だった。
求聞史記曰く、極高の危険度と最悪の人間友好度を併せ持つ四季のフラワーマスター、風見幽香だ。太陽の畑を目指していたのだから、彼女との遭遇も想定の範囲内だ。目を合わせないようにして立ち上がり、すぐにでもこの場を立ち去ろうと行動を始める。
が、間に合わなかったらしい。
「あなた、そんなに急いで何処へ行くの?」
直ぐ背後から声がする。いやいや、おかしいでしょ。ついさっきまで遙か彼方にいたじゃん。ワープでもしたの?
「私を無視するなんて随分と生意気なガキね。何処へ行くつもりかって聞いたんだけど?」
呆気に取られて困惑していると、彼女は苛立ち混じりの声音になっていた。肩に手を置かれて、言うことを聞かない身体を無理矢理振り向かされる。
「人間? てっきり妖精かと思ってたわ。で、これで三度目よ。何処へ行くの?」
「た、太陽の畑へ行こうと思って」
「ますます気になるわね。何が目的かしら? 太陽の畑は向日葵が咲いているだけの長閑な場所よ」
答える代わりに震える手でカメラを見せると、察してくれたようだ。
「ふぅん、あなたカメラマンさんなのね。それなら……そうね、良いことを思いついたわ。太陽の畑の写真を何枚か撮ってちょうだい。今年の向日葵たちは特に綺麗だから、ただ散ってゆくのを眺めるだけなのは惜しいと思っていたのよ」
頷いて答えると、付いて来るようにと促された。選択肢は多分ない。だが願ったり叶ったりだ。意を決して彼女の後を追う事にする。
「何処かの鴉天狗のように記者ってわけでもないのに、幻想郷中で写真を撮ってるなんて物好きね。太陽の畑を選んだのは人間の里の噂の所為かしら?」
「はい。今年はとても美しい向日葵が見られるって噂を耳にしまして」
「その噂、私が広めたのよ。毎年花を咲かせているのに見てくれるのは風情も解さない妖怪や妖精ばかりで可哀想だから」
「仕方がありませんよ。人間の里からは遠すぎますし、何より風見さんがいますから」
風見さんと雑談すること暫く。少しだけこの人の事が分かってきた気がする。彼女には強者特有の雰囲気がない。人を従えるようなカリスマが無いのだ。気さくで親しみやすく、誰にでも平等だ。何故なら、自分以外を等しく弱者だと思っているから。
歯向かうなら叩き潰す、そうでないなら自然と接する。強大な妖怪らしい超然とした有様だ。だからこそ求聞史記にもあれだけくどく彼女の危険性が記されているのだろう。そうでなければただの親身な女性だと勘違いしてしまうだろうから。
「あなたは私が怖くないの?」
「怖いですよ。でも、怖がったら助かりますか?」
「肝が据わってるわね。気に入ったわ」
ともあれ、歩むうちに黄金色の平原が現れる。
「ようこそ、太陽の畑へ」
見渡す限り一面の向日葵畑だ。風見さんの歩みに合わせて、花々は意思があるかのように彼女を追い向きを変える。向日葵は太陽を追うように花を咲かせるはずだし、ましてそれが人を追うなんてあり得ない筈なのに。
遠景にも目を向けると、無数の向日葵が絡まり合ってできた巨大なオブジェクトがあった。馬鹿でかい向日葵の花が一つ最高の位置にあって、太陽のように畑を見下ろしている。あれは何なのだろうか?
「この花たちは良い子なのよ。私によく見えるように花を向けてくれるの」
「あの花は向日葵ですか? 妖怪や化生の類ではなく?」
「当然よ」
何をおかしなことを聞くのか。振り向いてそう答えた風見さんと共に、花々もまた私に一斉に振り向いた。
「ほら、写真」
「あ、え」
「折角この子達があなたを見てくれてるのよ。早く写真を撮りなさい」
慌ててカメラを構えて、風見さんと共に向日葵たちをレンズに収める。まるで絵に描いた太陽のように、巨大な向日葵の花も写り込んだ。なんだか集合写真を撮っている気分だ。
「さて、何枚か撮ってちょうだい。それと……この近くに私の住まいの一つがあるの。お茶でもどうかしら?」
「ご一緒します」
何処までも澄み渡る空と、何処までも続く太陽の海。柔かに微笑む風見さんが日傘を振ると、風が吹いて花々が戦ぎ、お日様の匂いが仄かに香る。向日葵に向けて手を伸ばすと、揺れる葉が私の手を撫でた。
「さようなら」
花にも言葉が通じる気がして、口から自然と言葉が漏れた。
「夏の陽気が強くて、向日葵たちがとても元気なの。去年もそうだったけれど、今年ほどでは無かったはずよ」
お洒落な空き家と言った風情の小屋に連れ込まれた私は、風見さんと向き合ってお茶を飲んでいた。窓の外では向日葵たちがゆらゆらと揺れている。
「本当に元気そうに見えます」
「ひとりでに動くほど元気なのを見るのは私も初めてだわ」
「風に揺られているのではないのですか?」
問いの答えは微笑みで黙された。話題を変えるべきかな。
「そう言えばあなたの名前をまだ聞いていなかったわね」
「私は雲見明香と申します。空の雲を見る明るい香りです」
「あはは、なるほどねー。面白い名前だわ」
けらけらと笑う風見さん。
「風雲、幽明境を異にしてるのね。洒落てる偶然だわ」
「えぇと、私は生きてますよ?」
「気にしないで、ただの独り言だから」
「……向日葵の写真はどうしましょう」
「私はいつも此処にいるわけではないから、此方から出向いた方が確実でしょう。受け取りに行くわ」
「現像は少し時間がかかりますが、明後日にでもお越しいただければ手渡せるかと」
風見さんは季節によって、美しい花が見られる場所に居を移すのだそうだ。ここもそうした仮住まいの一つなのだと言う。幻想郷中に別荘を持っているようなものなのだろう。とても羨ましい。
「そう言えば、あの巨大な向日葵は何なのですか?」
「妖精達が悪戯で向日葵を絡めて遊んだのよ。何匹か住み着いたみたいで、ますます成長しているわ」
「それは凄いですね」
「でも、所詮は一夏の一幕でしかない。花は咲けば散るものだから、何れはあれも土に還るのよ。そしてまた新たな花を咲かせる。生きているものが死んでいるものに生かされているなんて、不思議な感じがするわね」
そして私はとても永く生きてきたと、風見さんは呟いた。
「三精、四季、五行を繰り返して沢山の花が咲いては散っていくのをずっと見てきたわ。そして幾度も思う。花とはこんなにも美しかったのかと。きっと多くの花を見てきた記憶がそうさせるのでしょうね」
カメラを指さして彼女は笑う。
「写真の花は散らないのよ。写真の中に花はないの。花を想わせるものがあるだけ。でも私はそれが好きだわ。記憶の中に花を咲かせる色彩のパターンだなんて、とても素敵だと思わないかしら?」
写真は花を見せない。写真は私たちの心の中にある花を想わせる。そう風見さんは言った。ならばきっと、幻想郷中を巡る私の旅路は、私の記憶に世界を刻み、写真がそれを想起させるのだろう。
ふと、ワクワクした。
私が撮った写真から幻想郷を想えるのは、正にその記憶を持つ私だけなのだから。写真と記憶はワンセットなのだ。私だけが知っている、私だけが幻視できる、幻想郷の入り口。そしてそれだけではない。
きっと私の目に映るものでさえそうなるのだ。
「とても素敵です」
暖かなお茶に口をつけた。窓の外を見る。やはり向日葵は揺れていて、風は吹いていない。風見さんを見る。彼女も私をじっと見た。互いに互いを記憶に刻む。
きっと私が撮った写真を見た時、風見さんは写真には一欠片も写っていない私のことを思い出すのだろうな。そう思うと少し嬉しかった。