物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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恐らく、お久しぶりです。

完結と連載をぐるぐるしていますが
どうか、気長にお付き合い頂けると幸いです。


梅雨と消えにし雨合羽
未踏の渓谷


 閑静な書斎に、二人の天狗の姿があった。飯綱丸(いいずなまる)(めぐむ)と、射命丸文である。彼女達は席に着いて、社交辞令の混じった世間話に興じていた。卓上には冷えた緑茶と、幾許かの茶菓子が並べられている。やがて、飯綱丸は手持ちの案件について口に出した。

 

「雲見明香の件だが、ゴーサインが出た」

 

 寝耳に水な話を告げられた射命丸は、困惑して言い淀む。

 

「あの〜、初耳なのですが?」

「当然だ。初めて伝えるからな」

 

 飯綱丸は、黒文字で水羊羹を突き刺して口にした。そうして、つるりとした食感と甘みを味わってから、彼女は冷たい緑茶を口にする。すると、水羊羹の後味を緑茶の仄かな渋みがかき消して、さっぱりした無味が彼女の口内で尾を引いた。

 

「混ぜない、というのが私なりの味わい方のコツだ。羊羹の甘味を楽しんでから、お茶の渋みを味わう。重要なのはこの順番。甘味と渋味を混ぜても、名状し難い味わいになるだけよ。要は、口の中で羊羹とお茶を混ぜたりしないとい」

「それで、ゴーサインとは?」

 

 雑談を遮られて、飯綱丸は目を丸くして黙り込んだ。まさか、射命丸が人間の話に此処まで食いつくとは想定外だったのだ。暫くしてから、彼女は笑顔で水羊羹を差し出して言う。

 

「話の前に、菓子でも口にすると良い」

「お言葉に甘えて」

 

 射命丸も羊羹に口を付けた。成る程、お偉い大天狗様の菓子だけあって上等だと、彼女はほくそ笑む。やがて、飯綱丸は席を立って書斎の窓を微かに開けた。すると、窓辺の風鈴が揺れて音を立て、飯綱丸の長髪が戦いだ。

 

「偶には換気しないとな。河童の冷房は優れ物だが、締め切っていると空気が淀む。さて、件の話だが……雲見を山の隣人として認める事になった」

 

 射命丸は、顎に手を当てて思案した。確かに、山で不可侵の立場を持つ明香は天狗達からすれば厄介だ。排除できれば御の字だが、しくじれば目も当てられない。それ故に、懐柔の線で話が進んだのだろう。しかし、あの排他的な天狗達がそんな決断をしたのかと、射命丸は驚いた。

 

「意外そうな顔ね。お前の事だから、てっきり調べが付いているものだと思っていたぞ。雲見は八雲お抱えの人間で、ふらりと山を訪ねる稀人だ。排除するにはリスクが伴うが、友と成れば皆に利がある」

「公共の為になる、という訳ですか」

 

 飯綱丸は、ニヤリとして計画を明かした。雲見には、山で神隠しに遭ってもらうと。そうして、宴会に連れて行って盃でも交わせば万事疎漏無い。彼女はそう、楽天的に語った。

 

「筋書きはこうよ。雲見は山で天狗の友人に誘われ、宴会でお酒を飲んでみんなと仲良くなったと。実にめでたしなお話だ」

「お酒に頼ると碌な事になった試しがないのですが」

「それはまあ……大概鬼の所為だ。気に病むな」

「それに、人間に肩入れすれば、山の天狗が畏れを失いますよ。私たちは、人間から畏れられないといけない。仲良しごっこは、我が身を破滅させるだけです」

 

 飯綱丸は、換気の為に開けていた窓を閉めて席に戻った。彼女は、射命丸の懸念に余裕綽々として答える。

 

「彼女を人間扱いするのは、無理があるだろう」

「それは……そうですね」

 

 射命丸は、暫し逡巡した。しかし、彼女は諦観の笑顔を浮かべて頷く。元はと言えば、明香の記事を広めた彼女の思い通りなのだ。山の妖怪たちはもう、明香をただの人間だとは思っていない。

 

「今回の件はお前に一任する。そう難しい仕事ではない。疎遠な隣人を飲みに誘って、親交を深めようというだけの話さ」

 

 

 

 

 

「冷んやりしてるなあ」

 

 私は、深山の河川を歩んでいた。それと言うのも、文さんとの待ち合わせ場所が山中だったからだ。河童に注文した新しいカメラを、彼女から受け取る約束であった。

 

「避暑には悪くない場所だね」

 

 山の河川は、川底の礫が見える程に澄んでおり、水の流れも緩やかだ。耳を澄ませば、せせらぎも聞こえてくる。最近の蒸し暑い天気からすると、理想の避暑地である。

 

「少し、涼んでいこうかな」

 

 私は、河沿いの岩に腰掛けて荷を下ろした。さて、目的地はまだ遠いけれど、時間に余裕はある。なので、私は一服して青空を見上げた。そこには、天に向けて立ち昇る縦長の入道雲が浮かんでいる。更に、日差しもかんかん照りだ。

 

「梅雨にしては、随分と夏らしい日だなあ」

 

 人間の里の通りでは、開花した紫陽花やてるてる坊主なども見られる時期である。昼でも仄暗い曇天と、じめじめした雨が続く季節であるが、今日はまるで真夏の一日を切り取ってきたような天気だった。

 

「てるてる坊主さんが頑張ったのかねえ?」

 

 私は、視線を下ろして河を眺める。すると、揺れる水面で日光が乱反射して輝いていた。明滅する光を目にするうち、私は過去をふと思う。幼かった頃に、両親に連れられて里の運河で遊んだ事があった。そこで、私は衣服の裾を上げ、ゆっくりと河に踏み入ってみる。

 

「っ、冷た」

 

 水の冷たさが身に染みる。その為、暫く待って水温に慣れてから、私は歩を進めた。河底を注視して、水の深そうな所や、尖った石を恐る恐る避けていく。やがて、川魚の影が行き交うのを見つけた。手を伸ばしてみると、ヌルヌルした鱗の感触を残して、魚が指先を通り抜けていく。

 

「ふふ」

 

 気を良くした私は、過去をなぞるようにステップを踏んで水飛沫をあげる。河の流心で、絶えず足にぶつかる水に流されてヨタつきながら、全身を動かしてバランスを取った。まるで不恰好なダンスのように、よろめく事を良しとして流れに身を任せる。

 

「ははっ」

 

 息が少しずつ上がる。日が照り、飛び跳ねた水飛沫と汗がやんわりと服に滲んだ。思えば、こんなに我武者羅に身体を動かしたのは何年ぶりだろうか。身体を動かす気持ち良さを、久しぶりに思い出した気分である。

 

「あはは!」

 

 息を切らしながら笑い、全身に力を込めてなお脱力してゆく感覚を味わう。そうして、最後にはお尻からへたり込んだ。すると、心臓の激しい拍動と、焼けるように熱い肺がゆっくりと鎮まっていく。服がずぶ濡れになったけれど、その冷たさが心地良い。どうせこの天気なのだから、河原で屯すれば直ぐに乾くでしょう。

 

「明日は……筋肉痛だねこりゃ」

 

 私は、袖を絞って河から上がろうとした。しかし、奇妙な既視感を覚えて立ち尽くす。振り向いてみると、河辺に立つ父と目が合った。彼は、心配そうな、それでいて優しい笑顔を浮かべて、私をじっと見守っている。

 

「これは、過去の記憶?」

 

 目を閉じて開き直すと、幻は消えていた。私の能力で、過去が今と重なって想起されたのだろう。まるで白昼夢である。濡れそぼった手を翳して日を遮り、河辺の草葉の陰を見てみるが、やはり何も見えない。

 

 

「もう盆も近いのかな」

「胡瓜が要るね。でしょ? 盟友」

 

 

 河から流れてきた少女が、私の独り言に答えた。私は彼女を知っている。玄武の沢を訪ねた時に、胡瓜工場を案内してくれた河童の少女だ。名は、河城にとりである。

 

 

 

 

 

「で、明香は何をやってるの?」

「水遊び、跳ねる水面と、弾む声、ですね」

「詩的で端的な解答をどうも」

 

 にとりさんは、水に浮かびながら私を見上げていた。彼女は河童の制服を身に纏っていて、ぷかぷかと私の周りを漂っている。

 

「私もさ。暑い時は河に流されるに限る。何にも考えずにぼうっとして、水の流れに任せて揺蕩うのさ。存外悪くないよ」

「河童さんは、てっきり冷房が効いた工房に引き篭もっているとばかり思っていましたよ」

 

 酷い偏見だなあと、そう笑ったにとりさんは、河の只中で座り込んで帽子を被り直した。それは、まるで車掌のような仕草である。

 

「河童は、暑さにとっても弱いんだ。だから、夏場はみんなお休みなのさ。こんな時期に工房に籠っても、頭も碌に回らないしね」

「随分と早い夏休みですね」

「暑くなれば夏だよ。盟友の暦は違うのかい?」

「違いますね。季節とは少しズレがあります」

「ふーん」

 

 にとりさんは、興味なさげに鼻で笑う。やがて、彼女は私の手を掴んでニヤりとした。

 

「ほら、立ちっぱなしは疲れるでしょ」

 

 私は、ぐいと手を引かれて河原まで連れ去られる。それから、私たちは流木に腰掛けた。枯れて朽ちたそれは、二人の重みでパリパリと音を立てて軋んでいる。

 

「たかねに聞いたんだけどさ、山に入り浸ってるらしいね。辞めといた方がいいよ。天狗様は縄張り意識が強いから、余所者には容赦無いし」

「天狗の友人に誘われたんですが」

「分かってないな〜」

 

 にとりさんは言う。天狗と人間が友人になる事はない。少なくとも表向きには。そして、自らが言う天狗とは、特定個人を指す言葉ではないと。

 

「天狗様の中に友人がいても、それで明香が特別扱いされる訳じゃない。私たち河童が、かつて人間と誓いを立てて盟友となっても、人間個人を贔屓にする事はないようにね」

 

 幻想郷の組織が排他的なのは、私もよく知るところだ。山の天狗達も例に漏れない。故に、私はにとりさんの言葉に頷いて答えた。

 

「気を付けます」

「物分かりが良いね。その調子なら少しは長生きできそうだ。それに、盟友は只者じゃないんだろ? 胡散臭い新聞に書いてたよ、胡散臭い奴だって」

「ははは……」

 

 日が差す中で、濡れままの服が温まってきた。こうなると、また河に入って服を冷やすか、乾くまで我慢するしか無い。頭を冷やしてみると、馬鹿な事をしたものだと思う。私は自嘲して、にとりさんに助けを求めた。

 

「服がずぶ濡れでかないません。何か名案でもあれば」

「呆れた盟友だ。水遊びに着替えも持って来なかったのかい」

 

 にとりさんは、背負っていた鞄から河童の制服を取り出して手渡してくれた。

 

「ほら、スペアの制服が丁度ある。お高いよ」

「売り物ですか?」

「非売品だよ。だけど、同好のよしみで譲ってあげよう」

 

 にとりさんは、少し物悲しそうな表情を浮かべて語った。曰く、盟友は山河から遠い生き物になったと。最近は、天狗や河童の住むような場所では、人は殆ど見ないのだと。

 

「そりゃ、そっちの方が良いんだけどね。私たちは縄張りを荒らされずに済むし、盟友も妖怪に襲われずに済むし。ただ、ちょっと退屈になったね」

「退屈……」

「そう。でも、今日は偶然明香を見つけた。それも、こんな深山の河川でね。だから、妖怪らしく悪戯したり襲ったりしようと思ったんだけど──」

 

 にとりさんは、僅かばかり言い淀むように逡巡してから、足を子供らしくパタパタと揺らして、嬉しそうに語った。

 

「明香がさ、あんなに楽しそうに遊んでるもんだから、何にもできなくてさ。共感しちゃったのかな。私も、河が好きだから」

 

 私は、驚いて目を丸くした。まさか、妖怪に共感されるなんて。しかし、にとりさんは既に普段の調子を取り戻していた。

 

「但し、次は無いよ。今度からは尻子玉を頂く」

「それは、ご勘弁を」

「なら、これから河で水遊びする時は気を付けろ。ほら、さっさと着替えなよ」

 

 濡れた衣服を脱いで、制服に袖を通した。すると、サイズが上手くあっていて、着心地も良い。そこで、にとりさんの真似をして帽子を深く被ってみると、中々様になっている姿が水面に写った。

 

「似合ってるじゃないか。まるで河童だ」

「胡瓜が食べたくなってきました」

「真に迫ってるね……。じゃあ、私はもう行くよ。河から長く上がってると、身体が干からびちまいそうだ」

 

 にとりさんは、私に手を振って別れの挨拶をしてから、また河に流されて行った。その河流れは、とても涼しそうで羨ましい。私が真似すれば、溺死待った無しなのが悔やまれる。

 

「さて、河童らしく、河沿いに行きますか」

 

 

 

 

 

 私は荷を負って発ち、河を上流に向けて辿る。道中では、河原に屯して雑談している河童達や、低空を飛ぶ天狗達が見えた。彼らは、私を一瞥するが、気に留めずに普段の生活に戻っていく。

 

「服を貰えて助かったね」

 

 これまで、妖怪の山に踏み入る事は多々あった。けれど、妖怪達の生活圏にまで来て、彼らの普段の暮らしに接する機会は多くない。その為、私は浮き足立つような疎外感を覚えて早足になった。

 

「こりゃどうも」

 

 行き違った山童に軽く挨拶しながら、私は河川を辿り続けた。上流に向かうに連れて、標高は緩やかに増していく。風はやや強まり、河川から伸びた水草達が、吹く風と流れる水に晒されて戦いでいた。

 

「風の日かな」

 

 暑さを凌ぐ強風に吹かれて、私は向かう先を見上げる。すると、山中の河川から未踏の渓谷に、そして急峻な峡谷へと移り変わっていく滑らかな階調の景観が其処にはあった。私は、遠景の峡谷に目を向けて音を上げる。

 

「これは、参ったね」

 

 山の岩肌を風水が削り抜いた荒々しい峡谷は、来る者を拒む険しさと、見る者を圧倒する雄大さを併せ持っていた。激しい侵食によって造形された岩壁は、水流に研磨されて白亜のような色味を帯びており、草一つ生えていない。その上、切り立つ岩壁に囲まれている渓流は、白滝のような急流であった。

 

「あれを辿るのかあ」

 

 文さんは、大変な場所まで私を呼び付けてくれたものである。まあ、彼女に頼まれたなら断れないからね。仕方ない。

 

「いつもの新聞を届けるみたいに、訪ねてくれれば良いのに。まさか、お冠な天狗様が企てた、私の暗殺計画の一環かな?」

 

 ふと、ある事無い事を考えて現実逃避に耽る。ともあれ、私は一息吐いて気合いを入れ直した。

 

 

「行きますか──」

 

 

 この険しい、道のりの果てまで。

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