物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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茨華仙の屋敷

「雨、止みませんね」

 

 私は、梅雨模様の空を見上げて呟く。写真を撮り終えた文さんも、雨空を見つめて相槌を打った。

 

「確かに。もう少し撮影します?」

「嫌。もう嫌です」

「あやや、それは残念」

 

 乱れた衣服を整えながら、私は肌寒さを感じた。降り続く雨が大地を冷やして、すっかり涼しくなっている。晴れて日が差せば蒸し暑くなるだろうけれど、今はとても寒冷である。

 

「この調子では明日まで雨ですね。日が暮れると手間ですし、雨天強行しませんか?」

 

 文さんは立ち上がり、私に手を差し伸べた。雨が止むのを待つよりは、びしょ濡れになって空を飛ぼうという提案である。確かに、此処で野宿する羽目になるのは流石に困る。

 

「分かりました。行きましょう」

 

 私が、その手を取って立ち上がった瞬間、凛とした声が響く。

 

 

「いけません。風邪をひきますよ」

 

 

 二人して、声の主人に目を向ける。すると、一人の少女が傘を差して雨中で佇んでいた。

 

「しかし、確かにこの場は立ち去るべきです。この近くには、妖獣が徘徊しています。長く留まるのは危険です」

 

 少女は、茨の模様があしらわれた大陸の道士服を身に纏っていた。その胸元には、桃色の花のコサージュが添えられている。それは、庭園の薔薇のような八重咲きの意匠だった。また、たおやかに傘を差す仕草や、凛として響く厳粛な声音は、貴人のような洗練された佇まいを思わせる。

 

「あやや、これは親切にどうも。しかし、それならどうすれば?」

 

 少女の頭部には、束ねた髪を覆うような二つのシニヨンキャップが被せられていた。更に、その右腕は瑕疵を隠すように包帯で巻かれており、左腕には荒々しく千切られた枷が嵌められている。

 

「近くに私の屋敷があります。お招きしましょう」

「それは有難い。明香さんは、構いませんか?」

 

 少女には、清廉な印象を抱かせる要素と、粗野な野性を感じさせる有様が共存していた。こうした彼女のチグハグな様子には、違和感を覚えさせられる。まるで、謎をかけられた気分である。

 

「もしもし、明香さん?」

「すみません。考え事をしていました。良いと思いますよ。風邪を引くか、妖獣に襲われるかの二択よりは」

「賢明な判断です」

「申し遅れました。私は、雲見明香と申す者です」

「私は射命丸文です。以後お見知り置きを」

「これはご丁寧に。私は山の仙人、茨木華扇です」

 

 茨木さんは、私の側まで近付いて膝を突く。そうして、私と目線を合わせた彼女は、仄かな花の芳香を漂わせながら、その手を差し伸べた。

 

「どうか、私について来てください」

 

 

 

 

 

「さて、着きましたよ」

 

 私と文さんは、茨木さんの案内で彼女の仙界に招かれていた。其処は、大雨の外界とは異なり、快晴でありながら春のように心地良い気候であった。

 

「あやや、なんと快適な。これが仙人様の住処でしょうか?」

「その通りです。それに、修行場も兼ねています」

 

 茨木さんは、文さんの取材を受けながら自身の仙界について語っていた。私が見る限りは、東洋風の屋敷が、多様な植物に囲われるようにしてある。それに、梅雨でありながら多少湿潤な程度の気候である事を鑑みると、四季も外界に合わせて緩やかにあるようだ。

 

「厳しさを取り払われた自然……ですね」

 

 私は、屋敷の周囲の草原で立ち尽くし、呆然と仙界を見回しながら言葉を漏らした。それは、茨木さんの耳に届いたようで、彼女は頷いて答える。

 

「ご明察で。美しい四季を作り、貧することのない草木を育て、悲しむことなく動物達が暮らせる世界を拓きました」

 

 かつて訪ねた豊聡耳様の仙界は、大勢の門弟を迎えた荘厳な廟堂であり、見るものを圧倒してやまない威容を誇っていた。其処には、威光と共に凡人を導く聖徳王の超人としての哲学が現れている。

 

「教わった事の受け売りなのですが、仙界にはそれを拓いた仙人の哲学が現れると聞きます。私が思うに、茨木さんは──」

 

 一方、茨木さんの仙界は、閑静な屋敷の佇む、こじんまりとした庭園のような世界だ。正に、箱庭とはこのような場所を言うのだろう。俗世を捨て、凡人との関わりも捨て、隠遁するものの住処である。其処に根付く哲学は、独善の極北であった。

 

「俗世から離れて他人に依らず、ただ自らのみを正しく修めているのではないでしょうか。私もまた、全てが陽炎のように移ろう俗世から離れて、この短い人生で確かなものを一つでも修めたいものです」

 

 私の言葉を最後まで聞いた茨木さんは、沈黙してしまった。彼女は、微笑みながら遠い目をしている。まるで、心ここにあらずといった様子だ。何か失言があっただろうか?

 

「それは良い──良い心掛けです。人間よ」

 

 茨木さんは、まじまじと私の顔を見つめる。彼女の目は、精査するようにつぶさに、私を写し取ろうとしているようだった。やがて、彼女は得心がいった様子で文さんに問いかける。

 

「射命丸文さん。何故天狗の貴女が人間を連れているのです。まさか、人攫いですか?」

「あやややや!? 仙人様、それは誤解です! ええと、彼女は私の友人でして、宴会に招く途中なのですよ」

 

 文さんは、必死に弁明した。その内容も嘘偽りのない真実である。しかし、真実がいつも信じられるとは限らないようだ。茨木さんは、私を背に隠して文さんと対峙した。

 

「世迷言を。天狗と言えば神隠しの代名詞。しかし、考えましたね。攫った人間に妖怪の格好をさせれば、誰にも咎められずに山まで連れ込めます」

「あの、本当に文さんとは友人なのです」

 

 ぶんぶんと、文さんは勢い良く首を縦に振る。しかし、茨木さんは信じられないらしく、私を連れて屋敷の中に入った。取り残された文さんは、戸を叩いて弁明を続けている。けれど、茨木さんは全く意に介さない。

 

「安心してください。此処は私の仙界です。戸一つ隔てれば、天狗の彼女にも為す術はありません。もう大丈夫ですよ」

 

 優しい笑顔を浮かべる茨木さん。確かに、宴会に行くのも事後承諾のようなもので、実際は攫われたようなもの……かなあ? 何とも釈然としない気分で、私は茨木さんの部屋に案内されたのだった。

 

 

 

 

 

「あやや、本当に明香さんとは友人なんですって」

「くどい」

 

 茨木さんの部屋は、屋敷の二階にあった。それは、里でもよく見られる簡素な部屋だ。最も近い例で言えば、阿求さんの書斎に近しい趣がある。硯で墨を磨り、半紙に筆を走らせては景色を眺め、木々に止まる小鳥や落葉を目にして季節の移ろいに思いを馳せるような、プライベートな場所である。

 

「明香さんだって認めてくれてるじゃないですか」

 

 とは言え、そうした風情を覗かせる筈の丸窓には、文さんの姿があった。彼女は、プカプカと空に浮き、部屋の丸窓から困り顔を見せて茨木さんに抗議していたのだ。

 

「よしんば、貴女が雲見さんと友人同士だとして、だから何だと言うのです。人間と妖怪は、馴れ馴れしく交わるべきものではありません。何れにせよ、彼女を貴女から引き離さない理由にはなりません」

 

 茨木さんは、非の打ち所がない正論を容赦なく説いていた。そして、彼女は私にも苦言を呈する。

 

「雲見さんも、妖怪などと関わってはいけません。良いですか、この鴉天狗はこのように、慣れ親しみやすい笑顔と可愛らしい少女の姿をしています」

「あやや、それはどうも」

「しかし、その実は永い時を生きた妖怪です。彼女が少し機嫌を損ねて扇子を軽く振れば、貴女は血煙になるでしょう」

「そんな事しませんってば……」

「するしないではなく、できるできないの話をしているのです」

 

 茨木さんは、肘掛けに手を置いて、足を崩して寛いでいた。私もまた、ちょこんと胡座をかいて楽にしている。とはいえ、このままでは流石に、文さんが可哀想なので、私は助け舟を出すことにした。

 

「茨木さん。文さんは、これまで何度も私を助けてくれました。私にとって彼女は信頼できる妖怪です」

「しかし──」

「無害な存在である事と、容易く人を傷付けられる力を持ちながらそれを振るわない事。果たして、どちらの方が善良でしょうか?」

 

 茨木さんは、自らの右腕を摩り溜息を吐いた。

 

「良いでしょう。好きにしなさい。私はもう知りません。しかし、奇妙な時代になったものです。人間が妖怪を信頼するだなんて」

「あややや。俗世では、全てが変わっていくのですよ。仙人様も、仙界に引き篭もるよりは、偶にはふらりと下界におりて、この世の潮流を肌で感じてみては如何でしょうか?」

「全く、人を引き篭もりみたいに。こう見えても、私はちゃんと──」

 

 私と茨木さん、そして丸窓越しの文さんは、暫く雑談に興じた。するうち、文さんが週刊誌に載せるコラムの執筆を茨木さんに頼んだりして、すっかり打ち解けていたのだった。

 

 

 

 

 

「来たか」

 

 九天の滝裏の洞穴で、犬走椛は呟いた。視線の先には、ずぶ濡れの狼が居る。それは、洞穴の壁面に掛けられた雨合羽を目にして唸り声を上げていた。

 

「人間の匂いを追っているならば、必ず来ると思っていたぞ。何せこれは、人間の里で仕入れた雨合羽らしいからな。随分と匂っただろう」

 

 険しい顔付きをしている狼は、濡れた獣臭を漂わせている。洞穴の外は、夕立の天気雨で土砂降りであった。彼は、ブルブルと震えて水を散らし、犬走の側まで来て丸まる。

 

「雨宿りか? 腹が減っているなら、美味いものでも食わしてやろう」

 

 犬走は、持参していたお結びを狼の前に置いた。人間を追って狩をしていたならば、空腹だろうと慮っての事だ。空腹に勝るストレスは稀である。特に畜生であるならば尚の事だ。そう彼女は考えていた。

 

「腹が減るのは辛いだろう。獲物が見つからなければ、飯を食いに来てもかまわんぞ」

 

 首を傾げた狼を見て、先は長そうだと犬走は微笑んだ。彼女は長く退屈で、話し相手が増えれば御の字だと考えていた。成り立ての妖獣である狼を手懐けて、いつか見張りを代わってもらおうかなどと、遠い空想に彼女は耽る。

 

「そうなれば、お前が私の後輩か……」

 

 お結びを喰らい尽くした狼は、軽く鳴き声を上げて眠り込んだ。風雨の凌げる冷涼な洞穴は、自然の中でもかなりの優良物件である。狼は、あっという間に寝息を漏らし始めていた。

 

「さて、私も仮眠でも取るか」

 

 これからは、時折こいつも顔を出すだろうか? 見張りの最中に訪ねてくれる者が増えるならば、退屈な日々も少しは救われるかもしれない。犬走は、脳裏で今日の訪問者をあげ連ねた。

 

 

 枯れ木に穴を開けに来たアカゲラ。滝壺に水を飲みに来たカモシカ。行きずりの河童に天狗、それから狼。なんだ、存外万来じゃないか。

 

 

 犬走は、くすりと微笑んで微睡んだ。

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