物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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誰の物でも無い夜空

「よくやったぞ、射命丸」

 

 飯綱丸龍は、射命丸文の肩を叩いて上機嫌に賞賛した。彼女達の視線の先には、天狗達に酒を注がれて赤ら顔になっている雲見明香がいる。茨華仙の屋敷を後にした彼女は、今こうして妖怪達の集まりに顔を出していた。

 

「神隠しは、天狗冥利に尽きるよな」

「あやや、人聞きが悪い事を仰らないでください。これは、ちゃんとした招待ですよ」

 

 天狗達が宴会を開いている其処は、岩肌の露わな断崖絶壁に建てられた懸造のお堂であった。日の差しにくい岩肌の窪みに建てられており、避暑の為に一部の天狗達が屯する休憩所だ。

 

「招かれざる者が立ち入れる場所でもないですし」

 

 崖の中程にあるお堂は、空を飛べる妖怪の来訪しか想定していない造りであった。人間が訪ねるには、滑落の危険を冒して崖を登るしかない。しかも、天狗の休憩所の一つでしかないそこは、素っ気ない板の間の広がる飾り気のない部屋である。人間が態々訪ねた事など絶無であった。

 

「もう少し、煌びやかな場所でも良かったな」

「私達が何気なく集う馴染みの場所だからこそ、明香さんを自然に招けるのです。それに、彼女も宴会の主賓みたいに仰々しく祀り上げられるのは御免でしょう」

 

 宴会は、酒と肴の出る無礼講であった。仕事終わりの夜食会と言った雰囲気で、祝いの席や特別な非日常といった様子はない。哨戒を終えた白狼天狗や、飯に釣られた河童も上がり込んで来ていた。

 

「肴も馴染みの味ですし」

 

 射命丸は、串焼きにされた虹鱒を手にとって立食していた。淡白な魚肉に程良い塩味が効いたそれは、酒に合う事間違いなしの一品だ。一方、飯綱丸は乱雑に置かれていた酒瓶と一合升を手にとっていた。

 

「いつもの酒もあるぞ。どうだ?」

「心苦しいですが、遠慮しておきます。明香さんは酒癖が悪いので、私が気を付けておかないとダメなんですよ」

「それは難儀な。気の毒したな」

「お気遣い無く」

 

 飯綱丸は、升に酒を注いで飲み干した。すると、彼女の口内には淡麗な味わいと、ツンとする辛口な風味が広がった。雑多な清酒だ。不味いものではないが、格別の美酒でもない。口にすると仕事終わりの一人酒を想起させる程の、日常の酒だった。

 

「明香さんは──馴染んでますねえ」

 

 河童の制服を来ている明香は、砕けた様子の白狼天狗に絡まれていた。彼女は強かに酔っているが、明香も同じぐらい酔っていた。結果として、二人の酔っ払いは絶妙にすれ違っている声の掛け合いを会話のように続けている。

 

「酔ってますね〜。少し顔を出してきます」

 

 しかし、射命丸が向かおうとしたちょうどその時、明香は天狗達に一言断って席を立った。夜風に当たりに、なんて言葉が彼女の耳に届く。

 

「おっと、外に出られるみたいです。私も行ってきます」

「なら、私は此処に居よう」

 

 飯綱丸は、ニヤリとして射命丸を見送った。

 

 

 

 

 

 早足で部屋を後にした射命丸は、木造の手摺に寄りかかって頬杖をつく明香を見つけた。彼女は、上着を腰巻きにして、タンクトップ姿で夜風に吹かれている。

 

「あれ、文さん? どうして此処に?」

「私も夜風に当たりに。大層暑いもので」

 

 宴会の喧騒が、酒や煙草の香りと共に、戸一つを隔てて二人の元に届く。しかし、そこには一種の無音があった。音が無いのではない。気分を害するような音が、何一つ無いのである。上機嫌になった射命丸は、明香の隣で目前の風景に目を向けた。

 

「あやや、見慣れた景色ですねえ」

 

 時は既に日付を跨いで、雲は晴れて久しく、空には雨後の満月が浮かんでいる。月明かりは明るく、読書が出来る程であった。照らし出された深緑の草木や、陰影を伴う岩肌が、深夜特有の澄み切った空気の中で際立っている。

 

「私が生まれる前から?」

「勿論ですよ」

 

 明香は、遠い過去と未来に思いを馳せた。この景色は、私が生まれる前からあり、私が死んでからもある。天狗達の宴会も、星空も、この郷も。参ったなと、彼女は眩いものを見るように目を細めた。

 

「この世界には、私を超越したものが多過ぎる」

 

 薫風が吹き、草木の枝葉が揺れていた。すると、木々から雨粒が落ちて、小雨のような音が響く。明香は耳を澄まして、じっと麓の樹海を眺めていた。その横顔は、からりとした微笑みである。

 

「彼方此方から雨音がしますね。まるで、誰かがタクトを振るっているようです」

 

 笑顔とは普通、人に向けるものである。しかし、明香はその笑みを、目前の景色に向けていた。彼女は、満月に照らされ、その髪を涼風に戦がせながら、白い歯を三日月にした口元から覗かせている。心底敵わないと白旗を降り、笑う他ない壮大なものを前にしたように。

 

「どうしたの文さん。顔に何か付いてます?」

「見惚れてしまいました」

「分かります。素敵な景色ですよね」

「いいえ、貴女に」

 

 明香は、ずっと幻想郷に目を向けてきた。四季折々に合わせて、あらゆる風景の傍らに寄り添い、心打たれ続ける。その有様は、何よりも人間らしく射命丸の目に写った。好きだ──彼女はそう思った。

 

「それは……照れますね」

 

 射命丸は、咄嗟にカメラを明香に向ける。そうして撮影された写真は、手摺にもたれてはにかむ彼女と、その背景を写していた。山の眺望の大半は見切れており、恥じらう少女に主眼が置かれている。それは、射命丸の大胆な取捨選択によるものだ。

 

 

 見慣れた景色よりも見慣れぬ貴女を。

 

 

 それは、主観的な作為に塗れた世界の切り取りである。しかし、そんな事は記者たる射命丸にとっては手慣れたものだ。とはいえ、明香は顔を赤くして抗議した。

 

「ビックリしました。急に撮るなんて」

「あやや、すみません。職業柄、シャッターチャンスは逃せなくて」

 

 むすりとした明香は、拗ねたようにジト目をして、射命丸を睨め付けて溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 本当に、仕方ないなあ。私は、酔った頭でぼんやりとそう思う。今日はずっと、文さんと一緒に過ごして来た。宴会に誘われたり、恥ずかしい写真を取られたり、見惚れられたり──

 

「少し……眠くなってきました」

 

 それはそれとして、普段ならぐっすり寝ている時間である。酔いも合わさって、強い睡魔が襲って来ていた。

 

「文さん、寝ても良い?」

「あやや、ダメですよ。こんな所で寝ては、風邪をひきます」

 

 苦笑した文さんが、私の頭を撫でて優しく言う。

 

「もしお眠りなら、私の部屋まで案内しますよ」

「う〜ん、お願いしようかなあ?」

 

 私は背を伸ばして、欠伸を一つする。あゝ、本当に仕方ない。

 

「私は、ふかふかの布団を所望します」

「我儘な酔っ払いですねえ」

 

 やれやれと、文さんは露骨なジェスチャーをして私を背負った。彼女は、そのまま空高く飛び上がる。すると、何処か遠くから、狼の遠吠えが聞こえてきた。

 

「あやや、あれはまた──ふかふかそうな毛並みですね」

 

 雨合羽を背に掛けられた狼が、木々が開けた場所で月に向かって吠えている。くつくつと、文さんは意地悪げな笑顔を浮かべた。

 

「布団代わりにどうです? 降ろしてあげますよ」

「遠慮します。寝てる間に食べられちゃいますよ」

 

 ともあれ、私はもう限界である。彼女の耳元で、私は就寝の挨拶を囁いて眠りに落ちた。

 

「おやすみなさい、文さん」

 

 

 

 

 

 射命丸は逡巡した。自らが人間を背負っている事の歪さについて。かつて、天狗は人攫いをその代名詞とする危険な妖怪だった。

 

「いつから、こんなになったんですかねえ……」

 

 人間を見下し、拐かしては弄び、喰らって殺すような。それこそ鬼の様な妖怪だった事もあるのだ。それが、次第に変わっていったのは──

 

「この世界が、結界で切り取られてからですか」

 

 世界は外界から隔離され、ちっぽけで狭量となった。けれど引き換え、其処に住まう者たちは手を取り合って生きるようになっていた。不思議な事に、今や天狗達は、里の人間達に隣人のような距離感を抱き始めている。

 しかし、そんな事は大事ではないと、射命丸は思い至っていた。私たちは、人間から恐れられるから妖怪なのではない。妖怪の本分とは、不思議であること。それに尽きると。

 

「悪くはないですが」

 

 危険な不思議であるよりは、素敵な不思議である方が、ずっと良いだろう。人間と妖怪が親しみ合う潮流は、良い変化であると射命丸の考えは移ろっていた。ただ一つの懸念を除いて。

 

 

「私達は貴女達にとって、いつまで不思議で居られますか?」

 

 

 彼女の言葉は、澄み渡る夜空に吸い込まれていく。しかし、それに答える声があった。

 

 

「人が未知を求め続ける限り」

 

 

 その声の主は、夜の帳を開いてスキマから現れた八雲紫だった。彼女は、明け透けな慈愛に満ちた眼差しを明香に向けている。

 

 

「往にしえから、常しえまで」

 

 

 紫は、二人に向けて手を差し伸べた。彼女は、一際強く吹く上空の突風に金色の長髪を靡かせ、フリルのドレスを纏って佇んでいる。夜空には凡そ似つかわしく無いその場違いな華美さが、それ故に幻想的な感情を見る者に抱かせた。

 

「ほら、お二人さん。私がお送りしましょう。人間は、人間の里に。天狗は、天狗の里に」

「あやや、驚きました。八雲紫さんは、知らぬ間に随分と親切な妖怪になったのですねえ」

 

 射命丸は惚けて見せた。しかし、紫は気にした風もなく言ってのける。

 

「親切が警戒を呼ぶのならば、代価を頂けば安心されるでしょうか? それなら、天狗さんが撮っていた明香の写真を頂きたいわ」

「……それなら、現像するまでは」

「フィルム毎。構わないかしら?」

 

 熟考した射命丸は、一つの質問を選び抜いて口にした。

 

「明香さんの写真とは?」

「あら、惚けるの? 貴女が先ほど宴会を抜け出して二人きりで撮っていた写真ですわ」

 

 それだけ? 射命丸は疑念を抱いたが、それを見た紫は自慢げに胸を張っていた。

 

「私、あのお堂の大棟でお月見をしていたのですわ。何せ、こんなにも月が綺麗ですので、良い場所は無いかと探していたら、見晴らしの良さそうな場所で天狗達が宴会をしておりまして。ええ、全く偶然ですわ」

 

 射命丸は、ほくそ笑んでしまうのを必死に堪えた。紫は態とらしそうに全て分かっていると言わんばかりに勝ち誇っていたが、それが殊更に射命丸の笑いを誘う。

 

 これは、面白いですね……。

 

 仄暗い感情を胸に、射命丸はカメラのフィルムを巻き戻し、裏蓋を開けて取り出したそれを八雲紫に手渡した。それから、彼女が背負っていた明香も、起こしてしまわないように優しく紫に引き渡す。

 

「これは──すんなりね。感謝しますわ」

 

 意外にも簡単に要求が通じた事に、紫は目を丸くした。彼女は、裏表のない礼を口にして、スキマを開く。

 

「此方が天狗の里ですわ。それでは、ご機嫌よう」

 

 紫が姿を消した後、射命丸は自室で想像に耽った。八雲紫は、あのフィルムをきっと現像するだろう。その時、あの澄ました彼女はどんな顔をするだろうか? 間の悪い事に、彼女は河童の格好をした明香を見ている。顔は写していないが、あの賢者が気付かぬ筈もない。

 

「あやや……あやや……くひひ」

 

 おおっと、気持ちの悪い笑いが漏れてしまった。これはいけない。射命丸は布団に飛び込み、枕を顔に押し当てて息を殺す。

 

 

 

 

 

 後日、射命丸の元に真顔でやって来た紫を見て

 

 

 彼女が爆笑した事は言うまでも無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin. 2024/08/13

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