雨垂れ岩を穿つ程にゆっくり、更新していきます。
気長にお待ちいただけると幸いです。
香霖堂
「まさか、君が今年も無縁塚に同行してくれるなんて思いもしなかったよ」
椅子に背もたれて足を揺らしていると、森近さんが語り掛けてきた。彼は、無縁塚から持ち帰ってきた道具を分別している。その隣では、魔理沙さんが興味津々といった様子で彼の鑑定作業を覗き込んでいた。
「礼は言っておくよ。君には、当店で自由に寛ぐ権利を認めよう。因みに、その道具は非売品だ。触らないでくれ、魔理沙」
「見てるだけだぜ。香霖は連れないな」
普段通りの仲睦まじい馴れ合いを始めた二人を横目に、私は店内を眺め回す。其処には、一目見ただけでは使い道も分からない雑多な道具が陳列されていた。
「相変わらずだねえ」
それらは、殆どが値札も付いていない。それというのも、森近さんは商売に本腰を入れるつもりがないのだ。そもそも、彼は人妖であって金銭の必要性も薄い。故に、香霖堂は道具屋よりも博物館に近く、森近さんは店主よりもキュレーターが似合いである。
「多少は掃除した方が良いよ。せめて換気はしっかりしないと」
「確かに、湿気や埃は大敵だ。僕の大事な商品が傷んでは困る。窓を開けてこよう」
作業を止めた森近さんは、箒と塵取り片手にガラリと窓を開け放つ。すると、暖かく心地良い日差しと、少し肌寒く感じる秋風が一緒にやって来た。夏過ぎて、残暑も潰えたここ昨今。すっかり、彼岸花が野道に群生する時分である。
「時が過ぎるのは早いねえ」
「全くだ。日が暮れるのも随分と早くなってきた。そちらの窓を頼めるかい?」
「勿論です」
私は古物の椅子から立ち上がり、古道具達に囲まれた隙間を歩いて窓辺へ向かう。窓を開くと、日没前の傾いた太陽に照らされて薄く紅葉した木立が見えた。
「お〜い、明香」
更に目を凝らすと、白い花を付けた野草が木々の幹の側に群生している。天に向かってピンと直立する茎に稲穂の様に花が咲いているそれは、典型的な穂状花序でイヌショウマだろうとピンときた。
「ダメだ香霖。屍になってるぜ」
蝉たちの鳴き声は消え、秋の虫の音が茂みから聞こえてくる。夕焼け空からは入道雲が消え、鱗のような巻積雲が疎に漂っている。過ぎ去った夏を偲びながら、やって来た秋を想うにはピッタリの景色だ。
「そっとしておいてあげよう。そのうち我に帰るさ」
香霖堂に通じる道は、夏には雑草が伸びて大変だと森近さんが言っていた。彼は、時には鉈を手にして道草を薙ぐ事もあるのだという。況や彼の手入れなき脇道などは、茂る草木に覆い隠されるのが常だった。しかし、夏が過ぎて潮が引くように姿を消した野草が、自らが隠していた道を露わにしている。
「おっと、客人かな?」
直ぐにまた落葉に覆い隠される事になるだろう脇道の側には、一際日当たりの良さそうな茂みがあり、ツルセンノウの釣り鐘のような花が咲いていた。もう少ししたら、特徴的な真っ黒い実がつくだろう。するうち、もっとじっくり景色を眺めたくなり、店内に目を向けて椅子を探した。
「ちょっとお待ちを」
すると、丁度森近さんが戸を叩く来客に応対しようと席を立っていた。成り行きを見守っていると、ツンとした独特な油の匂いがする。
「ご機嫌よう。今年の灯油をお届けに──あら?」
開かれた戸から差し込む小麦色の陽の中から、燦然と照らされた揺らめく埃を煙たそうに払う素振りをしながら現れたのは、真っ赤なポリタンクを手にした紫さんだった。彼女は、私を見つけて意外そうな表情をする。
「明香に会うとは思わなかったわ」
「私もですよ、紫さん」
私は、室外から差し込む夕陽に当たりながら、店内に目を向けられるように、窓際に椅子を運んだ。一方、森近さんは代金を支払ってポリタンクの山を店内に運び込んでおり、魔理沙さんはその手伝いに駆られていた。
「ありがとう。しかし、驚いたね。まだ漸くこれから秋だというのに、もう冬支度とは」
「秋は、直ぐに過ぎ去ります。あっという間に冬ですわ。私は冬眠しますので、今の内に済ませなければいけない用が多くて」
「君が時間に追われるイメージは湧かないな」
「余裕を見せられるよう心掛けていますので」
やがて、紫さんは森近さんに断り、店内の椅子を一つ持って私の対面にやって来た。彼女は、黙してじっと私を見つめている。まるで、声を掛けられるのを待っているようで、事実そうなのだろうと思う。
「今晩は、紫さん」
「ええ、今晩は」
決まりきった挨拶を交わしてみた所、紫さんは笑顔を見せて答えてくれた。とは言え、今は彼女相手であっても、饒舌に語り合いたい気分ではないのだよね。不機嫌な訳じゃないよ。寧ろ、その真逆かな。
「ほら」
私は、窓の外を指差して一言だけ発する。すると、伸ばした人差し指を摩るように風が吹き抜けていき、紫さんが頷いて微笑んだ。
「良い風ね」
「枯れ草の香りがします」
「土の匂いもするわ」
「それに、冷たくて乾いてます」
紫さんは、吹き込む風に晒されながら窓の外を眺めた。そうして、彼女は独り言のようにポツリと言葉を漏らす。
「明香、瞼を閉じて」
言われるままに目を瞑る。そのまま少しすると、紫さんの声がした。
「耳を澄ませば、エンマコオロギの鳴き声がするわ。彼岸花も彼方此方に見えるわね。随分とあの世らしい季節だわ。それに、アキアカネもちらほらと道端を飛んでいる。涼しくなったから、妖怪の山から降りてきたのかもしれない」
瞼の裏に浮かぶ景色に、紫さんの言葉が付け足されていった。
「もう少しすれば、里では田畑で稲刈りがあって、刈り取られた稲が稲木に干されて藁束の香りを漂わせる。けれど、此処の野草などが枯れた香りは、干された藁束のそれとは少し違っているわね」
僅かばかりの沈黙の後に、言葉を選びながらといった調子で、途切れ途切れの声がした。
「あゝ──見て。暮れなずんでいた日が沈み切って、夜が降りてくる」
瞼を開けると、景色は様変わりしていた。夕焼け空は、今や暗く寒色の紺色になっている。窓から差し込んでいた小麦色の陽は、その色を失い冷たく透明な明暗となっていた。
「紫、明香、私は帰るぜ。もうじき真っ暗闇になりそうだしな」
「魔理沙、気をつけて帰りなさい」
「おうともよ。またな」
ポリタンクを運び終えていた魔理沙さんが、別れの挨拶をして飛び出して行った。窓の外の景色の一部になった彼女は、ランタンをぶら下げた箒に乗って薄暮の空を飛んでいる。
「秋には皆が冬の備えをする。私もまた、冬眠前に貴女に挨拶しておきたかった。けれど、私はいつも心配だわ。私が冬眠している間に、明香がまた悪い天狗に攫われてしまわないか」
「それなら、私が誰かに攫われてしまう前に、紫さんが私を攫えば良い。神隠しの主犯、なんでしょ?」
にこりとして、私は紫さんに答えた。
「紫さんなら良いよ。寧ろ、楽しみにしてるかな。何処か綺麗で素敵な場所に、早く攫ってくれないかなって」
「妖怪に攫われた人間は、食べられてしまうのよ。綺麗で素敵な場所になんて行けないわ」
「紫さんの奥ゆかしい所は好き。でも、のらりくらりと煙に巻いて、何にも応えずにいると嫌われるよ?」
「……えっ?」
目を丸くした紫さん。これは、果たして惚けた振りなのか、それとも本当に驚いているのかな?
「以心伝心もできない仲だったのかな? 一から十まで口に出さないといけないなんて、私は悲しいな」
私は立ち上がり、割れ物を扱う様に優しく丁寧に、ゆっくりと紫さんの手を取った。すべすべで柔らかい彼女の指を、覆い隠すように手を握る。
「私は紫さんが好き。愛してる」
「……私もよ」
「でも、紫さんが冬眠してる間も、文さんは私に会いに来てくれる」
柔らかかった紫さんの指に、力が入って硬くなった。
「去年は月に何回か、冬の肌寒い早朝に戸が叩かれた。寝ぼけ眼を擦って顔を出すと、ふかふかのマフラーを巻いた冬服の文さんが笑顔でおはようございますって挨拶してくれたの」
「……」
「朝刊を手渡してくれる文さんを居間に招いて、緑茶を二人分淹れてから縁側で駄弁ったりした。新聞を読みながら近況について話せば、彼女は面白い話を沢山聞かせてくれる。時には、そのまま連れ出されて二人でお出かけをしたり、写真を撮ったりして──楽しかった」
まあつまり、私をあんまり放っておくと、本当に心が攫われちゃうぞと言う訳なのだ。わあ、面倒臭い彼女だなあ。
「本当に大事なら、手放さないで。繋ぎ止めて」
ぎゅうと、紫さんの手を握る。すると、改まって真面目な顔をした彼女が、立ち上がって私を見下ろした。
「分かったわ」
既に、薄暮も過ぎた夜。窓からは満月の月明かりが差し込み、紫の表情を照らし出していた。それは、しんとした静謐な面立ちで、非日常の厳かな雰囲気を纏っている。
「愛してる、なんて言葉や思いだけでは、繋ぎ止められない心がある。だから──」
紫は流麗にスキマを開き、白金の指輪を取り出した。それを見た明香は、息を呑んで硬直する。少しして、彼女がその身体の強張りを解いたのを見てとった紫は、透き通るように響く声で、一言一句明瞭に語った。
「私の一生涯の道連れになって欲しい。私は、明香が生きている間ずっと、そして、貴女が死にゆく時も必ず、その傍らに寄り添い生きる事を誓うわ」
明香は、無表情で沈黙した。そうして、彼女は紫だけをじっと見つめながら、左手を突き出してその指を伸ばす。
「……」
ぴんと張り詰めた静寂があった。洒落も皮肉も気障も要らない。もし、誤魔化したり逃げたりすれば、二度と相手にしない。そんな、一種の脅迫じみた信頼を宿した鋭い視線を、明香は紫に突き刺していた。
しかし──紫は怯まなかった。
紫は、明香の目前で膝を突いて、彼女の薬指にゆっくりと指輪を嵌める。そのヒヤリとした感触に驚いた彼女は、ぴくりと指を動かしてはにかんだ。
「冷たくて……ぴったり」
私は、放心して指輪を見つめる。まさか、今日こんな事になるなんて思いもしなかった。一方、紫さんも心此処にあらずといった様子で、椅子に深く背を預けて夜空に浮かぶ満月を眺めていた。
「もうそろそろ、お帰り頂きたいと──伝えたかったのだが」
森近さんが、白湯の入った湯呑みを私に差し出していた。それを受け取って初めて、手が悴んでいた事に気付く。開かれた窓から吹き込む秋の夜風が、白湯から立ち昇る湯気を散らしていた。
「口を出さずにいて正解だったようだね」
「お気遣い頂き、感謝しますわ」
「礼には及ばない。寧ろ、僕が感謝するべきなのかもしれない」
「へえ?」
紫さんが、首を傾げて惚けて見せる。しかし、森近さんは何処か爽やかな口調で述べた。
「或いは僕の両親も、君達のように惹かれ合ったのかもしれない。そんな実例を目にすると、少し胸が空くような気がするよ。これから二人は、どうするつもりだい?」
森近さんの問いかけに、紫さんはすらすらと答える。まるで、予め考えていたように思えるのは、私の勘繰り過ぎなのかな?
「変わり無いわね。公にする事でもない、プライベートな話ですもの。二人して密やかに睦まじく過ごすわ」
「そうか。良い考えだ」
「冬眠中は難しいけれど、週に一度は顔を出しますわ。明香を攫う綺麗で素敵な場所にも、目星を付けないと」
下唇に指を添えながら、紫さんは悩ましげに考える素振りをしていた。そこで、私は助け舟を出してみる。
「悩む事はないよ。紫さんは、私にとって特別な存在だから、貴女と一緒に居られる時間は、それだけで特別なんだよ」
「それなら、今度は里のカフェでコーヒーでも飲みながら寛ぎましょうか。ふわぁ……眠いわね。ブラックコーヒーを頂きたくなってきたわ」
「香霖堂は、カフェではないんだがね」
森近さんが、溜息を吐きながら店内の奥へと姿を消す。その後、彼は真黒いコーヒーを手にして戻ってきた。
「インスタントコーヒーと言うらしい。粉末にお湯をかけるだけでコーヒーができる優れものだよ。味については、お世辞にも良いとは言えないが」
代金も取らずに用意されたそれを、紫さんは軽く会釈してから受け取った。或いは、森近さんからの祝杯なのだろうか。きっと、雑味がたっぷりの粉っぽいコーヒーで、目が冴えるに違いない。
「紫さん、寝られなくなりますよ」
「構わないわ。寝るつもりなんてありませんもの」
紫さんは、何処か遠くを見つめた。その視線を追うと、野外に広がる秋の夜空が目に写る。明るい星が少なく寂しげな星空だが、それが引き換えに月の輝きを引き立たせていた。
「こんなにも月が綺麗ですから」