物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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蚕喰鯢呑亭

「こんばんは。開いてますか?」

「勿論です。いらっしゃいませ!」

 

 里の人間が寝静まった深夜に、こっそりと開かれる妖怪専用酒場の蚕喰鯢呑亭に、一人の妖怪が顔を出した。射命丸文である。

 

「お酒を飲みたい気分でして」

「分かりました。お任せですか?」

「はい、頼みます」

 

  笑顔を浮かべた奥野田美宵は、酒と肴を用意し始める。しかし、文は少しばかり逡巡してから訂正した。

 

「酒は強めで」

「どの程度にします?」

「潰れて記憶を失くせる程度に」

「ええと……」

「ご迷惑は掛けませんから」

 

 酒場の先客であった二ッ岩マミゾウと伊吹萃香が、二人して文に視線を向ける。既に酒盃に手を付けて肴を突いていた二人は、ほろ酔いの赤ら顔で彼女に絡んだ。

 

「ほうほう、深酒をしたいとな。そりゃ珍しい。お主、何かあったんじゃろ? 退屈な年寄りの寂れた宴会を賑やかすと思うて、酒の肴に話してくれんかのう?」

「お前が潰れるまで呑んだら店の酒が無くなるだろ。ほら、私の鬼殺しを注いでやろう。土産話をキリキリ吐きな」

 

 二人は、文の両隣りの席に腰掛けた。酔っ払い特有の絡み酒である。萃香は、伊吹瓢から酒を升に注ぎ、機嫌良く鼻歌を歌っていた。しかし、文は陰鬱な心持ちで溜息を吐く。

 

「すみませんが、独りにしてください」

「本当にそう望むなら、自宅で独り酒でもすれば良い。馴染みの酒場に態々来るなど、構ってくれと言わんばかりじゃぞ?」

 

 文は、また溜息を吐いて黙り込む。その様子を見て、酔っ払い二人も流石にただならぬ雰囲気を感じ、席を離れた。するうち、美宵が茄子の白天ぷらと鰍の唐揚げを運んで来る。揚げ立てのそれらは、熱気と油の香りを漂わせていた。

 

「あやや、美味そうですね」

 

 文は、箸で茄子を一掴みして口に運ぶ。彼女が、歯を立ててそれを噛み切ってみると、その衣は薄く粘り気の無いサクサクとした食感だった。また、茄子特有のえぐみや苦味も無く、淡白な味わいだ。

 

「うん。こういうの好きですよ」

 

 機嫌を良くして、文は心中で感嘆した。どれだけ落ち込んでいようとも、腹は空くし美味いものは美味い。なんとも畜生的だなと、彼女はほくそ笑んだ。

 

「ほう、これは?」

 

 文に出された盛り皿の端には、真っ白な粉が盛られていた。彼女が美宵に確かめると、それは山の岩塩であるらしい。

 

「成る程、すると……こうですね」

 

 盛り塩を摘み、文はそれを茄子天に振りかけて口にする。すると、淡白だった茄子の味わいと、サクサクの衣に、塩の濃い味がガツンと足されて引き締まる。更に、茄子天を嚥下して未だ塩味が口内に残っているうちに、彼女は升に注がれた酒を飲み干した。

 

「くうぅ──」

 

 鬼殺しは、その強過ぎる度数を除けば、雑味は無いが旨味もない淡麗な味わいであった。しかし、その強烈なアルコールが舌を刺激して、かなりの辛さ──常人にはもはや痛みを──感じさせる。天狗の文も、これには表情を歪めた。

 

「これは強いですね。次は……」

 

 文は、箸を迷わせてから鰍の唐揚げを突いた。それは、開かれた鰍を丸ごと一匹揚げたもので、醜悪な顔を見せている。しかし、その身に齧り付いてみると、衣の食感と、弾力のあるやや固めの肉質が噛み合っていた。更に、塩を振りかけると抜群に合う。

 

「味は悪くない。良い出汁を取れそうな魚ですね」

「仰る通りです。鍋にもオススメの魚なんですよ」

「あやや、人相は悪いが中々」

 

 尾と頭を残して完食した文は、満足して箸を置く。暫く美食の余韻に浸ってから、彼女は美宵に目配せした。

 

「何か、シメを」

「ちょっとお待ちを」

 

 美宵が用意したのは、シンプルなだし巻き卵だった。文の目前に運ばれてきたそれは、均一な長方形に切り分けられており、焦げも瑕疵もない整った造形で、湯気を仄かに上げている。

 

「ほう……」

 

 文は、期待を募らせて嘆息した。何せ、口にする前から分かる、出汁の良い香りが漂って来ているからだ。彼女は、箸を手にしてそのうち一つを口にした。すると、彼女は無言で唸る。

 

「うん」

 

 きちんと溶かれた鶏卵に満遍なく火が通っただし巻き卵は、その内部が半生であるということもなく、白身も粘りも感じさせないしっかりとした食感だ。その出汁は、幻想郷にはあり得ない鰹の出汁であり、文にとっては久しぶりの味わいだった。

 

「この出汁は、一体どうやって?」

「あはは……色々あるんですよ」

 

 深く詮索する事はやめよう。文はそう疑問を傍に置いた。人里には、好事家に外来品の販売を行う店もある。安くはないが、手に入れる手段が無いでもない。

 

「それと、どうぞ」

 

 美宵は、お猪口を差し出した。それには、丁度一杯の酒が注がれている。そこで、文はだし巻き卵をペロリと完食してから、ぐいと酒を仰いだ。鬼殺しと比べれば、迎え酒にすらならないような、普通の清酒である。水のように飲みやすく、雑味も一切なく、微かな甘味とアルコール臭くない清酒の芳香をしている。

 

「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず。酒の酒臭きは上酒にあらず、とでも言いましょうかね」

「シメですよ文さん。鬼殺しなんてダメです。淡白で飲みやすいお酒で、美味しく酔って帰らないと」

 

 文は、苦笑して頷いた。そうして、彼女は代金を精算してから軽く会釈して、店を後にする。

 

 

「これはまた……綺麗な」

 

 

 夜の里の通り、鯢呑亭の店前に出た文は、空を見上げて立ち尽くした。冬が近まる晩秋の夜空は、冷たく透明な大気越しに星々を抱えている。彼女は首元にマフラーを巻き直して、暫く風景を楽しんだ。月明かりは陰りなく、風が吹き渡り、虫の音が響いている。

 

「美味かったですねえ」

 

 鬼殺しを一飲みしたお陰で、文はほろ酔い気分だった。彼女の身体は芯から程良く温まっていて、肌寒い夜風も不快に感じない具合である。上機嫌にくすくすと、彼女は笑って月を見上げた。それは、彼女の胸中にも似て、望月とは言えない欠けた月であったが、眩く鋭く凛としている。

 

「飯が美味くて、月は綺麗で──」

 

 欠伸一つして、文は夜道を一人歩む。

 

「後は布団で、ぐっすり眠れば言う事なし」

 

 

 

 

 

 寒いなぁと、私は目覚めた。布団から身を起こしてみると、障子が開け放たれていて、早朝の日と風が吹き込んでいる。誰が開けたのやらと、寝ぼけ眼を擦って障子に手を伸ばすと、その手にぱさりと何かが触れた。

 

「うぅん?」

 

 少しざらりとしていて、硬くはなく、繊維質で、手の内に収まらない大きさをしている。とても軽くて、少し力を入れて掴むと、くしゃりと音を立てて歪んだ。

 

「あっ……」

 

 私は、ハッとして視線を上げた。すると、朝日に照らされて微笑む文さんと目が合う。彼女は、普段と何一つ変わらない愛想笑いと、親しみ深い馴れ馴れしさでもって、私にそれを手渡していた。

 

 

 

 

 

「朝刊ですよ。明香さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin. 2024/11/18

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