「うーん……」
天頂の烈日が、地上の全てを焼き尽くそうとしているようだ。私は、つばが広い麦わら帽子を被って日傘を差し、里外れの畦道を歩んでいた。季節は夏、時は昼。猛暑の晴天である。
「あっついねえ」
此処は、里とその外界の境界付近だ。荒れ放題の田畑が見渡す限りに広がり、野生同然に草木が生い茂っている。畦道とその周囲だけが、辛うじて人間の痕跡を遺していた。その側には、枝葉や土砂で埋まった水路が引かれており、そこかしこで水が漏れ出て道草に水やりしている。
「さて、もう一踏ん張り……」
私の腰まで届く夏草たちが、手を伸ばすように蔓を道中に伸ばしている。私はそれを避けたり除けたりしながら、太陽の畑を目指して進んでいた。風見幽香さんから、今年の向日葵を写真に撮らないかと誘われたのである。
「いや、あと二、三踏ん張り?」
真夏の熱気が、体力をじりじりと奪っていく。肌が日に晒されないように、けれど熱がこもらないように、通気性の良い夏用の野良着を着用していたが、焼け石に水である。
「やっぱり、一休み……」
暑さには敵わない。私は、畦道の側に点在していた樹木の木陰に入って一服した。一つどころに留まると、腰にぶら下げていた虫除けの香の芳香が漂い、獣除けの鈴の音色が止んで蝉の鳴き声がよく響く。私は、背負子を下ろして香霖堂で購入した魔法瓶を取り出し、冷たい氷水を口にする。
「贅沢だねー」
文さんから頂いたそれは、妖怪の山の山頂付近で採氷された天然氷である。一方、里では冬に採氷された氷が出回っている。里の近辺の河川や湖から水を引き、凍らせたものを切り出して、夏に備えて氷室で保存したものである。けれど、飲用に適したものとなると、良質な水源から水を引かねばならず、落ち葉や雪などに氷が汚されないよう日夜目をかける必要がある。何れにせよ、贅沢品である。
「暗いなあ」
夏の日差しは、とても明るい。それ故に、木陰が色濃く影を落としている。他の季節ではあまり見られない、明瞭な明暗の境目に手を翳すと、日に当たった手の甲が一気に熱を持った。
「吸血鬼にでもなっちゃったのかな」
手を引っ込めてくすりと微笑み、私は空を見上げた。すると、青空に巨大な入道雲がぷかぷかと浮かんでおり、激しい夕立や通り雨が降りそうだと思わされる。
「いっそ大雨が降れば、一時は涼しくなるのに。でも、蒸し暑くなるのは勘弁だね」
とはいえ、天気は人の想いでどうにかなるものではない。私たちは、ただそれに対処するのみである。もし天気を好きにできるなら、私は一年中ずっと春や秋のように花と実りが豊かな日々にするかもしれない。けれど──
「夏を消しちゃうのは、惜しいかな」
夏草が、生き生きとして茂り地に満ちて、その葉いっぱいに日を受けながら風に戦いでいる。まるで、冬を越えて春を迎えた人々のように、お目出度く夏を喝采しているみたいだ。
「夏の風物は、好きだからね」
茹だるような暑さの中で食べたかき氷。蚊の虫刺されにバツ印をつけながらも、蚊帳の中で眠る事にワクワクした幼い時分。草履片手に裸足で川を渡り、その冷たさにはしゃいだ日々。そうした夏の思い出は、今も目に焼き付いて離れない。
「今年は、どうなる事やら」
人は、何にでも慣れてしまえる生き物だ。幼かった頃は特別だった夏も、幾たびも経験すれば飽きて辟易し始めるかもしれない。激しい夕立や嵐は恐ろしいし、沸き立つ虫や草木の処理は厄介だ。暑さに気を付けなければ命も危ういし、汗や汚れが増えて衣服の洗濯も大変である。
けれど、かつては──そうしたもの全てを吹き飛ばして感じさせない程の何かが夏にはあった。その何かが時折り、ふと顔を覗かせてくれるのを、私はいつも楽しみにしている。
「さて、行きますか」
私は、一服していた木陰から離れて歩みを進めた。今年の夏も、きっと楽しめるものを見つけられるだろうと、上機嫌に鼻歌を唄いながら。
「これは、凄いね」
私は、太陽の畑で向日葵たちを見つめて呆然とした。それと言うのも、向日葵たちの背丈が私の身長をゆうに超えて居たからである。
「スクープかな。文さんに教えたら喜ぶかも」
何枚か写真を撮り、私は向日葵をよく観察した。その背丈は、3m程に達している。大ぶりな葉を茂らせ、太陽を見上げるように花を開かせていた。明るい黄色の花びらの内側には、螺旋に渦巻く管状花の蕾がぎっしりと詰まっていて、沢山の種が実るだろうと見て取れる。
「壮観だねえ」
林立する向日葵たちは、日光を逃すまいと枝葉を広げて犇めき合い、密林のように仄暗い空間を作り出している。しかし、中には花々が道をあけてくれたような細道が一つあった。風見さんの住まいとその方角を地図で確認してみると、此処を進む他なさそうである。
「あら、涼しい」
細道に足を踏み入れると、ひんやりした。大地に日が届いていない、謂わば日陰の涼しさである。背高のっぽな向日葵達は、風が吹く度に揺れて茎を軋ませていた。その長身に比して細身な茎が、折れてしまわないか心配に思える有様だ。しかし、幾らかの向日葵は、倒れ込むように傾いていたりもした。
「向日葵妖精の悪戯かな」
太陽の畑には、悪戯な妖精がいると聞く。綺麗に咲いた花を気に入って手折ったり、仲間と共に遊んで茎を薙ぎ倒したりしてしまうのだ。風見さんも、悪意によって花を傷つけない限り関知しないらしく、夏の太陽の畑は妖精達の絶好の溜まり場なのだという。
「妖精は元より自然の具象。ならば、向日葵妖精は向日葵たちにとっては……娘みたいなものなのかな」
ならば、多少の悪戯にだって目を瞑るのだろうな。可愛いだろうし。なんて物思いに耽っていると、目前から足音がした。耳を澄ますと、その足音は此方に向けて近づいて来ている。目を凝らすと、道の先に見知った人影が見えた。
「こんにちは。よく来てくれたわね」
風見幽香さんが、道の先で和かに微笑んでいる。彼女は、鮮やかな緑髪を風に揺らし、紅色の瞳を私に投げかけて、手持ち無沙汰に日傘を差していた。
「私の住まいまで迷わないように、向日葵たちに道を開けさせていたのよ。この花道、分かりやすかったでしょう?」
「お陰様で、迷わず来れました。向日葵を掻き分けて進むハメにならずに助かりましたよ」
風見さんは、真白い無地のカッターシャツを着ていた。それは、半袖で通気性が良く涼しげだ。普段はその上に羽織っているベストは見当たらず、夏めく日々に合わせて衣替えしたのだろうと見受けられる。チェック柄の赤いロングスカートも、膝丈まで裾上げされていた。
「さあ、涼みに行きましょう。近場を彷徨いていた氷の妖精に頼み込んで、住まいの周囲を冷やしてもらったの」
先導してくれる風見さんに付いて行くと、向日葵たちが頭を撫でるように葉を擦れさせてくる。彼らなりの挨拶だろうか。するうち、向日葵畑を抜けて彼女の住まいに辿り着いた。その庭先には、強い冷気を放つ氷柱が数本突き立っている。向日葵の背丈に負けじと切り立つそれは、まるで水晶のように透明だ。
「綺麗でしょう? 自然の氷ではこうはならない。不純物がまるでない、純粋な氷よ」
夏日を透き通らせて反射し、仄かな影を地に落としている氷柱は、この夏を記念するオベリスクのような、幾何学的な四角柱である。私はその冷たさに、砂漠で緑地を見つけた遊牧民のような喜びを覚えた。
「触れない方が良いわよ。くっついて離れなくなるかもしれないから。さあ、室内で寛ぎましょう。冷たいお茶と、少しの洋菓子があるわ」
私は風見さんに促されるままに、軋みを上げながら開かれた家屋の扉を潜ったのだった。
「向日葵がね、とても元気なのよ」
風見さんは、冷えた麦茶を口にしてから呟いた。彼女は、窓の外の向日葵たちを指差す。
「凄い背丈でしょ。ぐんぐん伸びてる。中には4m近い子もいるわ」
「まるで巨人ですね」
「ここまで大きくなると、流石に理由がある筈だと思って向日葵たちに聞いてみたの。すると、当人たちも心当たりがないらしいわ」
「それは、不思議ですね」
とは言え、向日葵が多少育ち過ぎた所で、問題が起こる事はない。風見さんは、椅子の背もたれに深く寄りかかり、寛いだ様子で花々を眺めていた。
「不思議だけれど、良い事ずくめよ。向日葵達は沢山の日を浴びられて喜んでいるし、日陰が増えたお陰で多少は涼しくなった。それでも、最近の暑さには敵わないけれど」
蝉の鳴き声が、遠方から絶えず聞こえて来ていた。麦茶に浮かぶ氷が、溶けて崩れてカランと音を立てる。風見さんの身じろぎに合わせて椅子が軋み、彼女は上機嫌な様子で足を揺らしている。
「それは、夏ならばいつもの事。さて、後で写真を何枚か撮ってあげて」
ふと見やると、以前に私が撮った向日葵の写真が壁に掛けられていた。集合写真のように、向日葵と風見さんが写っているそれは、過去の思い出を想起させる。
「勿論です。以前みたいに、ですよね?」
「そうよ。あゝ、懐かしいわね」
風見さんも、私の視線の注がれる写真に気付いたようで、過去を懐かしむような遠い目をして項垂れる。
「あの時も、妖精たちが向日葵と遊んでいたわね。最近、此処らは妖精が多くて、自然が元気なのよ。向日葵たちが育ち過ぎたのもそのお陰かしらね」
「もしかすれば、風見さんのお陰ではないですか?」
こてんと首を傾げて、風見さんは不思議そうに目を丸くした。
「風見さんは、自由気儘で、マイペースで、気分屋な方です。それは丸きり、妖精みたいな気質です。だから、妖精たちも貴方に惹かれて来たのではないかと」
「あ〜……」
風見さんは、頬杖を突いてバツが悪そうに目を細める。
「そうね。最近退屈だったから、そこらの妖精を集めてお茶会をしたり、花の世話を手伝わせたりしていたわ」
私は、その光景を想像して微笑みを漏らした。再び、窓から屋外を眺めてみると、じょうろを手にして向日葵畑を飛び回る、可愛らしい妖精たちが目に入る。
「花の世話を覚えた妖精たちが、楽しそうに向日葵の面倒を見ていますよ」
「可笑しいわね。妖精って、そんなに物覚えが良かったかしら?」
「きっと楽しかったんですよ。楽しかった事は、良く覚えていられますから」
「ふ〜ん……」
嬉しそうにニヤリとした風見さんは、部屋の隅に備え付けられていた食器棚から小皿を取り出して食卓に並べ、キッチンの側の収納から洋菓子を取り出した。それは、里の菓子店で販売されていたマカロンだ。
「花屋に顔を出した時に、店番の子にお勧めされたのよ。さて、明香は外にいる妖精たちを連れて来てくれるかしら?」
「妖精たちを? あゝ、成程」
合点がいった私は、麦わら帽子を被り直して屋外へ出た。氷柱と向日葵に囲まれた軒先で、私は向日葵畑を飛び回っている妖精たちに声をかけて風見さんの住まいに招く。すると、彼女たちは勝手知ったる様子で元気良く風見さんに挨拶して、綺麗に手を洗ってから食卓についた。
「小慣れてますね」
「夏の間は、同じ場所に暮らしているんだもの。顔馴染みぐらいにはなるし、何度かお茶会にも招いた仲よ」
羽をパタパタと動かしてはしゃぐ妖精たちは、卓上のマカロンを口にして目を輝かせている。彼女たちは、私や風見さんよりずっと幼い見た目をしていた。そんな子供たちが楽しそうにしているのを見ると、自然と頬が綻ぶ。
「ほら、明香の分もどうぞ」
「これはどうも」
妖精たちと同じマカロンを口にしてみると、そのあまりの甘さに驚いた。胸焼けする下品な甘ったるさとは無縁な、それでいて強力な甘味だ。シンプルなバニラ味で、後味を引かずさっぱりとした余韻を楽しめる。外側の生地はパリパリとした食感をしているが、内側に挟まれているクリームはスポンジのように柔らかで、そのメリハリがついた口当たりは小気味良く食べ易い。
「あまり日持ちしないから、みんな食べてしまって頂戴」
妖精たちは、大喜びして次々とマカロンに手を付けていく。氷でキンキンに冷やされたアイスティーも供に出されていて、私はそれをちびちびと口にしていた。けれど、ふと思いついてカメラを手に取る。
「写真を撮っても構いませんか?」
夏らしい真白のワンピースを着て、あどけない笑顔で元気良くピースサインをする妖精たちと、自然体でアイスティーを口にしている風見さんを私は写真に写した。窓の外の向日葵畑の風景も、壁に架けられた絵画のように写真に写り込んでいる。
「良く撮れたかしら?」
「勿論です。それに、素敵な写真ですよ。妖精たちは可愛いですし、お茶会も洒落た雰囲気があって乙です」
「妖精もお茶会も、有り触れたものだけれどね」
「例え有り触れていようとも、素敵なものは素敵です。地底から月面まで旅して数多の絶景を目にして尚、夏空や向日葵を素敵で美しいものだと感じる私の心が、そう訴えかけてくるのです」
暫く、逡巡した様子で口を噤んでから、風見さんは頷いて微笑んだ。
「そうね。その写真を私も頂きたいわ。現像できたら教えて頂戴」
「勿論です」
風見さんは、マカロンを平らげた妖精たちを先導して花壇の花々の水やりに向かった。そうして、妖精たちが水やりの仕方を学びながら水遊びしているのを、私は夏日差す窓越しに眺めて物思いに耽る。
「やっぱり、夏が好きなんだよねえ」
今年の夏は、私にどんな日々を過ごさせてくれるだろうか? そう思うと、胸が弾むような気持ちになる。魔理沙さんに会いに行って、魔法の森で昆虫採集でもしようか。或いは、文さんを訪ねて妖怪の山の万年雪を見に行くのも悪くない。里では花火大会があるし、博麗神社では霊夢さんが夏祭りを企画している。
「悩ましいなあ」
目移りしてしまう程に、夏には楽しみが一杯だ。私には、これに飽く事なんて出来そうにない。例えこれから幾たび夏を味わっても、それだけは変わらないのだろう。
「今年の夏も、楽しみだね」
fin. 2025/08/01