私は玄武の沢にいる。妖怪の山の麓近くの
遅くまで居座ると帰路が夜道になってしまうのが心配だが、まだ昼前で時間的に余裕がある。できる限り沢山の写真を撮っておきたかった。それと言うのも、玄武の沢には明らかに奇妙なものが満ち満ちていたからだ。
例えば、沢の川沿いに水車がいくつも建てられていて、河原には真っ白な無数の風車が突き立てられていた。風が吹くたびにクルクルと大量の風車が回っているのは壮観だが、沢にこんな風景があるなんて聞いたこともなかった。
それに、暫く沢を見て回って気付いたが、沢で見られる柱状節理の地形に大量のパネルが設置されていた。なんとも不気味だが、無数の直線を含む幾何学模様が描かれており、どう見ても自然物ではない。
私はこうした『奇妙なもの』の写真を撮影してくるよう依頼されていた。御阿礼の子の稗田阿求様が、この玄武の沢の噂を憂慮しているのだそうだ。
私は腰を上げて、さらに写真を撮ろうと──
「動くな!」
周囲を見回すが声の主は見当たらない。が、何もないはずの場所から次々と作業服姿の少女達が現れた。彼女達は人間の里で見かけたことがある。河童のエンジニア達だ。
「玄武の沢に何の用だ」
取り囲まれてしまっている。やましい事はないので、香霖堂で新調したカメラを見せて用向きを説明しようと考えた。
「私はカメラマンでして、玄武の沢で」
「捕まえろー!」
「えっ……え?」
あれよあれよという間に河童たちに取り押さえられてしまい、手足をぐるぐるに縛られてしまう。なんで? 何故に?
「カメラを持ってるぞ、スパイだ! アジトの情報を盗みに来たんだろ。きっとあの烏天狗の仲間だ!」
「お願いです、ちょっと待ってください」
何とか弁明しようとするが、身体が痺れて意識が遠のく。
あ、これ駄目なやつだ──
気がつくとゆっくりと水中に没していた。水は透き通っていたが、深さを増すにつれてその色合いは翡翠色に染まっていき、やがて薄暗がりになった。目を凝らすと、何か朧げな輪郭が写る。鱗だ。
背を向けている巨大魚の全貌が視界に入る。尾ひれだけで私の背丈の何倍もあった。ボコボコと気泡が弾む音と、水が掻き分けられる音がして、どんどんと離れていく。私はしっかりとそれを目に写した。するうち、流線形をした小型の──それでも全長数メートルはある──魚の群れが巨大魚に襲いかかった。巨大魚は尾びれで薙ぐだけで大質量の魚群の体当たりを蹴散らしている。
だが、そこに異質な存在が現れた。赤い双眸と同じく真っ赤な角を生やした女性が、着衣のまま銛を手にして巨大魚に迫っていた。魚群に指揮を下しながら、悠々と巨大魚の退路を絶っている。
そうか、これは漁なのか。
気付きの瞬間、私の意識は砕け散った。
意識が戻ると周囲はガラクタの山だった。目を凝らすと此処が薄暗い部屋の中だと分かる。手足は縛られたままだ。耳をすますと、外からはひそひそ声が聞こえてきた。
「どうするんだよ。あいつ人間じゃないか」
「てっきり山の天狗の奴らかと思ったんだ」
「だからってなんで此処に連れてくるんだよ」
だが、私の注意は夢見た光景に割かれていた。アレは間違いなく三途の川の巨大魚だった。胡散臭げな少女の幻が語った言葉が思い浮かぶ。『触れると憑く』そう聞こえた言葉が真ならば、私とあの巨大魚の間には何かしらの『繋がり』が出来ているのかもしれない。
「おい、人間。困るんだよなぁ、アジトの近くをカメラなんてもってコソコソされちゃあさ」
何故そんな繋がりが、と問うことに意味はないのだろうなと思った。世界は無意味だからだ。太陽が『どのようにして』在るかを知ることはできても、『何故』在るかを知ることはできない。それは宗教の領域だ。人間の意識が意味づけるものでしかない。
「おーい、聞こえてるー?」
ならば、自問自答をしよう。まず、どのようにして私と巨大魚はリンクしたのか。三途の川で直接接触したからだろう。これはあの少女の幻が触れると憑くと語っていたことからも導ける。
ではどのようにしてこの繋がりは維持されているのか。巨大魚の鱗を御守りにして身につけるという行為が、直接の接触以後もリンクを維持している可能性がある。また、天子さんがこの御守りを指して『幽明の境が揺らいでいる』『呪物』などとも語っていた。少なくとも何もないと言うことはないだろう。
「ちょっとさあ、だんまり? 黙秘ってかい? そんなそっけない態度取られちゃカチンときちゃうなぁ」
では、私はこのリンクをどうしたいのか。『私はこの繋がりが好きだ』自分が此処にありながら異なる目を持って幽明の境を幻視できると言うのならば是非もない。縛られた腕で御守りを確かめた。
そして、河童の少女はそれを見て表情を和らげる。私が怯えているのだとでも思ったのだろう。
「あー。そんなに怖がらなくていいよ。取って食おうって訳じゃないんだ。たださ、そのカメラで撮られちゃ色々と困るんだ」
彼女は私のカメラを開くと、フィルムを露光させる。今日一日分の撮影が全てお釈迦になってしまった。
「さて、ちょっと見学していくかい? ようこそ、河童の工場へ」
開かれた扉から光が差し込む。そこには不可思議な内装の部屋があった。まず、窓がひとつもなかった。床も壁面も天井も真っ白で、蔓が伝う細い柱が規則的に林立している。周囲に光を放つ奇妙な管のようなものが張り巡らされていて、白色の光を放っていた。
そして、胡瓜があった。
「ここは自慢の胡瓜工場だよ。胡瓜の栽培について記された外来本を元に可能な限り効率的に胡瓜を生産できるように試行錯誤しているんだ」
その河童の少女は自身を河城と名乗り、彼女のいう『胡瓜工場』なるものについて、手足を縛られたままの私を連れながら説明を続けた。
「これまでは気温や害虫や病原菌、栽培に用いた土地の土壌や日照に生産性を左右されてきた。でも、ここはそうした問題を解決しようとしている最先端の工場なんだ。日照は人工の光源で、環境は各種空調や養液を用いて制御してる。地下だから外部とは隔離されてて嵐が来ようと大雨が降ろうと影響されない。地表では太陽光や水力・風力を用いた発電を行い、必要な電力を賄ってるのさ」
河城さんの語った言葉の大半は理解できなかった。ただ分かったことは、彼女達が何かしら特別な方法で胡瓜を育てているということだ。
「私たちは人間に迷惑をかけるような事はしていない。だから、人間も私たちには迷惑をかけないでくれよな。私の言いたい事はそれだけだ」
ゆっくり手を離した。稗田様は瞼を開けて溜息を吐く。
「胡瓜工場ですか。河童達の考えそうなことです。しかしまあ杞憂ならばそれで良かった。手間をかけましたね雲見さん、ありがとうございます」
「迷惑はかけない、だから迷惑をかけるなとだけ言付かっています」
「妖怪の言葉など当てにはなりませんが、雲見さんが目にしたことは確かでしょう。胡瓜なら好きなだけ育てて構いません。元より河童のすることに口を出せる権限など私にはないですし。もし里に害するならば手もありましたが……正直言って拍子抜けですね」
言葉とは裏腹に安堵しているのだろうか。稗田様は何処か憑き物が落ちたような様子だ。
「それにしても便利ですねこれは。雲見さん、私の目になってみませんか?」
「ははは……」
言葉を濁して答えをはぐらかした。私の意図を察してくれたようで、彼女もそれ以上は語らない。互いに茶で口も濁す。あ、美味い。流石は稗田家、茶葉まで高そうだ。なんて思っていると、部屋の隅にかけられた巻物に目を惹かれた。相当に由縁ありそうな品だ。
「稗田様、あの巻物は一体?」
「あれは『私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺』よ。とある化け狸から取り戻したもので、一時保管中なの」
「少し見せてもらっても構いませんか?」
「ダメに決まってます」
「えぇと、なら今回の依頼の報酬代わりに一眼見せてください。一枚写真を撮りたいだけなので。河童にフィルムをお釈迦にされてしまってカメラマンとしての収穫がないのです。百鬼夜行絵巻ともなれば写真に収めれば大変に価値があるに違いないでしょう?」
「……それなら約束してください。写真は誰にも見せないこと。勿論、貴女の能力でも誰にも見せないこと」
頷いて答えると、稗田様は渋々といった様子で絵巻を開いた。途端に、背筋が冷たくなるような妖気が放たれる。
「これは凄いですね」
「これでも絵巻の影鬼は退治されています。これは残滓に過ぎません」
絵巻には百鬼が夜行する恐ろしい有様が描かれていた。私はカメラを手にして百鬼夜行をレンズに収める。シャッターを切った瞬間、目の前が真っ暗になった。驚いてカメラから目を離すと、視界に違和感がある。私は周囲を見回してこの違和感の正体に気が付いた。
視界が半分欠けているのだ。
稗田様が絶句した様子で私を見つめている。彼女は手鏡を震える手でこちらに向けた。手鏡に映った私の右目は、常闇のように真っ黒だ。彼女は百鬼夜行絵巻を片手に私の手を引き、絵巻と私を離れの蔵に押し込んだ。
霊夢さんを呼んでくるから、じっとしているように。そう言って蔵の扉を閉じた彼女は、慌ただしい足音を響かせて去っていく。あまりの急展開に、私はただただ呆気にとられて呆然とするしかなかった。
どれぐらい蔵の中でじっとしていただろうか。暗がりに目が慣れてきて、少女が目に映った。私がかつて幻視した幻の少女だ。彼女は私に近づいてくると、大きく溜息を吐く。
「百鬼夜行絵巻を写真に撮るなんて、呆れたお馬鹿さんね。写真とは姿形と共に、時にその魂さえ写すもの。まして貴女の目には物を写す力があるのよ。お陰で退治されて弱りきっていた影鬼の残滓が貴女の右目に写ってしまった」
「ええと、どちら様ですか?」
「その右目は影鬼が祓われるまで、光を写すことはないでしょう」
なにやらブツブツと彼女は独り言を呟き始めた。
「参ったわね、もう神隠ししてしまいましょうか。これ以上様子を見るのは無駄かもしれない」
「あの、私は雲見明香と申しますが、どちら様でしょうか?」
ガタンと音を立てて蔵の扉が開いた。目を向けると、霊夢さんが稗田様に連れられてきていた。そこに居る少女がと指差すと、彼女達は揃って首を傾げる。幻の少女はもう跡形もなく消え去っていたのだ。
そこに少女がいて、お話をしていた。何度聞いても名さえ教えてくれない。そう伝えてみるが、二人とも私を見て表情を暗くする。
「しっかりしなさい。あんたの気が動転してるのはよく分かるわ。でも落ち着いて、まずはゆっくりその目を見せてちょうだい」
暫く霊夢さんにされるがままだった。彼女は残念そうな表情を浮かべて、最後にお札で私の右目を塞いだ。どうやら様子を見るしかないらしい。右目に写った妖怪が悪さをしないようにと、予備のお札を何枚も渡されてから、蔵から出された。
ただ、私は地に足がつかない感じだった。利き目が使えないと写真を撮るのが不便だなとか、そんな事を考えて帰路についていた。
私が手にしていたカメラは手足を伸ばして転げ落ちると、そのまま茂みに姿を消してしまった。目を擦ってみるが見間違いではなさそうだ。
うん、だめだ、疲れてるな。風呂に入ってゆっくり寝たい。しっかり疲れを取ろう。羊羹が良いな。甘いからとても美味しいんだ。里のカフェのメニューにあるようなスイーツも食べたい。甘いケーキとか、モンブランとか──