マヨヒガ
私は囲炉裏で暖をとっていた。外の様子を見てみると、夜の真っ暗闇に真っ白な吹雪で一歩たりとも外出できそうにない。妖怪の山に押し入り大蝦蟇の池を目指していたのだが、山の天気が急変して遭難してしまったのだ。吹雪の中で遂に日が暮れかけた際には最悪の結果を覚悟していたが、天の助けか明かりの灯った民家に辿り着いた。
「もしかしてだけどさぁ……これってマヨヒガだよね」
伸ばした手足で完全自律して私に追従するカメラは、同意するように縦に揺れた。こいつは私のカメラだったものであり、付喪神だ。私の右目に写っている影鬼はかつて百鬼夜行絵巻に憑いており、付喪神を産む力があった。霊夢さんのお札で右目は塞がれているものの、目に近づけていたカメラは付喪神になってしまったのだ。
このカメラは付喪神になってから家出していたけど、暫くして帰ってきた。やはり道具は大事に扱うべきだなぁと痛感したものである。可愛い奴め。
さて、家人が帰ってきやしないかと思っていたがそれもなさそうだ。真夜中に吹雪いているのに誰も帰宅してこないのは、この民家が完全に無人であることを強く意識させる。ついさっきまで人間が生活していたような痕跡が数多く残っているのに、人間の気配が一切ない。はっきり言ってとても不気味だ。囲炉裏に火まで入っていたのに……。
カメラは囲炉裏の周りをグルグルと駆け出した。きっと退屈なのだろう。だが、マヨヒガは一生に一度しかお目にかかれず、二度見つけられることはないと聞く。ならば無二の撮影チャンスである。
「ついてきて。ちょっと探検するよ。あと、写真も何枚か撮るから」
カメラは後ろから付いてきてくれたので、そのまま部屋を後にした。
それからと言うもの、私はこの暫定マヨヒガを隅々まで探索した。まず、この民家は屋敷と言えるほどに立派な造りで、沢山の部屋があった。それぞれの部屋にはみな、人間が生活していた痕跡がありありと残っていたが無人であった。その上、一つ懸念事項があった。
「何かいるよね」
私が部屋を出た後、襖を閉めた後、廊下を曲がった後に、見えない場所で何かが動いている気配がするのだ。それは物音だったり、ちらりと見える影だったりした。
明らかに何かがいる。しかも私に気付いている。私は囲炉裏の部屋まで戻り、全ての戸を閉めて火を絶やさないようにして引きこもった。
夜が明けるまでここで凌いでマヨヒガを後にしようと思う。写真も何枚か撮ったが、ただの屋内の風景にしか見えない。正直なところ少しガッカリだ。眠気も酷くなってきた。大雪の中を必死に彷徨った為に疲労困憊なのも相まって徹夜はできそうにない。
「何かあったら起こしてね」
カメラが縦に揺れたのを見てから、目を閉じて横になった。目が覚めれば朝になっているだろう。そうすれば後は山を降りるだけだ。
目が覚める。頭にカメラがぶつかったようだ。戸を開けて外を見るが夜は明けていない。何事かと思うと、猫の鳴き声が聞こえてきた。成る程、お猫様である。猫 is 何故?
廊下に出て見ると、暗闇に無数の目が浮かんでいた。猫の目だ。ははぁ、さては物音の正体は彼らだったのだろう。大した猫屋敷である。そうと分かれば感じていた不穏さもすっかり霧散する。化物の正体見たり枯れ尾花といった具合である。
さて、猫の写真を撮ろうとしてカメラを向けると、彼らはぷいと姿を隠してしまう。しかし残念、暫定、猫屋敷の認識になってしまったからには一体何を恐れるものか。カメラを手に猫達を追いかけ回す。しかしそこは猫。身軽足軽であっという間に撒かれてしまった。
参ったなぁ、なんて困っていると、背中に唐突に衝撃が走る。
「ぐうぉ」
廊下の床に顔面から倒れ込む。何とか受け身をとったものの、そのまま取り押さえられてしまった。なにごと?
「捕まえたぞ、悪い幽霊め! よくも私の仲間を追い回したな!」
私を取り押さえたのは、年端もいかない少女だった。一眼見ただけでは人間かと見紛う姿だが、猫耳が帽子から飛び出ている。
「……化け猫?」
「そういうお前は……妖怪の幽霊?」
「人間ですけど」
沈黙の後、私の上から退いてくれたので自己紹介を。
「人間の里のカメラマン、雲見明香です。猫さん達の写真を撮りたかっただけで害意はないのです。驚かせてしまったなら申し訳ありません」
「私は橙。藍様の式神で化け猫だよ。仲間の猫達の住処にちょうど良さそうな家を見つけたから探索してたんだ」
話を聞くと、どうやら橙ちゃんも私と同じようにマヨヒガに迷い込んだらしい。そこで怖い化物に追われていると、仲間から呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンである。化物の正体は私だった訳だが。
「ほら、ちゃんと足もついてますよ」
橙ちゃんは怪訝げだ。恐らく信じてくれてはいないのだろう。だがそれで構わない。私がすることは変わらないからだ。
「夜が明けるまで滞在しようと思ってます。大雪の中で山中を彷徨う訳にもいきませんから」
びゅうびゅうと今も吹雪だ。外に出ればあっという間に遭難して凍死するだろう。化け猫が居ようとも、このマヨヒガに居座る以外の選択肢は私にはない。
「しりとりでも一緒にしますか?」
なので、適当に一緒に暇でも潰そうと、そう私は提案したのだった。
「凄い……」
退屈で仕方なかった橙ちゃんにせがまれて、私は彼女に沢山のものを見せていた。妖怪の山から玄武の沢まで、目に写してきたものの中でも美しかったものを彼女に見せたのだ。
「でしょ。この茸って食用できるかどうか何年か以前に魔理沙さんが調べてた筈だから、今度会ったときに聞いてみようかなって」
だがそれでも、連続したビジョンとしての幻像はやはり、視覚以外のものに訴えることはできない。あの彼岸花から香る死臭や、向日葵畑の太陽の香りはしないのだ。夏の虫の音も、あの手に触れた葉や石の感触さえない。
「この太陽の畑、とても綺麗ですね」
「うん。何年前か忘れてしまったけど、少し暖気の強い夏の年だったと思う」
「揺れる向日葵たちを見ていると、畑を吹き抜ける風の音が聞こえてくるみたいです」
予想だにしなかった言葉を食らってしまって、面食らってしまって、私は言葉に詰まってしまう。
「その……どんな風かな?」
「向日葵の葉っぱや花を揺らすような穏やかな風が。雲がゆっくり流れてるからきっと優しい風です」
「うん、どんな香りがするかな?」
「きっと向日葵の香りですね。それに、晴天で干した布団を取り入れたような、柔らかくてぽかぽかでふわふわした香りも」
橙ちゃんはそれを皮切りに、私が見てきた風景に感じることを教えてくれた。その場にいた私の感じ方とは違っていたけれど、私が見てきた世界は橙ちゃんの中で解釈されていく。実在はしないけれど美しい風景として、記憶され補完されていく。私が見た世界から私が見たことのない世界が見出されていった。
「でもでも、こんなに沢山の風景を見て回ったり写真を撮ったりするなんて、本当に雲見さんって幻想郷のことが好きなんですね」
「……うん」
振り返って私の行いを見た。カメラを手に世界を目に写してきた私の行いはまさにそうだろう。自分自身の行いは、自分自身の言葉よりも、自分自身の心を写すから。
「私はこの
外を見ると吹雪が止んでいた。雪化粧の風景の中、地平線から太陽が昇り始めている。真っ暗闇だった世界に光陰が矢の如く差していった。鳥達が囀っていて、肌寒く透き通った空気が心地よく肌を刺す。私は囲炉裏の火で暖をとりながら、座敷の中から写真を撮った。
うん、素敵だ。今日最高の一枚だ。
頭上夢中の風。