毎度遅れて申し訳ございません。
前回までのあらすじ
「明日、執事フェアの応援お願いできる?」
「わかりました」
((絶対行く))
9:30 a.m
「おはようございます」
翌日、指定された時間にクスクシエへ訪れ、玄関のドアを開く。
軽く、手入れがなされている証左である静かな音に合わせて、そっと中へと入った。
軽く打ち合わせらしきものを行う二人の男女。
そのどちらもが、扉の開く音に反応して視線をこちらへと向けてくる。
「あ、トウマく〜ん、おはよう!!今日はよろしくね」
「ほう? 代理が来るとは聞いていたが、お前だったか、トウマ」
女性の名は白石知世子。ここクスクシエの店長。
非常に懐の広い女性であり、たまに臨時のアルバイトとして雇ってもらっている。
もう一人の男性は天道総司さん。
すらっとしたイケメン。
普段どんな仕事をしているか不明だが妹と二人暮らしをしつつ、生活に苦労している様子がない。
にもかかわらず、変な場所でバイトをする姿を見かけるなど、謎の多い人物だ。
「知世子さん、お久しぶりです。それに天道さん、まさかこんなところで出会うとは思ってませんでしたよ。今日は一体どんな風の吹き回しで?」
「何、たまたま商店街で店長にあった際、豆腐を譲ってもらってな。その恩返しだ」
すっと天道さんが天に向けて右手を掲げた。
「おばあちゃんが言っていた。小さな親切を受けたら、大盛りで返しなさいってな。豆腐を譲ってもらったんだ。過去一の売り上げになるよう取り組むさ。まあ、俺がいればそれだけで達成したようなものだがな」
出た。加賀美さん曰く『天童のおばあちゃん語録』&超絶俺様スタイル。
言動からわかる通り自信に満ち溢れたストロンゲストスタイルな言動と、彼が最も尊敬するおばあちゃんから言われたという語録。
どれだけ数があるかわからないが、それを素で言い放ち、しかし嫌味に聞こえないほどの実績をただき出す彼がいうのだ。
きっと達成するのだろう。
「あはは、映司君からは聞いていたけどすごい子ね、君。うんうん、頼もしくて何より!」
そしてそれをにこやかに笑って流す知世子さんも大概大物である。
「はい、それじゃあ今日のフェアについて説明するわね」
そうこうしている間に他の店員も集まってきた。
そこで、パンっと両手を叩いて知世子さんが説明を始める。
「今日は執事フェア、ということで、皆には執事服をきて給仕と、ちょっとした雑務をしてもらいます」
「雑務?」
「ほう?」
「内容はずばり! 『執事の誓いタイム』よ」
「執事の誓いタイム?」
知世子さんの発言に思わずオウム返ししてしまう。
彼女曰く、こういうことらしい。
・一時間に一度、特別な時間を設ける。
・付加価値は給仕が、忠誠などを誓うお芝居と、お客様からのリクエストに応える(過激なのは拒否してオッケー)
(これは、セーフなのか?)
「一つ聞きたい。大丈夫なのか?」
「大丈夫!! 昔やったこともあるから実績もあるし、玄関にはあまりにひどい内容はそれなりの対応をさせていただきますとしてるから」
(※作者から:本当に大丈夫かは不明ですが、この世界では大丈夫ということにしておいてください)
「ならいい」
(いいんだ……しかし、困った……)
予想よりすんなり受け入れた天道さんを意外と思いつつ、内心頭を抱える。
正直な話こういうのは苦手だ。
演技も下手だし。
(火野さん、わかってて僕に振ったんじゃないだろうな)
普段はお世話になることもあるから否はない。
ないけど、どうしても恨み言の1つも出てきてしまう。
それに、すんなりと受け入れた天道さんの手前もある。
今回は諦めるとしよう。
ちらりと鏡をみる。
そこに映る自分は、普段の冴えない大学生とは似ても似つかない。
だが、似合っているかと言われれば話は別だ。
鏡の中の“執事らしき人物”は、どう見ても服に着られている。
襟はやたらと首を締め付け、手袋は指先の感覚を奪い、
歩けば革靴が「お前の歩き方は間違っている」とでも言いたげに軋む。
燕尾服の裾をそっと摘んでみるが、
その仕草すらぎこちなくて、まるで七五三の子供のようだ。
(……なんで同じ服なのに、天道さんは“本物”で、僕は“コスプレ感”が出るんだ)
鏡の前で完璧にネクタイを整える天道さんの姿が、
余計に自分の情けなさを際立たせていた。
「――トウマ、お前の動きには迷いがある。豆腐のように柔らかく、だが芯のある動きをしろ」
懊悩とする僕とは違い、鏡の前で寸分の狂いもなくタイを整えながらそう言い放つ天道さん。
「豆腐……ですか?」
「そうだ。豆腐は壊れやすいが、その白さは何にも染まらない気高さを持つ。お嬢様をエスコートするなら、それくらいの覚悟を持て。おばあちゃんが言っていた。本物は、場所を選ばないとな」
天道さんの言葉は相変わらず意味不明だが、その立ち振る舞いには圧倒的な説得力がある。彼がトレイを持つだけで、まるで国宝を運んでいるかのような神々しさすら漂うのだ。
それに比べて僕はどうだ。鏡に映るのは、ぴっちりと撫で付けた髪に、糊のきいた立ち襟。そして指先まで覆う白い手袋に「着られている」情けない男。
「あはは、トウマくん、似合ってるわよ! しっかり頼むわね!」
店長の知世子さんが上機嫌に肩を叩く。
「……似合わないな、やっぱり」
鏡の中の自分に苦笑いする。
そうだ、今さら嘆いても仕方ない。
僕の仕事は、あくまで「粗相をしないこと」。
そして何より、「絶対に知り合いに会わないこと」。
この格好をアカデミーの連中に見られたら、明日からの僕の平穏は終わる。間違いなく卒業まで「セバスチャン」というあだ名で弄られ倒す刑に処されるだろう。
「大丈夫だ。ここはアカデミーから結構離れているし、僕がバイトしてるなんて誰も知らない。隕石が直撃するより確率は低いはず……」
……そう思いたかった。
だが、昨夜の癒月さんからのメッセージが、どうにも引っかかっていた。
『明日、楽しみにしてるわね♡』
何を? と聞き返したら、返ってきたのは紅茶のスタンプ一つだけ。
(……いや、まさか。まさか、ね?)
胸の奥で、嫌な予感がじわりと広がっていく。
だが、その淡い期待は、開店直後のベルの音と共に粉々に打ち砕かれる。
「おかえりなさいませ、お嬢様――」
マニュアル通りのセリフを口にしながら、扉に目を向けた僕は、そのまま石化した。そこに立っていたのは、執事姿を見られたくない人たちだった。
「あら。素敵なお店ね、いろはちゃん」
「は、はい……! なんだか、すごく本格的で緊張するでござ……じゃなかった、いたしますわ、ちょこ先輩」
一人は癒月さん。余裕たっぷりの微笑みを浮かべ、確信犯的な視線をこちらに送っている。
もう一人は風真さん。「お嬢様」という設定を守ろうとして、必死に口癖の「ござる」を封印し、借りてきた猫のようにソワソワしている。
(……詰んだ。これ、完全にバレてる。っていうか、狙ってきたよね!?)
「案内してくれるかしら? 執事(ナイト)さん」
癒月さんが、僕の動揺を愉しむようにウィンクした。
案内したテーブル席。紅茶を注ぐ僕の手は、これまでにないほど震えていた。
「……ダージリンでございます、お嬢様」
「ありがとう。ねぇ、あなた。なんだか初めて会った気がしないわね?」
癒月さんが身を乗り出し、ふわりと甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。
「……左様でございますか。当店の執事は皆、お嬢様方の記憶のどこかに眠る執事であることを理想としておりますので……」
「ふふ、いいわ。その設定、バイト上がりまで保てるといいわね?」
背筋に冷たい汗が流れる。
一方の風真さんは、顔を真っ赤にしてメニューを逆さまに持っていた。
「あ、あの! この『特製スコーン』をいただきたいのでござ……ます! 先輩……じゃなくて、執事殿!」
「……かしこまりました。風真お嬢様」
名前を呼んだ瞬間、風真さんの肩がビクッと跳ねる。その初々しい反応に、癒月さんが「ふふっ、可愛いわね」と、愉しそうに笑い声を漏らした。
そして、平和なティータイムで終わるはずがなかった。
この店には、一時間に一度の「特別イベント」があるのだ。
「皆様、お待たせいたしました。これより『執事の誓い』タイムを執り行います!」
他の執事が高らかに宣言する。それは、僕にとっての公開処刑タイムだった。
案の定、癒月さんの手がスッと挙がる。
「こちらの彼に、お願いしようかしら?」
(やっぱりか……!)
天道さんが他のお嬢様に完璧な一礼をして、流れるような動作で跪くのを横目に見ながら、僕は震える膝をどうにか抑えて二人の前に進み出た。
床に片膝をつき、燕尾服の裾がわずかに擦れる音が、静まり返った卓上に響く。見上げれば、楽しげに目を細める癒月さんと、期待と羞恥で今にも爆発しそうな風真さんの顔。
「……我が剣と心は、常にお嬢様と共に。お望みのままに、命令を」
「ふふ、よく言えました。じゃあ……まずは私からね。はい、あーんして?」
癒月さんがその細く、綺麗に整えられた指先で持ち上げたのは、真っ赤に熟れたイチゴだった。
生クリームが先端に少しだけ乗せられ、まるで誘惑の果実のように僕の唇のすぐそばまで運ばれる。
「お、お嬢様、それは演出の範疇を越えて……というか、僕が差し上げる側では……」
「執事なら、お嬢様の施しを拒まないはずよ? それとも……今すぐ他の皆様を呼んで差し上げましょうか?」
耳元で囁かれた吐息に、背筋がゾクりと震えた。拒否権はない。
僕は覚悟を決め、観念して口を開けた。甘酸っぱい香りが鼻腔を抜ける。
イチゴの先端だけを齧り取ろうとした瞬間、彼女の手がグイと踏み込んできた。
「んっ……!?」
彼女の指先が、僕の唇を割り、直接舌の上にイチゴを押し込む。慌てて閉じようとした唇が、イチゴを抑える彼女の指先を、深く挟んでしまった。
「ふふ……いいわよ、そのまま」
指を抜こうとしない。むしろ、指先で僕の舌を愛撫するようにゆっくりと動かされる。
イチゴの果汁が溢れ、甘い刺激と彼女の指の感触が混ざり合う。
その瞬間、頭の中で何かがぷつりと切れた。
甘い香りと体温が混ざり合い、思考が溶けていく。
拒まなければいけないはずなのに、身体はまるで“もっと”を求めるように固まって動かない。
(……やばい。これ、本当にやばい)
理性が、イチゴの果汁みたいに喉の奥へ流れ落ちていった。
店内の喧騒が遠のき、彼女の香水の匂いと、指の感触だけが世界を支配していた。
やがて、ゆっくりとその指が唇から離れ、離れがたいと言わんばかりに銀糸が伸びる。
「あ、あわわわ……! ずるいです、ちょこ先輩! 独り占めは禁止でござる!!」
引き伸ばされた銀糸がプツッと途切れたのを見て我に返ったのか、それとも我慢の限界だったのか。
風真さんが、立ち上がらんばかりに身を乗り出した。
「私、私も忠誠を見せてほしいのですわ! ……そ、その、頭を撫でてほしい……いや、撫でてくだされ!」
「風真……お嬢様……」
僕は癒月さんの指から解放され、荒い息を整えながら立ち上がる。
背筋をピンと伸ばして座り直した風真さん。彼女の瞳は潤み、頬は紅潮し、小刻みに震えている。僕はそっと、白い手袋をはめた手を彼女の頭に乗せた。
サラリとした、手入れの行き届いた髪の感触。
僕の手が触れた瞬間、風真さんは「ひゃんっ」と小さな声を上げ、そのまま蕩けるように目を細めた。
「……あ、あったかい……。トウマ先輩の手、大きくて……すごく安心するでござる……」
彼女は僕の手のひらに、自分から頭を擦り寄せてくる。まるで主人に甘える子犬のようなその仕草に、僕の心臓は限界を超えて跳ねる。
「もっと……もっと撫でてほしいです。私……もう、お嬢様じゃなくてもいいかも……」
「いろはちゃん、それはルール違反よ? 彼は今、私達の執事なんだから」
癒月さんが僕のネクタイを指先で絡め取り、ぐいと自分の方へ引き寄せた。
僕の顔が、癒月さんの胸元……白いブラウスがはち切れんばかりの至近距離まで強引に下げられる。
「最後は、手の甲にキスをして誓ってくれるかしら? 執事さん。……それとも、耳元や、もっと別の場所の方がいい?」
至近距離で交差する、二人の熱い視線。
一方からは大人の余裕を纏った挑発が、もう一方からは一途で純粋な熱量が。
僕は自分が「給仕」であることを忘れ、ただ二人の獲物になったような感覚に陥っていた。
「……ふぅ。終わった、のか……?」
バイト終了後。僕はスタッフ用の更衣室で、一人ベンチに崩れ落ちていた。
店内はまだ片付けの音が響いているが、この狭い空間だけは静寂に包まれている。
僕は震える手で、首元を締め付けていた立ち襟のボタンを外した。
パチン、という音と共に解放される気道。
続いて、ぴっちりとした燕尾服を脱ぎ捨てる。肩の凝りが一気に抜け、重力から解放されたような感覚に陥る。
「……死ぬかと思った……」
鏡の中には、髪をセットし直す気力もなく、魂が抜けたような顔をした学生がいた。
癒月さんの指の感触。風真さんの髪の柔らかさ。
それらが脳裏に焼き付いて離れない。
「執事の誓い」なんていうお遊びの裏で、あんなに理性を削られるとは思わなかった。
(まあ、でも……これで終わりだ。明日はいつもの地味な学生に戻れる)
僕は私服のパーカーに袖を通し、使い慣れたリュックを背負った。
燕尾服はクリーニングのためにハンガーに掛け、鏡の中の「執事」に別れを告げる。
「お疲れ様、僕」
深呼吸をして、僕は裏口の重い鉄の扉を開けた。
外はもう、薄暗い夕焼け空だ。涼しい風が、火照った頬を冷ましてくれる。
ここを抜ければ、いつもの日常が待っているはず。
……そう、扉のすぐ横で、壁に背を預けてスマホをいじっている「彼女たち」の姿を見るまでは。
「あら、お疲れ様、トウマくん。いい顔してるわね?」
「待ちかねたでござるよ、トウマ先輩!!」
僕の「賢者タイム」は、わずか三分で強制終了を迎えた。
「かっこよかったわよ、執事姿」
「本当に……その、素敵でした」
壁に背を預けていた癒月さんが、スマホの画面を突きつけてくる。
そこには、赤面して跪き、指をくわえさせられている僕の姿がバッチリ収められていた。
「これ、スバル様に見せたらどんな顔するかしらねぇ?」
「やめてください! 何でもしますから!」
僕の情けない叫びに、癒月さんは満足そうに微笑んだ。
「決まりね。じゃあ、明日、アカデミーで私たちの『専属執事』になってもらうわ」
「えっ、アカデミーでもでござるか!?」
「ええ。カバン持ちに、お昼休みのティーサービス。ね、いいでしょ? いろはちゃん」
「はい! よろしくお願いします、ちょこ先輩! ……あ、もちろんトウマ先輩も!」
夕暮れの中、楽しそうに歩き出す二人。
僕はその後ろを、重い足取りと、少しばかりの胸の高鳴りを抱えながら付き従うしかなかった。
明日訪れるはずだった平穏なアカデミー生活は、あの一杯の紅茶と共に、どこかへ消え去ってしまったらしい。
逃げ道は、もうどこにもなかった。
……なのに、胸の奥で跳ねる鼓動だけは、どうしても誤魔化せなかった。
後日、他の知り合いからも同じことしてと強請られることとなるのは余談である。