ガラル地方で最強のトレーナーといえば、誰もが彼の名前を思い浮かべる。無敵のチャンピオン。難攻不落、無敗を誇り、10年間も頂点に君臨し続ける男。リザードンを傍らに、一度たりとも敗れたことのないパーフェクトトレーナー……その名はダンデ。
その弟がジムチャレンジに参加するという噂は、ガラル中を光よりも速く駆け巡った。ガラルで最も牧歌的な町として知られているハロンタウンから、ウールーとヒバニーを伴って颯爽と現れたその少年は、名前をホップと言う……。
「……だってさ」
ユウリは机の上に広げていた雑誌を閉じた。
「何が颯爽と現れた……だか」
電車の揺れと、肩に感じるちょっとした重み。左側を向くと、やや癖のある黒い頭が目に入った。これが、ガラル全土から注目を集めている新進気鋭のホープだというのだから、呆れたものだ。きゃんきゃん喚いた挙句、疲れ果ててユウリの肩で眠りこけているこの男の子が……。
「ふふっ……」
静かに寝息を立てているホップの頬を、ユウリは人差し指でつんつん、と突っついた。普段は野生のポケモンのように騒ぎ立てているが、こうしているとまるで眠り姫だ。一瞬だけ鼻をつまんでみると、ググッ……と小さく呻くのが少し面白い。
ユウリは引っ込み思案な性格をした、ごく普通の少女である。ポケモンを持ったことはなかったし、自分がジムチャレンジに出るとは夢にも思っていなかった。憧れてすらなかったのだ。それがまさか、このお兄ちゃん風を吹かせたがるおせっかいな隣人のせいで、ポケモンと旅に出るなんてことになるとは……。
ユウリにとってホップは、同じ町に暮らす友人であるとともに、何かと世話を焼いてくれる兄貴分のような男の子だった。実の兄であるダンデが多忙を極めた生活を送っており、寂しい生活を送っていることも関係があるかもしれない。そそっかしくて放っておけないが優しいお隣さんだ。
ユウリはその、ガラル中が称賛する無敵のチャンピオンとやら……つまりホップの兄と会ったことがなかった。テレビ越しに見かけたことならあるが、非常に忙しいのでハロンタウンには年に一度か二度、戻ってくれば良い方らしい。なんなら、弟を放置する悪い兄貴だと短絡的に決めつけていたくらいだ。
実際に会ってみると、大人らしいたくましさと少年らしい屈託のなさが同居する好青年であり、毒気が抜かれてしまった。ダンデのことを話す際、たまにホップの表情に寂しさが過ぎるのを見て、金だけ出してほったらかしにしているロクデナシに違いないと思っていたのだが。
ポケモンかあ……。独り言として口に出すとホップを起こしてしまいそうなので、ユウリは内心で呟いた。ユウリがマグノリア博士から貰ったポケモンは、水タイプのポケモンであるメッソン。とても臆病で催涙作用のある涙を大量に流し、身体の色を変えることで隠れることができる。引っ込み思案を体現したかのようで、ホップと出会う前の自分みたいだと思ったのだ。
ユウリとホップは、ワイルドエリアという場所へ続く路線に乗っていた。世界中を探しても中々珍しい環境が形成されている場所で、実は結構危険なところらしい。広い上に強いポケモンがうろついており、自分より強いポケモンと遭遇してしまうと、最悪命を落としかねないとか……。ピッピ人形という、ポケモンが好むフェロモンを放っている人形があるので、勝てそうにない相手には躊躇なく投げつけろとガイドブックに書いてあった。
しかし、ユウリはあまり悲観的になってはいなかった。事前に情報を知っていたのでピッピ人形は大量に用意してあるし、手持ちのポケモン達もできる限り鍛えた。何より隣にはホップもいるのだ。まあ、何とかなるだろう。
『本日はご利用いただきありがとうございます。次は――』
電車のアナウンスが、まもなく次の駅に到着することを告げた。ユウリはアナウンスが繋がり、音声が流れだすより前に少しだけ身をずらしていた。アナウンスで起きたホップに、肩を貸していたことを悟られないようにするためだ。
「あれ……? 寝ちゃってたか?」
「少しだけね。おはよ、ホップ」
「ん……おはよう、ユウリ」
ユウリがあいさつをすると、少し照れているか、気恥ずかしさを感じているかのような様子で、ホップもあいさつを返してきた。
「ワイルドエリアは次の駅だよ」
「うー……恥ずかしいぞ。あれだけ気合を入れて電車に乗ったのに」
ホップは顔を紅潮させて、少し癖のある髪の毛をガシガシと爪で掻いた。
「はい、ホップ。おいしいみずだよ」
ユウリはカバンからペットボトル飲料を取り出して、ホップに渡した。
「ワイルドエリアに入ったら離れないようにしようね。私もちょっと怖いし」
「もちろんだぞ! ユウリのことは俺がしっかり守るからな!」
これなのだ。ユウリは内心でほくそ笑んだ。ホップは面倒見が良くて、いつも私のことを助けてくれる。ジムチャレンジに出てから急に関心を持ち出した世間と違って、私は昔からホップの良いところを知っている。ふふん! どうだ、羨ましいか。ユウリはガラル中に爆誕した『にわかホップファン』に優越感を覚えていた。
やがて電車がワイルドエリアに到着し、二人は駅に降りた。まばらだが他に降りる乗客もいる。二人は足早に改札を出ると、備え付けのベンチに座ってワイルドエリア攻略に必要な道具のチェックを始めた。
「ピッピ人形はあるな……ポケモンセンターでウールー達も元気になったし……うん、バッチリだぞ!」
「これで、危険なポケモンに襲われても大丈夫だね」
「俺の伝説の一ページは、このワイルドエリアから! 行くぞ! ユウリ!」
ホップがやる気に燃え盛っている中、ユウリは冷静に視線を走らせていた。ホップがワイルドエリアと言うのを聞いて、ユウリ達の元へ方向転換した人影に気付いたのだ。
二人いる。少女だ。一人は金色の髪の毛を後ろで括り、動きやすそうな服装……ストール付きのカットソーにデニムのショートパンツとタイツ、スニーカーといった格好で、大人っぽい印象だ。もう一人は、栗色の髪をツインテールのような形にまとめて、レースのワンピースを着用していた。栗色の髪の少女は幼さの残る可愛らしいタイプで、金髪の少女は大人ぽくあるがその中に少女らしさのある、という感じだった。
「あなたたち、ワイルドエリアに行くの?」
少女のうちの一人が声を掛けてきた。ユウリはさりげなくホップとの距離を詰め、左腕に寄り添いながら「そうですけど……」と言った。
「私はエリ。ポケモントレーナーよ。こっちは……」
「私はサナって言います。よろしくね♡」
「俺はホップ! それと、幼馴染の……」
「ユウリです。ホップとは長年の親友です」
ホップが名乗るのを聞いて、トレーナーを名乗った少女エリが微かに反応したのを、ユウリは見ていた。
「もしかして、ガラルチャンピオン・ダンデの……」
「弟だぞ! 今からワイルドエリアを通って、ジムチャレンジの旅に出るんだ!」
「サナ達はね、ワイルドエリアに建てた家に行くの! 実はカロスから来ててね、しばらくそこで暮らすんだ~」
ああ、やっぱりチャンピオンの弟という誘蛾灯に惹かれて出てきたか……とユウリは思い、一瞬後、サナが言った言葉の内容に気付いてギョッとした。
「ワイルドエリア…………に、えっと………………住むんですか?」
「そうだよ。だって、私のことはエリが守ってくれるもん♡」
「そうね。自宅を出てすぐ、強いポケモンに出会えるのは嬉しいし」
こいつらやべえ……。ホップはのほほんと話を聞いているが、ユウリはドン引きしていた。
ワイルドエリアの恐ろしさは、事前に情報収集する中で十分に理解している。ピッピ人形が必須アイテムとして啓発されるほどの危険地帯だし、毎年死人も出ている。そこに住もうなんてイカれてるんじゃないだろうか。そもそも法律で規制とかされてなかったっけ……。
ホップに女が二人近寄ってくる事態に警戒していたユウリは、全く別の方向から与えられた衝撃にびっくらポケだった。
「じゃあ、途中まで俺達と一緒に行かないか? 俺とユウリはエンジンシティに行くんだ!」
「うん! 新しい地方で、さっそく友達が出来て嬉しい!」
「サナが暮らしていたカロスってどんなところなんだ?」
「カロス地方はね……」
「ふむふむ……」
「それで、ミアレシティにすっごく美味しいカフェがあって……」
「おお、羨ましいぞ!」
「リビエールラインって道路から見える川と森が奇麗でね……」
「いいなー! 俺も他の地方に旅行したくなってくるぞ!」
どうやら、ホップはサナという少女となかなか気が合うようだ。随分と話が弾んでいる。ユウリはそれを尻目に、もう一人の少女、エリに向き直った。
「ワイルドエリアをどう進む予定でしたか?」
「エンジンシティ近くの岩壁をくりぬいて、そこに家を作ったの。だからワイルドエリアを抜けるところまでご一緒することになるわ」
「なるほど」
「私も、あなた達と同じくジムチャレンジに挑戦するわ。どこかで戦うことになるかもね」
ユウリは腰に付けてあるモンスターボールを指で撫でた。彼女が連れているポケモンは三匹。一番初めに入手したポケモン、メッソン。ここまでの道のりで入手した、ジグザグマとカムカメ。
初めてのポケモンバトルの時、それなりにキャリアを積んでいて才能豊かであろうホップに、ユウリは快勝することができた。そこから幾度かのバトル経験を経て、自分にはある程度の才覚があることは把握している。しかし、ワイルドエリアに住もうなどという酔狂な相手に勝てると思いあがってはいなかった。少なくとも、現時点では。
「サナ。そろそろ行きましょう」
カロスとガラル、それぞれの特産品や名所で盛り上がっているホップとサナに、エリが声を掛けた。
「はーい。じゃあホップ君、行こっか!」
次の瞬間、サナがホップの手を握ったのを見て、ユウリは頭に血が上るのを感じた。何とか顔に出すのは我慢できたが、その代償に、お面みたいな無表情になってしまっていることを、ユウリは自覚していた。
「ホップ、私から離れないでね……」 ユウリはホップの、もう片方の手の袖を掴んで言った。「レパルダスみたいな悪タイプに荷物をドロボウされると怖いから」
「お……おう……。分かったぞ……? ユウリ」
ユウリから醸し出される気迫にホップはたじろぎ、サナは少し怯えて一歩退いた。ユウリは逆側のホップの手がフリーになったことに気付くと、若干和らいだ雰囲気になった。
「私の周りの女はこんなのばっかりね……」
エリが小声で呟いた言葉はユウリの耳までは届かず、ワイルドエリアの空に消えて行った。
ホプソニ要素はありません。ソニホプは分からん…