漫画の世界に神様転生したロリっ子が、悲劇ばかりで曇るお話 作:神の手下
玄関を開け、目に飛び込んできたのは私の母親。けれど、倒れてしまっている。
安らかに目を閉じ、両手を胸の前で組み。
――まるで
明らかに普通ではない。慌てて駆け寄って、抱き起こそうとする。
だけど触れた瞬間に感じた。分かった。理解してしまった。
どうしても、
恐る恐る母の首元に手を伸ばす。当てた手には、虚しくも体温が伝わってくることはない。暖かくな脈動もなく、この場は静寂のみが支配していた。
母の身体を弄って、外傷がないかを探る。見た限りでは争った形跡もない。五体満足で、血も流れてはいなかった。一目見ただけでは病気の類を疑うしかない。
だが、それは違ったんだ。
唯一、欠落している部位があった。
ただ一つ。思い当たる場所があったから、私にはそれがわかる。
それは左目。深淵を覗き込んでいるかのような空洞が、その眼が存在したはずの空間に広がっていた。
無論、私がきたときには既に母の目は閉じられていた。だからこそ、見ただけでは分からなかった。
安らかに眠る母の瞼をこじ開けるという愚行をしでかしたのは理由があった。私の記憶の中のことだ。私の好きだった漫画に関係する。
作中、こんな系統の魔術が登場する。
――
文字どうり、目に宿った魔術である。
見え方が変わるもの。焦点を合わせた場所に変化を起こすもの。目を合わせてその相手に対して効果を及ぼすもの。
その三タイプがこの
そしてただ一人、忘れられない
彼の使う
このタイプは三つの中で最も使いづらいものだろう。対策として目を合わせなければいい。他と比べれば対処も簡単だ。
ならなぜ、そんな魔術師が印象に残るのか。理由は簡単、その魔術が強力すぎた。
――彼の使う魔術は『強奪』。
目を合わせた者が
この魔術を使われた者は例外なく死んでしまう。作中では、魔術は魂に宿ると言われて、そのせいじゃないか、と推察された。
そして、奪われた証拠として左目が失われる。これは演出上の都合だった気もしなくないけれど。
ゆえに左目のない死体は、この男のせいとなる。おかげで誰がこんなことをしたのかがよくわかる。
複雑な気分だった。あの男のことは、嫌いではなかった。いろいろあって、主人公にぶちのめされた後、最後の敵となった相手に挑んであっさり死んでいった覚えがある。
あぁその時は、「悪いが、お前にこれ以上好き勝手にさせるわけにはいかない」と言っていた。
この男は台詞の最初に、悪いが、と前置くことが多かった。
その特攻のおかげもあって、その最後の敵に制約が付いたりもしたから、物語の功労者とも言える存在だ。
どうしてこんなことになってしまったのか。運が悪かったと思うしかないのだろうか。
――いいや、私が悪かった。
母親が
ヒントなら今まで過ごしてきた中にもあった。なにも考えずに過ごして私は……。
そもそも……今の自分に満足して、私は才能を鍛えることをしてこなかった。鍛えなくたってそれなりに強い、普通に生きるならそんな必要なんてないだろうと。
だけどそれは、ただの思い込みだった。大切な人が死んでしまった。
あの転生させるとのたまったふざけた男の言う通り、この世界を滅ぼせるくらいの力を持てるとしたら、それを鍛えなかった私の怠慢だ。
少なくとも、私の大切な人くらいは救えるまで、鍛えておくべきだっただろう。
後悔がやまない。そっと母親を地面に置き、玄関から飛び出す。
私の脚力があれば、さっきすれ違った男の背中に追いつくことができるはずだ。
――全力を尽くし走る。
――頭を空にして走る。
――全神経を、集中させ走る。
おそらくだが、あの男は街に向かっていた。
男の背中が私の目に映った。その瞬間から、限界を超えたことがわかる。
全力で地面を踏み込み、跳び、男に向けて足を振り抜く。蹴りだ。
こちらを振り向かずに男はしゃがみ込むことで私の蹴りを躱してみせる。
「急に、なんだ……?」
男はなんでもないかのように、私へと問いかけた。
表情は、少し驚いているようにも見えた。
「なんだじゃない! 私のお母さんを殺しておいて……!!」
精一杯に私はこいつを睨みつける。
そう、こいつこそが
フリュウル・ザリァール。
読みにくい文字の人と心の中で呼んでいたりしたのは昔の話だ。
「ああ、そうか……」
銀色の眼が光った。なにかその視線には、私への憐憫と同情。またそして、誰かへの憤怒が混じっていることが感じられる。伝わってくる。
――駄目だ。
こいつの眼を見てはいけない。
どんな厄介な魔術を持っているかわからないんだ。今の一瞬でもなにか掛けられたかもしれない。
「悪いが、そうだ。彼女を殺したのは俺だ……。それならどうする? ……何もできないだろう?」
悪いが、悪いがって、悪いって思ってるんならそんなことをしないでほしい。
こいつは何も悪くない。私は知っている。偽悪的に振舞っているだけ。
ただの小心者で、何をしたって、自分を正しいとは思えないただの臆病者だ。
ただ単にこの男は命令が出たから動いている。
それにきっと、状況から見て……私の母はそれに納得して命を差し出したはずだ。
勝手に死んで……! 私の面倒は誰がみるんだ。
ああ、苛立ちがこみ上げてくる。
それとも私の面倒を見る人はもう、決まっている? この終わりを予見していたのなら、もしかしたら手回しをしているのかもしれない。
そうだとしても――
――私はお母さんがよかったのに……。
怒りが溢れる。それ以上の幸せはなかったことが、どうしてわからないのだろう。
私の母は、いつも眠ったあと、私に謝っていた。この結末を予想できていたなら、その代わりに一緒に逃げる生活でもよかった。私はそれがよかった……。
――私の気持ちを、未来
やり場のない怒りを目の前の男にぶつける。
地面を蹴って、跳んで、蹴りを放つ。
悪いって心から思うなら、このくらい付き合ってくれるはずだ!
武術の心得とか、そういうのはなってなくて、稚拙な蹴りだったかも知れない。
しかし当たった。こいつは腕で身体を守り、防ぐ。完全に受け止められた。
「気は晴れたか?」
「そんなわけない……っ!!」
こいつの余裕な問いかけには、やり場のない怒りをぶつける。攻撃をぶつける。
たとえ蹴ろうと殴ろうと、所詮は大人と子供の差で。体格が違う。経験が違う。簡単に全てを受け止められ、決定的なダメージは与えられない。
「なんで……、なんで私ばっかり……。私ばっかりこんなに……こんなに……」
言葉と共に、私の手足の動きも弱くなってくる。
堪えられない悲泣に、叫号。肺から空気を追い出して、私の力を弱くしていく。
「…………」
目の前の男は黙っていた。なにも喋らず、淡々と、私の攻撃を捌いている。一つ残らず、丁寧に。
悔しい。本当に悔しい。
なんでこんなやつに……。なんでこんなことに……。
疲れから、私は足を
敵の目の前だというのに、交戦中だというのに、無様にも前にのめって倒れてしまう。転んでしまう。
「気は、晴れたか?」
二度目にかけられた問いかけ。私はそれに、答える気力を持ってはいない。
代わりに全てを振り絞って、地面に両手をつく。立ち上がることだけに精一杯の力を込める。
力が抜け、今にも倒れそうだった。残っているのは意地だけで、耐えて、耐えて、持ち堪えた。立ち上がった。
濡れた地面を踏みしめる。踏み消していく。
私は泣いてなんかないッ……。
今日練習した。全力で緩急の差をつけ、横にステップを踏む。
私のその行動にも、男はおもむろに反応し、動揺もなく、目で追いかけてくる。
これが私の持てる全速力だ。足りない。動きを誤魔化すには、なにもかもが足りないだろう。だから、そこで私は魔術を使った。
――
その瞬間、勢いが死ぬ。影になれば、慣性が消える。わかっていたことだった。
私は影になったまま動けない。選択肢はない。こうすることしか私にはできなかった。
僅かにでも動こうとするのなら、動いたならば、即座に魔力が消費され切り、刹那の間だけで、私の魔術は完全に解除される。だけど今はそれでいい。
現れた私はもう一度、地面を蹴る。
男の顔は困惑だった。男は私を見失っていた。しかし、それもしかたがない。
速度がなくなり、影に変わる。幸いにして、今は日暮れ。光と影の入り混じる境界線。これで急に影に変わり、速度のなくなってしまった対象を見失わない方がおかしい。目で追う以上、それは難しいことだろう。
「
こいつの鳩尾めがけて拳をふるう。
もう男はトリックに気がついたようだった。しかし間に合わない。その無防備な体勢に一
その一撃にこいつは吹き飛んだりしない。倒れることだってない。よろめきさえしなかった。これでは……威力が足りないから。
反作用も働かず、距離は開かない。
私はそのままよろめいた。体力も、気力も、魔力でさえ使い果たし、私にはもう何も残っていない。
そう、なにも――。
いっそのこと、死んでしまいたい。
現在の年齢を、前世の享年が上回ってこそいれど、自由に動けた分だけ、こちらの方が幸せだった。
もういい、十分だ。
臨死体験でもなんでもして、あの変な男に文句言ってやる。なんで母が死ななきゃいけなかったのか。私はどうしてこんなところ
違う。それだけは違う。
否定しちゃ駄目だ。大切な人を否定したら……きっと。
生きるしかない。それがきっと、私の母が望んだことだ。私は生きることでしか母に報いることはできない。
世界一の母ならば、きっと、
足に力が入らない。膝が挫かれ、心も挫かれ。
よろめいて、倒れるまでの瞬刻に、ぐるぐると考えが回った。
どう考えても全てが悪い方へ、悪い方へと進んでいく。
それなのに――後はもう、倒れるだけで、私にはなにもな
「気は晴れたな?」
声がした。
さっきと同じく問いかけだった。だけどその内容は違う。
私の気持ちを……っ、勝手に決めつけるんじゃないっ!
意識を徐々に失っていく。ゆっくりと、底なし沼に沈み込んでゆくように。
もう休もう。休んだら、嫌なことだって……。
ああ、いやだ。なにもかもが。
私を抱き留めている男がいやだった。自分で殺しておきながらも、彼女を弔う気持ちを持っていた。
だからこそ、私の母の目が閉じられていたんだ。
なんで殺されなきゃ駄目だったんだろうなあ。
いつか私が、解き明かさなきゃだなあ……――。
***
男はまだ幼い彼女を地面に横たわらせ、戸惑う。
男の名は、フリュール・ザリャール。扱いづらい
そんな彼であるのだが、目の前の状況に対応する術を持ち得てはいなかった。
手配されていた女性は殺した。彼女は世界情勢に影響を及ぼす懸念があったから、だからこそ、殺さなければならなかった。
その女性がフリュールに匹敵すれほど強ければ、対応も少し違っただろう。払われる犠牲が目算された結果、殺すことが手っ取り早い。そう判断されたからだ。
今までにないほどに後味が悪い。仕事を終えて、そう感じ入っていた。
まさか子どもがいたとは思わない。事前の話にそれはなかった。調べが足りなかったのだろうか。
どうしたらいいのかと自問する。まさかこのまま自分が育てるわけにはいくわけがない。近くの街の孤児院にでも預けることが妥当だろう。
フリュールは少女を抱きかかえる。
幼い体は質量を持っていないかのように軽く、彼の筋力をもってすれば容易に持ち上がるほど。
街に着くまでの体力も心配いらないか。そう安堵して、一歩を踏み出したそのときだった。
「感心しないなリルリル。幼いうちから
唐突に聞こえた声に足を止める。
そして溜め息を一つ。それは余りにも見当外れな推測に、驚き呆れる。
「だけどね、リルリル。同じ女の子として、認めるわけにはいかない、その子を救わなきゃいけないんだぜ?」
本当にこの人は……。見てくれもいい、思いやりもあるのだが、思い込んだら一直線で、残念な性格には違いない。
もし両手が空いていたら、今にも頭を抱えていただろう。
経験則から、そのふざけた推測を前提として、話が進められていくことがわかる。
「リルリル、さあ、かかってきな。あ、その子は置いてね。私が相手をしてあげるよ」
妙にやる気を出した彼女。フリュールは、言われた通りに、そっとその子を地面に下ろすと、女性の方へ向き直る。
そこから一睨み。
発動した魔術は『焼却』。焦点を彼女に合わせ、発火するように念じる。
「はは、私に魔術は効かないよ? 知ってるでしょ?」
その通り、発動をさせたはずの魔術は不発で、フリュールには魔力を消費した負担だけがかかっていく。
これ以上が無駄だと悟り、目を閉じ、彼は振り返った。
「悪いが、相手をしている暇はない。じゃあ、後は好きにするんだ」
「えっ、ちょっと! これから私がカッコよくリルリルを撃退するんじゃ――」
聞こえた声に無視を決め込む。聞こえなくなるくらいには既に離れた。
こんなやつだが、思いやりのあるやつで、きっと悪いようにはしないだろう。
しかし、どうだ。このままではあの子に、自分の謂れのない悪評まで教え込まれそうではないだろうか。
だったらそれでいい。
いつか、あの子が自分の前に立ち塞がってくる。なんとなく、そう思う。
そのときはきっと、これまでの行いを清算するときになるのだろう。
周りには誰もいない。
「悪いな……」
彼は呟いた。どこともつかない虚空に。
沈む夕日。見えた一番星は、どうしてか明るく眩しく、目をそらしたくなる。何も知らずに幸せだった幼少を思い出すような、そんな感慨が彼には焼き付けられた。