ポーランド西部に集結した《レグニツァ十字軍》は、モンゴル軍を侮っていた。
彼らには数的有利があり、神のご加護があった。
見よ、噂に聞く恐怖のモンゴルウマ娘とやらを。
大軍勢を目の前にして、地面に寝転がり、草花を食みながらウトウトしている。
あんなに可愛い連中が、ルーシを
きっと誇張された流言に過ぎぬのではないか──とある諸侯が半笑いで呟くと、周囲の同輩も頷いた。
直前交渉が決裂したとの報告が流れて一刻程。ヨーロッパ人は、モンゴルウマ娘の牧歌的な姿を眺めて、微妙な空気になりつつあった。
バチカンにおわす猊下が仰るのには、東方から《地獄の軍勢》が迫って来ており、遍く世界を焼き尽くすつもりなのだと。
些かならず、大袈裟なのではないだろうか。ポーランド王の檄文に奮い立ち、世界を救うべく駆け付けたものの、全く拍子抜けである。
それにつけても──欧州諸侯(貴族の嗜みとして、ウマ娘トレーナーを兼ねる)は、敵を睨め付けると言うよりも、品評する様な目付きでモンゴルウマ娘を眺めた。
小柄で童顔の彼女らは、ヨーロッパウマ娘とは全く趣きが異なる。駆士道に生きる品行方正の臣下とは違い、野を走り回る彼女らの、何と天真爛漫な事か。
一人一人が柔らかな笑顔で満ちており、毛並みは艶やか、日焼けした肌は健康そのもの。恐らく日頃、相当可愛がられているに違いない──モンゴルの凄腕トレーナー集団の面目躍如であった。
諸侯らは、お互い目を合わせないようにほくそ笑む。
どさくさ紛れで、一人くらい、持ち帰ってもバレないか──レグニツァ十字軍の宗教的情熱が、卑しい算段に代わった頃、戦場に変化が訪れた。
史書は言う。
《
モンゴル軍本陣、スブタイ将軍の発する轟きは、両軍の間隙も越して響いた。
直後に異変は始まった。
昼下がりのお日様を浴びて
「戦だって」
「やるよ」
「やるよやるよ」
「私たちはやるよ」
弾かれた様に一斉に立ち上がると、思い思いに散らばっていたモンゴルウマ娘たちは、
整然とした鶴翼陣形──僅か一分余りの整列だった。
十字軍の驚愕もつかの間、モンゴルウマ娘たちは太鼓に合わせ、足を踏み鳴らし、掛け声した。
『オゥ、オゥ、オゥ、オゥ──』
それは万の地響きとなって、レグニツァ平原全体を揺らした。太鼓の音が早くなると、合わせて掛け声も早くなった。
『オオオオオォォゥゥ──』
更に太鼓の音が早くなると、モンゴルウマ娘の踏み込みもより早く、激しさを増した。
それが最高速に達した瞬間、最後に一等大きく太鼓が叩かれた。
『ハィヤッ!!』
その最後の踏み込みが、十字軍の芯を揺らした。
その掛け声が、無形の雷霆となって全身を打った。
その鬼迫が、
今やモンゴル軍の一兵に至るまで弓を構え、同正面をぎらぎらと睨め付けて、太鼓一つで即座に矢を放つ事が可能なのは明白であった。
あれがまさか、先刻の自由奔放なウマ娘と同じ生物なのか──十字軍諸侯の血の気は失せて、彼らの頼む重駆士の後ろに縮こまった。
にわかに、モンゴル精鋭集団の中央に道が開いた。その真ん中を歩み寄ってくる影がある。
十字軍の前に、一人のウマ娘が姿を見せた。闇夜をそのまま切り取った様な、黒よりもなお黒い、青毛のウマ娘である。
相対する彼らには、そのモンゴルウマ娘が何者なのか、名乗らずとも分かった。
静まり返った戦場に、ウマ娘朝モンゴル帝国皇帝──チンギス・ハーンの言葉が響く。
「私は慈悲を示したぞ。跳ね除けたのは、貴殿らである。あまつさえ、私の半身を殺そうとした。断じて許される所業にあらず」
有無を言わせぬ声色であった。
震え上がった十字軍を目の当たりにした大ハーンの脳裏に、専属トレーナーの懇願する顔がちらりと浮かんだ。振り払う様に尾を振ったが、掻き消えるものではなかった。
仕方が無いので、一つ息をおいてから、言う。
「……いや、今からでも遅くはない。速やかに道を開き、兵糧を置いて行くが良い。本心から、それ以上を望まぬ。如何に」
欧州一大の諸侯らは言葉も無い。
チンギスが、敵陣の端から端までを見渡した時、朗々と響く声がある。
「笑止や、蛮族の王!」
十字軍最正面に横列した、重駆兵からの声である。
金色の髪が陽光にきらめき、それ以上の光を宿した空色の瞳で以て、駆士団長は返答した。
「態々出てきて何を言うかと思えば、先の交渉の焼き直しとはな。とんだ肩透かしよ」
「堂々とした奴め。名乗るがいい」
「神聖ローマ皇帝陛下の臣下にして、レグニツァ十字軍駆士団長、ローラン」
「ほう、
「その悪魔も泣き出す所業、遥々欧州にも伝え聞く。口に上らぬ日は無い程だ」
「私、そんなに酷い事してないぞ」
「おのれー、まだ言うのか! 村の皆も怖がっているんだぞ、ならば私は守らねばならぬ。騙されるとでも思ったか」
「嘘を吐いた覚えも無いぞ」
「もはや問答無用。当方に迎撃の準備あり、神がそれを望まれる」
「さすれば血を欲す神を愛し、平和を愛さぬのか。不可思議な事だ。解せぬな」
「怖気付いたか、臆病者め」
「臆病者とは誰の事だ」
「お前以外に聞こえたか」
「私が?」
チンギスはぽかんとして、続いて哄笑した。
「まさか、まさか。罵られること幾度なれども、臆病者と言われたのは初めてだ。これは可笑しい……うん、確かに往生際の悪い事であった。非礼を詫びるぞ、ごめん!」
大ハーンが頭を下げると、主君のみに謝らせるのは忍びないと思ったのであろうか、周囲のモンゴルウマ娘たちも反省を口にした。
「ごめんなさーい」
「ごめーん」
「ごめんねー」
口々の謝罪を受けて、ローランも言う。
「分かれば良し!」
駆士は胸を張った。
両者のやり取りを見て、両軍のウマ娘は「ほう」と感嘆のため息をついた──
読者の皆様におかれては、このやり取りが奇妙に思えるかもしれない。
だが、複数の一次資料に上記の会話が克明に残されているのである。
この会話について、ウマ娘朝モンゴル帝国研究の第一人者、世界的権威にして自らもウマ娘という女博士は、
「えらい。」
と断言している。
更に、後世様々なウマ娘文学者が、この説話を稀なる美談と絶賛しており、現代のウマ娘も同様に認識している。
なので、人間である筆者からこれ以上を語る事は何も無い。
因みに、この会話を聞いていた神聖ローマ皇帝とチンギスのトレーナーは、揃って顔を赤くした──というのは俗説の域を出ない。
ともかく、チンギス・ハーンは最後に差し伸べた手を跳ね除けられた事で、方針を確定した。
「ならば私はこの様に言う他あるまい。敵に相対しては、万に一つの例外無く、私はこうしてきたのだから……高原の《走弓兵》よ!」
『オウッ!』
モンゴルの戦士たちは高らかに返答した。
「とこしえの
『御意!』
チンギスは剣を抜いた。
刀身を高々掲げ、ゆっくりと下ろし、真っ直ぐ眼前でぴたりと止めた。
「放て」
太鼓が鳴った。
動作に寸分の狂いなく、モンゴル《走弓兵》は一斉に弓矢を放つ。
ヨーロッパ人が
驚愕の悲鳴が上がった。
彼らは、ただ知らなかった。
剛力のモンゴルウマ娘が引く《
あらゆる軍勢を粉砕した、スブタイ将軍率いる《走弓兵》の剽悍無比を。
今やユーラシアの半分を席巻した《ウマ娘朝モンゴル帝国》の敵に対する無慈悲を。
レグニツァ平原の、うららかな昼下がり。
嚆矢は放たれた。
無知が産んだ、史上最大の悲劇が始まる。