蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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ワールシュタットの戦いの決着について

「うおおおスブタイ今日こそは勝ってみせるぞおおおあああスブタイ強いよおおお」

 

 飛び掛ってきた大ハーンを、駁毛将軍が軽く地面にのして(・・・)しまうと、歓声が上がる。

 

「また我が君の負け」

「天晴れ」

巨人(アヴァラガ)ッ」

 

 渡河後、あんまり敵の足が遅いため、むずむず(・・・・)し出したモンゴルウマ娘であったが《四駿四狗》のボオルチュがいきなり隣の部下を投げ飛ばしたのを発端に、軍団では総出の相撲(ブフ)が始まっていた。

 

 相変わらずの芦毛将軍、ボオルチュの奇行を面倒に思ったスブタイであったが、実は悪くないのではと思い直していた。

 作戦の肝は、十字軍に渡河を強いる所にある。確かに、ただじっと待っているだけでは疑われる可能性があろう。

 仮に『仲間割れしている』と思わせられるのならば悪くない、どころか全く良手ではなかろうか──ボオルチュが、それを狙ったのか、という問題は置いておくにしてもだ。

 

 スブタイは鷹の様な目で、川岸を睨み付けた。目論見通り、欧州勢のほとんどは渡河を完了している。

 大ハーンが「もいっかい、もいっかい」と耳を跳ねさせているのを突っぱねると、スブタイは陣太鼓を叩いた。

 取っ組み合っていたモンゴルウマ娘は、耳をぴくりとさせて、即座に軍事行動に移った。

 

 

 ◆

 

 

 大混乱の蛮族が急に息を吹き返した。

 レグニツァ十字軍には、その様に思われた。

「最後の抵抗だろう」という楽観が「謀られた」という絶望に置換されるのには、然程の呼吸を要さなかった。

 

 風の如き走弓兵が突撃してきて、掛け声と共に飛び跳ね射撃し、接敵する直前で引き返す──先とまるで同じ光景が再現された。

 異なるのは、布陣が逆転した事。自ら退路を断った(・・・・・・・・)という取り返しのつかない後悔であった。

 

 頼みのウマ娘駆士も、もう居ない。目の前が真っ暗になる有様であった。

 死の豪雨を命で受けながら、何も出来ないヨーロッパ人は僅かに期待していた。

 走弓兵の弾切れ(・・・)を、である。

 

 しかし、彼らの期待にモンゴル軍は全く応えなかった。

 渡河した先に、予め補給基地を設営していた(・・・・・・・・・・・・・)のである。展開を見越していたのだから、当然であった。

 矢玉を射ち尽くした走弓兵は、速やかに補給基地に引き返して補充を行い、ついでに水を飲んで、再び戦場に駆け戻った。

 実質弾数無限である。

 

 対して十字軍は、唯一の対抗手段であったクロスボウも、射ち尽くしてしまえばそれまでであった。

 暗い絶望の帳が、一様に十字軍を覆った。あれ程の熱狂も信仰も、走弓兵の大嵐を前にしては、遥か彼方まで吹き飛ばされて、世界の果ての滝から流れ落ちた。

 

 初めが誰だったのかは分からない。

 欧州諸侯は、雪崩を打って敗走を開始した。

 地獄の軍団から逃れる様に、悲鳴を上げて、我先にと川へ飛び込んだ。

 走弓兵は、そこへ容赦無く強弓を射ち込む。欧州に名だたる諸侯は、背中に不名誉の矢傷を受けて、川を真紅に染めるばかりであった。

 

 もはや、モンゴルの走弓兵は駆ける事すらせず、川岸に直立して複合弓を引くのみであった。真っ赤に流れる川を、不快そうに眺めたと言われている。

 

『戦にしては楽に過ぎ、狩りにしては実入りが無さ過ぎた』

 

 この時の様子を、走弓兵の一人が残している。

 モンゴルウマ娘は、敵を殺戮する事を感情的に嫌がっていた。だが、この場で攻撃を緩める事が、決して情け(・・)にはなり得ないと、合理的に熟知していた。

 モンゴルウマ娘に《妥協》の二文字は無いのである。

 その気性こそが、彼女らに内在する牧歌性と苛烈性を、矛盾なく両立させる支柱であった。

 

 今や巨大な血流と化したレグニツァ平原の河川であったが、それでも渡り切る諸侯が少数居た。

 有効に狙いを定められる射程を逃れた敵を、モンゴル走弓兵は追わなかった。

 それを後ろ目に眺めた十字軍の死に損ないは、神の名を思い出したか、号泣しながらその恵みに感謝した。

 

 ほうほうの体で離脱する敵を眺める、後の恐怖の代名詞、スブタイ将軍は、些か焦れた様に足を踏み鳴らした。

 

「遅い、何か起こったか。ジェベらしくもない(・・・・・・・・・)

 

 そのぼやきを聞いた側近のウマ娘が悲しそうな顔をしたのに気が付いて、スブタイは、はっとして訂正した。

 

「すまぬ、忘れてくれ」

 

 それきり将軍は、耳を畳んで黙って戦場を眺めた。

 愛用のバ頭琴に張られる、美しい栗色の弦を思い出していた。戦が一段落したら、手入れをしておこうか──

 

 

 ◆

 

 

 何故か追撃を掛けてこない地獄の軍団を、奇妙に思う事すら出来ない十字軍残党は、足を引きずりながら逃げている。

 初め四万を下らなかった神の軍は、今や千に満たない数まで減らされ、しかもほとんどが負傷していた。

 

 何故こんな事になったのか、彼らには分からなかった。否、戦が始まってから此方、何もかも分からなかった。

 ただ、彼らはモンゴルウマ娘の事を知らなさ過ぎた。

 

 後世の人々は言う。

 道を開ける(・・・・・)だけで平和裏に済む事を、何故そうしなかったのか。中世人は愚かだ──だが、彼らは実際、この時代に生活していた事を忘れてはならない。

 彼らには先祖代々の土地があって、愛する家族があった。心から信じるものがあり、譲れないものがあった。

 そこに東方から正体不明の、風説に拠れば凶悪な軍勢が唐突に現れたのだ。

 後世人がもし同じ立場に置かれた時、果たして『賢い』選択が出来ただろうか?

 これ以上を筆者からは何も言うまい。彼らが本当に愚かであったのかは、個人の判断に委ねる事にしよう。

 

 

 ともかく、彼らは必死に生きようと、力の限り足を動かしていた。

 その時である、重いバ蹄の音が鳴り響いた。背後からではない、正面から(・・・・)である。

 

 スブタイの軍略は辛辣を極めた。

 先んじて回り込ませていた重駆兵の別働隊二千が、敗走する敵を殲滅せんと殺到してきたのである──かつて《韋駄天》のジェベ将軍が率いたモンゴル重駆兵は、特に走力とバ力のあるウマ娘を厳選されていた。

 そして、チンギス・ハーンの高原統一を助けた百戦錬磨のウマ娘が多く属する、モンゴルの人的資源の精髄であった。

 

 重駆兵は、十字軍に殺到しながらも激しく弓を射掛けると、走弓兵とは異なり一撃離脱はせず、そのまま抜剣して敵軍にぶち当たった。

 先頭を逃げていた諸侯は、全身の骨を砕きながら宙を舞う。そこに空いた隙間から、モンゴル重駆兵が雪崩込む。

 一瞬の間に、前列を逃げる人間は木の葉の様に千切れ飛んだ。

 

 そして足が止まると、いよいよ肉弾戦が始まった。戦果を決定的にするには、避けられない過程である。

 既に満身創痍の十字軍だ、そのまま難なく引き裂かれてしまう──と思いきや、意外な事に、モンゴルウマ娘は苦戦した。

《神の軍勢》最後の意地だろうか、死兵と化した人間もウマ娘も、真正面から食って掛かったのである。

 そしてやはり、西洋駆士は強かった。

 特に最前列で戦う、黄金毛の駆士の大槍が横に薙ぎ払われると、百戦錬磨のモンゴル重駆兵が同時に三人吹き飛ばされた。

 

 モンゴルウマ娘が怯んだ所に、高貴な甲冑を着込んだ、壮年の男が斬り掛かる。

 重駆兵は面食らうも、所詮は人間とウマ娘。鍔迫り合いを突き返すと、人間は勢い良く地面を転がった。

 それを見た金髪の駆士が、怒号を上げて槍を突く──

 

 しかし、余りにも多勢に無勢であった。

 死闘を繰り広げる間にも、一人、また一人、永遠なる神の抱擁を受けていった。

 千人足らずであったレグニツァ十字軍が、三桁を割った頃である。

 モンゴル軍本隊は、再度ぴょんぴょんと渡河を始め、重駆兵隊と合流しようとしていた。

 

 

 ◆

 

 

 太陽の傾いたレグニツァ平原は静まり返っていた。

 数多の死体が浮かび、真紅に染まった川を飛び越えるのは、不愉快の極みであった。

 天真爛漫のモンゴルウマ娘も、この時ばかりは誰も彼も口を噤んで喋らなかったという。

 

 スブタイは、各千人隊(ミンガン)から損害報告を受けていた。

 いずれも損害軽微、歴史的圧勝を示していた。けれども何処か鬱々とした千人隊長を、代わる代わる見るにつけ、将軍の気分は沈んでいった。

 

「大勝ではありませんか」

 

 記録係のトレーナーが、将軍を気遣う様に話しかけた。他の側近たちも「おめでとうございます」と、努めて明るく続けた。

 だがスブタイは「うん」と頷いただけで、耳は畳んだまま、尾っぽを膝に置いて無意味に撫でていた。

 

 その時、重駆兵隊から伝令が届いた。

 いよいよ敵を殲滅したか、大ハーンの命令を完遂出来たかと、将軍は思ったが、何やら伝令の様子がおかしい。

 伝令のウマ娘は困惑した様に黒目が定まらず、耳の動きが忙しなかった。

 スブタイが理由を尋ねると、恐縮して答えた。

 

「手の付けられない駆士が残っております」

「射殺せ」

 

 将軍には慈悲も容赦も無かったが、同時に、それが出来ない理由があるのだと気が付いた。

 スブタイは重い腰を上げて、伝令に付いて行った。

 

 連れて行かれたのは、最後にモンゴル重駆兵突撃が行われた周辺であった。

 死屍累々である。ぱしゃりぱしゃりと、巨大な血溜まりに大切な靴を汚さねばならなかった。

 スブタイの辟易は頂点に達しつつあったが、ふと、折り畳んだ耳を開いた。

 声がするのだ。見れば、向こうでモンゴルウマ娘の人集りが出来ており、その中から聞こえるのだった。

 

「寄るな、寄るな無礼者。この方をどなたと心得る。恐れ多くも、神聖ローマ皇帝陛下であるぞ。くそう、誰だ、誰だ──」

 

 スブタイの胸は耐え難く締め付けられた。とある両名に心当たりがあった。

 足が止まりそうになった──が、自分を奮い立たせる。「将軍」「スブタイ将軍が来て下さった」震えるモンゴルウマ娘の、何処かほっとした声を聞きながら、人集りを分け入った。

 

 人集りを抜けると、そこには、囲まれに囲まれた駆士ローランが居た。

 黄金の毛並みは血煙に汚れきり、肩に腹に、ウマ娘の命である足にも矢を受け、今も血を垂れ流している。

 それでも、ローランは全身全霊で叫ぶのである。

 

「おのれ出てこい。誰が……誰が私のトレーナーさん(・・・・・・・・・)を殺した! 許さない、絶対に許さないわ。出てこないなら、貴様ら全員を地獄に送り返してやる」

 

 ローランは、横たわる一人の死体を守るようにして立っていた。

 高貴な甲冑を身にまとった、壮年男性の死体であった。腹に矢が突き立ち、袈裟懸けに胸を斬られた、無惨な遺体であった。

 

 血の滲む様な──実際口端から血を流し、錯乱した様に槍を振り回して、ローランは雲霞のモンゴルウマ娘を睨めつけた。

 激しい涙の奥に宿る、剥き出しの気迫に、モンゴルウマ娘は怯えきり、弓の一つも引くことが出来なかった。

 

 否、怯えた(・・・)というのは正確でなかろう。

 彼女たちは知っていた。『自分のトレーナーを亡くす』という事が、どういう事であるか、皆が知っていたのである。

《ルーシの悲劇》去来するのは、あの痛ましい記憶であった。

 

「私だ」

 

 ローランの瞳が、その声の主に向いた。

 

「私が、彼を殺した」

 

 駆士には、そのもさもさした駁毛に見覚えがあった。一度きりだが、剣を交えた相手である。

 

「スブタイか」

 

 仇を目の前にしたローランは、奇妙な事に、幾らか落ち着きを取り戻した様にも見えた。

 主君が雑兵ではなく、大将軍に殺されたと思えばこそ、駆士道的な慰めがあったのかもしれない。

 

「お前が陛下を、トレーナーさんを」

「そうだ、私が立案した作戦だ。全ては目論見通りだった。何が起こるのか、初めから分かっていた」

 

 将軍は、駆士の足元の遺体を見た。

 十字軍のほとんどが、背中の傷が致命傷になったであろう中、彼には正面の傷(・・・・)しか無かった。

 最期は、甲冑ごと袈裟懸けに斬られたに違いない。即ち、人間の身にありながら、モンゴル軍の精髄に斬りかかった事を示していた。

 

「私は、大ハーンに彼を匹夫だと言った。だが取り消すぞ。神聖ローマ皇帝は、勇士であった」

「私は初めから知っていた」

「そうか、悪かったな」

「スブタイよ」

「何か」

「剣を抜け、先の続きをするぞ」

 

 スブタイは直ぐに従わなかった。

 暫し沈黙してから、やっと声を押し出す様に応じる。

 

「ローランよ、お主を斬りたくはないのだ。お主の勇猛果敢なる事、我が君も、兵士すらも皆、承知しておる。どうだ、共に駆けるつもりはないか。駆士ローランが高原の軍に加わるのであれば、これ程に心強い事は無い。如何に」

 

 周囲のモンゴルウマ娘が「おお」と感嘆を漏らした。確かにその通りだと、深く首肯する。

 主人から聖駆士(パラディン)の称号を与えられたローランは、涙を拭い、一言で応えた。

 

「お前が同じ立場であったなら、そうするのか」

 

 その一言に、一切合切が詰まっていた。

 スブタイが何も言えないのを見ると、ローランは歪に曲がった槍を捨て、腰の直剣を抜いた。

 

「お前たちは分からないかもしれないし、分かってもらうつもりもない。だがな“駆士は忠愛の為に死す”のだ。私は駆士道を全うする」

 

 にわかにモンゴルウマ娘はざわめいた。似た言葉を聞いた事があったからだ。

『勇士は駆けの為に死す』

 正に《万バ不当》のスブタイの言葉である。まさか遥か遠く西方の駆士が、相似した言葉を言うとは──

 

 スブタイは目を瞑って、天を仰いだ。

 彼女は専属トレーナーを持たぬ。故に、今のローランの気持ちも真には分からぬ。

 代わりに思い出すのは、朋友ジェベであった。

 栗毛の友人は、何時でも愛するトレーナーの為に走り、戦い──そして死んだ。

 

「お願い、トレーナーと一緒に居させて」

 

 あの最期の言葉が、スブタイには理解出来なかった。どうしてそこまで、身も心も委ねてしまったのか。《四駿四狗》の友情は何でもなかったのか。

 どうしても受け入れられなかった。今でも偶に、生きているのではないかと、錯覚する事があった。

 だが、そうか。

 お主は忠愛の為に(・・・・・)──スブタイの目が、かっと開かれた。その中には迷いの消えた光が宿る。

 レグニツァ平原には、紅い夕日が射し込んで、駆士と将軍に当たっていた。

 

「そうか、そうだったのだ。お主は、己の死す理由を知っていた。ならば私は“駆けの為に死す”のみである。チンギス・ハーンの《遠駆け》の邪魔立ては、何人たりともまかりならぬ。我が君の行く道先は、我、スブタイが尽く開いてみせよう」

 

 大将軍は抜剣した。刀身が夕日を反射する。

 聖駆士が言った。

 

「ゆくぞ」

「こい」

 

 二人は同時に斬りかかった、剣がぶつかり火花を散らす。

 互いは互いの凄まじい膂力によろめいた。

 だが、二の太刀だ。直前交渉のあの時は、チンギスの指導人に止められた、あの太刀だ。

 足に傷を受けたローランは、直ぐに体勢を立て直す事が出来ない。

 だがスブタイは、血と夕日で真っ赤になった大地を踏みしめ、二の太刀に全身全霊を込めた。

 

 その太刀が、ローランの甲冑を叩き割り、肩にくい込み、脇腹へ抜けた。

 

 それは奇しくも、神聖ローマ皇帝と同じ傷であった。一瞬遅れて、甲冑の割れ目から鮮血が吹き出し、スブタイの顔に掛かった。

 

「天晴れ、見事」

 

 好敵を称えると、ローランはぐらりとよろめき、剣を取り落とした。間もなく膝から崩れ、深紅の地面に倒れ伏す。

 倒れる直前に、彼女はどうしようもなく不安な表情を浮かべた。

 そして、這うようにして彼女のトレーナーの元に赴き、手を重ねると──安心した様に笑い、事切れた。

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