蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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ローランの歌について

 モンゴルウマ娘たちは、西方で出会った尊ぶべき敵の遺体を、せめて整えてやろうと試みた。

 血を拭うために、駆士の鎧を外そうとして、その余りの重量に驚いた。一般モンゴルウマ娘では、着て戦うどころか、走る事すら難儀という重さである。

 こんな莫大な質量が、一塊となって突撃してきていたのか──そう思い直すと、今更ながら肝を冷やしたのだった。

 

 黄金の駆士と、そのトレーナーの身体を出来る限り綺麗に整え、隣に並べ、手を繋がせてから、モンゴル軍は更なる西へ移動した。

 既に日が暮れていたため、そう長くは移動せず野営する事となる。

 

 

 その夜、チンギスは眠る事が出来なかった。大きな戦の後は、昔から変わらずこうであった。

 何か頼りない心地がして、青毛のウマ娘は天幕(オルド)を出る。澄んだ夜空に、星が美しく見えた。

 すると、兵たちも眠れぬ様子で焚き火を囲み、尾っぽをぱたぱた(・・・・)させながら、酒などをやっていた。

 チンギスが寄っていくと、高原の兵は挨拶をした。

 

「あっ、我が君」

「我が君こんばんは」

「こんばんはー」

 

 大ハーンは微笑んで「混ぜてくれるか」と言うと、モンゴルウマ娘は喜んで酒盃を満たして渡した。

 チンギスは焚き火を囲む兵たちに混じって、酒を飲み、同郷の士と語り合った。

 遠い故郷の事、これからの旅路、指導人さんたちの事──他愛も無い話である。普段であれば、そのうちに目がとろとろとしてくる頃合であったが、何故か皆、目が冴え冴えしているのだった。

 自然、話題はその日の戦の事になった。

 

「何と手応えの無い戦だったろう」

「しかし、あの駆士と指導人の立派な事よ」

「勇士なり」

「願わくば、自分もあの様に死にたいものだ」

 

 酒が進み、段々と声が大きくなってきた臣下たちの話に、皇帝はじっと耳と盃を傾けていた。

 話は段々と盛り上がりを見せ、やがてモンゴルウマ娘は一つの話題に行き着いた。

 

「大ハーンの会う中で、勇士一番とは何者なりや」

 

 熱っぽい好奇の眼差しが、一斉にチンギスに向けられた。 数多の戦、出会いと別れを経た大ハーンである。

 四駿四狗の何れか、はたまた遠駆けの最中に出会った誰それか──モンゴル皇帝は、迷わず答えた。

 

ジャムカだ(・・・・・)。後にも先にも、奴ほど私を苦しめた者は居らぬ。彼奴こそ、真の高原の勇士に相応しい」

 

 想定外の回答に、兵は静かになってしまった。

 ジャムカというウマ娘──チンギス・ハーンが、未だテムジンと名乗っていた頃の人物である。

 彼女は高原統一戦争の折、愚かにもテムジンに逆らい、最期は処刑された悪バである、と世間に認知されていた。

 その逆賊を、何故皇帝自らが賞賛するのか、分からなかったのだ。

 

 しんとなった焚き火の一角で、誰かが哄笑した。

 怪訝な視線を集めたのは、大きい耳と豊かな尾毛、小柄で芦毛の、ボオルチュ将軍その人であった。

 

「いやいや我が君の謙虚なる事、感服仕る。しかしこれでは、全く旧臣の面目も無い様です。私は、チンギス・ハーンが第一の勇士であると信奉すればこそ、あなたに付いて来たのですから」

 

《四駿四狗》最古参であるボオルチュ将軍の言葉に、モンゴルウマ娘たちは、はっとして、改めて大ハーンに跪いた。

 

『御無礼をお許し下さい。チンギス・ハーンこそ、勇士一番で御座います!』

 

 モンゴル皇帝は、敢えて尊大な笑顔で「ありがとう」と応じながら、暗に旧臣から窘められた事を反省していた。

 そのボオルチュが、いきなり立ち上がるや、言った。

 

「さあ、皆様まだまだ眠れぬ御様子。こんな夜は、あの音(・・・)を聴くに限る」

 

 皆まで言わずとも分かった、スブタイ将軍のバ頭琴の旋律である。しかし、この夜更けに──と兵が思っていると、チンギスが代表した。

 

「よさぬかボオルチュ、今日ぐらい休ませてやれ」

「我が君は知らぬのですか、奴めに疲労の概念は存在しないのです」

「そういう意味じゃないんだよね」

 

 しかし、バ耳東風のボオルチュは、持ち前の瞬足ですっ飛んでいった。

 勢いそのまま大将軍のゲルに突っ込むと、もさもさ駁毛のスブタイは正にバ頭琴の手入れをしている所だった。

 彼女は彼女で思う所があり、眠れなかったのである。

 

「大ハーンがお前のバ頭琴を聞きたいと呼んでいるぞ」

 

 それはお前だという指摘はこの場に無かったので、スブタイは素直に「これは丁度良い、試し弾きをする所でした」と腰を上げた。

 スブタイは良い子だった。

 

 バ頭琴を片手にのこのこ(・・・・)やって来たスブタイは焚き火の一角に腰掛けた。差し出された酒を一口で飲み干す。

 何だか皆が申し訳なさそうに耳を折って居るので、本人は不思議に思った。

 

「然らば、お耳汚しを」

 

 スブタイ将軍は、徐に弓を弦に当てた。間もなく、モンゴルウマ娘たちはうっとり聞き惚れた。

 

 故郷を思わせる雄大な旋律であった。

 広々とした大地、吹き渡る風、時には激しい雷に、凍てつく冬、そして青々とした春の草原──その旋律は、モンゴルウマ娘に根源する心象風景を呼び起こした。

 

 その序曲に望郷の念に駆られていると、次には《遠駆け》の旅路を想起させ、冒険心を刺激する早拍子へと移った。

 まだ見ぬ景色がこれから待っているという期待に、モンゴルウマ娘は胸を高鳴らせた。

 

 単に演奏の腕だけではなく、演奏構成が実に巧みであった。

 我慢できなくなった兵たちが、焚き火を中心に、手を取り合って踊り始める。スブタイの演奏に合わせて踊る事ほど気持ちの良い事も無いのだった。

 そのうちに、愉快な音を聞き付けた周辺の兵たちも加わり、思い思いに踊り始めた。

 今まで臣下たちを眺めていたチンギスが、ふと立ち上がり軽やかな足踏み(ステップ)を披露すると、盛り上がりは最高潮に達した。

 

 やがて曲が終わると、わあっと星空に届く様な歓声が上がった。尾を振り耳を振り、足で地面を叩いて大ハーンと将軍を喝采した。

 チンギスがスブタイの肩を叩いて、今日の戦功と、演奏を労った。しかし、スブタイは浮かぬ顔である。

「最後に、もう一曲」そう言って、バ頭琴の栗色の弦を撫でる親友の様子に、並ならぬものを感じたチンギスは深く頷いた。

 

「朋友の為に」

 

 最後の演奏が始まる。

 興奮の最高潮であったモンゴルウマ娘たちは、一瞬耳を動かすと、直ぐに静まった。

 聞いた事の無い曲であった。

 まさかスブタイ将軍の新曲か──自然聞き入れば、それは激しく、気高い、しかし何処か悲しげな旋律であった。

 スブタイは異様な身の込めようで、バ頭琴を弾き続けた。聴衆は一層聞き入った。

 そして、夜空に歌声が響く。

 

 

 ローラン ローラン──

 遥か駆けた西の果て 真の勇士を見つけたり

 勇士の名はローラン 壮麗なる黄金の駆士よ

 金の御髪を靡かせて 命は惜しまぬ忠のため

 雲霞の敵を前にして 一歩も引かぬ愛のため

 

 ローラン ローラン──

 終ぞ心身朽ちるとも 金色が失せる筈も無し

 何故なら汝の輝きは 真なる御霊の光輝なり

 どうか草原の精霊よ 御魂を乗せていき給え

 どうか草原の精霊よ あの平原へ帰らせ給え

 

 ローラン ローラン──

 世にも稀代の優駿は 私を抜いて去ってゆく

 この鈍足を差し許せ 今に後から着いてゆく

 どうか草原の精霊よ 我が道筋に先立ち給え

 どうか草原の精霊よ 皆待つ平原へ誘い給え

 

 ローラン ローラン 朋友よ──

 

 

 (うた)が終われば、モンゴルウマ娘は、皆さめざめと涙を流していた。

 尊ぶべき黄金の駆士を、自ら斬り捨てたスブタイは、黙って一筋の涙を零していた。

 ただ俯いて詩を聞いていたチンギスは、顔を上げて、言った。

 

「そうか、お前は朋友を失った。いや違う、私も同じなのだ。此処に居る誰しもが、友を失うとも、今まで駆け続けてきた。きっとこれからも、失い続けるのだろうか。ともがらの命を背負い、駆け続けるのだろうか」

 

 ジャムカよ──チンギス・ハーンは、過去に自ら踏み殺した朋友の名を心中に呟いた。

 星空を仰ぐも、決して涙は零さない。「大ハーンたる者、臣下の前で涙を流してはならない」栗毛の朋友の言葉を覚えているからだ。

 自分は様々な想いを背負って走っている。これから、その重さに耐えきれなくなる日が来るのだろうか──チンギスは、親友が手にするバ頭琴の弦の色をしみじみ眺めた。

 

「その見事な音も、弦が切れてしまえば二度とは聞けぬ。何と惜しい事であろうか 」

 

 皇帝が嘆くと、スブタイは首を傾げて答えた。

 

「いえ、この弦の予備は一生分ありまする」

 

 チンギスはぎょっとして、青毛の尾っぽが一瞬逆立った。

 どういう話か分かりかねた。さては怖い話なのか──目をぱちぱちさせていると、もさもさ駁毛の将軍は説明を始めた。

 

 こういう事である。

 このバ頭琴はジェベに生前贈られた代物である。深い信頼の証であるので、スブタイは有難く受け取った。

 実際に弾いてみると、癖の無い栗毛の弦は非常に具合が良かった。それを伝えると、ジェベは殊の外、驚くくらい喜んだ。

 その翌日、ジェベは尻が禿げ上がる程に尾毛を引っこ抜き、結った弦を嬉しそうに渡してきた。

 スブタイは絶句したが、断るのも可哀想なので受け取った。それから、毛が生える早さに同期して、定期的に弦を渡してくる様になった。

 とうとうスブタイは断りそびれ、それが死ぬまで続いたので、一生分の予備が貯まったのだ──

 

 説明を聞いたチンギス含め、モンゴルウマ娘はぽかんとしてしまった。

 そのうち将軍は肩を揺らし、くつくつと笑い始めた。それを見た皇帝も、くすくす笑い出した。

 やがて、集まったウマ娘は皆で大笑いしたのである。

 

 そうであった。

 ジェベという栗毛のウマ娘は、他人に喜ばれると何でもかんでもあげてしまう、困った癖があったのだ。

 それ故、将軍にしては身なりが貧相だったのだが、本人は「この足は取られないから」と気にもしていなかった。

 

「ジェベめ。お前は色々残してくれたが、予想外のものまで残していきおった。けれど、お陰でスブタイのバ頭琴を一生聞く事が出来るぞ。ありがとう!」

『ありがとう!』

 

 モンゴルウマ娘たちは、夜空に向かって感謝した。

 少なくとも、彼女らが故人の想いに耐えかね走れなくなる、という事は無さそうだった。

 

 

 ◆

 

 

 ぐっすり眠ったモンゴルウマ娘たちは、滞りなく西進を開始した。 

《ワールシュタットの戦い》以後、邪魔らしい邪魔も無くなったので、比較的のんきな旅路であった。

 

 数日進んで、モンゴル軍はとある開拓村に辿り着いた。未だ小さいが、多くの建設途中の建物を見るに、活気のある村だと分かった。

「こんにちはー」と進み出るチンギス・ハーンを専属指導人が何とか留めると、先ず使者を立てた(無論護衛付きである)。

 

 暫くすると村から老人が出てきて、モンゴル皇帝の前に立った。村長だという。

 彼は顔面蒼白で震えていたので、病気なのだろうかと、モンゴルウマ娘たちは心配した。

 

「こんにちは、汝が村長であるな」

「ははははい、その通りで御座います。ううう美しい青毛の貴女様は、偉大なるチチチチ」

「ありがとう、私はチンギスという。遥々東方からやってきた。すまんが、野営するのに村の端っこを貸して欲しい。出来れば井戸と、少しでいい、食料を分けてくれぬか」

「それはもう、もう倉に有るだけを、もう持っていかれませ」

「気持ちは有難いが、それでは村の者が困るであろうが」

「天より高いご慈悲に感謝致します」

「ところで、この村は何という」

ベルリン(・・・・)と申します」

「良い村だ、きっと繁栄するであろう」

 

 そうしてモンゴル軍は、十三世紀初めのベルリン村に逗留する事となった。

 交渉通り村の端に野営地を築いたモンゴルウマ娘たちは、道々で分けてもらった食料をむしゃむしゃ食べた。

 大体、乾パン(ビスケット)五枚と塩漬け肉二切れ、野草の煮込みを食べると満足して、焚き火を囲んで歌い始めた。

 

「ローラン、ローラン──」

 

 スブタイの『朋友の為に』という曲は、非常に耳に残る旋律(キャッチー)であり、強敵を称え、友を想う内容であったので、モンゴルウマ娘が好んで歌う鉄板になっていた。

 上機嫌に歌っていると、いつの間にか幼いヨーロッパウマ娘が数人、焚き火に寄ってきていた。

 

「あの、ローランって誰の事ですか?」

 

 おずおずと尋ねる子ウマの後ろから、血相を変えた母親が飛んで来て、頭を擦り付けモンゴル兵に謝るのだったが「まあまあ良いではないか」と兵は宥めた。

 

「知りたいなら、教えてあげようね。立派な聖駆士ローランについて──」

 

 モンゴルウマ娘たちは、興奮気味に尊敬する駆士について口々に話した。

 これは既に主観混じりの、節々強調された話であったが、子ウマたちは熱心に聞き入った。

 

「それで、ローランってお姉ちゃんはどうなっちゃったの」

「黄金の駆士ローランは、我らがスブタイ大将軍と正々堂々戦った。そして死闘の末に、惜しくも敗れ、命を散らしたんだ。敵ながら見事、天晴れな死に様だったよ」

 

 それを聞くと、子ウマたちは一斉に泣き声を上げた。わんわん泣き叫ぶその後ろで、母親も泣き崩れていた。

 モンゴルウマ娘たちは戸惑いながらも、一生懸命に慰めた。

 

「泣かないで、教えてあげるから、ほら一緒に歌おう。ローラン、ローラン──」

 

 

 ベルリン村の子ウマたちは、この時モンゴルウマ娘から伝え聞いた物語と歌を生涯忘れなかったという──時は流れ、その中の一人は、旅の吟遊詩人となった。

 彼女は亡くなる寸前まで欧州中を渡り歩き、その物語を歌に乗せて語った。

 

 勇士の名はローラン 壮麗なる黄金の駆士よ──

 

 当時のヨーロッパ世界というのは、余りにも大きい敗北を喫し、完全に自信喪失していた。そのため、敗北の中にも何か慰めを欲していた。

 英雄(・・)を求めていたのである。

 その様な情勢下で、聖駆士ローランの物語は、絶好の題材であった。

 

 ヨーロッパ人は、この駆士道物語に飛び付いた。

 各国で修正されたり、肉付けされたりしつつ、駆士道物語は作り上げられた。

 そうして完成した《ローランの歌》は中世ヨーロッパを代表する叙事詩となって、現代まで伝えられたのである。

 

 

 ◆

 

 

 我々が《ローランの歌》と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、1986年ハリウッド版の映画であろうかと思われる。

 

 一村人からの出世物語、駆士仲間との友情物語、トレーナーとの恋物語、外敵と戦う駆士道物語、そしてレグニツァ平原に散る悲劇の物語──凡そ大衆が好む全要素を盛り込んだ本作は、当時人気絶頂であったウマ娘女優が主演した事も手伝い、世界中で大ヒットした。

 また、キャッチーなテーマソングから、映画を観た事は無くとも、曲は聞いた事があるという方も多いのではないだろうか。

 

 予算もふんだんに注がれており、実際のモンゴル高原で、多くの現地人の方々をエキストラに使った映像美は、多くのウマ娘の心に焼き付いた。

 一時、モンゴル行きの飛行機が連日満員、航空会社は増便を余儀なくされたという、ある意味伝説が残っている。

 

《ローランの歌》はシェイクスピアを初めとして、歴史上何度も作品化された題材であるが、この映画作品が画期的であったのはモンゴル軍の描き方であった。

 それまでの作品でのモンゴル軍は、正に地獄の軍団といった様相で、野蛮で道義など持たず、十字軍との対比による勧善懲悪の趣が強かった。

 

 しかし、この映画では『恐ろしくも尊敬すべき敵』として描写されたのである。

 それにより、敵将スブタイとの奇妙な友情が描かれるに至り、より物語に深みと悲劇性を与える事となった。

 クライマックスの夕陽を背にした最後の決闘は、映画史に残る名シーンとして我々に記憶されている(監督が日本映画に影響を受けたとも語っている)。

 

 現代でも幼い子ウマたちは聖駆士ローランごっこに興じて止まない。

 スブタイ将軍が、原曲《朋友の為に》で歌った様に、駆士ローランの黄金の魂は、永遠に失われる事はないのである。


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