蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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バチカンの動向について

 レグニツァ十字軍の受難というのは、戦術上稀に見る殲滅戦──に終わらず(終わって欲しいのは山々だが)、むしろ敗戦後にある様に思える。

 

 さて、欧州随一の連合軍を意気揚々と発動したバチカンであったが、完膚無きまで殲滅されたとの早ウマを受けると、にわかに恐慌に陥った。

 今やポーランドを通り抜け、ドイツ地域を悠々闊歩しているモンゴル軍が、何時南に方向転換するか、分かったものではなかったからだ。

 

『モンゴルウマ娘は異教を憎悪しており、その聖地たるバチカンを真っ平らにするつもりだ、ルーシの末路こそが動かぬ証拠である』

 

 とは有力説で、サン・ピエトロ大聖堂が喧々諤々とする異常事態となった。聖職者たちは、唐突に殉教(・・)の覚悟を問われた訳である。

 この際、とあるウマ娘シスターが「そういうんじゃないと思うので、放っておけばどうです?」と意見したが、一蹴されたと言われている。

 連日の合議で疲弊しきった宗教指導者が至ったのは、

 

 十字軍を破門する(・・・・・・・・)

 

 という決断であった。

 これは歴史上悪名高い《第四回十字軍》以来、数年ぶり二度目の大破門である。

 どうしてそうなった──かと言えば、レグニツァ十字軍を後追いで破門する事で、今回の戦とバチカンとは関わり無しとアピールしたかったらしい。

 つまりは命乞い(・・・)であった。

 

 そもそも十字軍を発動したのは貴方だろう──とは、当時の人々が一番思う所であった。

 得体の知れない侵略者に、結果はどうあれ対抗した十字軍を殉教者と見なしていた欧州諸国であるから、大いに動揺が広がった。

 余りの見苦しさに、バチカンは大いに宗教的権威を失墜させる事となる。

 

 レグニツァ十字軍の名誉回復は、後年《ローランの歌》の流行もあり、世間の批判が強まった事による破門撤回を待たなければならない。

 この仕打ちについて、ウマ娘朝モンゴル帝国研究の第一人者、世界的権威にして自らもウマ娘、更には駆士ローランの熱烈なファンという女博士は、

 

「ひどい。」

 

 と遺憾の意を表明しており、概ね筆者も同意である。

 また同時に、バチカンの宗教指導者はモンゴルの王(チンギス・ハーン)宛に書状を送っている。

 尊厳と恐怖を秤にかけた結果、文面は婉曲に婉曲を重ねており、一読では良く分からなくなっているが、平たく言えば「こっち来ないで」という内容であった。

 手紙の添付品として金銀財宝を付けている辺り、思惑は一貫していた。

 

 しかし、手紙を届けるのもまた苦労であった。

 モンゴル軍の足が早過ぎたのである。

 昨日まで逗留していたという村を訪ねると、既にもぬけの殻であり、村人に行き先を尋ね追いかけても既にそこに居ない──これを何度か繰り返し、重い財宝(にもつ)を抱えた外交団は途方に暮れた。

 

 そこに、東から何やら大規模な荷バ車隊がやって来たと思うと、代表らしきウマ娘が声をかけてきた。どうやら、暗い顔をしていた外交官を心配したらしい。

 外交官が事情を話すと、荷バ車隊長は胸を叩いて言った。

 

「なら行き先は同じですね、乗って行かれるがよろしい」

 

 実は、この荷バ車隊というのは、モンゴルの高速輜重部隊《アウルク》であったのだ。

 言葉に甘えた外交団は、飛ぶ様に走るバ車を怖がりすらしたという。そして数日後、バチカン外交団は補給待ちをしていたモンゴル軍に追い付いたのである。

 アウルク隊長へのお礼もそこそこに、外交団は宝を携えてチンギス・ハーンに目通りを願った。

 急な訪問に渋られるかと思いきや、すんなり通されたので、外交官たちは首を傾げたという。

 

 皇帝の天幕に入ると、最奥には夜闇の如き青毛のモンゴルウマ娘がニンジンを齧っていた。

 笑顔であったらしい。そのウマ娘は「良く来た、良く来た」と上機嫌で、客人の肩を叩き歓迎した。

 困惑した使者団であったが、

 

「偉大なるチンギス・ハーンの御前である、頭が高い」

 

 側近らしき指導人が喝すると、彼らは慌てて跪いた。バチカンの命運は、この謁見に懸かっていると考えていたから、低頭深々であった。

 

「我が半身、楚材(サハリ)よ。まあ良いではないか。遥々来てくれたのであろうが」

 

 難しそうな顔をする指導人とは対照的に、ニンジンを齧りながら、にこにこしているチンギスの様子を見て、使者団はほっとした。

 そこで筆頭外交官が手を叩くと、天幕内に荷物が運び込まれた。金銀の延べ棒や、宝石をあしらった装飾品等々、目にも煌びやかな財宝の数々である。

 

「不躾ながら、先ずはお近付きの証として、偉大なる大ハーンに献上したく」

 

 これが並の欧州諸侯であったならば、財宝の眩しさと、神の威光に目がくらみ、話しやすくなる(・・・・・・・)というバチカンの必殺技であった。

 しかし、チンギスは一瞥して「ほー」と感心した様な、しない様な声を出したのみで、一向に態度を変えなかった。そしてニンジンを齧る。最後の一口だったので耳をしょんぼりさせた。

 まるで、この程度の財宝は見飽きた──とでも言いたげな表情に、外交官は揃って、胸に掛けた十字架(ロザリオ)を固く握った。

 

「贈り物だと言うから、てっきり私はニン──」

「くれるならば、貰っておこう。言っておくが大ハーンはお忙しい方なのだ、疾く本題に入るが良い」

 

 皇帝の言葉を遮って、指導人は外交団を急かした。

 二本目のニンジンを椅子の下から取り出す青毛のウマ娘は、とてもそんな風には見えなかったが、大人物の余裕というものだろうか。

 

 ともかく側近の言葉に従い、筆頭外交官は書状を読み上げた。

 婉曲に婉曲を重ねた、音読者からしても良く分からない文面である。それも聞き手であれば尚更であった。

 案の定、怪訝そうなウマ娘と指導人である。絶対に要項が伝わっていない。書状を掴む筆頭外交官の手は、冷や汗塗れであった。

 

 それでも、最後に送り主の名前──十字教の宗教指導者の名を高らかに読み上げた彼は、流石筆頭外交官を任されるだけあった。

 しかし、彼の努力は次のチンギスの一言で粉砕される。

 

「誰?」

 

 ──取り敢えず、返書を用意するという事で下がらされた外交団は、灰を思わせる真っ白な顔色であったという。

 

 最後のチンギスの言葉は、専属指導人サハリにとっても的外れではなかった。

 彼とて、これまで凄まじい速さで西進してきたのである。西方世界の宗教事情など、詳しく知るべくもなかった。

 贈り物もされた事だし、とにかく失礼の無い様に──と返書をしたため、外交団に渡すと、彼らは肩を落として帰って行った。

 

 

 そうして、バチカンに戻った外交団である。

 彼らは顔面蒼白で返書を提出すると、その足で何処かへ走り去ったという。

 宗教指導者は、それを怪しみながらも、侍従に返書を読み上げさせた。

 要約は以下の通りである。

 

『素晴らしい贈り物を有難うございます。チンギス・ハーンも殊の他お喜びになり、食欲旺盛であられます。

 このお礼(・・)をしたいと思いますが、残念ながら、私共は貴方の事を詳しく存じ上げませぬ。挨拶のため、いずれ折があれば、其方に伺いたい(・・・・・・・)と存じます。

 バチカンは美しい町と聞きますので、その日を楽しみにしております。かしこ』

 

 返書の内容を聞き終わると、怒りと恐怖の余りだろうか──宗教指導者は速やかに卒中(・・)を引き起こした。

 もんどり打って玉座から倒れると、高齢であった彼は、そのまま天の国に旅立ってしまった。

 

 この出来事が、史上初、宗教指導者の『憤死』として史書に記録される事となる。

 

 モンゴル側からすれば「こっち来ないで」というメッセージを読み取れず、社交辞令に徹したのみである。

 しかし「異教徒が聖地を真っ平らにしに来る」との噂が、まことしやかに語られるバチカンでは、全く別の意味に捉えられたらしい。

 

 この様な謂れの無い憤死をした宗教指導者の、後世の評価は『命乞いのために聖駆士ローランを破門した』との言い分で、散々な具合になっている(特にウマ娘からは)。

 

 彼の聖職者としての前半生は、汚職とは無縁で、身の潔癖を貫いていた。それだけに、晩節を汚したという事は非常に残念でならない。


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