意外な事だが、テムジンというウマ娘は、昔ながらの温和で素朴な気性であったと伝わる。
姿形は、背が低く、艶のある青毛で、モンゴルウマ娘らしくお日様を浴びて浅黒い肌をしていた。
彼女は人一倍に平原を愛しており──いや、偏愛と言っても良いだろう。それこそ彼女の原動力となったものだ。
部族抗争の収まらぬ中、テムジンは部族長の娘として生を受けた。しかしテムジンが産まれた直後に母親は、部族内の反乱により弑逆されてしまう。
そうして、次期族長と目されたテムジンは、出生直後から軟禁下に置かれる悲運に見舞われたのである。
幼少期のテムジンにとってモンゴルの草原とは、ゲルの天幕の隙間から覗き見る光景であり、全力疾走とは夢想のものであった。
親の仇たちが、心地良さそうに草原を疾駆する光景を眺める事しか出来ない──モンゴルウマ娘にとって、それは一体どれだけの屈辱だったであろうか。
それでもテムジンが屈折せず育ったのは、父親の影響があった。当然ながら人間のテムジンの父親は、幼い彼女によく走法の話をした。
誰より平野を早く駆ける走法とは何か、逆に悪路をどう乗りきるか、長く続く呼吸法、狩猟時の歩法の違い、弓の引き方、等々──テムジンの父親は、優秀なウマ娘指導人、現代で言えば《トレーナー》に該当し、それ故に妻との連座を免れていたのだった。
幼いテムジンは、他に娯楽が無く、走りへの強い憧れもあり、父の話を熱心に聞き入った。
やがて転機が訪れる。
母を暗殺し族長座を簒奪したウマ娘が、戦いに倒れたのである。指揮系統が失われ、部族は混乱に陥った。
しかし、最もその機を待っていた人物こそ、テムジンの父であった。優秀な指導人(トレーナー)である彼は人望が篤く、そして妻の無念を決して忘れてはいなかった。
混乱に乗じて同志を糾合し、先の逆臣らを駆逐してしまうと、吉日を選び、族長座を本来あるべきウマ娘へ──即ちテムジンへと返還したのである。
奇しくも幼くして族長となったテムジンは、メキメキと才覚を発揮させた。
生まれてこの方、走った事もなかったウマ娘に直ぐに誰も追い付けなくなった。彼女には天性の才能があった。そして父から学んだ理論があり、それを実行するだけの身体の素直さがあった。
モンゴルウマ娘の尊敬を得るために、最も手っ取り早いのは『足の速さ』である。始めこそ、箱入り上がりの傀儡、くらいにしか思われていなかったテムジンだったが、直ぐに尊敬を向けられる事となった。
狭いゲルから草原に飛び出した若き族長は、抑圧された野駆けへの愛を爆発させた。また、父譲りの人柄の良さを持ちながらも、裏切りにより軟禁された辛い経験から、何処か他人を信じない孤高の精神を持つに至ったのである。
時は流れ、テムジンがウマ娘として成熟すると、本格的に部族間抗争に巻き込まれていく事となる。
ここでも、テムジンは才覚を発揮した。戦闘の才能は勿論の事だが、持ち前の寛大と、冷酷の使い分けが見事であった。
勢力を拡大する過程において、恭順した部族には極めて寛大であり、優秀な人材は忌憚なく取り立てた。しかし、寛大な心を示した上で、無礼を働く輩に対しては、徹底的に容赦をしなかった。
「
テムジンが一言すれば、言葉通り、そこは
平らにされる──という恐怖の世評は瞬く間に広まり、震え上がった族長らは次々と恭順を申し出た。
しかし先述の通り、恭順を示した者に対してテムジンは寛大であった。どんな恐ろしい人物なのかと歯を鳴らしていた新参者が、実際にテムジンに面会して、穏やかさにまず驚き、次に器の大きさに忠誠を誓った──という記録が多く残っている。
冷酷な側面も含めて、テムジンというウマ娘の魅力であったのだろう。
恐怖と寛大の戦略により、次々と敵対部族を屈服させたテムジンは瞬く間にモンゴルを平定した。
数十年ぶりに高原へ平穏をもたらした功績を称え、モンゴルの最高意思決定機関、
時は十三世紀初頭、テムジンは長の中の長──チンギス・ハーンとなった。