西欧州ライン川のほとりにて、罪人が厳罰に処され、正義が示されたモンゴル軍である。
「結婚して半年まではチュウとかしたらいけないと思う」という貞操観念のモンゴルウマ娘であるから、見ず知らずの男に不埒な真似をする仲間が出てきたという事は、かなりの衝撃であった。
まして力任せにとなれば、問答無用で『姦通』であり、厳罰もやむなしと考えていた。
モンゴルウマ娘の貞操観念というのは非常に素朴なものであった。
というのも、ウマ娘の人口比が高いモンゴル高原では、異性に激しいアプローチをするだけで揉め事の種になり得た。基本的に牧歌的で、諍いを好まないモンゴルウマ娘である。出来るだけ慎重に慎重にするうち、この様な文化が形成されたと考えられる。
また、モンゴルに限らず、割にウマ娘の多い遊牧地帯では類似した文化を持つ事が指摘されている。
『都市のウマ娘は情熱的、草原のウマ娘は慎ましい』
当時の旅人は語り『そしてどちらも良い』と締めくくっている。
惚れた腫れたに関しては、奥手で純朴──敢えて言い換えるならば、遊牧ウマ娘は余り
チンギス・ハーンの断固とした処罰は、確かにモンゴルウマ娘たちを慄かせたが、同時に安心させる効果を産んだ。
少なくとも、彼女らの皇帝はウマ娘の道義を知っている。その限りで、モンゴル軍が統制を失う事は有り得ない──彼女らが最も恐れたのは、モンゴルウマ娘が
上記一連は、しかし、どん底を這う士気の根本的解決にはなり得なかった。
絶不調は未だ継続である。
大ハーンは原因が思い当たらず首を傾げた。そして困った事に──絶不調である所の
『何だかとても気持ちが良くない』とだけ漠然と、どうしようもなく素直に感じていたのである。
実際問題、
そんな状況下に、憤懣やるかたない人物が一人居た。
皇帝専属指導人の
モンゴル帝国における文官の長にして、高原第一のトレーナーである彼は、あたふたしている指導人らを自分の
そして一喝する。
「この甲斐性無しが!」
先の罪人二名を担当していた指導人を、力一杯の拳で殴った。
「う……申し開きも御座いませぬ」
顔面の真ん中を殴られた
次に楚材は、並み居る指導人らに向き直り、叱り飛ばす。
「己らは何故、今の場で、今の位に収まりたるを失念したか。須らくは偉大なる大ハーンと、麾下の勇士が、命も惜しまず高原に平穏を戻したが為であろう。さもなければ、我等の野垂れ死には必定。その恩を忘れ、
指導人らは、全く恐縮して反省しきった。
ウマ娘指導人というのは、チンギス・ハーンによる高原統一の後《モンゴルダービー》を振興するに伴った職である。
これは、大いに
指導人の中には、財産を持たない裸一貫から、指導の実力で身を立てた者が多く居た。
楚材自身、元来異民族の出身である。契丹族の政争に破れ、あてどもない流浪の身であった所を、テムジンに拾われた身の上であった。
「指導人一同、失った信頼を取り戻すべく、くれぐれも努め……」
「断じて、否。正道を施すのでは、余りに時が掛かり過ぎる。その間が平穏無事であるとも限らぬのだ。高原の勇士は精強無比なれど、それも規律と士気があればこそ」
「然らば、楚材殿に尋ねて如何」
「事は甚だ危急なり。かくなる上は、
外道の方法──彼らが顔を見合わせた時、天幕の入口に人気を感じた。
外から声が掛けられる。
「さはりー、
ひょこりと青毛の頭を覗かせたのは、チンギス・ハーンその人であった。
「これは我が君」と皆々は仰天して跪いた。皇帝は専属指導人の天幕に身体を滑り込ませた。単身である。近衛兵も付けていない。
「我が半身よ、合議中であったか」
「我が君の言葉に勝る議題はありませぬ」
「左様か、うむ」
チンギスは浅く頷くと、顎に指を当てた。ゆっくりと、天幕の隅に沿う様に、跪く彼らの周囲をぐるりと右巻きに回る。
初めの位置に戻って来て、言う。
「今日は良いお日様だなっ」
「はい、本当に」
「うむ」
ウマ娘は、今度は左巻きに、先と同じ道程を辿った。
微妙な空気が指導人間に流れた。単身やって来た大ハーンは、某か伝えたいらしい──という事だけが周囲の指導人には伝わった。
だが、楚材は既に得心した様な面持ちである。流石と言う他に無い。
やがてチンギスは、再び元の位置に戻ってきて、言う。
「だが、こうも
「それでは、酒壺を幾つかお持ちしましょう。きっと皆も同じ気持ちである筈」
「うむっ、それは良い考えだ。それで、それでだな。何だか皆の元気が少ないのだ。私は励ましてやりたいと思う。然ればよ、皆の指導人さんも一緒であればだな……否。違うぞ、心得違いをするなっ」
「我が君は、純粋に皆様を励ましたいのですね。分かりますとも」
「分かれば良い」
チンギスは、頬を染めて尾っぽを誤魔化す様にぱたぱた振った──当時モンゴルにおいて、ウマ娘の方から男を酒席に誘うのは上品で無いとされていた。まして、己の親族や夫、指導人以外を誘うのは、
それを押してでも、貞淑なる大ハーンは仲間たちを案じていた。
「指導人一同、願ってもなき事。是非ともご一緒させて頂きまする」
「皆も喜ぶであろう、皆がな」
「時に我が君、専属指導人からお願いしたき儀が御座います」
「許す」
「昨今、指導人の間に度し難き弛みが見られるのです。一つ締め直す要がありまする。そこで酒宴の前座に、
「あれ、とは」
「
「……えっ!?」
チンギスは自分の背の丈近くまで飛び上がった。着地した後は、動揺を隠しもせず激しく地面を両脚交互に踏み鳴らす。
「それは大事、一大事ぞ。バ鹿な、今日だと。我々は準備も何も。こうしてはおれん、皆に伝えてくるっ!」
凄まじい俊足で走り去りながら、大声で《指導人駆け競べ》を喧伝する皇帝の背中を見て、楚材は呟く様に同僚へ言った。
「まあ、そういう事だ……」
◆
ライン川沿いの急設レース会場は、モンゴルウマ娘による凄まじい熱狂で満たされていた。
各々の手には、布に顔料で
狂乱めいて太鼓が叩かれ、それに合わせて足が踏まれる。興奮の余りだろうか、蒼穹に向けて大量の矢が弧を描いている。
大気をつんざく黄色い声援の先には、指導人連中が横一列に並んでいる。
彼らは薄着になり、腕と脚と、逞しく盛り上がる筋肉を露出させた格好だった。無論の事、ウマ娘の膂力に勝るものを、その筋肉は発生させない。
しかし、そういう類の問題では無かったらしい。
コースは、下流方向におよそ十キロメートル一直線というシンプルなものだった。凄惨極める《モンゴルダービー》とは比較にならない平易なレースである──しかし、何か別枠の、異様な盛り上がりがそこにあった。
狂った様な太鼓の音が、暫し静まった。同じく、モンゴルウマ娘も押し黙る。
そして、大きく太鼓が三度打ち鳴らされた──三つ目の音と共に、指導人は大地を蹴る。
その進発に合わせて、一際大きい歓声が上がった。
筋骨を隆々動かして、高原の男たちは駆け足する。彼らの横には、モンゴルウマ娘たちが応援旗をふりふり併走していた。
「きゃああ、頑張ってぇ!」
「私の指導人さんよ、あれは私の指導人さんよ!」
「そこだ、かわせぇ!」
「ちょっとどいてよ、指導人さんが見えないじゃないの!」
大興奮であった。
指導人らは、呼吸毎に唾を撒き散らしながら必死に駆けている。そうしなければ、この催しに意味が無いと熟知していたからだ。
ただし、彼らの決死の有様も、ウマ娘にとっては
異様な興奮には理由がある。
先述の通り、モンゴルウマ娘の貞操観念というのは非常に素朴であった。モンゴル高原のマジョリティたる彼女らの方から異性に言い寄る行為は、
そんな社会観のモンゴルウマ娘が、殆ど唯一、抑圧されたリビドーを公共に解放して良いとされたのが《指導人駆け競べ》であった。
基本的に情熱の徒であるウマ娘が、応援に熱が入る事は察するに余りある。
現代においてもウマ娘の間で人間陸上の応援というのは、かなり熱心である。
競技場の応援席で、信じられないアクロバットをしているウマ娘チアリーダーの姿を、皆様一度は見た事があるだろう。
彼女たちは、自ら駆けるのと同じくらいに、駆けている人を応援するのを好むのである。
全く余談であるが、筆者の学生時代「ウマ娘にモテたい」という理由で陸上部に入った男友達が居た。
それでどうなったかといえば──勿論ウマ娘から大顰蹙を買った。
彼女たちは《駆け》に対して不純を持ち込む事を心底嫌っている。《駆け》とは、何より不可侵であって然るべきと信じている。
野望が打ち砕かれた友人は、不遜にも落ち込んでやがったが、以後は真摯に長距離走に打ち込んでいた様に思われる。
彼はそれなりに才能があったらしく、一年もすると地区大会の良い所まで食い込む程度にはなった。
その頃になると、同級生のウマ娘から「最近ちょっと良いよね」と熱っぽく噂される彼であったが、それから間もなく部のマネージャー(人間)と付き合う事と相成った。
部活帰りに手を繋いで下校するカップルを見て、ハンカチを噛んでいたクラスのマドンナ(ウマ娘)の姿を、私は忘れられない。
あらゆる意味で、奴はとんでもない悪党であったと、私は此処に告白する。
閑話休題。
高原の指導人の決死のレースは、もしかするとそれ以上に決死の応援を受けながら、約十キロメートルを走り切った。
ペース配分度外視の、常に全力疾走のレースを制したのは、件の
彼は、先頭を牽引していた大ハーン専属指導人を、凄まじい末脚で追い上げると、見事一着でゴールした──と、こういう点だけ詳細なモンゴル帝国の史書は興奮気味に綴っている(モンゴルウマ娘編纂の史書では、主要な戦が何月に起こったのかすら読み解けないが、偶のレースにおける着順と各人の名前は詳しく分かる。同時代人として、その辺りを穴埋めしてくれたポーランド《改悛王》には頭が上がらない)。
更に史書によると、ゴール直後、疲労の極致で倒れ込んだ彼を、
最後の最後でかわされた皇帝専属指導人は、激しく悔しがりながらも、一着の指導人を肩車した。
『オーハイ! 天晴れ、見事!』
担ぎ上げられた指導人に向けて、惜しげも無い最大級の賛辞が与えられた。
◆
通例に沿い、レースの後は三日三晩の宴が開かれた。
モンゴルウマ娘のレースであれば舞が披露されるのであるが、指導人の場合は演奏と唄であった。これは、先着三名という訳ではなくて、参加者全員による《演奏会》である。ある意味、順位は問題で無かったのである。
普段は舞の裏方として演奏する彼らであるが、この時ばかりは主演となるのだった。
興奮し過ぎたウマ娘が鼻血を流して昇天しかける。演奏を聞いて
なお演奏会で用いられるバ頭琴に、誰の
この問題には敢えて触れないでおくが──それ以上に宴で重要であったのが、
《指導人駆け競べ》で、すっかり御機嫌であったモンゴルウマ娘は、その絶好調が三日三晩の間に固定されていた。
宴以後には、それ以前まで不調であった事すら忘れ去られていたのである。
『何だか知らない内に気分が悪くなって、何だか知らない内に良くなった』というのが、モンゴルウマ娘の実感であった。
何だか良く分からないが、落ち込んでいた同胞たちが元気を取り戻した──というので、チンギス・ハーンも
三日三晩の宴の後片付けをする臣下たちを手伝いたそうに眺めながら、大ハーンは傍らに立つ専属指導人に言った。
「真剣勝負に手を抜く輩は好かん」
最後の最後、後輩の凄まじい
「私は常に真剣で御座いましたよ」
皇帝は、くつくつと肩と尾っぽを揺らした。
「お前はつくづく、私の半身だ」
「分かりますとも」
「分かれば良い」
その日のうちに、モンゴル軍は出立した。人間単一編成軍程度にまで落ち込んでいた行軍速度は、完全に復活していた。むしろ、割増で速い様にも思われた。
ライン川を渡河したモンゴル軍が情報収集した所に拠ると、次なる《遠駆け》の中継地と目されるのは《パリ》という都であるらしかった。
近隣住民から聞けば、どうやらパリというのは欧州でも有数の都会であるらしい。
「
モンゴルウマ娘の率直な感想である。
元来遊牧民たる彼女らは、定住生活というライフスタイルがいまいち理解出来なかった。当然、その発展形たる
これは、異文化の否定という話では無い。「そんな一箇所に皆が留まって、羊の餌はどうするんだろう?」というレベルの、素朴な疑問であった。
これまでに小規模な村々の定住民と交流があっても、大規模の都市との交流は無かった。未だ高原に居た頃、中華世界よりの商人に都城の話をちらと聞いた事がある位である。
つまり、全く初見の文化に触れるという訳で、モンゴルウマ娘の胸はわくわくで満たされていた。
自然、行軍速度も上がった。ライン川以西の進軍は、欧州の常識では全然信じられない(信じたくもない)、放たれた矢の如き速度であった。
こうして、心身共に絶好調たるモンゴル軍は《パリの都》近郊まで辿り着いた。
丁度、夕暮れ時であったらしい。今日はもう野営するとして、その前に
燃えていた。
時は十三世紀初頭、パリ炎上。