蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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聖カルピニについて

 

 はっきり言おう(アーメン)。今日あるだけの糧と、愛をウマ娘に分け与えなさい。そうすれば明日の貴方は多きを与えられるだろう。

 

 ──紀元一世紀、エルサレムにて。

 

 

 ◆

 

 

 プラノ・カルピニのジョバンニ。

 パリからカラコルムまで、遥か8500キロを往復し、実見に基づきウマ娘朝モンゴル帝国について著した人物が、当時のパリに居た事は大変有名である。

 

 中世欧州人から見たモンゴル帝国の実態──という史料上に多大な功績を残した人物であるが、また同時に十字教世界においても重要な人物であった。

 現在もウマ娘たちに広く信仰される十字教《カルピニ派》の開祖であり、後世には《聖カルピニ》と尊称され、レースを走るウマ娘の守護聖人ともなるのである。

 

『パリを焼き尽くした炎を鎮め、瞬く間に都を再生した』

『神の威光によってモンゴル軍を撤退させ、しかも十字教に改宗させた』

『骨折したウマ娘の足をたちどころに癒した』

 

 等々の奇跡(・・)がバチカンの認定を受け、逝去後は直ぐに列聖されたという聖カルピニであるが──本項では、ウマ娘女博士の最新の研究に基づきつつ、史実を沿う事に努めよう。

 

 

 プラノ・カルピニは、十二世紀末、中部イタリアに生を受けた。

 幼い頃から頭脳明晰で、十字教の教えを良く理解する神童であった。優しく社交的な性格であり、別段容姿に優れていた訳ではないものの、不思議と人好きのする笑顔は、周囲の人々の気持ちを朗らかにさせたという。

 

 特に際立っていたのは弁舌の才覚であった。

 少年時代ともなると、不意に井戸端で説法めいた事を始め出して「司祭様より話が分かりやすい」と村人、並びにウマ娘シスターをしきりに頷かせた。

 それを妬んだ地元司祭から宗教論議をふっかけられるも(大人気ない)、軽く言い負かしてしまう程であった。

 この子に家業を継がせるだけでは勿体ない──敬虔な両親たっての希望もあって、カルピニは本格的に聖職者としての道のりを歩き出す事となるのである。

 

 中世当時、殆ど唯一と言っていい知識の集積地であった修道院の蔵書を、少年は網羅していった。

 青年時代に差し掛かる頃には、清貧で、慈悲深く、賢い修道士としてバチカンにも知られる程であった。

 そして若くして、ドイツ地方──神聖ローマ帝国内での宣教責任者に任命される。

 中世当時と言えば、神聖ローマ帝国とバチカンは、叙任権闘争(聖職者の任命権を巡る争い)の真っ只中である。

 これは実際にドイツ・イタリア間で武力闘争にまで発展しており、ドイツ地方への任免は極めて大任であったと言えよう。

 

 皇帝派か、バチカン派か──ドイツ諸侯が激しく反目し合う最中に置かれるも、しかし、カルピニは何方の権力にも肩入れすること無く立ち回った。

 むしろ、両者の中間の立場から調停役(・・・)として尽力する事となったのである。

 

 カルピニは、互いに争って止まない諸侯らに、神の愛を説いて回った。

 旅人の杖をつきつき、北へ南へ、西へ東へ──争いの種がある所に出向いては、優れた弁舌を以て説き伏せ、軍を退かせた。その赴く所に、決して流血は起きなかった。

 

 彼は、一月として同じ場所に留まらなかった。それ程に神聖ローマ帝国は内輪揉めに溢れ返っていたのだ。

 また道中では、何処の路地にでも立って、民草に聖書を読み聞かせた。深い理解に基づきつつも、平易に噛み砕かれた説法は、何時でも有り難がられたという。

 

 閉鎖性の強い中世ヨーロッパにおいて、プラノ・カルピニ程に足を使って宣教を行った聖職者も稀であろう。

 丸一週間を移動に費やし、足を棒にする事もままあった。しかしそれでも、お付のシスターウマ娘より先に「くたびれた」と音を上げる事は無かったというから、彼の熱心さは驚くべきものである。

 

 

 十字教の黎明期について少々話そう。

救世主(メシア)》が磔刑に処された後、ローマ帝国内でウマ娘が布教活動に奔走したのは周知の事実である。

 彼女たちは、十字教が国教化されるまで約三百年の長きに渡り、地中海沿岸一帯を駆け回った。

 彼女たちは《救世主》がどれだけやさしい(・・・・)方であったか、懸命に言葉を尽くした。

 

「主は言われました。人間さんとウマ娘は、実は兄弟だったんだよっ」

 

 この布教?──の根拠となる福音書は以下を記す。

 

『主と使徒たちが町を歩いていると、とあるウマ娘が盗み食いの咎で激しく責められていた。

 主は間に割って入ると、怒る人々を丁寧に宥め、騒ぎを収められた。

 使徒は、その親身さを不思議に思って理由を尋ねた。すると、主は澱みなく応えられる。

「私はウマ屋に生を授かりし者。どうして、あなたは私の兄弟について尋ねるのか」

 庇われたウマ娘は、その言葉に感激して罪を悔い改め、一行に付き従った』

 

 太古の昔から、数少ないウマ娘は貴重な労働力・戦力として重宝され、神格化されることもしばしばあった。

 その様に人間と良好な関係を築きつつも──何処か違う人々(・・・・・・・)という無意識の隔たりが確かに存在していた。

 

 しかし《救世主》は、それを打破した。

 ウマ屋(今で言う運送屋)で産まれたという由来を持つ彼は、ウマ娘を兄弟であると断言した。我々は同じ神の下に産まれた子であり、隔たりは存在しないと説いた。

 それは相互認識の革命であった。

 彼の教えが広がるに連れて、ウマ娘はコミュニティの何処か違う人々(・・・・・・・)から、自然な一員(・・・・・)として、緩やかに転換していったのだ。

 

 この教えがウマ娘にとって、どれだけ喜ばしい事であったろうか。大好きな人間さんに寄り添うばかりでなく、寄り添われる存在になれたのだ。

 ウマ娘からして、正しく彼は《救世主》であった。

 

 

 さて、話は戻る。

 十字教の黎明期にウマ娘が活躍したという流れを受けて、宣教師はウマ娘とペアを組む、という習慣が何時しか生まれた。

 我々日本人にとっては、宣教師フランシスコ・ザビエルと、お供ウマ娘の肖像画が最も馴染み深いのではないだろうか。

 例に漏れず、プラノ・カルピニにもお付のウマ娘が居た。

 このシスターウマ娘が、神父を善く支えた。

 

 カルピニの宣教活動は上記の通り、並ならぬ熱意に突き動かされていたが、それでもウマ娘より先に疲れないというのは、とても現実には考えづらい。

 推測であるが──とかく無理しがちなカルピニの横顔を窺いながら、折を見てシスターウマ娘が「くたびれちゃいました」と休憩を願い出ていたのだろう。

 カルピニは相方のお願いを断る事は無かったというから、直ぐにその場で足を止めて、聖書を開き辻で説法をした──というのが現実に即した所ではなかろうか。

 

 この善き二人組が十年も活動を続けると、徐々にドイツ地域で名が知れてきた。

 戦の火種ある所に颯爽と現れては、無辺の神の愛を説き、調停しては歩き去ってゆく──そうしてカルピニらは《聖なる平和の使者》として、著名になってゆくのである。

 

 とりわけ、ご婦人方に人気が高かった。

 いざ戦ともなれば、夫の無事を祈るしかない彼女らである。それを未然に防いでくれるカルピニ神父は、正しく聖なる人に違いなかった。 

 そうして、カルピニが訪れる村や町では、貴族から農民まで、ご婦人が我が子を胸に抱いて殺到し「是非この子に祝福を」と長蛇の列を作る様になる。

 神父も可能な限りそれに応えたと言い、その祝福を受けた子供は無病息災のご利益がある──との噂が広まったから、高名は益々であった。

 

 反対に、男共の人気は微妙であった。

 彼らからすれば、戦支度を整え「いざ武名を立てん」と意気込んでいる所に、いきなり現れて弁舌巧みに丸め込まれてしまう──という、少々疎ましくもある存在であった。

 とはいっても、彼らとて進んで死に急ぎたい訳ではなかったし、妻の手前もあり(重点)、我が子に祝福を授けられたともなれば、そうそう邪険にする訳にもいかなかった。

 そして概ね「神父様が言うなら仕方ない」という風な所に落ち着いたのだった。

 

 ドイツ地域で、確固たる立ち位置を築き上げたプラノ・カルピニの存在は、やがて神聖ローマ皇帝の目にも留まった。

 神父とシスターウマ娘は宮廷に召し出され、バチカンとの折衝役を命じられた──これはつまり、叙任権闘争の最前線に立つ事と同義であった。

 

 この頃から、神父は二人立て(・・・・)の立派なバ車をあてがわれる様になった。

 徳を積めるというので、バ車の牽引役はその時々で大変な倍率であったというが、二人のうち片方はシスターウマ娘で固定であった。

 さて、今まで過酷とも言える徒歩移動をしていたのに、急にバ車移動になったものだから、カルピニ神父は太り気味になってしまう。

 しかし、多少ふくよかな方が「福者っぽい」と、もっぱらの評判で、彼の不思議と人好きのするにいっ(・・・)という笑い方も合わせて、所謂チャーミングポイントになる(プラノ・カルピニの肖像画は、この頃の姿で描かれるのが殆ど)。

 

 こうして頻繁に宮廷・バチカン間を往復する事になったカルピニは、ここでも平和の使者として大いに活躍した。

 叙任権闘争における互いの妥協点を弁舌巧みに探し出し、遂には(一時的にとはいえ)手を取り合わせる事に成功する。

 この功績から、カルピニは最高級の聖職者として認められる事となったのである。

 

 大仕事をやり遂げたカルピニは、二十年にも及ぶドイツ地域の宣教活動を終え、次はバチカンに召し出された。

 高名な聖職者がやって来る、というのでローマ市民はやはりこぞって彼の祝福を求めたという。

 

 

 ◆

 

 

 大物宣教師として、見事バチカン中枢入りを果たしたカルピニは、打って変わって存在感が無くなってしまった。

 まるで人が変わってしまったかの様に、淡々と公務をこなすのみであった。

 

 社会的名声とは裏腹に、神父の心は倦んでいた。

 挫折感で一杯であった。

 

 若き日の彼は、無償の神の愛を心から信じ、信仰の情熱に溢れていた。それが全ての原動力であった。

 だが、次第に名声が高まり、現世を治めるべき統治者の間を渡り歩くに連れ、どうしようもない世間の腐敗(・・)に気が付いてしまったのだ。

 

 幾ら自分が懸命に説いても、諸侯らは表面上矛を収めるだけで、諍いの火種は尽きなかった。まるで、人間が本能的に血を好む生物の様にも思えた。

 その裏では、厳しい課税に民は苦しみ、ウマ娘は腹を空かせている。そうして搾り取られた財から諸侯は賄賂を送り、ただ神に仕えるべき聖職者は平然とそれを取った。

 大仕事を果たす途中で、世界の歪みをまざまざと目撃してしまったのだ。

 

 バチカンの有様も彼を失望させた。

 西方教会の総本山にして、使徒の墳墓が存在する紛れもない聖地。さぞ清廉な空気であろうと想像していた場所は、全く堕落していた。

 道行く聖職者は、お付のウマ娘と、まるで恋人であるかのようにいちゃいちゃ(・・・・・・)しており、それを隠すどころか見せ付ける体たらくだった。

 

 失意に沈んだカルピニは、ちらと、疑ってしまった。

 本当は『無償の神の愛』等という代物は、存在し得ないのではないか──己の疑念に気が付いた時、神父は愕然とし、打ちのめされた。

 

 滾る情熱に突き動かされるまま歩き続けた過去の自分の行いは、全て虚しい偽善に過ぎなかったのではないか。

 主なる神に疑いを抱きながら、世間に愛を説いた者こそ、誰より許されざる咎人ではないのか。

 一体何の権利があって、自分は主の教えを語っていたのか──神父は独り悶え苦しんだ。

 

 

 カルピニ神父が自責の念に苛まれていた一方、シスターウマ娘も周囲に馴染めずにいた。

 バチカンには勿論彼女以外にも沢山のウマ娘が居て、度々井戸端に集まっては会話に花を咲かせていた。

 

「うちの神父様ったら、私の手にチュウしたのよ、困っちゃうわ」

「大胆ねえ。でもこの前うちの神父様も、ほっぺにチュウしようとするものだから、私慌てちゃったわ」

「でもでも、うちの神父様なんて」

 

 この様な会話が公になされている事自体、聖職者の腐敗を象徴しているのだが──既にこれが常態化していたため、彼女らはその異常さに気が付くことは無かった。

 唯一、カルピニ神父付きのシスターウマ娘だけが、居心地の悪さを感じていた。

 周りの娘たちが、さも当然かの様に堕落しているので、逆に「私がおかしいのかしら?」と不安に思ってしまった。

 彼女の相方は高潔な人であったので、チュウどころか指先ひとつ彼女に触れる事はなかったのである。

 それでも、必死に仲間に混じっていようとした、そんなある日。

 

「あなたの所は、さぞ仲がよろしいのでしょうねえ」

 

 と、試す様な口振りで聞かれてしまう。好奇の目が、一斉に向けられ、シスターウマ娘は焦った。皆が期待する様な話は、何一つ無かった。

 でも「何も無い」と言うのは、とても恥ずかしい様な気がして──つい言ってしまった。

 

「わ、私なんてうまぴょいなのよ」

 

 ウマ娘たちは、すごくびっくりした。

 

 

 ◆

 

 

 プラノ・カルピニはバチカン追放の通告を受けた。

 

 理由は神への背信行為であった。

 一応、宗教指導者の前で弁明の機会が与えられたものの、しかし彼は全面的に罪を認めた。

 

「間違いありません。全ては私が力ずくに及んだ事。しかし、最後は拒まれました。彼女は全く無垢のままなのです」

 

 それを聞いた聖職者たちは「けしからん、実にけしからん」と大変に憤慨して、バチカンの即日退去を要求した。

 この決定を遠巻きに聞いていたシスターウマ娘は、膝から泣き崩れた。それを見た周囲の者は、この無垢な被害者(・・・)を哀れみ、慰めたという。

 

 これは明らかに誉高いカルピニを妬んだ者の陰謀であった。そもそも、ウマ娘を力でどうこうするなど不可能ではないか。

 しかし、弁舌に優れる筈の神父は黙して何も語らず、身一つでバチカンを退去した。

 後には、泣き腫らしたシスターウマ娘が続いた。彼女の健気さを、誰もが認めた。

 

 プラノ・カルピニは、再び徒歩の人となった。

 理想的なバチカン入りの直後、不名誉な失脚という直滑降であったが──その表情には、むしろ清々しさすらあったという。

 彼は、地位や名誉、それに伴う腐敗といったものから距離を取りたかった。もう一度、己の信仰と向き合う環境を欲していたのである。

 

 そして、あの頃の生活に戻った。

 シスターウマ娘を伴って連日歩き詰め、何処の辻でも聖書を開き、説法をした。

 権威の鎖から解き放たれた神父の弁舌は、教義の独自解釈も交えて冴え渡っていた。

 バチカンを出て北上し、名の知れたドイツ地域を避けつつ、流れ流れるうちに──フランス王国はパリに辿り着いたのである。

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