『さて《
しかし、その土地の
善きウマ娘たちは、ガリラヤ湖のほとりで膝を抱え、大いにしょんぼりとした。
そこに主がお越しになられて、桶に湖の水を汲むと、座り込んだウマ娘たちの足を順に洗うのである。
「先生、とても勿体無い事です」善きウマ娘たちは遠慮したが、主は黙っておられた。全員の足を洗い終えると、感激するウマ娘に主は仰る。
「
そして主は凪の湖に向けて進み、その水面を歩かれたのである。
「立ちなさい。その両足は既に清められたのです。私が初めと終わりの合図をしましょう。ただ力を尽くしなさい」
善きウマ娘は主を信じて進んだ。どうであろう、皆が水面を歩き、そして全速に駆けた。誰一人、足首までも沈む事は無い。
さあ、先頭はマルタと後尾はマリアの姉妹であった。ガリラヤ湖のレースを、人々はほとりで見ていた。
その人々は《救世主》を敬って「確かにあなたは神の子です」と言った』
──マリアによる福音書より。
◆
パリの都に辿り着いたカルピニ神父とシスターウマ娘は、ウマ屋(運送屋)に晩の屋根を借りた。
《
しかし歓迎を受けるのもつかの間、カルピニ神父は病を得た。旅の疲労心労が祟ったものと考えられる。
病状からして風邪を拗らせたものであった様だが(とはいっても中世の医療技術では命に係わり得る)、お付のシスターウマ娘は大いに狼狽し、取り乱した。
彼女が感じたであろう不安は、とても一口に書き表せない。であるので、行動のみを記そう。
先ずシスターウマ娘は、布地を山盛りに借りてきて、神父の身体にこんもり被せた。
ウマ屋娘に縋り付く様にして、くれぐれも神父の看病を頼むと、お椀一つを持って露店通りに飛び出し、店主に滋養の物を托鉢して回った。
というのも、カルピニ一行は全く
余りに必死なシスターの形相に、店主は「きっと彼女の相方は余命幾ばくも無い重病人なのだろう」と哀れに思ったので、品物を施してくれた。
そうして滋養の物が集まった。シスターウマ娘は、果物を素手でごりごりすり潰して、牛の乳、蜂蜜をたっぷり混ぜたお手製ドリンクを作った。
そして(布地の重みで)横たわるカルピニに飲ませてあげたのだった。
こんな贅沢な物を口にするのは憚られた神父であったが、流石に相方の気持ちを汲んで飲み込んだ──丸十日の間これが続いた。
元より体力のある人だったカルピニは快癒して、自分で布地を払い除け立ち上がった。
自分の事の様に喜ぶウマ屋娘たちに感謝を伝えてから、次にシスターを伴って露天通りに向かった。
毎日お布施をしてくれた店主らに、礼を言おうとしたのである。カルピニが恰幅の良い健康体を見せて口を開きかけると、先にシスターウマ娘が高らかに唱えた。
「ハレルヤ! 主は神父様を救って下さった、これぞ正に奇跡、奇跡です」
耳をぴょこぴょこ跳ねさせて、瞳がきらきら輝いていた──店主たちも、神父が瀕死の重病人だと思っていたので、シスターの言葉に深い歓心を得たという。
『聖カルピニはバチカンを追放された失意の深さから、意識混濁の瀕死状態に陥り、十日間生死の境を彷徨った。しかし、お付のシスターウマ娘の献身的な看病と祈りは奇跡を起こし、遂に神父は癒された』
後世の聖人列伝に書かれる元となる。
◆
十三世紀中頃に著され、中世ヨーロッパに熱狂的
確かに、これまで一所に留まる事が無かったカルピニは、パリに長く在留している。自然、辻で説法をする機会も多かった。
これはパリを安住の地に定めた証拠である──と《黄金伝説》は記すが、実際には違った様である。
快癒してから二三度の説法をした神父は、これまで通り次の土地へ向かう算段をしていた。
東進して旧赴任地のドイツ地域に入ると、あっという間に身元が発覚してしまうため、南進してイベリアに入るか、いっそ海を渡ってブリテンに入るか──と日記に逡巡の跡が見られる。
しかし、この計画はシスターウマ娘が「暫く安静にしなきゃ駄目です」と暴れ出したため、取り止めにしたらしい。
パリに滞在する事になった神父は、通称《プラノ・カルピニ(出身村の名前)》ではなく、本名である所の《ジョバンニ(ありふれた名前)》を名乗っていた。身バレを避けるためである。
さてバチカン出奔後の一行は、旅の宣教師と言えば聞こえは良いものの、殆ど
辻で説法をして、聴衆に恵んでもらった食物で日々の糊口をしのいでいたのである。こう言うと食うや食わずの極貧生活を想像されるだろうが──それには、カルピニ神父の路上説法は余りにも
初めは数人の聴衆だったのが、日を経る毎に増えていき、そのうちにシスターウマ娘が食べ切れない程のパンが喜捨されたという。
名を隠そうとも、プラノ・カルピニという人が如何に魅力的な語り手であったか窺えよう。また、神父が一所に留まりたがらない理由でもあったろう。
こういう話がある。
ある日曜日、ミサ帰りの町人は頭を悩ませていた。先程、教会で聞いた司教の有難い話が難解で、なかなか腹に落ちなかったのである。
その時、たまたま乞食坊主が路肩に立っており、聖書の朗読をしていた。
町人はからかい半分に尋ねた。
「司教様が仰るには、かくかくしかじかという話だか、一体どういう意味だい?」
困り果てるだろうと思われた坊主は、間を置かずに答えた。
「それなら、これこれこういう意味です」
町人は仰天した。その解釈が正確であるばかりか、子供すら頷かせる位に
後に判明した事だが、その人こそ、名を伏せた聖カルピニであったのだ──
上記の話が事実であるかは不明だが、断然
一行は、滞在半年もすると《プロ乞食坊主のジョバンニ》と《何故か彼を慕う健気なシスター》として親しまれる様になった。
パリ大司教の耳にも《プロ乞食坊主》の話は届いていた。
何故かと言えば、ある日を境に信者の説法の理解度が格段に上がったからだった。司教が不思議に思って訳を尋ねると、質問に分かり易く答える妙な神父が居る、との事だった。
話を聞いた大司教は、ただ納得したのみで特に何もしなかった──どうやら、
「何だか分からないが、説法を補足してくれるのは便利だ」位に思っていたのかもしれない。
後には《カルピニ派》の開祖となり、独特な教義で知られる聖カルピニであるが──パリ大司教の無反応具合から、この時点では特に教義に外れていた訳ではなく、むしろ従来的な解釈の説法をしていたらしい。
◆
所謂《カルピニ派》開眼以前のプラノ・カルピニには、大いなる苦悩があった。
彼は地位を捨てた、名誉を捨てた、財を捨てた。何もかもを捨てて、歩き続けた──しかし、どうしても神への疑いを捨てる事が出来なかった。
無償の愛など、もしかすると、この世に存在し得ないのではないか。
その疑念が、説法中にふと浮かんでは、振り払わなければならなかった。
毎夜悪夢に苦しめられ「神よ、何故私をお見捨てになったのですか」と魘される神父の姿を、シスターウマ娘は見守る事しか出来なかった──そんな日々の事、パリの町に恐ろしい報せが舞い込んできた。
『十字軍を滅ぼした《
前節の通り、町は大混乱に陥った。
騒ぎを収めるべきフランス王が、守備兵を根こそぎ引き抜いて逃亡すると、いよいよ混乱に収拾がつかなくなった。
その時のカルピニはというと、まるで悟った様な表情で言った。
「遂に来た。神を疑っておきながら、神の愛を説いた罪人に裁きが下されるのだ」と、全て受け入れる構えであったという。
残酷な命運を座して待つばかりの神父であったが、しかし、何処からか火の手が上がったのを見ると、みるみるうちに表情が変わった。
居ても立ってもいられなくなり、その健脚は自然と駆け出していた。シスターウマ娘も後に続いた。
既に火の手は、町の大部分を飲み込んでいた。市民は普段彼らが礼拝している教会に集まって、すすり泣いていた。
神の加護を与えるべきパリ大司教は、王よりも先に逐電していたのだ。そして空っぽになった、炎が迫る教会で人々は悲嘆に暮れていたのである。
そこに、パリで唯一逃げなかった聖職者──皆の親しむ《プロ乞食坊主》が飛び込んできて、呼びかけた。
「何をしているのですか。
市民は泣きながら応えた。
「もう駄目なのです。王様にも、神様にも見捨てられました。私たちに逃げる場所など残されていません」
「いいえ、神は決して羊を見捨てません! 良く聞きなさい、私こそはプラノ・カルピニのジョバンニ。私の庵の方まで逃げなさい、きっと火が回ってこないだろうから」
パリ市民は、まさか冴えない小太りの中年乞食坊主が、あの《平和の使者》で著名な福者だった事に驚愕した。
そうして些か勇気を回復した彼らは、シスターウマ娘の先導に続いて、町外れの庵に向かったのである。
その後も、神父とシスターは炎上する町を駆けずり回って、聖俗に見捨てられた町人を彼らの住まいである庵に導いた。
出来る限りの人々を導いた後、カルピニ神父は懐から聖書を取り出し、そして祈った。彼は聖職者であって火消しではなかったから、避難した後は祈るのみであった。
丸四日の後、花の都を焼き尽くした炎は自然鎮火した。遂に、庵に火の手が回って来る事は無かったのである。
これは、カルピニの庵が町外れの寂しい場所にあって、延焼する可能性が低かった──という現象に過ぎない。元より、神父もそのつもりであったろう。
しかし、事実生命を救われたパリの人々にとっては、全く違う視点で現象を捉えた。
『カルピニ神父は我々を聖域に避難させ、祈りの力によって炎を退散させた』
そういう事になった。
ルネサンス期に《火炎を退ける聖カルピニ》という画題が流行ったので、読者の皆様におかれても、当時の人々の視点を想像するのは比較的容易いだろう(怯える人々の前に両手を広げたカルピニが立って火炎を跳ね返している──というのが概ね共通で、ダイナミックな構図が多い)。
さて、火災が鎮火しても家財の全ては失われてしまって、途方に暮れていたパリ市民は、更に絶望のどん底に突き落とされた。
町の直ぐ側に《
今度こそおしまいだ──と嘆く市民に、神父は
「私が話して参りましょう」
と使者を名乗り出た。
和平交渉こそ、正に本領のプラノ・カルピニである。今や、命の恩人にして、奇跡の人だと思われていた神父は、絶大な信頼を得ていた。
市民は落ち着きを取り戻して、その身を案じながらも、最後は神父を送り出す事に同意した。
この時、シスターウマ娘も付いて行くと言ったが、カルピニは断固として許さなかった──彼は死の覚悟を固めていたのである。
激しく泣き喚き暴れるシスターを、町ウマ娘が取り押さえている間に、開かれた門から神父は出立した。
《地獄の軍》に連行されてゆく背中に、誰もが手を合わせずには居られなかった。
そして、後の顛末は前節の通りである。