蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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モンゴルダービーについて

 モンゴルを統一したテムジン改めチンギスが、皇帝(ハーン)として初めに行った事業は戦争……ではなく競バだった。

 これもチンギスの、戦より野駆けを愛する性格を如実に示していよう。

 以前には好き放題に野を駆け回っていたモンゴルウマ娘だったが、チンギスがモンゴルを統一した事により、野駆けを国家競技として整備する事を可能にした。

 

 このモンゴル競バの特徴は、なんと言っても距離にある。

 その距離何と一千キロ(・・・・)

 道中は常に平坦という話でもなく、山岳、谷合、河川、湿地、砂漠、平原──様々な自然の障害を走破しなければならない。

 流石に一千キロを独りで走る訳ではない。百キロ毎に、補給と選手交代が許された。

 チーム最大十人のウマ娘が鎬を削り合う、現在では《モンゴルダービー》と呼ばれる競技がここに開催されたのである。

 

 自然の要害を全力疾走しなければならない残酷なレースの道程は、酷い怪我で流血したり、疲労の余り吐血したりする、正に凄惨な血路と化した。

 そのために、優勝チームは幾多の苦難を乗り越えた勇者として認められ、更には多額の賞金と、精鋭部隊への入隊権利という、破格の待遇を受けた。また、優勝せずともレース中に勇気を示した者は、同様に称えられたのである。

 

 何よりウマ娘たちを盛り上げたのは、レース後の勇者を称える三日三晩の祭りであった。

 当時の様子はこのように伝えられる。

 

『高く組み上げられ、数多の松明で照らされた舞台は、地上に降った星の如くであった。

 舞台にレースの勇者たちが現れると、全モンゴルのウマ娘たちは歓声を挙げた。

 早い音頭の曲に合わせ、勇者たちが舞を始めると、観客は足を踏み鳴らし、声援を送り、浴びる様に酒を飲んだ。

 老いたウマ娘は若者の頼もしさに感涙を流し、幼いウマ娘は先達の勇士に憧れた』

 

 伝承に残された様に、モンゴルダービーはウマ娘たちを熱狂の渦に巻き込んだのである。

 

 モンゴルダービーが社会に寄与したのは、娯楽的側面ばかりではない。

 平定直後のモンゴル高原では、未だ部族間の遺恨が少なからず存在した。しかし、モンゴルダービーに勝利するためには様々な脚質の、即ち様々な部族から優れたウマ娘を集め、編成をする必要があった。

 ここで活躍したのが、指導人(トレーナー)の存在である。古くはチンギスの父に知られるトレーナーは、各部族を渡り歩き、駿メを勧誘(スカウト)して回った。これは名誉な事であったので、部族長は喜んで娘を送り出した──この各部族出身のウマ娘たちが、今にも残る血統の始祖になったとされる。

 トレーナーは、駿メを勧誘する傍ら、自然に部族間を取り持つ使者の属性を帯び始めた。モンゴルダービーが隆盛すると共にトレーナーは増え、部族間交流も盛んになる。人々が競バに熱中し、競争心が高まるほどに、むしろ関係は雪解けしていった。

 やがて、気が付けば部族間の遺恨など、完全に風化したものとなったのである。

 

 チンギスの発案したモンゴルダービーは、民衆への娯楽の提供、皇帝への支持を取り付けたのみならず、国内不和による内憂をも除く事になった。

 正にモンゴルダービーとは国家事業に相応しい施策であった。

 

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