蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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モンゴルという人々について

 傭兵という生業に対して、我々は何とはなく漠然とした浪漫というものを感じている。

 その感情は恐らく、近世以降の組織化された傭兵団のイメージがあるからで、確かに格好が良い(・・・・・)傭兵を挙げてみたらきりがない。

 ドイツのランツクネヒト、イタリアのコンドッティエーレ、スイス傭兵などは驚くべき事に現代でもバチカンを警護している。

 権力に属さぬ自由気ままな無頼の戦闘集団──如何にも少年心を刺激する響きである。

 

 しかし、近世以前の傭兵というのは、また様相が違っていた。

 中世当時の傭兵団と言えば、偶に戦争の弾除け(・・・)に使われる以外は食い扶持が無く、有り体に言えば、盗賊団(・・・)とも同時に呼べそうな無法集団であった。

 社会の枠組みから爪弾きにされた食い詰め者の寄り集まりが暴力行為を生業にしている──というのが、割に正確であろう。

 

 この傭兵(盗賊)というものに、ウマ娘の姿を見付ける事は至極稀であったらしい。

 というのも、人類に農耕文化が根付いて幾星霜、ウマ娘が社会の除け者にされる事は殆ど有り得なかったからである。

 鍬を持たせれば瞬く間に大地をひっくり返し、台車を引かせれば山盛りの砂礫を運び、縄を握らせれば邪魔な切り株を一息に引っこ抜いた。

 彼女らが多少の栄養価(カロリー)を必要としたとしても、総計して全く黒字であった。ウマ娘を虐めるよりも囲い込む方が、あらゆる面で合理的だったのだ。

 あとそこに居るだけで可愛かった。

 

はっきり言おう(アーメン)。今日あるだけの糧と、愛をウマ娘に分け与えなさい。そうすれば明日の貴方は多きを与えられるだろう』

 

 この様に《救世主(メシア)》も言っている。

 それは実際的な生活の知恵であり、原始的な投資の概念に違いなかった。「糧と愛を返してくれる親愛なる隣人」として十字教圏の農村では、ウマ娘は大切に(ちやほや)されていた。

 しかし時代が下がってくると、反対に村の外──社会進出を遅らせる遠因にもなった。中々ままならぬものである。

 

 ただ、彼女らの主観的『しあわせ』という面のみを見るのであれば、そう悪い気分でもなかった様である。

「人間さんと畑を耕す喜び」をテーマにした詩作は、時代と場所とを貫いて、ありふれている事からも分かり得よう。

 反対に「不幸なウマ娘に自由と権利を」と声高に叫んでいるのは、常に人間側だった。全く皮肉である。何時まで経っても足るを知らない(・・・・・・・)ヒト仕草であった。

 

 上記の様に、凡そ人類の農耕文化がウマ娘と切っても切り離せぬ関係にある事は、数多の歴史学者の承認する所である。

 極論を言ってしまえば、ある村で爪弾きにされたとしても、隣村に走れば喜んで受け入れられた。なのにわざわざ身をやつす必要性が無かったのである。

 

 そして何より──これは筆者が何度でも主張するのだが──ウマ娘は暴力を嫌っている。

 人間と協力して開墾に勤しむ方が断然好みであって、不当な暴力でそれを奪うのはひどい(・・・)行為だと考えていた。 

 故に中世欧州において、一般村ウマ娘が人間傭兵をぼこぼこにする例に事欠かなくとも、その反対は考えにくい状況であった。

 傭兵が略奪を働くにも、その村のウマ娘の頭数というのが深刻な課題であったという。

 

 つまり、中世の傭兵稼業というのは全く採算が合わない仕事であって、だからこそ落伍者の受け皿となっていた訳である。

 これが近世の組織化された傭兵団になると事情が変わり、ウマ娘も参加する様になるのだが(ヴァレンシュタインの傭兵団等)──その解説は他の機会に譲る事にする。

 

 

 さて、ポーランド王国はレグニツァで十字軍壊滅の報を受け、欧州諸侯が大いに動揺した事は既述の通りである(神聖ローマ帝国の内乱に顕著)。

 政情の不安定化──犯罪を取り締まる公権力の弱体化に伴って、ここぞとばかりに悪党が跳梁跋扈し、治安が急激に悪化した。

 特に、ドイツ・フランスの国境付近で狼藉を働いたのが《地獄の軍(タルタロス)》を自称する武装集団であった。

 

『飢えた狼の様な連中だった。彼らは奪えるだけ奪い、殺せるだけ殺した。鮮血で以て、神の法の尽くを犯した。我々は、はなから恐怖に打ちのめされて狼狽し、ただただすくみ上がるばかりだった。願わくば、あの忌まわしい男共に禍あれ──』

 

 フランス寄りのとある町が略奪を受けた時の様子を、地元の神父が書き残している。

 これはチンギス・ハーン以下モンゴル軍の蛮行と見なされてきた記録であるが──しかし、男共(・・)なのだ。モンゴルウマ娘は女共(・・)である、ウマ息子では断じてない。

 これは流石に信憑性を疑われてきた史料だが、逆に言えば破却すべき確たる証拠も無いので、長らく判断を保留されてきた。

 

 それが近年ようやく、ウマ娘女博士の活躍により進捗を見せる形となった。

 即ち、冒頭にて述べた様な武装集団が、モンゴルの圧倒的恐怖を笠に着て火事場泥棒(・・・・・)をしていたのではないか──という仮説である。

 これを真とすれば、

 

『高きプレスター・ジョンは、悪しきタタール人を不退転の意志で一掃した』

 

 という、従来不可解であったパリの記録にも説明がつくため、目下有力視されている。

 

 

 ◆

 

 

 パリの町から少し東に離れたモンゴル軍冬営地には、夥しい数の幕屋(ゲル)が広げられていた。

 中心に大ハーンの天幕(オルド)が鎮座し、その周りに将軍たちの天幕、更に外縁を取り囲む様に兵卒とパリ市民のための幕屋が張られる形であった。

 

 幕屋の合間には大小様々な羊の囲いがあって、メエメエ鳴いている。羊さんはモンゴル人の大事な資産だった。必要に応じて潰しながら冬を越すのである。

 また囲いの中には、パリ炎上の際に逃げ出して、後に捕獲された欧州産の豚や鶏も一緒くたに放り込まれており、肩身を狭そうにしていた。

 他にも町の焦げ跡から引っ張ってきた、まだ使えそうな家具、その他細々した民需品が、そこら中に置かれて生活空間を彩っていた。

 更には即興に木組みされた演舞台すらも見えた。その上で踊ったり、楽器を弾いたりして楽しむためのものである。

 モンゴル軍の冬営地は、東西の文化を容赦なく折衷した、新しい聚落の有様であった。

 

 

 此処に、スブタイ将軍の陣太鼓を聞きつけて、町中に散らばっていたモンゴルウマ娘が集合、整列を完了させたのは、軍事上の常識からして目を見張る迅速さであった。

 けれども、彼女らにとってはさして感慨のある景色でもなく、平素通りの牧歌的表情であった。

 陣太鼓の隣では、既にチンギスとスブタイ両名と、モンゴル重鎮の面々が揃った。

 

 深い威厳を持って床机に腰掛けるチンギスは──上から下まで泥だらけで、頭には木の葉をくっ付けている。

 片やスブタイは、背中に二人、正面に一人、モンゴルウマ娘をくっ付けている。

 

 皆に怪訝な様子は無い。

 皇帝が大将軍に相撲(ブフ)を挑んで投げ飛ばされるのはしょっちゅうだったし、また、冬着になって尚更もこもこ(・・・・)になった駁毛の将軍が顔を埋められているのも冬の風物詩であった。

 そういう格好の二名は、されど神妙な顔をして、一人の青年が半狂乱で訴える言葉を聞いていた。

 

「ジョン様、どうか、どうか妹をお救い下さい──」

 

 その青年に拠れば、こういう話だった。

 数時間前。その兄妹は薪拾いのため、森に入っていった。しかし中々手頃な薪が集まらないので、どんどん人気の無い方へと歩いていった。

 すると、いきなり森の奥から武装した集団が一斉に襲ってきて、無理矢理に妹を攫ってしまったのである。

 薄汚い髭面の男は、捨て台詞にこう残した。

 

「俺が《地獄の軍(タルタロス)》の長だ! パリの片田舎の連中とて、我が威名は重々聞こう。かの十字軍の様な末路を迎えたくなくば、焼け残った財産をあるだけ持ってこい。この娘は、手付けに持っていく」

 

 兄は《地獄の軍》の名を聞いただけですくみ上がってしまって、泣き叫ぶ妹が攫われていくのを、見ている事しか出来なかった──

 

 話を聞き終わると、青年はその場に蹲って咽び泣いた。

 モンゴルウマ娘たちは一様に眉を顰めた。不愉快の極みであった。そんなひどい連中が、許されて良い訳がないと思った。

 独りチンギス・ハーンのみが、眉の一つも動かさず、じっと耳を傾けていた。

 その静かな眼差しで、大ハーンは《タルタル族》出自の書記係──シギ・クトクをちらと見る。心外そうに彼女は返した。

 

「姉上が先のタルタル族長を袋詰めになされて此の方、我が君とは、ただチンギス・ハーンのみで御座います」

 

 チンギスが「ごめん」と謝ると、シギ・クトクは「いいよ」と言った。

 

「恐れながら申し上げます」

 

 モンゴルウマ娘の整列の中より、一歩を踏み出す者が居た。チンギスが許すと、彼女は跪いて発言する。

 

「私は、正にその場に居合わせました。偶々、野駆けをしていた次第。奴らめが北西に逃れたのを、しかとこの目に焼き付けております」

 

 皇帝は目を細め、床机から身を乗り出し尋ねた。

 

「それで。現場に居合わせたお主は、ひとえに眺めておったか」

 

 兵卒は畏まって、しかし明朗に答えた。

 

「毛並みはわななき、尾は逆立ち、この両の目は煮え立たんばかり。余程に射掛けんと思いしも、寸で踏み止まり申す」

「何故か」

「我が弓弦を引かせる事叶うは、偉大なる大ハーンと、軍権を授けられし将軍のみにあり。不埒の賊などでは断じてありませぬ」

 

 この回答に、大ハーンは膝を叩き呵々と笑って喜んだ。大なり小なり、戦端は大ハーンの意志によって開かれるべきであった。

 

「えらいっ! 忠義者とはお主のための言葉よの。後で皆の前で踊って良いぞ」

「はっ、身に余る幸せ」

 

 耳を弾ませ列に戻った彼女を、周囲の同僚は「いいな〜」と指を咥えて羨んだ。

 公の場で舞えるのは、モンゴルダービーの勝利者か、大ハーンに勲功を認められたウマ娘のみであり、非常に名誉だったのである。

 

 早速、北西方面にスブタイ将軍直属の偵察ウマ娘が放たれた。程も無くして、見聞がもたらされる。

 

「ご注進。北西の丘に賊の根城を見付けたり。賊は、むんえいやっ、とやっつけられる数に御座います」

「千にも足らずと。それで駆兵は如何程か」

「ウマ娘の影は有りませなんだ。男の人間さんだけに御座います」

「何だと」

 

 スブタイは暫し思案した。「もふう」「もふもふ」「ふわあ」等々と、背に腹に密着する三人のウマ娘が呟いている。スブタイはもう一度偵察を命じた。報告内容は全く同じであった。

 

 モンゴル人は考え込んでしまった。

 仮にも《タルタル》を名乗る以上、高原のウマ娘に関係する連中かと思えばそうでない。

 大体、高原の不埒なウマ娘は尽くチンギスが粛清しており、残っている筈がない。そも、どういう訳で遠く離れた西方世界にタルタル族が居るのだろうか。

 

 モンゴル人は、指導人を含め、欧州人の卑劣なやり方に本気で思いもよらなかったのである。

 もしかして、偶然同名の部族が暴れているのだろうか──とまで考えた時、顎髭を撫でていた皇帝専属指導人、耶律楚材(ウルツ・サハリ)が、不意に凄まじい(・・・・)表情になった。

 伴侶は、それに気が付いた。

 

「我が半身よ、気付く事があったか」

「は……口に出すのも憚られる事にて」

「許す。皆々に聞こえるよう、大きく申せ」

 

 そこで楚材はざっと膝を突き、腹を据えて言う。

 

「我が君。これはもしや、騙り(・・)ではありませぬか」

 

 モンゴルウマ娘は、ぽかんとした顔を見合わせた。大ハーンでさえ、己が半身の顔を目をぱちぱちさせて眺めていた。

 

「お前の言わんとする事は分かる。分かるが、訳が分からん。どうしてそんな事をする必要があるのか」

 

 モンゴルウマ娘の素朴な天上信仰に拠れば──例えどんなに小さな隠し事で、誰も見ていなくとも、天空神(テングリ)だけは必ず見ている。そして何時かは白日の下に晒されてしまうのだ。

 だから嘘はいけない。

 

 案外これは迷信ではなかった。高原に於いて隠し事とは、事実、早速に暴かれてしまうのだ。

 モンゴルウマ娘は嘘がド下手くそ(・・・・・・・)で、直ぐにバレてしまうからである。ならば最初から正直でいる方が良かった。

 何より、やましい事を抱えたままでは、心地よく駆ける事が出来ない。

 正直こそ、モンゴルウマ娘の道徳であった。

 

 善行だろうが悪行だろうが、その責は須らく自分の下に帰するべきなのだ。胸を張って堂々としていれば宜しい──明文化されておらずとも、モンゴルウマ娘は固く信じており、犯し難い絶対の法理であった。

 

 そういうウマ娘たちに、楚材は一から説明せねばならず、あらゆる意味で苦労であった。

 曰く。自分の名で食っていけない無法者が、嘘を吐き、タルタル族の威名を盗み、それで無辜の民を脅かして、略奪を働いている──牧歌的で純朴であっても、高い知性を持ったモンゴルウマ娘は、一度聞いただけで理解した。

 

「その賊は、タルタル族の長と名乗ったそうな……つまり、私をだ。其奴は、自らを大ハーン(・・・・)だと、言った」

 

 高原における諸族の長、チンギス・ハーンは呟く様に言った。それが皆のウマ耳に充分届く静寂だった。 

 

「ふらあああぁぁぁっ!!」

 

 四駿四狗の最古参、奇行の芦毛《独走》のボオルチュ将軍が、その小柄な体躯からは想像し得ない様な絶叫を発した。

 モンゴルウマ娘たちは耳を絞り、姐さん(・・・)に倣って絶叫した。

「フラー」それは後に、ロシアの「Ура(ウラー)」や、イギリスの「hurray(フレー)」にも継承されるモンゴルの激励であった(モンゴルが欧州を蹂躙した折に伝来)。

 

『フラアアアァァァ──』

 

 東西折衷の聚落に、凄まじい、気の狂った様な絶叫が大音響した。しかし、内実は反対であった。それは正気を保っているための叫びであった。

 真なる大ハーンは、同胞たちに好きなだけ叫ばせておいた。そして、その喉が破れる頃になって、徐に手を上げた。

 大音響は、ぴたりと止んだ。

 シギ・クトクがタルタル族を代表する様に進み出る。

 

「姉上、我が君、いとも尊きチンギス・ハーンよ!」

 

 言葉の一々を皆々に、そして自分に言い聞かせるように義姉に訴える。皇帝は「此処に居るぞ」と静かに応えた。

 

「私は今こそ腑に落ち申した。我々タルタル族が、何故パリの人間さんに避けられていたか。これ全て嘘吐きの匹夫共が、西方の民を虐めたせいなのです。我が部族は罪を擦り付けられていた。嗚呼、悲しきかな、口惜しきかな!」

 

 シギ・クトクの握り締めた拳からは血が滴り落ち、そして滅茶苦茶に地団駄を踏んだ。

 いや、それでは因果が逆だろう──トレーナーたちは思ったが、誰しも黙っていた。

 

「我が君、どうか私に出陣をお命じ下され。我がタルタル族の名誉、存分に挽回してくれましょう」

「いや、シギは弱いから駄目だ」

「はい」

 

 しょぼんとして素直に引き下がる辺り、書記係には自覚があるらしかった。

 

「ムカリ国王」

 

 義理の家族の代わりに、大ハーンは腹心将軍の名を呼んだ。

 

「此処に」

 

 皇帝の前に、四駿四狗の一人が進み出た。赤みがかる栃栗毛に環星(円状の白毛)が入った毛並み、目尻の垂れた優しげなウマ娘である。

 

《国王》ムカリは、中華世界との連絡担当、兼ねてニンジン輸入担当(・・・・・・・・)という極めて重要な役を任された重臣である。

 連絡担当というだけあって、気性良しの社交的ウマ娘で、その篤実な性格はモンゴルウマ娘に広く好かれた。

 また、いざ戦となれば、これほど肝の据わった将軍は居なかった。苦境を耐え忍び、機を見るに敏。攻守を鮮やかに使いこなす名将であった。

 

 しかし、周りのモンゴルウマ娘にとって(本人でさえ)そんな事はどうでもよかった。

 それより彼女の二つ名《国王》がカッコよかった。

 何故ムカリが《国王》なのかと言えば、それはムカリが《国王》だから《国王》なのだった。

 そういう事である。

 

「ムカリよ、お主は特にタルタルのと仲が良い。さぞ悔しかろう」

「尾っぽをずたずたに裂かれるばかりの心地に」

「命ず。タルタル族の勇士を率いて、妄言吐きの賊を討伐すべし」

「諾」

 

 いまいち怒りの具合が伝わりにくい柔和な顔立ちのムカリは頭を下げた。

 それから、相撲に負けて泥だらけのチンギスは、隣の親友スブタイの方を見て、しかし別の名を呼んだ。

 

「トルイ」

 

 すると、大将軍の腹に抱き着き顔を埋めていたウマ娘が、ぴょこんと顔と耳を上げた。弾かれた様に大ハーンの前に飛び出して来て、頭を垂れた。

 

「お呼びですか、母上っ」

 

 敏捷な動きに見合う元気な声で、そのモンゴルウマ娘は言った。

 チンギスに良く似た青毛と眉目、そして一筋の流星が特徴的な若者──いや、子供の気配すら残す皇女であった。

 

「初陣だ」

 

 端的に皇帝が言うと、トルイの耳は激しく跳ねる。

 

「母上、本当ですか。私も戦に出て宜しいのですか」

「ああ、何時までも半端者にしておけぬからな。お前も大ハーンの子、そして蒼きウマ娘の末裔である事を見せてみよ」

「は、ははっ! 姉様たちにも恥じぬ戦いを、このトルイは施してみせます」

 

 大いに喜ぶ皇女であったが、そこに殊更苦い顔をした専属指導人が、皇帝に耳打ちした。

 

「恐れながら、トルイは未だ未熟のウマ娘。初陣には些か早いかと存じまする。次の機会を待つべきでありましょう」

「なあ、我が半身よ。私は、その進言を四度聞いた(・・・・・)ぞ。それだけ聞けば、もはや十分だと思うがな」

「しかし」

「ムカリ国王を付けたのだ。ジョチも、チャガタイも、オゴデイも、あれは良く見てくれたではないか」

「それでは……御意のままに」

 

 明らかに不服そうな楚材に、チンギスは薄く笑った。専属指導人の慧眼は、我が子の事となると、百分の一に減退するのであった。

 

 ムカリ将軍の陣立ては流石に迅速であった。

 闘志に燃え上がったタルタル族を統括し、武具を整え、皇女トルイに革鎧を着せてあげる。出陣準備は瞬く間に完成した。

 今や満ちた矢筒を携えた兵は、ぎらぎらした目で大ハーンの号令を待つばかりであった。

 皇帝は床机から立ち上がり、陣容に向けて言った。

 

「とこしえの天上(テングリ)の力にて。勇ましき同胞よ、正に汝らこそ我が誇りである。西方の大ハーンとやらは、これ程の勇士を従えるだろうか。その勇壮を思い知った時、どんな顔をしたものか。私は是非とも見てみたい。

 しかし《大ハーン》が並び立つ事は断じて有り得ぬ! 何れかが真で、何れかが偽なのだ。ならば同胞よ、私に示してくれ。汝の答えを、虚しき言葉ではなく、断固たる行動によって。

 チンギス・ハーンが号令す。偽り者は、おしなべて平らかにせよ(・・・・・・)

 

 ムカリとトルイ、そしてタルタル族は猛勢のままに冬枯れの大地を蹴った。

 

 

 娘の出陣を見届けてから、一息吐き出して、チンギスは妹を拐かされてしまったという青年を傍に寄せた。

 

「可哀想な事であった。だが、もう安心して待っていると良い。ムカリ国王と我が娘とが、必ずや無事に妹さんを連れ帰るだろう。そうだ、乾燥ニンジンを食べると良い」

 

 言うや懐をまさぐり出した、泥まみれのモンゴル皇帝──欧州人からは、どう見積もっても十代後半にしか見えないウマ娘に、青年は思わず尋ねた。

 

「ジョン様は御歳幾つなのですか?」

 

 すると四児の母である皇帝は、ちょっと難しい顔になった。暫く指をおりおりしていたが、やがて首を傾げて、隣の専属指導人に聞く。

 

「我が半身よ、お前は幾つになった」

「とうとう三十七になり申す」

「そうか、なら私は四十だ。どうだ三つも年上なんだぞっ」

 

 得意満面で指を三本立てて見せるモンゴル皇帝に、青年は呆気に取られ、そして専属指導人は伴侶の頭にくっ付いていた木の葉を摘んで取ってあげた。

 

 

 ◆

 

 

 ムカリ国王と皇女トルイの帰りを、モンゴルウマ娘たちはごろごろしながら待っていた。それを眺めるチンギスも、床机に座ってとろとろしていると──あっという間(と表現して良いだろう)に彼女らは戻って来た。

 

 帰還の先鋒はトルイであった。互いに視認出来る距離になると、彼女は隊列から独り飛び出して駆け寄ってきた。

 彼女の身体中は、紅色に濡れていた。対照的に耶律楚材の顔は青くなった。彼もまた、娘に駆け寄っていった。

 

「怪我をしたのか。ああトルイ、大変だ、見せてみなさい」

「や、父上。これは自分のものではありませぬ、うふふ、くすぐったいです」

 

 そう言っても、楚材トレーナーは暫く愛娘の身体を探るのを止めなかった。

 直ぐ後から、ムカリがタルタル族を引き連れて戻って来た。皆が皆、紅色で濡れていた。

 

 先ず、ムカリ国王は自らおぶってきた少女を、兄に引き合わせた。

 兄は号泣して喜んだ。繰り返し聖君、プレスター・ジョンに礼を言いながら、ひしと妹を抱き締めた。その光景に、モンゴルウマ娘たちの心も暖かくなった。

 

 しかし、少女当人だけが違った。

 悲惨な運命から救われたというのに、愛する肉親に抱き締められているというのに──顔面蒼白にして、がたがたと震えていた。

 まるで、未だ禍の中に取り残されている様であった。

 

「いやはや、殿下の勇猛果敢なる事。このムカリ、心より感服仕った。流石は大ハーンの御子、蒼きウマ娘の末裔。初陣に同行出来ますは、まこと光栄至極に御座いまする」

 

 頬に付着した紅色をごしごし拭いながら、目尻の垂れた柔和な顔でムカリは褒めた。チンギスが、同じ褒め言葉を聞くのも四度目(・・・)であった。

 この将軍は、誰に対しても頻繁に世辞を言った。チンギスは世辞というものを好まない。しかし、ムカリのそれは何処か爽やかで、嫌らしい含みが無く、耳に入れて心地の良いものがあるのだった。

 

「各々、大儀である」

 

 チンギスは、特に言葉を尽くした訳ではなかったが、尾っぽの動きは何より雄弁であった。

 ようやく父の安心を勝ち得たらしいトルイが、ずいと前に出て来た。未だ子供の気配を残すきらきらした瞳で、小脇に抱えていた物を得意気に披露した。

 

「母上の見たがった物です、どうぞ御覧じあれ」

 

 両手で差し出されたのは、確かにチンギスが見たがった、モンゴル軍の勇壮を思い知った男の顔(・・・・・・・・・・・・・・・・・)であった。男はその表情のまま、永遠に固まっていた。

 モンゴルウマ娘たちは、ほうと感心した。何と親孝行な娘であろうか──

 

 流石のチンギスも感じ入った様に、その髭面をじっくり見分したり、指でつついたりしていた。

 二つの《大ハーン》の顔と交互に睨めっこしていたトルイは素直に感想した。

 

「あんまり似てませんね……」

 

 それがチンギスには可笑しかったらしい。愉快そうにくつくつと肩を揺らした。

 続けて、やっと平静を取り戻した楚材指導人が、うやうやしく一礼して言う。

 

「いえ我が君、存外似ておりますぞ」

 

 チンギスは口を開けて呵々と笑った。周りのモンゴルウマ娘も笑った。

 皇帝は「こいつめこいつめ」と、肘で楚材を突いた。そして、娘の手の内から、むんずとそれを取り上げると、自分の顔の横に並べて見せた。

 

「そっくりか?」

 

 モンゴル陣営は爆笑になった。

 

「おや、我が君がお二人」

「全然見分けが付きませぬな」

「これは参った」

 

 モンゴルウマ娘は、手を叩き足を踏み、腹を抱えて笑った。指導人たちも、涙を流し膝を叩いていた。

 暫くして、ひいひい息を整えると、チンギスは己の生き写しを、娘に投げて返した。

 

「見分けが付かないのでは困るから、見えない様にしておけ」

 

 トルイが合点すると同時に、再びどっと笑いが起きた。

 

 

 その中に、笑わない者が二人居た。

 先の、欧州の兄妹であった。

 妹の方は、やはりものも言えず、ただ激しく震えていた。兄の方も、妹を抱き締めて、血の気を失っていた。

 東方の民は大いに笑っている。しかし、何がそんなに可笑しいのか、青年には理解出来なかった。

 

 分からなかった。何だか分からない、大きい、余りに巨大で全貌を掴めない様な影が心にのしかかっていた。

 なのにそれは、並の欧州人が《地獄の軍(タルタロス)》に感じる虚構だらけの恐怖などより、遥かに現実味を帯びたものであった。

 結局、十字軍に然り、一般の欧州人にはわからなかった(・・・・・・・)のである。

 

 つい先刻まで、モンゴル人たちは教会(予定地)に集合していて、心優しい人物の話に感動していた。

 そして今では、全身紅色に濡れたまま笑い合っている。

 彼らは、この双方の事に何ら違和感を感じず、平気で両立させていた。

 

《モンゴル》という人々は、そういう気性の民だった。

 

 

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