蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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東西異文化結婚について

 プラノ・カルピニ神父と、シスターウマ娘がその場に着いたのは、丁度モンゴル人たちがはしゃいでいる時であった。

 近寄ってみると、どうやらトルイ皇女の周りから笑いが起っているらしい。

 先にシスターウマ娘が興味津々で輪に混ざっていったが、直後に総毛立たせて、カルピニの背中にさっと隠れた。そして、神父の黒い外套(マント)に頭から潜って出てこなくなった(彼女の驚いた時の反応、イタリアの孤児院時代からの癖)。

 

 はたと、聖職者の接近に気が付いたトルイが嬉々として寄ってきた。初陣を果たしたのだと告げ、得意気に耳を動かしている。

 その全身がべっとり紅に濡れ、手中には凄惨な表情で永遠に時の止まった男が居た──神父は少しだけ瞼を見開いたが、怯むという事は一切なかった。むしろ落ち着き払って、礼節を尽くし、低頭して言う。

 

「偉大なる大ハーンの御子、トルイ殿下にお願い申し上げます。どうか、彼を譲ってはくれませんか」

 

 青毛に流星のウマ娘は、逡巡する様に尾っぽを振ってから「やだっ」と拒んだ。もの言わぬ彼を胸にぎゅうと抱き直して「うー」と歯を出して威嚇した(ウマ娘が狼みたいな顔をするのは宜しくない、と日頃から楚材(ちちおや)から言われているので後で叱られた)。

 すると神父は、ゆっくり丁寧に説得する。

 

 彼に代わって非礼を心からお詫びしたい。しかし西方には西方なりの弔いがあって、死後は平等に葬られるべきなのである。如何な悪者といえども、それを受けられないのはかわいそうだから──

 

 トルイは歯を唇にしまった。

 確かに、その通りであると思った。

 なので素直に考えを改めて、哀れな男を神父に譲り渡した。カルピニは、にいっと人好きのする朗らかな笑みを浮かべて十字を切った。

 

「心優しい姫君に、神の祝福がありますように」

 

 モンゴルの姫は、満更でもなさそうに耳の付け根を掻いていた。

 神父の申し出とは、モンゴルウマ娘にとって非の打ち所が見付からない完璧な理論であった。

 また正直な所、大罪人の余し物など、どうでも良かったのである。

 

 カルピニは徐に外套(マント)の留め紐を解いた。その恰幅の良い背中に抱き着いてぬくぬくしている姿が、不意に衆目に晒されたので、シスターウマ娘は慌てて飛びずさる。

 神父は哀れな男を慈しむ様に、丁寧に黒の布地で包んだ。それからモンゴル人たちに深々と頭を下げて、それを抱えて町外れの自分の庵にまで帰って行った。

 

 現代の我々にも《パリの聖カルピニ庵》の傍らにひっそりと遺る、謎のタタール人の墓石に祈る事が出来る。

 

 

 ◆

 

 

 悪しき《地獄の軍(タルタロス)》を打ち払った功績により、プレスター・ジョンの民の名声は頂点に達した。

 彼女ら東方の民は、王に見捨てられ一切合切を失った西方の民に、温かい食事を与え、焼けた家屋を再建し、侵略者を退治した。

 そして何より、絶望に暮れていた民に希望の灯火を宿したのだ。

 東西文化の交流は一層の活気を見せ、比例する様にパリの町は蘇っていった。

 予備のゲルに仮住まいしていた市民らは、取り敢えず屋根と壁がある自宅に帰ることが出来たのである。

 

 春が近付いていた。

 凡そ大地に根付く生命にとって、悦びの季節である。暖かな春光に草木は若芽を吹き、ウマ娘の毛並みは生え換わる。

 そして、春の暖かい日差しに芽吹くのは、草花のみに限らなかった。

 

 

 フランス王国はパリの町に、大異文化結婚ブーム(・・・・・・・・・)が到来した。

 

 

 これは必然と言えば必然であった。

 一つは単純に、見ず知らずの異国の民を助けようと一生懸命くるくる働くモンゴルウマ娘が、パリの男(パリジャン)の目には魅力的に映ったという事。

 彼らが見慣れたヨーロッパウマ娘とは一味違う、牧歌的な気性や、無垢な童顔に骨抜きになる野郎は多数居た。

 復興の共同作業を通して、自然と絆は深まっていったのだ。

 

 二つは、モンゴル軍には未婚の若者が多く居たという事──これは世界でも例外的に、ウマ娘の人口比が勝る遊牧民に特有の事情である。

 通常、人口マイノリティであるウマ娘が婚姻に困る事は殆ど有り得ない。心優しく力持ちで働き者の彼女らは、古代の御世から引く手数多である。

 あと、そこに居るだけで可愛い。

 

 しかし、これが高原となると話が逆転した。

 若い時分から伴侶を持てるのは一部の実力者に限られており、大概はそれなりの経験を重ねて社会的に認められたウマ娘から結婚出来るのだ。

 専属指導人兼伴侶、等という贅沢(・・)を出来る事自体が、大ハーンや将軍の権力の象徴でもあった。

 

 それでも男が不足する時には、隣国から連れてくる(・・・・・)場合もあったが──これを無秩序に任せてしまうと、あっという間に人口が爆発し、乏しい高原の生産力では賄いきれなくなる。

 やるにしても、それは計画された連行(・・・・・・・)でなくてはならず、昔から権力者の重大な懸念事項であった。

 それ故に、勝手に男を連れ込んだモンゴルウマ娘は、切り取り捨てられ(・・・・・・・・)た上、高原放逐という重罰が必至であった。

 その場合、夫の地元で暮らす例が多かった様である。

 

『やあ北風よ、お主は何処から駆けて来た。

 故郷の話を聞かせておくれ。

 やあ南風よ、お主は何処へと駆けて往く。

 今に私の魂を運んでおくれ。』

 

 中華世界で年老いた高原出身のウマ娘が、惜別の草原を懐かしみ、死後は魂だけでも帰りたい──と郷愁を詠った詩が宋代の詩集にある。

 

 

 さて、万年男不足にして心根純朴なモンゴルウマ娘は、男性に口説かれる経験すら無い娘が大多数であった(そも質実剛健のモンゴル男に軟派な習慣が無い)。

 

「そんなに綺麗な目と、愛くるしい耳を向けないで。僕は黙って此処を去るか、君を抱き締めるしかなくなってしまうから」

「あなたの毛並みの色艶を思うだけで、この胸が切なく高鳴って、僕は夜も眠れなくなってしまうよ」

「君の尾っぽの揺らめきときたら、柳の木ですら嫉妬するでしょう。何て罪深いウマ娘なんだ」

 

 等々。パリジャンの洗練された手練手管(世界最先端)で言い寄られた時、それを拒むのは鋼の意志ですら不可能であった。

 中にはモンゴルウマ娘の手の甲に、うっかりチュウをして、問答無用で『責任』を取らされた者も居たが──

 

 そうして、婚姻の許しを得んと、大ハーンの天幕(オルド)に同胞が大挙して押し寄せて来た時、チンギスは大変に困った。

 ただでさえ、チンギスがモンゴル皇帝に即位して以後、静謐を取り戻した高原では人口増が急勾配にあった。

 ウマ娘が好きに駆け回り、羊さんに草を食ませるために必要な草原が、いずれ不足するだろう事は目に見えていたのである。

 

 取り敢えず皇帝は、その場での回答を保留して、詰め寄る同胞たちを下がらせた。

 とても独力にては答えの出ない難題である様に思った。チンギスは直ぐに、帝国の頭脳にして半身、専属指導人の知恵を求めた。

「これは大変な事になりました」と耶律楚材(ウルツ・サハリ)は、深刻な面持ちで顎髭を撫でた。

 

「恐らく、トルイには百人からの不埒者が言い寄っているに相違ありませぬ」

 

 肝心な時に、専属指導人の慧眼は百分の一に減退していた。

 四六時中スブタイ将軍のお腹に引っ付いている甘えん坊、色恋の()の字も知らぬトルイの近衛兵を無駄に増員する間も、何ら解決策は出なかった。

 

 この僅かな期間に、若い恋人たちは燃え上がって(・・・・・・)いた。それは、先のパリ大火もかくや、という灼熱であった。

 見えざる恋の炎が遂に天を焼いた時、再び若きモンゴルウマ娘たちは皇帝の天幕に躍り込んで来た。

 

「我等伏して大ハーンの御意向に従いまする。もし我が君が今生の婚姻を許さぬと言う日には、先ず男の首を落とし、その剣で我が喉を突き、天上(テングリ)にて夫婦の契りを果たしましょう。

 何卒願い申す。残った身体は野辺に打ち捨て、獣に喰らわせ給え。形見の靴は余さず燃やし、灰燼を風に任せ給え。

 我等弱卒なれど、チンギス・ハーンの《遠駆け》の成就を、蒼天の彼方からひたすら祈るものなり──」

 

 大ハーンは観念した。

 モンゴルウマ娘が一度言った以上、必ずそうするだろう事がチンギスには分かっていた。もうどうしようもなかった。男女の分かち難き事、水魚の如しであった。

 結局の所、皇帝は折れた。そして一度折れてしまったからには迅速果断であった。

 

「とこしえの天上(テングリ)の力にて。むべなるかな。放たれた矢は、私の心を射ったのだ。ならばチンギス・ハーンが力を込めて、新しき夫婦を送り出そうではないか。

 さあ祝うぞ。釜を沸かせ、酒を持て。今日ばかりは皆が好きに踊るが良い。全ての男女に幸ある様に!」

 

 チンギスは高らかに笑い、同胞たちは天にも昇る位に喜んだ。

 そうして、慌ただしく集団婚礼が始まったのである。

 

 東西折衷の聚落の端から端までが、有るだけの物資をひっくり返してのお祭り騒ぎになった。

 酒壺という酒壺は繰り出され、飲むと言うよりは浴びる様であった。柵中の羊さんは粗方解体され、豪快に焚き火で炙られた。秘蔵のへそくりニンジンまでも、じゃんじゃん皿に並べられ、ウマ娘はリスの様にほうばった。

 流石に花嫁衣装までは持ってきてはいなかったので、各々がレースの勝負服を身に纏い、バ頭琴とリュートという不思議な合奏(セッション)に合わせて、婚礼の舞を披露した。

 

 急に始まったモンゴル式の婚礼に、初め新郎は困惑したが、新婦の幸せそうな笑顔と、とにかく晴れやかな雰囲気に「まあいいか」と今を楽しむ事にした。

 

 宴の中程に、カルピニ神父とシスターウマ娘が現れた時、皆は非常なる盛り上がりを見せた。

 奇跡を起こす聖人(・・)は、如何にも晴れの場に相応しい様に思われたのである。

 神父が差し出された葡萄酒(ワイン)をちびりちびり飲んでいると、新郎たちの間から、是非とも神に婚姻の誓いを立てさせて欲しいと請願された。

 神父はにいっと破顔して、快く引き受けた(元よりパリの聖職者はカルピニしか残っていなかったのだが)。

 カルピニは懐から聖書を取り出した。全ての新郎新婦が、腕を組み横一列に並ぶ前で、神父は問うた。

 

「パリの男たちよ。汝は、隣のウマ娘を妻とし、病める時も健やかなる時も共に歩み、二人を死が分かつまで妻のみに寄り添う事を、神聖なる婚姻の契約の下に、誓いますか──」

 

 誓います、とパリジャンは明朗に言った。次に問われたモンゴルウマ娘も、何だか良く分からないが、夫に倣って誓った。

 今や、東西の男女は正式に夫婦となったのである。

 

 とある石工を生業にする者が、今日という日の歓喜を忘れぬ様に、教会の石材に刻んだ。

 

『チンギス・ハーンとプラノ・カルピニに感謝を込めて』

 

 このノートルダム大聖堂の彫り込みが再発見され、ウマ娘女博士の新説によって世に知れ渡るまで、実に八百年を待つ事となる。

 

 東方式、西方式の双方を済ませた後も宴は二昼夜続いた。三日目の朝になって、ようやく婚礼の全行程が終わった。

 ほかほかに熱い新婚夫婦は、手を取り合って二人の愛の巣に帰る事にした。

 

 

 そしてモンゴルウマ娘は、新郎を自分の幕屋(ゲル)に連れて帰った。

 

 

 夫はたまげた。

 どうやら妻は、彼等を東の彼方に連れて帰る気満々であった。

 しかし、それはそうなのである。

 モンゴルの風習では、夫が妻の家に入る(・・・・・・・・)事が通例であった。耶律楚材がそうであり、他の男もそうだった。

 パリジャンは文化の違いを理解していなかった。何時の間にやら祖国を去る事になっていた。

 しかし、既に神に誓ってしまった手前がある。また妻が「これからは、ずうっと一緒ですね」と肩をすり寄せて微笑んでいるのを見るに、全体、異議の唱えようも無かった──

 

 こうして成った夫婦と、後に産まれる多くの子孫たちが、アジアから東欧までを股に掛ける《モンゴル帝国》を、人的資源の面で支えてゆく事になるのである。

 

 

 

 

 モンゴル帝国軍がフランス男を略奪した、という言説がしばしば語られる場合がある。

 それには概ね、同時代を生きた、とあるパリの女(パリジェンヌ)の記述が元になっている。

 

『突然現れた東方の人が、パリの男を根こそぎ攫ってしまったの。その中には、私の愛しいあの人も……何て嫌らしいウマ娘なんでしょう! 嗚呼きっと私は、一生あの人の影を想って、孤独に生きていくしかないのね──』

 

 という、片思いに破れた少女の誇張された恨み節が、何の因果か後世に残ってしまったため、その様な風説が生まれたと考えられる。

 

 しかし日記を読み進める限り、この少女は数年後、復興したパリで別の男性と熱烈な恋に落ち、円満結婚した様だ。

 これを見るに、日記から読み取れるのはモンゴルウマ娘の野蛮性と言うより、今も昔も変わらない「なるようになる」という人生の教訓であろう。

 

 

 

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