蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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中世という時代の行方について・後

 心に神殿を建てなさい、それは足に付いて来るから。

 

 ──聖プラノ・カルピニ

 

 

 ◆

 

 

 集団婚礼を済ませ、年始のレースも終わったモンゴル軍が、とうとうパリの都を離れる時が来た。

 東方の楽園(エデン)からやって来た、高き《プレスター・ジョンの民》の出立にパリ市民たちは心底名残惜しそうであった。

 しかし、モンゴルウマ娘たちの反応はさっぱりしたもので、てきぱきと幕屋(ゲル)を畳んだ。尾っぽを引かれる様子も無い。

 広大な高原の遊牧民である彼女たちにとって、出会いと別れというのは日常茶飯事であった。一度顔を合わせたきり、二度と会うことは無い、という事もしばしばである。

 だからこそ、一期一会の出会いを全力で大切にする──というのが、モンゴルの文化であった。

 

 だが、モンゴルウマ娘の婿になったパリ男(パリジャン)は別である。恐らく、二度と見る機会も無い故郷を目に焼き付けようとしても、景色が滲んでよく見えなかった。

 

 そうして、濃密な時間を過ごした割にモンゴル軍はあっさりと進発した。

 風の様に現れて、風の様に去っていった──東方の文化を、西方の民はそう認識した。

 結局、最後の最後までモンゴルウマ娘の正体を誤解したまま《プレスター・ジョン》の救世伝説のみが後世に語り継がれる事になるのだった。

 

 そして、もう二人、パリを去る者が居た。プラノ・カルピニ神父とシスターウマ娘である。

 此方は、パリ市民が引き留めようと試みた。

 

「是非とも新しい司教として留まってはくれませんか」

「私たちを見捨てて逃げ出した前の司教なんて、もう信じられません」

「ああいう人間は地獄に堕ちる、そうでしょう?」

 

 彼らは如何にカルピニ神父を慕っているか、どれ程に前司教が恨めしいかを力説した。すると、カルピニ神父は静かに微笑んで首を横に振る。

 

「迷える人を許しなさい。それは、あなた自身を許す事です」

 

 どこまでも敬虔な十字教徒として言い残し、巡礼杖をつきつき、シスターウマ娘と共に再び宣教の旅に出た。

 彼らには去り際の神父の言葉の意味が分からなかった。咀嚼するための時が必要であった。

 そして司教不在の期間を数年過ごした後、市民は心を決めた。我が身可愛さに逃げ出した前任の司教を呼び戻したのである(正確には解任されないままであった)。

 

 一番驚いたのは当の司教であった。

 その時、彼は郷里に逼塞していた。ただ悔やむばかりの毎日であった。世の人々に後ろ指を指され、一生蔑まれ続けるのも致し方ないと思っていた。

 如何に《地獄の軍(タルタロス)》の襲来に恐慌していたとはいえ、忠実な信徒たちを見捨ててしまった事に変わりは無い。

 あの時まで、彼は信仰に殉ずる覚悟があると思っていた。しかし、違った。どうしようもなく惜しい(・・・)という気持ちが、己が本性であると分かってしまった。

 どの口で神の御名を唱えたものか──人目を避け、ひっそり裁きの時を待つ、その咎人が再びパリ市民に呼ばれたのだ。

 初め、彼は再任の報を信じなかった。自分を恨む人々に殺されるのだろうと思った。

 そのために、彼は任命を辞退せずパリに向かったのである。

 

「あなたを許します」

 

 その市民が彼の手を取った。

 前より完成に近付いた大聖堂にて行われた再就任祝いのミサ──集まった市民たちは順々に彼の手を取って、同じ言葉を掛けた。

 奇妙な事に、市民の側が「嗚呼、本当に良かった」と感涙を浮かべていた。司教だけが、この現実を呑み込めずに立ち尽くしていた。

 

 ミサが終わり、日が暮れて、彼は自分の部屋に戻った。

 混乱のためか、疲れのためか、酷く目が霞んでいた。それでも身体に染み付いた日課、夜の祈りをするため燭台に火を灯す。

 寂寂たる夜闇の中、 祭壇の聖十字は燭台の光を受け、ぼんやり浮き上がる様に見えた。

 揺らめく蝋燭の火が霞んでいる──彼は自分が激しく涙を流している事に、初めて気が付いたのだった。

 

 後に、彼は遂に完成した《ノートルダム大聖堂》の初代大司教に就任する。

 そして聖職者として優れた才能を発揮した──という訳ではなかったが、人の弱さに寄り添い、過ちを許す事が出来る司教であった。

 特に中世ヨーロッパにあって、社会の落伍者、元犯罪者の社会復帰に心血を注いだ事は特筆すべきであろう。

 世間に言う救われぬ者(・・・・・)こそ、どれ程の苦悩を抱えているか彼自身が知っていた。また、そういう彼の言葉だからこそ他人の胸に響くものがあった。

 

「きっと大丈夫。人は何時からでも正しい人になれるから──」

 

 この、教会組織を媒介に落伍者を再度社会に結びつけようとする活動は後世にも影響を与え、フランスの治安向上に大きく貢献したとされる。

 聖職者として凡庸だった司教は、しかし、社会福祉者として非凡であった。終生、市民に敬愛されたと伝わる。

 

 また、パリにおける《聖カルピニの奇跡》が現代まで語り伝えられたのは、彼の口伝による所が大きいと諸々の歴史学者が認める通りである。

 

 

 ◆

 

 

 ともすれば誤解されがちなのであるが、プラノ・カルピニが自ずから新派立ち上げ(・・・・・・)を宣言した事実は無い。

 パリで大いなる悟りを得た神父は、ただ心救われぬ人々に神の無辺の愛を伝道する一心で足を棒にしていたのである。パリでの活動以前・以後で、目立って変化した活動も無い。

 

 カルピニは一貫して西方教会《普遍派》の聖職者であるつもりであった──十字教の祖である救世主(メシア)も、本人的には最期まで六芒教の信徒であるつもりであったから、その点は類似と言えるかもしれない。

 優れた教えというのは本人の意志に依らず、ただ周辺の人々に依って独立(・・)したものと区分けされてしまうのは歴史上の常らしい。

 

 パリ出立後、更に聖人(・・)として知れ渡ってしまったカルピニ神父は、相変わらずジョバンニとだけ名乗り(本名ジョバンニ・ダ・プラノ・カルピニ。プラノ・カルピニ村のジョバンニの意。イタリア人は出身地名を用いて通称とした。レオナルド・ダ・ヴィンチが、ヴィンチ村のレオナルドとなるのも同じ話)、シスターウマ娘と辻に立っては聖書を読み聞かせていた。

 

 そうして本人も知らぬ間に黎明を迎えた《十字教カルピニ派》が爆発的に広まったのは、やはりウマ娘への宣教(・・・・・・・)がきっかけであったろう。

 

 その時、一行はネーデルラント地方を一回りしてシャンパーニュに入っていた。

 この日は大市(シャンパーニュの大市。北の北海商業圏と南の地中海商業圏の中継地として栄えた)が開催されており大変な盛況であったという。

 貨幣経済復権(前話参照の事)の象徴でもあるこの大市は、毛織物、葡萄酒、香辛料──他にも様々な物品が諸国から持ち寄られ活気に満ち満ちていた。

 

 浮世の様相がどうあれ、カルピニ神父のやる事は変わらない。唯一の財産、聖書を懐から取り出して辻に立とうとする。

 けれどもシスターウマ娘がきょろきょろして仕方なかったので、市場を軽く一周した後、賑わう辻に説法を始めた。

 

「──主は澱みなく応えられる。私はウマ屋に生を授かりし者。どうして、あなたは私の兄弟について尋ねるのか」

 

 あっという間に黒山の人集りである。神父の弁舌はパリでの東西交流以後、更に際立っていた。

 道行く人々は商品を物色するのも忘れ、見知らぬ恰幅の良い神父の話に聞き入る。そして説法が終わる頃には、うんと沢山の喜捨が集まっていた。

 内容も商業市だけあって豪華である。真っ白なパン、瑞々しい果物、上等な葡萄酒──それらを腕一杯に抱えるシスターウマ娘が口元をだらしなくさせるのを「これ」とカルピニは叱った。

 シスターは一瞬きりっとして、やっぱりだらしなくなった。

 

 さて、二人が集まり過ぎた喜捨物は貧しい人々に施そうかと相談していると、人混みをかき分けかけ分け、一人のウマ娘が息を切らして現れた。

 

「あのっ、有難いお坊さんというのは、あなたですか?」

 

 追い詰められた様な青白い顔である。

 有難いかは分からないけれども、確かに自分は僧である──カルピニ神父が応じた途端、そのウマ娘は「おやかたああぁ」と叫び、おんおん泣き出した。

 号泣しながら紡がれる言葉と身振り手振りは、何だ何だと集まる野次馬はもちろん、神父にもちんぷんかんぷんであった。彼女の背中をなでなでして宥めながら、シスターの翻訳(・・)を頼りに事情を聞く。

 その翻訳に拠ればこの通りである。

 

「こんにちは、初めまして。会えて嬉しいです。いきなり押しかけてごめんなさい。

 私はシャンパーニュのウマ屋(運送屋)です。実は、この町のウマ屋を取り仕切る親方(・・)が不治の病に伏せって久しいのです。

 色んな偉いお医者さんに見せましたが治りません。もはや主なる神の慈悲に縋るしかなく……しかし、どんなお坊さんを誰を連れて行っても本人が頑として拒むのです。

 このままでは親方は助からない。そればかりか、天国に行けないかもしれない。

 途方に暮れていた所、有難いお坊さんが近くで説法をしていると聞いたのです。これぞ神のお導きと、やって来たという次第であります。

 どうか憐れと思うなら、お慈悲を──」

 

 ウマ屋は言い終わるが早いか、神父の腰に縋り付いて一層おんおん泣いた。目を開き耳を引き絞ったシスターに引き剥がされるのを見つつ、カルピニは「参りましょう」と快諾した。

 実の所、神父はウマ屋の親方(・・)を知っていた。というより、神父の様な巡礼者にとって、そのウマ娘と関わりを持たない方が難しかったのだ。

 

 此処、シャンパーニュに本拠を構えた大ウマ屋──その運送網はフランドルからジェノバまで、大陸を南北に貫通する主要交易路の流通を一手に担う巨頭であった。

 シャンパーニュの大市がこれ程の活況を呈す様になったのも、親方ウマ娘が商品の運送を請け負うようになって以後だと専らの評判である。

 

 その仕事ぶりは親切丁寧にして明朗元気。遠隔地まで確実に品物を届けられて、しかもかわいい──と、商人たちの絶大な信用を獲得していた(中世の商品輸送は常に略奪という危機に晒されていたが、組織化されたウマ娘の荷を襲うのは自殺行為であった)。

 シャンパーニュの大ウマ屋を活用したのは商人だけではない。王侯貴族でさえ貴重な税金の運搬に用いたと言うから、その信用高さは推して知るべしである。

 

 また、各地に点在する駅(替えウマの詰所、荷物の集積地)は巡礼者に非常に親切であった。これは《救世主》はウマ屋で産まれた、という伝承のためである(現在でも同じ)。

 十字教の巡礼者は、各地に点在する駅ウマ娘の親切によって、旅を続ける事が出来たのだ。

 カルピニ神父がパリ到着直後、病に倒れた折に屋根を借りた献身的な町ウマ屋も、かの親方の傘下であった。

 

 カルピニ神父の聞き知る所、パリの町ウマ屋でも、旅の道中に出会った様々な人々の話でも《シャンパーニュの親方》は素晴らしいウマ娘であると褒め称えられていた。

 曰く。元締めという身分に驕る事なく、寝る間も惜しんで働いている。

 戦で身寄りを無くしてしまった人達に仕事を紹介して自立させる。

 稼いだ金銭は懐に溜め込まず、定期的に貧しい人々へパンとスープの炊き出しを行う。

 明るく気さくな性格で数多の少年の初恋を奪う。

 等々、善行を挙げてゆけばきりがなかった。だからこそ、国境を越えた各地のウマ娘に慕われ、これ程の事業拡大が出来たのだろう。

 

 そして、その親方ウマ娘が死に瀕しているという──確かに、部下が大泣きするのも無理はない。

 しかし、その人格者と聞くウマ娘が聖職者を拒むというのは何故であろうか。

 

 大市から歩くこと数十分。町の喧騒から離れた一等地に、親方ウマ娘の屋敷が見えた。

 そのゴシック調の屋敷は確かに立派だったけれども、大商人にありがちな虚飾に彩られた構えではなかった。家主の性格が反映されているのだろう。

 市場を出てからずっと半べその部下ウマ娘は、神父とシスターを床の間に案内した。

 そして、二人が部屋の入口を潜ろうとするやいなや──部屋の奥から罵声が飛んで来た。

 

「また来たか生臭坊主めっ! 何人来ようが私は絶対に信じな……む、うう……」

 

 罵声は直ぐに苦痛が滲む呻きに代わられた。部下ウマ娘が血相を変えて、部屋に飛び込む。

 

「親方、有難いお坊さんが来てくれました。そんな乱暴な事を言っちゃ駄目ですよぅ」

「う、うるさい。余計な世話をするんじゃないわよ」

 

 揉めるやり取りを聞きながら、カルピニ神父は直ぐに部屋に入らず入口に立っていた。

 親方ウマ娘の荒い呼吸が落ち着くのを待ってから、ゆっくり、ゆっくりと中に入っていく。

 部屋の中程まで来ると、最奥に横たわる家主に声をかける。

 

「こんにちは」

 

 やや沈黙を挟んでから「こんにちは」と返ってきた。呼吸は幾分平静になっている。それからようやく、神父とシスターは寝台横の椅子に腰掛けた。

 薄暗い部屋である。それまで親方の顔を確認出来なかったが──見れば、痛ましい半死人の様子であった。

 肌は血色を失い、肌は水気を失って乾いている。目の下には濃い隈が浮かび上がり、瞳は白い膜が張った様に濁っていた。

 

 そして何より。かつて艶やかであったろう鹿毛の毛並みは、今や荒れに荒れていた。尾っぽは寝台の端から、だらりと力無く垂れ下がっている。

 病床にあり手入れもままならないと見え、総毛は埃が絡みぼさぼさである──余りの毛並みの痛ましさに、シスターが胸の十字架(ロザリオ)を握り締めた程であった。

 その視線に気が付いたか、親方ウマ娘は自嘲的に言った。

 

「この通り、悪人(・・)には相応しい末路でしょ……あ、ううぅ……」

 

 直後、胸を押さえ顔を歪ませる。

「おやかたあぁ」と部下ウマ娘が泣き叫ぶ。呻きながらも、しかし「静かになさいっ」と一喝する声は、確かにヨーロッパで一番の大ウマ屋を束ねる《シャンパーニュの親方》の威風が垣間見られた。

 

「胸が痛むのですか」

 

 親方が落ち着くのを待ってから、カルピニは穏やかな声で病状を尋ねた。

 警戒を解かない吊り上がった目で、病人は答える。

 

「そうよ、胸の真ん中が突き刺される様に痛むの。近頃は益々痛みが酷くなって、立ち上がる事もままならない……若い頃からの持病。随分と色々なお医者さんに見せたわ。でも、治らなかった、治らなかったのよ……! 今更どうにかなるもんですか」

 

 と、そっぽを向いた。

 神父は頷き、シスターに親方を触診する様に頼んだ。これは聖職者であるカルピニが、ウマ娘の身体をまさぐる訳にはいかなかったからである。

 当時、触診(・・)と称してウマ娘を撫で回したりする医者が多かった事を考えれば、紳士な対応であると言えよう。

 

「気安く触らないでよ」という抵抗も、病身では虚しく、シスターは親方の身体をじっくり検分する事が出来た。

 脈を測り、下まぶたの色を見て、尿瓶の匂いを嗅ぎ、(トモ)の筋肉を揉み、尾っぽの枝毛を数える──やがてシスターは耳をしょんぼりさせて、首を横に振った。

 神学のみならず医学にも通ずるプラノ・カルピニの薫陶篤いシスターウマ娘でさえ、分かったのは親方ウマ娘が死に瀕しているという事実だけで、病因は分からなかったのである。

 

「ふん、無駄だったでしょ」

 

 投げやりな風に親方は耳を伏せた。

 

「私はお坊さんなんか信じないの、早く帰って頂戴」

 

 カルピニ神父は帰らなかった。

 悪人(・・)には相応しい末路──という、彼女の言葉がどうにも引っ掛かっていたのである。

 

「何故、お坊さんを信じないのですか」

「嘘ばかり吐くから」

「例えば、どんな嘘を」

「かわいいとか」

「他にはどんな」

「それは、私が善人(・・)だっていう嘘よ……っ」

 

 言うと親方は、再び胸を押さえて苦しんだ。悶える様に、それでも喉の奥から声を絞り出す。

 

「アンタも巡礼者なら聞くでしょう。《シャンパーニュの親方》がどんなに悪いウマ娘(・・・・・)かって話を。

 なのに、町の生臭坊主ときたら『貴方は善いウマ娘だから天国に行ける』なんて言うのよ。私の財産の分け前欲しさに、おべっかを使おうと言うのかしら。嘘吐き、大嘘吐きだわ」

 

 カルピニは数回瞬きをした。彼の聞き知っている事と随分食い違ったからである。

 黙する神父に畳み掛ける様に、親方ウマ娘は病身を乗り出した。

 

「ふん、シラを切るなら、良いわ。私がどんな悪バか教えてあげる……何と私は、日曜日にも働いちゃうのよ(・・・・・・・・・・・・)!」

 

 衝撃の告白に、シスターウマ娘は、はっと驚いて口に手を当てた。

 

「本当は休んで教会でお祈りしなきゃいけない日に、私はお金稼ぎに忙しいという訳。驚いたかしら? ウマ屋で産まれた《救世主》さんは、ウマ娘(わたしたち)を兄弟だって言ってくれたのにね……そんな優しい人に、ウマ屋の長である私は祈りに行かないのよ」

 

 顔色を失ったシスターの横で、カルピニは黙っている。

 

「それだけじゃないわ。戦争で家を無くした人を拾って、無理矢理働かせるの。そういう人はね、もう帰る場所が無いから一生懸命働いてくれるんだから。

 そうやって稼いだお金で沢山用意した、貧しい人に配る用のパンだってね、お腹が空いてつまみ食いした事が一度や二度じゃないのよ。

 そうそう、荷物を運んでいる最中に、気に入った男の子が居たら片っ端から頬っぺにチュウして唾を付けておくの。

 ぱっと思い付くだけでもこれだけあるわ……どうだ、参ったか! ヨーロッパ中を探しても、私ほど悪いウマ娘は居ないでしょう」

 

 一息に言ってしまうと、身を乗り出していた親方は、ふらりと仰け反って枕に頭を付けた。

 瞳は益々虚ろになり、息も絶え絶え、疼痛に耐えていた。あくまで気丈に振舞おうとしていた親方ウマ娘は、気力を使い果たした様に弱々しく呟く。

 

「だから、私は地獄に落ちる。あなたが本当に偉い神父さまだと言うんなら、そのくらい分かるでしょう。もう嘘は聞きたくない。だから、教えてよ、本当の事を……」

 

 今まで黙って聞いていたプラノ・カルピニは、静かに答えた。

 

「良く分かりました、あなたは本当に悪いウマ娘ですね。確かに天国には行けません」

「そう、よね、分かっていた事よ……でも、死ぬ間際になって許しを乞う様な、みっともない真似は私には出来ない」

 

 むしろ満足した様に親方は寂しい微笑を浮かべた。

 

「ありがとう、会えて良かったわ」

 

 部下ウマ娘が膝から泣き崩れた。その涙の水溜まりが、薄暗い部屋の床に広がっていく。もはや親方は目を瞑り、部下の醜態を咎めなかった。シスターウマ娘が、縋る様な眼差しで神父の横顔を見ている。

 

はっきり言いましょう(アーメン)

 

 果たして、半死人の病床に神父の声が朗々と響いた。

 

「どんな悪バであろうと、決して主はあなたを見捨てません。例え他の人全てがあなたを見放したとしても、主はあなたに寄り添うのです。主は言われた『私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ』と。故に、あなたが罪を犯したその時、そして今この時にも、あなたの言葉を待っておられる」

 

 親方ウマ娘は虚ろな目を開いて神父を見た。瞳の奥に孤独の色が揺れている。

 カルピニ神父は、にいっと破顔して促した。

 

「さあ大丈夫、勇気を出して。あなたの胸の中に閉じ込めた言葉を、言っても良い(・・・・・・)のですよ」

 

 病人の乾いた瞳が見開いた。カルピニ神父がそっと手の平に差し出した十字架(ロザリオ)を、手を重ねる様に握った。

 そして勇気を振り絞って、震える唇で言う。

 

「ごめんなさい」

 

 悪いウマ娘(・・・・・)は、ずっと言いたくて、言えなかった事を言った。

 

「私は、ずっと悪い娘でした。地獄に落ちても後悔はありません。今更、許してもらおうとも思いません。ただ私は、あなたに謝りたかった。謝りたかった(・・・・・・)んです。けれどそれが、堪らなく恐ろしかった……」

 

 嗚呼、やっと言えた──親方ウマ娘は肩を震わせながら、大きな空気の塊を吐き出した。

 

「いっぱい悪い事をしました。けれど、信じて下さい。私は本当に皆の役に立ちたかったんです。皆の想いが籠った荷物が、何時でも何処でも、安心して届けられる様にしたかった。嘘じゃありません、心から──」

「伝わっていますよ。主は、あなたを待っていたのですから」

 

 神父が笑いかけると、彼女は澄んだ大粒の涙をぽろぽろと零した。

 

「その涙で、あなたは許されるのです」

「ああ、神さま、私がバ鹿でした。死ぬ前に一度でも、教会にお祈りに行けば良かった」

「大丈夫」

 

 カルピニ神父は己の十字架を首から外し、横たわる親方の首に掛けた。また、その額の前で十字を切る。

 

「心に神殿を建てなさい、それは足に付いて来るから──そうすれば何時でも、主はあなたの傍におられる。主は、あなたを愛しているから」

「私の、足に」

「安らぎなさい。もう大丈夫、何も心配は要りません。疲れたでしょう。ゆっくり、お休みなさい」 

 

 そうして《シャンパーニュの親方》は、プラノ・カルピニに髪を撫でられながら、心底安心した表情で、安らかな眠りにつき──

 

 

 翌朝、元気になって飛び起きた。

 

 

 驚くべき事に、十数年来に彼女を苦しめ続けた胸の痛み(・・・・)が、すっかり霧消していたのである。

「奇跡だ!」親方本人以上に、彼女を慕う部下ウマ娘が歓喜した。

 直情的で泣き虫な彼女以外にも、勿論シャンパーニュには大勢の部下が居て、皆一様に号泣して喜んだ。

 

 大恩人の前に、直ぐさま荷車が運ばれて来た。ぜひ謝礼に、と親方が耳を跳ねさせる──覗けば赤が瑞々しい林檎がぎっしり詰まっていて、その合間合間に重たそうな金貨袋が無造作に突っ込まれている。

 シスターウマ娘の口元が未曾有にだらしなくなった。だが神父は断って言う。

 

「あなたの信仰が治したのです。私が取る訳にはいきませんから、皆さんで分けて下さい」

 

 また、神父は直ぐにでもシャンパーニュを出立するつもりだと伝えた。

 ウマ屋の娘たちは大変に寂しがった。せめて一晩、御馳走を用意しますという誘いも、神父はやんわり遠慮した。

 快癒した親方ウマ娘が目尻に涙を一杯溜めて、

 

「どうか御尊名だけでも承りたく」

 

 と首に掛ける十字架を握りしめて聞くので、神父は誠実に答えた。

 

「ジョバンニ・ダ・プラノ・カルピニと申します」

 

 ウマ屋の娘たちはびっくりして尾っぽを逆立たせた。

 それは、パリの大火を鎮め、悪しき《地獄の軍(タルタロス)》を改心させた聖なる人の名であった──訪れた時と同じく、プラノ・カルピニ神父は巡礼杖をつきつき、シスターウマ娘を伴ってシャンパーニュを去って行く。

 親方ウマ娘とその部下たちは涙を流し、何時までも二人の背中に手を合わせていた。

 

 

 ◆

 

 

《シャンパーニュの親方》が快癒した知らせは、交易路を伝ってあっという間に広がった。

 彼女を慕う各地のウマ屋の喜び様は、降誕祭(クリスマス)復活祭(イースター)が一緒に来た様だったという。

 それまで親方の回復を祈って断食するウマ娘まで居たと言うから(彼女たちの断食は人間のそれより深刻な意味を持つ)、それは筋金入りの歓喜であった。

 

 そして、親方は《聖カルピニ》の霊験によって救われた、という話も同時に伝わった。

 歴史上に奇跡を起こした聖人は数知れず──しかし、他の聖人とカルピニが決定的に異なったのは、単に伝説上の話ではなくて、その霊験が実際に効いた(・・・・・・)点であろう。

 

 聖カルピニが活動していた時期は、商業活動が活発化したと言っても、まだまだ封建的閉鎖社会が支配的であった。

 人々は土地に縛り付けられていた(・・・・・・・・・)と筆者は前節に述べたが、少し視点を変えてみれば、生まれ故郷には絶対的安寧(・・・・・)があった。

 そこには産まれた時から面子の変わらぬ仲間が居て、領主と教会の話さえ聞けておけば自分の頭で何も考える必要が無い。村の外の事は何も知らないし、知る必要も無い──明け透けに言えば、故郷を出るのが怖かったのである。

 

 しかし、時代の流れは止められない。

 貨幣経済が復権し富が流動化する社会に、荷の運び手が求められたのは必然であった。

 そして、この需要を満たす運び手となったのがウマ屋であり、なり手のほとんどは地方の田舎出身であった。産まれた村の畑を耕し、村民さんと仲良く穏やかに暮らすウマ娘が大多数を占める中、その価値観に収まらぬ者である。

 外に出てみたい、広い世界をこの足で全力で走ってみたい──そういう、当時の封建的価値観では気性難(・・・)と呼ばれたウマ娘たちが、故郷を飛び出してウマ屋に就いたのである。

 

 そういう故郷を捨てた無頼なウマ娘ほど、若い頃は吹き上がる情熱で以てヨーロッパ中を元気に駆け回る。

 しかし、ある程度の見聞を重ね気性が落ち着いてくると、とある病をしばしば発症した──それは、耐え難い胸の痛み。

 

 シャンパーニュの親方と同種の病(・・・・)である。

 そう、この病はウマ屋特有の職業病(・・・)だったのだ。

 

 こんな話がある。

 親方ウマ娘が、昔から懇意にしている北イタリアの行商ウマ娘がいた。そのウマ娘も過去に故郷の村を飛び出した口で、そして、同じく胸の疼痛に苦しんでいた。

 そこに、病を快癒させた親方が訪れる。友人の元気溌剌な姿に行商ウマ娘は驚いた。二人はつい昨年まで「何方が先に死んでしまうか」等という、絶望的な手紙のやり取りをしていたからである。

 親方ウマ娘は、自分の身に起きた出来事を、寝台に横たわる友人に力説した。

 

「聖カルピニの教えに帰依すれば、あなたもきっと良くなるわ」

 

 と勧めたのである。

 そして夜の眠りにつく前、藁にもすがる思いで行商ウマ娘は自分の足を撫でて心に念じた。

 心の神殿は足に付いてくる──そして翌朝起きてみると、なんと、胸の疼痛はたちどころに癒されているではないか!

 

 この効能が発揮されたのは、行商ウマ娘だけではない。ヨーロッパ各地で、病が癒されたという声が続出した。

 お医者さんも匙を投げる不治の病と考えられていた疾患が、にわかに根絶されようとしていた──そして、これはウマ娘たちにとって本物の奇跡(・・)以外の何物でもなかったのである。

 

 こうなると交易路を網目状に伝って口から口へ、各地に点在するウマ屋の間で聖カルピニの教えは爆発的に広まった。

 長距離移動こそ生業とする彼女たちである。『神殿は足に付いてくる、例え何処に居ても主は愛してくれる』という教えは強固な心の支柱となり、駆ける足に底知れぬ力を与えてくれた。

 

 中世ヨーロッパに流通革命(・・・・)が起きた。

 各地のウマ屋が絶好調になったばかりではなく、従来村の外に出る事を怖がっていたウマ娘たちもが一斉に流通業に参画し始めたのである。

 国から国へ活き活きと駆け抜けるウマ屋の姿が、村子ウマの目に輝いて見えたであろう事は想像に難くない──ウマ娘を閉鎖された中世荘園に縛り付ける精神の鎖は、遂に千切られたのだ。

 そして、彼女たちが信仰する教えが徐々に《十字教カルピニ派》と呼ばれ出したのもこの頃であった。

 

 富の流動化は加速度的に進行した。富が流動すれば、貨幣の匂いを新興自由都市(・・・・・・)の商人たちが嗅ぎ付ける。必然、社会の富は自由都市に集約していく。

 すれば、時代の流れに適応出来ない旧来の封建貴族は益々没落していく。度重なる十字軍運動の失敗も重なって、首が回らなくなった貴族は国王の庇護を求める。貴族が没落すれば、対照的に王権が強まる。

 こうして《カルピニ派》浸透による上記《中世流通革命》は、連鎖的に中世封建社会の根底へ打撃を与えたのである。

 

 

 今一度まとめてみよう、

 

①貨幣経済の復権。

②黒死病の大流行。

③十字教カルピニ派の浸透。

 

 以上三点が中世ヨーロッパの封建制崩壊の主要因であると言われている。

 無論上記に付随して、ウマ娘朝モンゴル帝国の衝撃、バチカンの宗教的権威の低下、独立諸侯の踊り場(直喩)と化した神聖ローマ帝国、ポーランド王国の劇的な伸長、等々──実際には一概に括れず、複合要因が絡み合った末での社会変革であった事は、くれぐれもご留意頂きたい。

 

 

 ◆

 

 

《シャンパーニュの大ウマ屋》について、その後の顛末を少々述べておこう。 

 元々、北海〜地中海商業圏まで経線方向の交易路に展開していた組合であったが、モンゴル帝国がバチカンの財宝をばら撒きながら緯線方向の交易路をユーラシア大陸にぶち抜いたため、これ幸いとばかりにその方向にも手を伸ばした。

 

 そして、いよいよ経緯に販路を広げた大ウマ屋はヨーロッパ全土を網羅する勢いで事業を拡大させていった。

《カルピニ派》第一番の信徒であると見なされていた親方ウマ娘を慕って、デンマークからイタリア、カスティーリャからポーランドまで、多彩なウマ娘たちが参集したという。

 

 親方ウマ娘は、たった一人で多民族を統括していた類稀な女傑であった。

 彼女の胸には、聖カルピニから拝領した十字架(ロザリオ)の煌めきが、片時も離れなかったと伝わる。

 しかし、そんな親方が天寿を全うするとヨーロッパ中に拡大した大ウマ屋は分裂──のれん分け(・・・・・)と表現した方が正確かもしれない。親方の生前、各地方の担当者に割り当てられていた番頭らが、それぞれの地方で独立。一人一人が新たな親方(・・)として歩み始めたのである。

 これをフランク王国の分裂になぞらえて悲観する場合がしばしば見受けられるが、実は親方ウマ娘の晩年に合意されていた既定路線であった。肥大化し過ぎた組合が、各々の地域に根ざす方向へ移行したと考えれば、それは極自然な成り行きであろう(シャンパーニュ本家も無くなってしまった訳ではない)。

 

 かくして欧州各地に散らばったウマ屋は時代の波に揉まれ、分裂と合併を繰り返しつつも、人類が商業活動を続ける限り運送業が廃れる事は決してなかった。

 現在においても他の職業に比して、トラックの運送手さんにウマ娘が多いのは、かつて運送業と言えばウマ娘が独占していた頃の名残である(何か凄いデコトラが走っていたら大抵ウマ娘が得意顔で乗っていると思う)。

 

 記憶に新しい米国発デリバリーサービス《Umar Eats》。

 この企業の元を辿れば《シャンパーニュの大ウマ屋》の系譜である事は著名であろう(孫の孫の曾孫レベルであったとしても確かに間違い無い)。

 自宅蟄居を余儀なくされる情勢化で、彼女たちの輝く笑顔に心洗われた──という同士が、どれだけ居るだろうか?

 確かに言える事は、中世の閉鎖的社会にあって、

 

『皆の想いが籠った荷物を届けたい』

 

 という親方ウマ娘の理念は、脈々と受け継がれている事だ。

 そして今日も運送業のウマ娘たちは世界中を駆け回り、我々に荷物と、真心を届けてくれるのである。

 

 

 

 そう、その崇高な理念に比べれば、私が昼に《Umar Eats》に頼んでいた天丼がぐちゃぐちゃになっていた事など些細な問題であろう。

 おいしい。

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