蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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コンスタンティノープル奪還戦について

《ジェベ・ウルス》第三代バトゥ・ハンには母親と呼べる人が二人居る。

 一人は産みの親ジョチ──そして、チャガタイ・ハンである。

 

 生母ジョチはバトゥが十を数えぬうちに流行り病で他界した。母を深く愛していた父はバトゥを大切にしてくれたけれども、翌年、妻と同じ病に倒れた。

 バトゥは(ウルス)(ハン)を継承したと同時に孤独になってしまった。未だ幼い子ウマに政治を行う事も、軍を統括する事も出来ようはずがない。

 

 いち早く後見を名乗り出たのが、南東に隣接する《チャガタイ・ウルス》の主、大ハーンの第二皇女チャガタイであった。バトゥの叔母にあたるウマ娘である。

 チャガタイは姉ジョチと激しく諍ったと噂に高かった。バトゥが孤立無援になって直ぐ後見を名乗り出たのは、憎き姉の土地を乗っ取る野心があるからだ──と、口さがない指導人連中は噂した。

 チャガタイ本人もそれを否定しない。それどころか公然と野心を認める様な態度を取っていたから、益々噂は信憑性を増した。

 この悪い噂は大ハーンのウマ耳にも届いたが「チャガタイの好きにさせよ」と取り合わなかったという。

 

 巡視(・・)と称して、チャガタイは度々領土に侵入してはバトゥの顔を見に来た。幼いバトゥは叔母が恐ろしかった。噂の内容が怖かったからではない、何時も怒っている様な吊り目が怖かったのである。

 ジョチ・ハンが亡くなって直後、バトゥの天幕(オルド)にチャガタイがずかずか踏み入ってきた時、バトゥは全く身の丈に合わない玉座に収まって震えていた。

 叔母は鋭い目元でバトゥの小躯を上から下までじろじろ見て口を開いた。

 

「お前は鼻たれのチビだけども、間抜けのジョチよりはかしこそうな面をしている」

 

 貶しているのか褒めているのか分からない事を言って、筆と(すずり)を投げる様に寄越した。そして来た時同様、尾っぽをいきらせて、ずかずか去っていった。

 バトゥには叔母の行動の意味が分からなかった。はてなと首を傾げていると、深刻な顔をした側近が進言する。

 曰く。チャガタイ・ハンは法律にめっぽう厳格で、中華世界から書物を取り寄せて立法を学ぶ程である。そんな知恵者の彼女が筆と硯を寄越したという事は、暗に我が国の法の乱れを指摘し、法律を学べと叱っているのではなかろうか──びっくりしたバトゥは貰った筆と硯を取って、先ずは必死に文字を覚える努力をした。

 そしてふた月経った頃、再びチャガタイがずかずかと入ってきて、

 

「あれはお前の様な鼻たれに与える様な物ではなかった、返せ」

 

 尾っぽで空気をばしばし叩き、不機嫌そうに言う。バトゥは玉座の上でぷるぷる震えた。

 

「もういっぱい使っちゃったけど、それでも良いですか」

「まさか、チビにあれが使えるものか」

「文字は覚えたけど、よく繋げて書けません。ごめんなさい」

「……なら、もういらん。お前に、やる」

 

 言うだけ言うと叔母は何だか軽やかな足取りで帰っていくのだった──その後も叔母は度々顔を出して、様々なものを寄越してきた。

 ある時は「お前は痩せっぽちで弱そうだ、腑抜けのジョチにすら相撲で負けてしまうぞ」と言い、かご一杯のニンジンを置いていった。

 またある時は「そんなみすぼらしい靴では、野良ウマ娘に競り勝つどころかジョチにすら勝てないな」と、ぴかぴかの靴を姪子に履かせた。

 はたまたある時は「その手入れがまずい毛並みがまだしも見れるのは、父方に似たからだ。ジョチのぼさぼさ頭に似なくて良かったと思え」と良い香りの油をくれた。

 

 何だかバトゥは申し訳なくなってきた。贈り物の一つ一つはとても嬉しかったけれども、感謝の言葉以外で何もお返し出来ていない。

 バトゥは最初に貰った筆と硯を用い『叔母上に申し訳ないから、もう贈り物は要りません』と、さらさら書簡をしたため、早ウマ係に持たせた。すると早速返書が返ってくる、少し驚く早さだった。

 聞けば、とんぼ返りしてきたらしい早ウマ係は怯えた様子で報告する。

 

「書簡を受け取ったチャガタイ・ハンは大変にお怒りで、その場で返書を記すや、持たされて御座います。でも出る前にお水とニンジンはくれました」

 

 返書を読むと、怒りにわなないた文字でこうある。

 

『我が姪バトゥ、または不義理のウマ娘よ。お前がこんなに上手な文字を書ける様になったは誰のお陰か、よくよく胸に手を当てて考えてみるが良い。この恩知らずめが、お手紙をありがとう』

 

 貶しているのか褒めているのか喜んでいるのか分からない文面だった──バトゥは叔母の真意を判断するのに、見てくれや言葉について考慮するのをやめて、単に行動のみを材料とする事にした。すると、具体的な言葉にはならなかったけれども、様々な事が腑に落ちる気がした。

 あんなにおっかなかったチャガタイ・ハンが一切怖くなくなった。

 

 そうして、ある天上(テングリ)のご機嫌が良い日。バトゥはチャガタイの膝の上に収まって、まどろんでいた。玉座なんかより余程居心地が良かった。

 記憶に懐かしい母に似た匂いに包まれ、晩春のぽかぽか陽気にあてられて、遥かなる蒼天を仰ぎ見る。

 嗚呼、大いなるかな乾元(お空は広いなあ)

 手ぐしに毛並みを梳かれながら、バトゥは瞼の重みに抗う事をしなかった。まだ意識の欠片が残っている時、声が聞こえた。

 

「バトゥ。お前は貧弱なジョチなんかより、ずっと長生きせねばならんぞ」

 

 バトゥは頬に雨を感じて、やはり春の雨は暖かいのだなと思った。

 

 

 ◆

 

 

 黒海北岸に発したキプチャク軍は、そして誰も居なくった前の道を通ってバルカン半島を左旋回し、いざ本命に取り掛かった。

 世に言う《コンスタンティノープル奪還戦》である。ニカイア皇帝の親書(現存)によれば作戦はこうだ。

 

①ニカイア軍は東側から攻め上り、軍船を駆使して海から攻める。キプチャク軍は西側から攻め上り陸から攻める。これにて挟み撃ちとなる。

②コンスタンティノープルは海に突出した地形であるから、一度包囲してしまえば逃げ場は無くなる。

③こうして敵の士気を挫き城内の裏切りを待つ。この内応者は元ビザンツ帝国の旧臣であり、既に話は通じている。

④内応者の合図と共に城門が開いた所で一気呵成に制圧する。

⑤万歳。

 

 というものである。親書の最後には「完璧な作戦であり、労少なく実り多し」との太鼓判まであった。

 出陣前、この貰ったお手紙をバトゥは喜んでスブタイに読ませたそうだが、将軍は内容に触れないまま「私はバトゥ・ハンに従います」と言ったきり二度と読み返そうとはしなかった。

 それ以後、何か大将軍は鬼気迫る雰囲気を醸し出していたという。

 

 そして恐るべき速さでバルカン半島を打通したキプチャク軍は、作戦通りコンスタンティノープル西側の城壁を取り囲んだ。

 俄に西から出現したモンゴルウマ娘を見て、東に先着していたニカイア皇帝は驚愕した──何故作戦の立案者が驚くのか?

 端的に言って、本当に来るとは思ってなかった(・・・・・・・・・・・・・・)のである。

 

 彼が親書に説いた挟み撃ち作戦はあたかも共同作戦の様に読めるけれども、その実、両軍の負担には多大な差がある。

 大体、移動距離からして違う。ニカイア帝国はコンスタンティノープルの右隣、目と鼻の先である。また進軍先は己の古巣であり、言わば勝手知ったる土地なのだ。

 これがキプチャク軍では全く異なる。黒海北岸から遥々回ってこなければならない。全く知らない土地、しかも道中にはハンガリー王国を初め強大な敵対勢力が行く手を阻む。

 言わずもがなこの時代、運搬車両など無く、道路整備も碌に整っていない。兵站線の確保は全軍の生死に直結する。下手をすれば出征先で野垂れ死に必定である。

 

 数多の困難を切り抜け目的地に辿り着いたとしても、今度は城攻めに取り掛からなければならない。

 城攻めとは最も根気が必要な戦争形態だ。じっと囲んでいるだけでも莫大な兵糧を消費するし、兵の士気の維持は至難の技だ。

 そして世界屈指の堅牢さを誇るコンスタンティノープルの城壁は、ちょっとやそっとの攻城ではビクともしない。先の第四回十字軍の際は、防衛側の内部抗争により自壊してしまったのであって、決して帝都が誇る三重城壁が敗北した訳では無いのだ。

 

 加えて、ニカイア帝国とて《ローマ帝国》の都を不当に奪われた屈辱の二十年間、何もしてこなかった訳では無い。必死で食糧増産に励み、兵卒を訓練し、軍船を組み上げ、後背の異教徒とは政治的妥協を目指した。

 帝都奪還のための牙を研ぎに研ぎ澄ませていたのである。バルカン半島で動乱が起こり、意味不明な僭称国家ラテン帝国の注意が西に奪われている隙を突いて、己の力だけで帝都を奪還する自信は十分にあった。

 否、そうでなければならない、己の手で成し遂げなければ意味が無い! という唯一正統な《ローマ帝国》を自負する意地の様なものもあっただろう。

 

 総括して『キプチャク草原の蛮人はコンスタンティノープル西側で動乱を起こしてくれれば十分だ。あわよくば目障りな国家群もろとも共倒れしてくれれば良い』という所か。

 仮にキプチャク軍が来たとしても既に満身創痍であり、為す術なく引き返すしかないだろう──とニカイア皇帝はたかを括っていた。

 

 しかし、キプチャク軍は見参した。

 ほぼ無傷、補給十分の状態で──理由は単純明快。

 キプチャク軍は強過ぎた(・・・・)

 

 事実は先の、対ハンガリー王国・バルカン連合である《モヒの戦い》に明らかである。

 この戦いで隻眼の宿老スブタイ将軍と、若き皇女(プリンセス)バトゥ・ハンが用いた戦術は、三方同時分進合撃(・・・・・・・・)であった。

 軍団を三つに分け、三方向から一斉にかかる──というものだ。

 

 取り分け卓越した戦術には思えないだろう。が、それは我々が現代人だからである。

 考えてもみて欲しい。無線もGPSも無く、互いに離れた軍集団が連携するという事が、果たして容易だったろうか。

 第一、中世欧州世界に軍団を分けて進める(・・・・・・・・・)という発想自体が無い。というか、不可能だったのだ。

 

 筆者は《ワールシュタットの戦い》の折りにも触れたが、中世欧州の軍団というのは諸侯の私兵の寄り集まりに過ぎない。私兵なのだから、当然指揮権は各々諸侯が持っている。

 総指揮官なる者が居たとしても、あくまで名目上でしかない。「何の筋合いか貴殿に従わねばならぬのか?」と尋ねられればそれまでである。

 

 指揮系統がばらばらで一塊になっているのがやっとなのに、更に分かれて連携するなど出来ようはずも無い。

 道が狭いといって各々分かれて進もうとしたら、そのまま皆帰宅して軍団そのものが解体した──なんて話が残っている位なのだ(これは極端な例だが)。

 であるからして『一ヶ所に駆士を出来るだけ沢山集めて真正面からぶちかます』という戦の形に帰着するのは必然だった。

 呉越同舟(・・・・)などという耳触りの良い諺を信じていると、仲間に笑顔で毒を盛られる──良いか悪いかは別問題として、それが中世ヨーロッパという社会なのだ。

 

 しかし、モンゴル帝国軍では違った。

 大ハーンを頂上として、指揮系統は明確に一本化されている。

 この場合、大ハーンより派遣されたスブタイ将軍に、バトゥ・ハンがキプチャク軍の軍権を貸し与える、というシンプルな形である。

 そしてこれはキプチャク軍に限らないが、モンゴルの地方軍というのは、須らく大将軍の考案した練兵方式に則って一律訓練されていた。

 そのため、指揮者が誰であっても直ぐに地方の軍団を手足の様に動かす事が出来たのだ。

 

 指揮系統の一本化、加えてスブタイ将軍が最も重視した情報戦──モンゴルウマ娘のスタミナを存分に活かした綿密な外線網(・・・)の権能により、常時互いの分隊の情報を把握出来て初めて、三隊同時分進合撃が可能になるのである。

 

『分進合撃』の概念が欧州で芽生えたのは、十三世紀以後、貴族階級が次第に自前で戦費を賄えなくなった事で、軍といえば傭兵主体へと移り、それから徐々に王権が強まり、傭兵から常備軍へと過渡する──という流れの末にである。

 

 そしてウマ娘朝モンゴル帝国以降、その戦術を継承、完成させたのが、かのフランス皇帝《ナポレオン・ボナパルト》。そして芦毛の愛バ、駆兵戦術の天才《マレンゴ元帥》なのである。

 このフランスの無敵コンビは、分進合撃によって欧州各国による対仏大同盟を粉々に粉砕(文字通り)。

 そしてまた、分進合撃の弱点をも熟知しており《アウステルリッツ三帝会戦》では逆に分進中の敵を各個撃破の餌食にしている。

 ヨーロッパ中で暴れ回った、という点では共通なのかもしれないが、ウマ娘朝モンゴル帝国の衝撃から実に約六百年(・・・・)の時間差がある。 

 かなり大袈裟な言い方になるけれども、つまりハンガリー・バルカン連合軍は、六百年分先取り(・・・・・・・)した戦術をぶつけられた訳である。

 

 悪夢以外の何物でもない。

 此方がやっと一つに纏まっている所を、モンゴルの走弓兵は三方向から猛烈に迫って来るのだから──

 

 このキプチャク軍による《モヒの戦い》の推移を示した戦場俯瞰図を見れば、実に鮮やかに包囲を完成させている事が分かる。

 それはカルタゴのハンニバル・バルカの戦術を見た時と同じ類の感動を後世人にもたらす。

 戦争芸術。人命が大量に失われる悲惨な結果にも、美しさを見出してしまうのは人の業であろうか。

 このモヒの戦いについて、ウマ娘朝モンゴル帝国研究の第一人者、世界的権威にして自らもウマ娘という女博士は、

 

「きれい。」

 

 とコメントしている、が、ここでは皇帝ナポレオンのコメントも併記しておこう。

 

「私の心に浮かんだ感覚に従うならば、バトゥとスブタイは優れた戦術家というより、美的に鋭敏な芸術家である」

 

 そして後日「マレンゴ元帥の次に」と付け加えた。何か理由があったのだろうと言われる。

 

 

 ◆

 

 

 コンスタンティノープルの正当な所有権を主張するニカイア皇帝の計略に拠れば、帝都を東西から包囲して士気を挫けば、間もなく内通者により開門される手筈であった。

 しかし一週間経っても指一本分も門が動く様子がない。焦れたニカイア皇帝は密書を遣わす。果たして返ってきた返書は、

 

『話と違う』

 

 というものだった。

 全く正鵠を射ていた。元々、モンゴル軍が参陣する予定ではなかったのだ。内通者からすれば、正当な《ローマ皇帝》が大義名分を下げて堂々と帰参する──そういう筋書きだったから、裏切りという罪について折り合いもつけられたのである。

 更に返書は語る。

 

 嗚呼それなのに、皇帝よ、げに恐ろしきタルタル人を引き連れて来るとは何事だ。

 総大将バトゥ・ハンは、あの(・・)チンギス・ハーンとジェベ将軍の孫である。しかも陣頭には泣く子も黙る恐怖の代名詞《SUBUTAI》が立っているという。

 二十年前《ワールシュタットの戦い》でレグニツァ十字軍が(みなごろし)されたのを忘れたのか(ポーランド王を除く)。そして現在、コンスタンティノープルを占拠しているのも、同じ十字軍(第四回)戦士である。

 この事からも、悪しき異民族の狙いは明らかではないか。いま開門するのは、それは地獄の門を自ら開け放つのと同義である。

 こうなった以上、死ぬ気で交戦する他に我々に生きる術は無い。嘆かわしや、あなたは悪魔に魂を売り渡したのだ──

 

 ぐうの音も出ないとはこの事だった。

 ニカイア皇帝の思い描いた奪還作戦は灰燼と帰した。いや、それで完結すればまだ良かった。内通が望まれないとして、今度は意気揚々と参陣したキプチャク軍の扱いに困った。

 キプチャク草原における覇権の正式な承認、モンゴルウマ娘の自由通行権、毎年の貢納金、その他諸々の特権──その見返りに、援軍を要請しているのである。

 今更「御礼は出来ません、帰って下さい」では通らないし、ただでは済まない。頭から尻まで串を貫き通され火で炙られ腸を喰いちぎられる(当時の一般的なモンゴル人のイメージ)。

 

 皮算用のツケが回ってきたニカイア皇帝は後に退けなくなった。こうなった以上、是が非でもコンスタンティノープルを奪還しなければ《ローマ帝国》の明日は無い。

 

 即刻、ボスポラス海峡に陣するニカイア軍船に攻撃準備が下った。海軍は驚く。話が違う、攻撃はしない計画のはずでは──そして事情が話される。否も応も無い。こうなれば全軍が運命共同体である。

 

 ニカイア軍で一番揉めたのは、誰が総攻撃の連絡をキプチャク軍に説明するか、であった。そんなの誰だって行きたくない。筆者も行きたくない。

 揉めに揉めた結果、最後に役目を押し付けられたのが外務大臣──の下っ端の下っ端、一昨年赴任したばかりの若い役人であった。

 彼は「神よ」と泣き叫んだが、同僚たちに慈悲は無い。格好だけベテランらしく見える様に飾られて、西対岸行きのボートに押し込められた。

 そして、たった独りと一隻のボートがボスポラス海峡を渡った(漕ぎ手に職務拒否されたため本当に独りだったらしい、哀れだ)。

 

 さして広い海峡でもなし、間もなくボートは対岸に着いた。木っ端役人が独りがたがた震えていると、迎えにやって来たのは尾花栗毛(きんぱつ)のウマ娘であった。何となく、西洋人に馴染む顔立ちをしている。

 彼女に悪魔の角が生えていなかったので、ほっとしたのも束の間「お客さん。いらっしゃい、いらっしゃい」と何故か嬉しそうなウマ娘に、ぐいぐい腕を引っ張られる。バ(りき)に人間は敵わない。ボートから引きずり出される。

 押し込められたり、引きずり出されたり、彼の心中は推して知るべしである。

 

 果たして連行されたのは、キプチャク軍本陣であった。

 数多のウマ耳がくるくる動いている。やはり尾花栗毛が割に多く、観察すれば碧眼の娘も居る。だが皆に共通するのは、ポニーちゃんの様な幼い顔立ちである事だ(西洋人基準)。

 ごろごろしているウマ娘たちの「お客さん?」という好奇の視線を全身に受けながら更に進み、遂に奥の天幕まで連れて行かれる。

 

 天幕に入った途端、思わず彼は目を細めた。眩しかったのだ。眩い光の奥には、明るい栗毛のウマ娘が座っていた。

 キプチャク(ハン)の住処は目も眩む黄金で彩られている──その事を思い出し、哀れな使者は慌てて平伏した。

 

「いらっしゃい」

 

 キプチャク王──バトゥ・ハンは朗らかな笑顔で使者を迎えた。恐る恐る男が顔を上げて顔を見ると、やはり西洋人の基準でポニーちゃんだった。

 彼は意を決して、一言一句偽り無く事情を話した。

 

「予定が狂ってしまい急遽総攻撃を行う事になりました。キプチャク軍におかれましても、願わくば助力を──」

 

 喉につっかえつっかえ言葉を紡ぐと、バトゥは耳をぴくりと動かし「ふーん」と言った。

 彼女の言葉は、それ以上の意味でも以下の意味でも無かったが、下っ端役人の肝を無形の槍で貫く位の威力があった。

 

「スブタイ」

 

 外から「応」と返事があり、白毛玉の怪物みたいなウマ娘が天幕に入って来て、跪いた。

 

「お主の言う通りになったぞ」

「……攻撃ですか」

 

 ずんぐりした白いもさもさの合間に、片方しか無い目玉が鋭く閃いた。

 男は、どうっと冷や汗をかく。この真綿の親分みたいな隻眼のウマ娘が《SUBUTAI》──十字教の敵、欧州人の恐怖そのものか。

 無論モンゴルウマ娘は知った事ではない。

 

「あまり的中して欲しくはなかったですが」

「その慧眼に感心したわ」

「バトゥ・ハンに申し上げます」

「許す」

「我々は万という敵を破り、海を迂回し、遥々やって参りました。この上、当初の約定を違え、攻勢に加われとは虫の良過ぎる話」

「仕方あるまいよ、人助け(・・・)だもの」

「モンゴルを軽んじております」

「んん、それは駄目だな」

 

 バトゥ・ハンはニカイア帝国の代表者を見て、小首を傾げた。天幕の煌びやかな黄金宝飾以上に、煌々と目が光っている。

 

「お主ら、モンゴルを軽んじておるのか?」

 

 彼は首が千切れる程に横に振った。

 バトゥの方は安心した様に笑う。

 

「ほらね、こう申しておる」

「私はバトゥ・ハンに従います」

「攻撃準備は済んでいるな」

「既に」

「やれ」

「諾」

 

 踵を返した大将軍は、歩みを緩めて、すれ違いざま男を横目で睨んだ。二十年前《ノルマンディーの戦い》で潰された片目を眼帯の上から撫でる。

 

 彼の正体が、ローマなんとか(・・・・・・・)の下っ端も下っ端に過ぎない事はとっくに承知であった。その時点で既に無礼である。だがバトゥ・ハンが敢えて目を瞑ると言うのなら、素直に従おう。

 しかし、これ以上バトゥが異国に無礼(なめ)られるのは我慢出来そうにないし、する必要も感じなかった。よもや御身のもしもの事あらば、例え大ハーンが許しても、鬼の形相のチャガタイ・ハンが地の果てまでも駆けて来て断罪するだろう。

 そして何より──チンギスとジェベ、二人の朋友の血脈を一杯に受けたバトゥを、スブタイは愛おしく思っていたのである。

 

 大将軍が天幕を出るまで、異国の使者を睨んでいたのは僅か数秒に過ぎなかったが、彼の顔色を見るに意図は十分に伝わっている様だった。

 実際、彼は自陣に戻って正確に報告したのである。

 

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