蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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帝都陥落、そして時代の変遷について

 

 

【挿絵表示】

 

図1.122X年 コンスタンティノープル奪還線 布陣図

 

 

 千年の都コンスタンティノープルの三重城壁が、蛮族の嗤いと共に灰燼と帰しつつある。

 金角湾に陣取る軍船団──その旗艦の上で、唯一正当なる《東ローマ帝国》、今は亡命政権《ニカイア帝国》に甘んじている老人皇帝は歯軋りした。

 彼は今、愛しき故郷の面影が失われつつある報告を聞いているしかなかった。

 

 攻城戦とは、決してその場で勝って終わりなのではない。為政者にとっては、むしろ勝った後(・・・・)の処し方こそ主戦と言って良い。例え帝都奪還を果たしたとして、瓦礫の山に佇んでどうしろと言うのか。

 だがモンゴルは、そこを全く慮っていない。遠投投石機(トレビュシェット)が二百基という想像するだけで目眩のしそうな飽和弾撃で、見る間に都を平ら(・・)にしている。

 やりたい放題だ。まさか戦後処理と再建の重みが分からぬ筈はあるまい。これでは援軍の見返りとして提示した貢納金の徴収さえ不可能になってしまうではないか──

 

 定住民たる者にとって、実に遊牧民は破壊するために破壊しているとしか考えられなかった。かなしい価値観の相違である。

 ただ間違いない事は、異民族を招いたのは皇帝自身であるという事だった。予定を曲げて総攻撃を申し入れたのも然り。口上で無茶を言っているのは此方側で、モンゴルウマ娘は素直に約束を守っているだけだ(常に想像を上回ってはいたが)。

 

 キプチャクの《魔王》めが! それにつけてもラテン人(十字軍)が憎い──老皇帝は日課の呪詛を吐いた。

 確かに歴史上、内輪揉めに異民族を呼び込んでろくな事になった試しがない。中華世界において三国時代が終焉後の、五胡十六国時代が良い例である。げに歴史は繰り返す。

 

 不意に老ニカイア皇帝は、船団をもっと岸壁に寄せろ、と命じた。船は命令通りに動く。

 そして、全身くまなく武装した皇帝は旗艦のガレー船の船首に立った。手には栄えある東ローマ(ビザンツ)帝国の大国旗を固く握っている。

 旗艦の乗組員は仰天した。既に敵の防御塔から矢が届く距離である。「危険です、お戻り下さい」と臣下の声に耳を貸さず、仁王立ちした男一匹が咆哮した。

 

「奮い立て、名誉あるローマ市民よ! 帝国の興廃この一戦にあり!」

 

 あくまで前方を見据え、男は両手にした大国旗を全船団に見える様に大きく振った。

 正しく言葉通りであった。こうなったらコンスタンティノープルが平らか(・・・)になる前に、自らで攻略せしめるしかローマの未来はなかった。

 老いて丸まったその背中は、後世《魔王に魂を売った皇帝》と呼ばれる、祖国滅亡の辛酸を舐め尽くし、後半生の全てを祖国復興に捧げた男の執念の背中であった。

 果たして、その執念はローマ市民に伝わった。次々に船上で鬨の声が上がる。故郷を奪われた悔しさは皆とて同じ想いであった。

 

 船団が着岸すると同時、真っ先に皇帝が旗艦を飛び降りた。城壁から矢が降りしきる最中を、全身全霊で旗を振りながら、雄叫びを上げて城門へ突っ込む。自暴自棄ではない。ここで退いては生きる意味を喪失してしまうからだった。

 この姿に心打たれたのがギリシャウマ娘である。彼女らは主に軍船の漕ぎ手として従軍していたのであるが、老体に鞭打ってひた駆ける皇帝の背中を見て、じっとしていられなくなった。

 

皇帝(バシレウス)に続け、お爺様を死なせるな!」

 

 一斉に掛け声するや、(オール)の代わりに破城槌を担いだギリシャウマ娘が突撃する。まごついていた兵士たちは、誰もが自分の勇気の足りなさを恥じ、先を争って上陸し始めた。

 金角湾側の防備は手薄であった。西側城壁の圧倒的破壊の暴風雨に注意を割かれていたのだ。そこへ気が触れた様に大国旗を振り回す老人を先頭に、ギリシャウマ娘を含むニカイア軍が殺到して来たのである。

 見事な挟み撃ちであった。ようやくまともな形で皇帝の策略が生きてきた。或いは、未だ《ローマ帝国》が神に見放されていなかったという事か。

 

 意外な程に人的損失は少なく、ニカイア軍は金角湾に面した城門に取り付いた。矢を防ぐ大盾によって作られた細い回廊を、破城槌を抱えたウマ娘が猛烈に突っ込んだ。

 何度も何度も突っ込んだ。

 遂にはコンスタンティノープルの堅城門がひび割れる──時を同じくして、西側では三重城壁の一枚目が完全に崩壊していた。

 

 

 ◆

 

 

 最初の城壁を完全に破った後、キプチャク軍の投石は一時中断した。急に十字教的な神の愛に目覚めた訳ではない。単純に弾が切れた(・・・・・)のである。

 二百もの投石機で絶え間なく打っていれば当然だった。またコンスタンティノープルの世界屈指の堅固さは、キプチャク軍の想定を遥かに上回っていたのである。

 弾が切れたなら補充しなければ仕方がない。そこで弾を何処から持ってきたのかというと──何と瓦礫の山と化した城壁から拾ってきた。

 

 即席で弾拾い隊(・・・・)が組織されると、モンゴルウマ娘は甘味に群がる蟻んこめいて、手頃な城壁の残骸を持ち去っていった。しかも器用に矢の雨をひょいひょい避けながら、である。

 再び遠投投石機の装填車がもの凄い勢いで回転し、城壁の残骸がセットされた直後、てこの勢いで放り投げられた。そして容赦無く二枚目の城壁を抉る。

 モンゴルウマ娘の間には高く笑い声が起こった──コンスタンティノープルの城壁が、コンスタンティノープルの城壁で破壊されるのである。こんな合理的で無情な仕打ちも中々ない。

 しかしバトゥ以下、モンゴルウマ娘は平気でそれが出来たのである。あるギリシャの年代記は、

 

『蛇に無理矢理自分の尻尾を呑み込ませる様なものだ』

 

 と述べた、上手いものだ。しかし僭越ながら、もっと簡単に『文化が違う』と言った方が芯を食っている様な気がするのである。

 

 モンゴル帝国の隻眼の宿老《万バ不当》スブタイは、キプチャク軍中央本陣に腰を据えていた。

 向こうの建物が崩れる様子に、キプチャク軍では笑顔が絶えない。だがスブタイは頬の肉を僅かも動かさなかった。それどころかウマ耳をぴょこりともさせず、尾っぽをふさりともさせない。

 装填車の順番を我も我もと、わちゃわちゃ争う若ウマを見て「仲良くしろ」と低く呟いて後、唇も噤んである。

 

 キプチャク草原の若ウマたちにとって、スブタイ大将軍は半分くらい伝説上の人だった。

 四駿四狗筆頭、大ハーンの《遠駆け》の立役者、毎夜寝物語に聞く勇士(バートル)──当初この白毛玉のお化けみたいなウマ娘が、のそのそ動いている姿と(イメージ)が結び付かず、行軍の慰みに奏でる『ローランの歌』を聞いて、やっと信じたくらいである。

 そんな彼女が、全く身動ぎせず陣営後方にどっしりもさもさ構えているのは、兵卒にとって畏ろしい事ではあったが、頼もしい限りでもあった。

 

 スブタイは聚会(クリルタイ)の意志決定を拝領し、高原を出立して後、コンスタンティノープル攻略のための軍略を幾重にも練り込んできた。

 随一の堅城を如何に処すべきや? 導出したのは、いずれも緻密かつ老練な策であった。スブタイは文筆に暗かったため、書記官に口述筆記を行わせ、まとめた書簡四本を以て献策した。

 恐らくは、四本どれを取っても陥落させる事が出来たであろう。だが、しかし、ジェベ・ウルスの主バトゥ・ハンは書簡に目を通した上で、いずれも選び取らなかったのだ。

 そしてバトゥが造出した眼前の景色は、老将の発想した如何なる景色とも異なっていた。

 

 遠投投石機(トレビュシェット)二百基による釣瓶打ち──大将軍の頭の片隅にも思い浮かばぬ、豪快無比な攻略法であった。それでいて、いざ現実になってみれば確かに「これしかない」という様な、問答無用の説得力を叩き付ける方策であった。

 朋友二人の実孫バトゥは、スブタイの軍略をいとも簡単に追い抜いていったのである。

 

 石弾が宙を飛び壁を打ち壊す様子を、大将軍は誰よりつぶさに見つめながら、早々に(ジョチ)を亡くし、幼少のみぎりにハンに就いたバトゥの頼りなさげな姿を想起した。

 スブタイは、ほぼ無意識に潰れた片目を眼帯の上から撫でた。それは二十年前、大ハーンの《遠駆け》の終着点《ノルマンディーの戦い》において、英仏連合軍の陣地防御戦術に敗退した屈辱の印であった。

 

 大将軍は、己が草原の指揮官(・・・・・・)であると思っていた。これまでもそうだし、これからもそうであろうと努め、願ってきた。

 しかし、それも、もう──

 

「ウリヤンカダイよ」

「はい、母上」

 

 大将軍をそのまま小粒にした様なウマ娘が、隣で応じた。

 

「私は此度の戦で一線を退く、後は任せた」

「はい……は、ええっ!?」

「不服か」

「これはっ、全く存外の事にて。将軍は生涯現役とばかり思っておりましたので」

「言ってない」

「む、む、ご無体な」

 

 大将軍の愛娘ウリヤンカダイは、しどろもどろであった。「先のパンノニア(ハンガリー)の戦いでは」スブタイは断然意に介さず続ける。

 

「お前の指揮は冴えていた。千戸(ミンガン)であれば率いるに足ろう」

「ですが将軍は全軍を率います、私には土台むりぃです」

「私の後を追おうとするな。真似して出来るものではない。ウマそれぞれに分というものがあって、お前にはそれが分かっている。十分だ」

「……初めて母上に褒められた気がします」

「そんな事はなかろう」

 

 母が少し心外そうに言うと、子は子なりに答えた。

 

「母上が何時も私を褒めてくれたのは存じておりますよ。しかし、こうして言われたのは初めてです」

 

 スブタイは石弾飛び交う前方へ臨んでいた片目を動かして、ウリヤンカダイを真っ直ぐ見た。もさもさしている。我が子は正直で、嘘を言わないのを知っていた。

 それから「後は任せた」と繰り返し言った。娘が居住まいを整えて「諾」と承知したのを聞いて、ゆっくり片目を前に戻した。

 この瞬間にも堅牢な城壁がぼこぼこ崩されている。

 

「ふは」

 

 耳じろぎ一つしなかったスブタイ将軍は、俄然大口を開けて笑った。その大音声は轟き渡って、装填車に夢中になっていたモンゴルウマ娘さえ目を丸くして一瞬足を止めた。

 満面の笑みという大将軍を、誰も、偉大なるチンギス・ハーンでさえ見た事がなかった。

 

「明日はきっと良い事があるぞ」

 

 葡萄酒に上気した頬で、バトゥ・ハンは前向きに言った。

 

 

 ◆

 

 

 それが良い事なのかは不明だが、コンスタンティノープル奪還戦は呆気ない結末を迎えた。

 歪な十字軍国家《ラテン帝国》から降伏の使者が送られてきたためである──それはニカイア軍が金角湾側城門から怒涛の如くなだれ込み、キプチャク軍が二枚目の城壁を六割方破壊したのと時を同じくした。

 降伏の使者は、合計三名(・・・・)ばらばらに攻撃側陣営を訪れた。一人はニカイア陣営、二人はキプチャク陣営に──それぞれラテン帝国皇帝の首を持参して(・・・・・・)である。

 

 断っておく必要もなかろうが、もちろんラテン皇帝は一名しかいない。全くコンスタンティノープル内部の大混乱ぶりが伺い知れる。

 そして、ほぼ同着にキプチャク陣営を訪れた使者二名は激しい口論を始めた。各々「我がものこそ本物の皇帝だ!」と主張するのである。自分の生命がかかっているものだから、双方一歩も譲らない。モンゴルウマ娘は訝しんだ。

 もう顔を覆いたくなる所を、バトゥ・ハンは端的かつ的確な言葉で一刀両断した。

 

「いらん。」

 

 にべもなく使者二名は追い返される──否、首がもう二つ増えなかっただけ幸運であろう。

 主君に対する裏切りとは、モンゴルでは重罪である以前に、最も忌むべき、おぞましい行為だった。チンギス・ハーンが、あらゆる裏切り行為を容認せず、実力で根絶やしにした流れがモンゴルウマ娘の中に今なお生きていた。

 バトゥが使者にモンゴルの法理を適用しなかったのは、自らが他国の救援者であるという自覚と、何より彼女自身の自制心の賜物だった。

 追い返された使者は、仕方が無いので二人揃ってニカイア陣営に向かった。

 

 さてコンスタンティノープル東側からなだれ込み、後は掃討戦に移っていたニカイア軍は、粛々と主要な建物を抑えにかかっていた。

《ローマ皇帝》の名の下に略奪は固く禁じてある。今後の政治拠点を自分で荒らすは愚行であるし、何より民心が大切であった。

 正当な理由があるとは言え、とんでもない武力を行使をしたのは間違い無い。アピールしなければ

 

 晴れて《東ローマ(ビザンツ)皇帝》に返り咲いた老人皇帝は、何はともあれコンスタンティノープル大宮殿の玉座に腰を下ろした。

 伝統ある戦車競バ場(キルクス)と、ハギア・ソフィア大聖堂を背後に臨む、正当な東ローマ皇帝のみが着席を許された至尊の玉座である。

 両肩に金の鳥が意匠されたその玉座に、かつては西欧(ラテン)人娼婦の尻が置かれ下品な歌が歌われた。栄えある戦車競バ場から、金のウマ娘像四体(ヴェネツィアのサン・マルコ寺院に現存)を盗まれた恨み辛みは忘れられない。

 

 そして屈辱の雌伏を強いられて二十年──遂に、遂にコンスタンティノープルを奪還したのだ!

 執念実った男の全身は、頭から爪先に至るまで大いなる達成感で満たされ、感動に打ち震えた。そして、その勇姿を見た旧臣たちは感激で咽び泣く。

 

 そんな矢先に、降伏の使者が訪れたのである。

 届けられた僭称者の首を前にして、帝都の奪還者は玉座の上で黒い笑みを浮かべた。

 この恨みはらさでおくべきか、どんなに辱めて衆目に晒してくれよう──と企んでいた時、後から運良く(・・・)バトゥに追い返された二人がやって来た。

 そして使者三名は、それぞれ持参した三個の(しるし)を前にして大喧嘩を始めた。喧々諤々、醜い命乞いの始まりだ。当然ながら、どこまで行っても主張は堂々巡りである。

 

 三個の真偽を巡って遂に引っ掻き合いに及ぶのを眺めて、ニカイア皇帝は急に虚しくなってきた。

 そういえば自分は憎々しき仇の顔も知らない。こうして集まってはきたものの、人相の判定すら出来ない。しかも、うち少なくとも二個は贖罪の山羊(スケープゴート)なのだ。彼らを哀れみこそすれ、恨むいわれはない。

 既に帝都奪還という目的は果たされた。この上、何を求める事があろう──そうして老皇帝の凝り固まった憎悪の念は霧散してしまったのである。

 そして老人は落ち着いた声で告げる。

 

「もう良い、分かった。これ以上は詮無き事で血を流すのは止めにしよう。生者には慈しみを、死者には弔いを。必要なのはそれだけではないか。のう、十字教の同胞(・・・・・・)よ」

 

 予想外に暖かい言葉と、重たい事この上ない意趣返しであった。互いに引っ掻き傷だらけになった官僚らは、苦しげに呻いて平伏する事しか出来なかったという。

 

 西暦122X年《ラテン帝国》の約二十年という短い歴史は幕を下ろした。三つの首の真偽は今なお不明のままである。

 

 

 ◆

 

 

 さて、後に残されたのはキプチャク軍である。

 旧勢力が帝位を回復したのは重畳。しかし、次は破壊の権化(モンゴル)に直面する事となった。

 三個の首が丁重に葬られた後、ギリシャ人は無用の長物と化したキプチャク軍の扱いに頭を悩めた──自分で呼んでおいて勝手な話があるものだが、改めて彼らが帝都西側城壁の惨状を見た時の心情も慮っても欲しい。

 大体モンゴルウマ娘たちが遠投投石機の装填車を前にして「もっとやりたい」とか「私まだやってない」とか駄々をこねている様子からして素直に帰るとは思えなかった。

 

 事前の約定があった。

《魔王》バトゥ・ハンに送った親書にはこうあった。キプチャク草原における覇権の正式な承認、モンゴルウマ娘の自由通行権、毎年これだけの貢納金──前の二つはともかく、最後の貢納金がきつかった。

 少なくとも今直ぐには無理だった。灰燼一歩手前の町の復興をしなければならない。そもそも軍備を整えるために費やした借款がうずたかく残っている。コンスタンティノープルの地勢に由来する、莫大な貿易利権から徴収するにも暫く時が必要だ。

 仮に「今直ぐ寄越せ、さもなくば打つ」と要求されれば、再度コンスタンティノープルの主が更新されてしまう。

 とかく、時間が必要であった。

 

 そして彼らにとって最悪な事に、このタイミングで皇帝が崩御(・・・・・)した。

 

 享年七十八──余りのタイミングなため、まことしやかに暗殺説が囁かれるも、その最期の姿は『至尊の玉座の上で柔らかな微笑みをたたえ……』というもので、精根を真っ白に燃やし尽くした大往生という見方が一般的である。

 ぽっくり逝った先帝の跡を継いだのは一人息子である。先帝が歳を重ねてから授かった念願の男児であり(姉は沢山居た)、未だ歳若い。この若帝は、

 

《育ち過ぎたニンジン》 

 

 という渾名が付けられる程、身の丈が大きく、酷く無骨な容姿の男であった(今の様に品種改良されている訳もないから中世のニンジンといったら凸凹だった。今で言うカボチャ野郎(・・・・・・)と同じくらいの意味合い)。

 この彫りが深く、正にギリシャ彫刻の如く体格のごつごつした若者は──しかし、見た目に反して気の弱い優男であった。

 執念の塊だった父とは違い、幼い頃から大勢の姉に囲まれて育ったからだと言われる。彼は剣より花が好きだった。

 しかし先帝亡き今、げに恐ろしきモンゴル人との交渉は彼の務めである。彼は岩の様な顔面を、更に岩の様に固くさせた。

 戦後の交渉は《魔王》バトゥ・ハンから持ちかけられた。

 

「戦が終わったばかりで政情不安であろうから、先ずその支えにタマ(・・)を派遣するものなり」

 

 タマ。とは、別名タンマチとも呼ばれるモンゴル特有の辺境鎮戍軍、また先鋒軍の事である。多くは本拠モンゴル高原ではなく、征服地から現地徴発されたウマ娘で編成されており、この時代頃から活躍し始めていた。

 タマはつよかった。

 膨張したモンゴル帝国は、やがて現地色の強くなったタマに逆に飲み込まれていく運命を辿るが──ともかくこの時、コンスタンティノープルに派遣されてきたタマは、西アジア訛りの言葉で、

 

「ウチらに任しとき!」

 

 と意気軒昂であった。

 ギリシャ人は狼狽した。タマとは、とどのつまり体のいい占領軍(・・・)ではないか!

 タマの長が挨拶のため謁見に出てきた時、家臣団は新帝の対応を固唾を飲んで見守っていた。拒絶する、という選択は立場上不可能のため、如何に毅然とモンゴルに伯仲するかが問題であった。及び腰で蛮族に見下される様では、ローマ帝国の名折れになる。

 

「よろしゅう申しますわ」

 

 ぺこりと挨拶するタマの長に、果たして、新帝は玉座に座し「うむ」と言葉少なに堂々と対面した──その実、緊張で硬直していただけだったのだが、生まれついての恵体により家臣団には威風堂々としている様に見えた。

 

 醜態を晒したのは逆にタマの長の方であった。

《育ち過ぎたニンジン》の顔を見た途端、落ち着きを無くし「あふ、うん」とか「うにゃ、はあ」とか、弱々しい返事しか出来なかったのである。最後には、

 

「……そちは体調が優れない様であるが、大事ないか」

 

 と太い声の新帝に尋ねられる始末で、タマの長は「ひえぇ」と頬を紅潮させて、交渉を詰める間もなく退散した。

 これは大変な王子だ、否、正に皇帝に相応しい威光である──と家臣団は感激した。あくまで謙遜する若者に十字教徒としての美徳をも見出して、偉大なる先帝の魂に鎮魂の祈りを捧げるのだった。

 

 それから以後も、普段ぴんとして元気の良いタマたちは、新帝が近付く途端にぐにゃぐにゃの骨抜きになってしまい、まともに接する事が出来なかった。

 故に、コンスタンティノープルが実質的に占領されたとはいえ、完全にモンゴル支配下に置かれなかったのは彼の勇気の賜物だと言われている。

 

 このまま貢納金の話もうやむやにしてしまおうか──そうは問屋が卸さない。

 タマ(つよい)が骨抜きにされてしまっても、ジェベ・ウルスの背後に控える金銭感覚に鋭いペルシア人が看過するはずがなかった。

 元々、草原のウマ娘は国際感覚も金銭感覚も極めて放埓であったから、その辺りの細々した条約は全部色目人に丸投げする手筈だったのだ(そういう細々したのに囚われない事こそモンゴルウマ娘の誇りである、と考えている節がある)。

 

 流石に復興ビザンツ帝国も悪足掻きしなかった。

 実力行使による差し押さえ(・・・・・)さえ回避出来れば丸儲けであった。必要なのは時間、それのみだった。コンスタンティノープルは豊かな都市なのだ。何もしなくたって、時間さえあれば関税収入は入ってくる。

 考えようによっては、タマの駐屯も防衛費を節約出来るため有難い話であった。

 

 そうして、条約締結が前向きな方向に進もうとした──その矢先であった。

 キプチャク陣営に、モンゴル高原から早ウマが届いた。曰く、

 

 

聚会(クリルタイ)の総意により、第三皇女オゴタイ様の大ハーン就任が決定された』

 

 

 という事であった。

 時を置かずして、二人の皇帝の代替わり──それは《バトゥの西征》に生じた奇妙な共時性(シンクロニシティ)であった。

 時代が変わっている。

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