蒼きウマ娘 〜ウマ娘朝モンゴル帝国について〜   作:友爪

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 ヴァイキングウマ娘が書きたかっただけとも言う。


ノルマンディー公爵について

 モンゴル人の言う所のノルマンディー部族長(・・・)領──正しくはノルマンディー公爵(・・)領は、歴史上に数奇な足跡を残している。

 近くには史上最大の作戦こと《ノルマンディー上陸作戦》によって、第二次世界大戦の趨勢が決された土地である。そして、その七百年以上前、欧州世界の天王山《ノルマンディーの戦い》にて、英仏連合軍がウマ娘朝モンゴル帝国を撃退した土地なのだ。

 かの会戦は、フランク王国とウマイヤ朝に繰り広げられた《トゥール・ポワティエ間の戦い》に並び、中世時代の欧州世界対外世界という文脈で意義深い戦いである。

 

 泣く子も黙る恐怖の代名詞SUBUTAI──スブタイ将軍が片目を失う程の大激戦は、長く吟遊詩人の間で語り草となった。

 そんなノルマンディーという因縁の土地について、中世十三世紀に至るまでを著す。

 

 

 ◆

 

 

 フン族のアッティラ女王に発端するゲルマン民族大移動、その余波をもろに被った西ローマ帝国崩壊の後、ノルマンディー(当時は異なる地名だったが便宜上)はカール大帝に著名なフランク王国の傘下に入る運びとなった。

 カールの戴冠によって、すわ西ローマ帝国復興か? と思いきや大帝の死後、侵略拡大したフランク王国は子孫の間で東・中部・西と、三つのセクションに分割されてしまう(分割相続はゲルマン人の風習だった)。

 

 それぞれ東フランクが神聖ローマ帝国(ドイツ)、中部フランクがイタリア、西フランクがフランスの前身となったのである。ノルマンディーは、西フランクに属した。

 三つのフランク王国は親戚間で骨肉の継承争いをしたり、合体したり、やっぱり分裂したり、マジャールウマ娘にぼこされたりしながら過ごしていが──しかし、今度は北から異民族が侵入して来る。

 

 スカンジナビアの険しい北風を船の帆に張った、むちゃつよ民族ノルマン人──ヴァイキング(・・・・・・)の襲来だ!

 ノルマンウマ娘が漕ぐロングシップ(所謂ヴァイキング船)はセーヌ川を爆速で遡り、しばしばパリまで脅かす。クソデカアックスを小枝みたいにぶん回し、岩をも木っ端微塵にしてしまうノルマンウマ娘はフランク人の絶望であった。

 

 

【挿絵表示】

 

 図.絵画に描かれたヴァイキング船

 

 西フランク王国──改めフランス王国は、当初は北方異民族に抵抗したものの、余りの侵入の激しさに対処不能に陥り、まさかのウルトラC。

 フランス北岸で暴れ回っていた、さる有力なヴァイキング首領へ正式にフランス北岸地帯を割譲する事を決断したのだ。その主たる対価が『フランス王への臣下の礼を取る事』『後に襲来したヴァイキングの暴虐を止める事』であった。

 交渉をもちかけられた、ロロという巨体のヴァイキングは条件を承諾。フランス王とヴァイキングは正式な封建契約を結んだのである。無頼のヴァイキングとしては異例の大出世だった。

 そしてロロが統治するフランス北岸地帯は『ノルマン人の土地』という意味で、以降『ノルマンディー』と改称されたのである。

 

 ノルマンディーに住み着いたヴァイキングたちはフランス王との封建契約を守った──少し解釈を変えて。

 確かにノルマンウマ娘の漕ぐ爆速ロングシップは、その後も頻繁にやって来た。ただしノルマンディー公ロロは撃退するどころか、むしろ彼らに土地を与え家臣に取り立てた。

 そもそも、ヴァイキングが船で襲来する根本的原因はスカンジナビアの耕作地の不足(・・・・・・)にあって略奪そのものが目的ではなかったのだ(北欧は耕作可能地帯が少なかった)。

 

 時には実力行使で調伏する場合もあったが──いずれにせよ、ノルマンウマ娘は喜んで(かい)(くわ)に持ち替え開墾に精を出した。極寒のスカンジナビアで食いっぱぐれた彼女たちにとって、豊かで暖かいノルマンディーは正に新天地だったのである。

 さてもヴァイキングを撃退するどころか、逆にどんどん増えていく状況に仏王は「契約違反だ!」と抗議したが、

 

暴虐(・・)は止めているが、何か?」

 

 とロロは巨躯の胸を張って応じた。

 確かに、先に結んだ封建契約書にあるのは『後に襲来したヴァイキングの暴虐を止める事』であって『撃退しろ』とは書いていない。仏王は歯噛みするしかなかった。

 

 またノルマンディーの民は元が海の民族であるから高い航海技術を保有しており、海運貿易で巨額の富をも産出した。近くはブリテン島、故郷スカンジナビア、そして驚く事にはイタリアまで船を漕いで行ったという記録が残っている(というか現地イタリアで国を作ってしまったヴァイキングまで居た)。

 

 面白くないのはカール大帝以来の古参の諸侯だ。

 異民族の新参者、また「儲かってそう」という妬みから、ノルマンディーへ略奪しに来る事があった。これ自体は珍しくもない中世ヨーロッパの日常である。

 しかしその日常をノルマンウマ娘に文字通り木っ端微塵にされてからは、すっかりなりを潜める。

 逆に貢物を送って味方に引き込もうとする方が主流になった。中世領主は強かである。ノルマンディー公爵はフランス諸侯の中でも存在感を増していった。

 

 そうして「所詮は蛮族よ、海の番犬よ」位に思われていたノルマンディー公爵領は、麦の実り豊かで、海港の賑やかな封建領主(・・・・)として急速に発展。しかもヴァイキングをルーツに持つというだけあって、むちゃつよい──という大公爵に成長したのである。

 フランス王がノルマンディー公爵にのっぴきならぬ危機感を覚え始めた時、事件は起こる。

 

 時は十一世紀中葉。

 溢れるヴァイキング魂が抑えきれなかったのだろうか──初代ロロから数えて七代目ノルマンディー公爵は、フランス北岸からお向かいのブリテン島へ侵攻。

 ロングシップでテムズ川を爆速で遡り、そしてクソデカアックスをぶん回すウマ娘を伴に付けた公爵は、瞬く間にロンドンを制圧。

 何とそのままイングランド王に即位(・・・・・・・・・・)してしまったのである。

 

 このノルマン人による征服《ノルマン・コンクエスト》により《ノルマン朝イングランド王国》が成立した。

 

 状況を整理しよう。

 イングランドを征服したノルマンディー公爵は、されど元々の称号を放棄した訳では無い。肩書は『ノルマンディー公爵にしてイングランド国王』となる。

 つまり『ノルマンディー公爵としてはフランス王の臣下であるが、イングランド王としては対等の国王』という、奇妙なねじれ関係(・・・・・)が現出してしまった。

 言うにや及ばず、この状況に最も危機感を覚えたのはフランス王であった。

 

 拗れたノルマンディー公(兼イングランド王)とフランス王の両者の関係──それを決定的にぶち壊したウマ娘がいる。

 彼女の名前はアリエノール。フランス南部の大部分を占める大貴族、アキテーヌ公爵の一人娘。

 そして元祖ウマドルである。

 


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