中央アジア一帯を制覇し、今やカスピ海北岸に到達したモンゴルウマ娘たちは変わらず牧歌的であった。
彼女らの寵愛するトレーナーたちの働きにより、思い切り走れて、飯の心配せずに済んでいるのだから、これ以上を望む事は全く無かった。
その頃、丁度
カスピ海の浜で、初日の出を拝むモンゴルウマ娘は、新年の訪れを喜んだ。
「オーハイ、オーハイ!」
真冬だからといって、モンゴルウマ娘の活力が損なわれるという事は全くなかった。後世に、数多の名将を苦しめた冬将軍だったが、元々が過酷なモンゴル高原出身の彼女たちである。防寒対策は日常生活の内に含まれていたし、アウルクによって物資潤沢であった。
モンゴルウマ娘は、冬将軍と友達だった。
雪解け後、バ場状態の改善を待ってから、チンギス・ハーンは新年初めのレース開催を宣言した。
遠征地であるため、簡易的なものにはなったが、盛り上がりに欠けるという事はなかった。
世界最速の軍団の内で、まず
ウマ娘たちは思い思いに着飾り化粧をして、カスピ海のほとりを駆け抜けた。
激戦を制したのは、ジェベだった。
ゴールを駆け抜けた途端、ジェベは同輩のウマ娘に揉みくちゃにされた。新年初めのレースの勝者は《福ウマ》であり、身体に触れると一年の福を貰える、という民間信仰があるのだ。
ジェベというウマ娘は《四駿四狗》にも数えられる将軍であった。長い栗毛で、きめ細やかな毛質をした、美しいウマ娘だった。
モンゴル高原においては、チンギスの次に俊足と言われ、常にモンゴル軍の先鋒を務めてきた勇敢なウマ娘である。
揉みくちゃにされた後、チンギス直々の賞賛を受けたジェベは、嬉しそうに尾を持ち上げて、
「全てトレーナーのお陰です」
と言った。彼女がモンゴルダービーを制した時からの口癖だった。
ジェベによる勝利の舞は実に流麗で、長い栗毛のなびきを見るウマ娘たちをうっとりさせたという。
三日三晩の新年の宴の後に、チンギス一行は《遠駆け》再開の準備を始めた。
一つ懸念があった。どうやら、これより西の《ルーシ》という地域では、排他的な異教が信奉されるらしい──チンギスが少々案じていると、一人のトレーナーが進言した。
「私が道先に赴いて、話をつけて参りましょう」
チンギスが良く見知ったトレーナーであった。彼はジェベの専属であり、またモンゴル帝国の遣いとして大いに働いてくれた。
その人柄の良さから、度々他のウマ娘に言い寄られては、ジェベが蹴散らしていた。
チンギスは、これまでそうしてきた様に、彼の進言を聞き入れた。使者一行は早速出立していき、モンゴルウマ娘たちは手を振り見送った。
これが後の《ルーシの悲劇》の始まりだった。
チンギスが早ウマの報告を受けたのは、深夜の事だった。使者団が出立し、話がまとまって、そろそろ引き返してくる途上かという時期である。
歴戦の大ハーンは、経験が無いほどの衝撃を受けた。
ルーシ国家に、
胸が潰れた皇帝は、暫し呆然とした後、咄嗟に箝口を命じると、早ウマ娘は泣きながら下がった。
その夜、チンギスは眠れなかった──翌朝、大ハーンの
「我が君、そろそろ使者団が帰って参る頃でしょうか」
チンギスは、無理に笑顔を作り「気が早いぞ」と言うと、ジェベは耳を垂れて引き下がった。
翌日も、ジェベは訪ねてきた。
「我が君、何か音沙汰ありましたでしょうか」
チンギスが「まだ無い」と答えると、ジェベは下がった。
翌日も、その翌日もジェベは訪ねてきて、皇帝に問うた。使者団は帰って参りましたか、まだ今日も帰ってきませぬか、今日こそは──チンギスは、胸につかえた一物の重みに耐えきれなくなった。
その日、チンギスの方からジェベ将軍を呼び出した。将軍は、遂に使節団が帰ってきたのだと思ったから、オルドに入ってきた時、耳を軽やかに弾ませていた。
対してチンギスは、わざと耳を後ろに伏せ、尾を鞭のようにして空気を叩き、不機嫌この上ない仕草をした。
常日頃温厚なる主君の、ただならぬ空気を感じたジェベは、さっと剣を鞘ごと引き抜き地面に置くと、自らも跪き、深々頭を垂れた。
チンギスは重々しく口を開いた。
「ジェベよ、実は、汝の忠節を疑っておる」
「異な事にございます。私めが一度とてハーンの命に背いた事がありましょうや」
「口には何とでも言えよう。この上は行動で示さねばなるまいぞ」
「我が君、もし私に罪がありますれば、何なりと沙汰を下され」
「その言葉は真か、偽りは無いと申すのか」
「私はハーンに従います、背くのであれば死を選びます」
「では今から汝を試すぞ、異存あるまいな」
「もし、私が背いた時は袋詰めになさるがよろしい」
「ううむ……」
チンギスは大きく一呼吸した後に言った。
「汝のトレーナーが死んだ、殺されたのだ」
伏した顔を跳ね上げたジェベは、まるで雷火に打たれた様であった。チンギスは間を置かず続けた。
「皆の前で嘆き悲しむ事を禁じる」
ジェベは、皇帝の顔を穴が空くほど眺めてから、立ち上がり「出立の準備があります故」と理由を付けて退出した。
悲報は、モンゴルウマ娘を悲しみに暮れさせた。誰もが泣き叫び、地面をのたうった。衝動のまま暴れ出したり、訳も分からず喧嘩を始めたりした。
彼女らは人間を、取り分けトレーナーという人種を愛していた。中には本当に恋人関係だった者も居た。何故愛しいトレーナーが、こんな憂き目に遭わねばならぬのか、理解出来なかった。
ジェベと専属トレーナーの絆は有名だった。彼女が《四駿四狗》と謳われる前、モンゴルダービーの挑戦者であった頃からの付き合いである。彼女は「全てトレーナーのお陰」と常日頃に口にしていた。
共に明るい性格で民に慕われ、理想の恋人だと評判だった。
そんなジェベは泣かなかった。どころか、泣き叫び暴れる部下を叱責し、励ましすらした。
兵たちは怪訝に思い、それが大ハーンの下知によると知った。何とむごい事を命じなさるのか──モンゴルウマ娘たちは口々に言った。
しかし、彼女に近しい者は知っていた。もしもチンギスがそう命じなかったならば、人目も憚らず泣き崩れ、将として醜態を晒し、更には魂が抜けた様になって戻らないだろう──主君の気遣いにより、ジェベは辛うじて現世に踏みとどまったのである。
部下を力ずくでも立ち上がらせて、正体を取り戻させると、ジェベは人払いをして、自分のゲルに引きこもった。
その晩、軍団に悲痛な鳴き声が響く。
「ああ、トレーナー、トレーナー! どうして私を追い抜いて逝ってしまったの──」
ジェベ将軍のゲルから響く嘆きは、全軍に届く程だったという。その声を聞いて、皆もまるで我が身の事の様に思われて、しくしくと泣いた。
この夜の嘆きは七晩の間続いた。
八日目の朝、チンギスの前に姿を現した彼女は、全く平素通りの仕草であり、身を案じていた皆を驚かせたという。
淡々と陣立の説明をする、余りにも健気な臣下の姿に、遂にチンギスは耐えられなくなり、涙を一筋流した。
すると、将軍は言った。
「我が君。大ハーンたる者、臣下の前で涙を流してはなりませぬ」
その言葉を聞いたチンギスは、転がる様に席を立つと《四駿四狗》将軍の両肩を掴み、強く揺らした。
「ジェベよ、真の
臣下は、潤んだ主君の目を見つめ、深く頷いた。それから、チンギスはルーシ攻略の総指揮官にジェベを任命すると、最後に陣容に向けて言った。
「とこしえの
私は全モンゴルウマ娘の代理人なり。皆が恥知らず共を許さぬと言うのならば、私は尚許さぬ。奴等を憎むと言うならば、私は尚々憎むのだ。
泣くな、同胞よ! 相応しい報いを与えねば、皆の涙が止まらぬ事も、私は知っておる。それが故に、チンギス・ハーンの名において、高原の戦士に号令するのである。
弾かれた様に、モンゴルウマ娘は駆け出した。先頭を行くは勇士ジェベ。後続の者たちを何バ身も引き離し、その鬼気迫る様子は、さながら韋駄天であったという。
この際、西へ走り出したモンゴル軍は、最高速度を更新した。
前方に立ち塞がる、何か集団めいたもの(ルーシ周辺諸国の全軍と思われる、相手側の記録が現存しない)を木端微塵にしてしまうと、チンギス・ハーンの命令を忠実に実行した。
宮殿、教会、図書館、病院、霊廟、家屋、その他ルーシ民族の遺産──その全てを
屋根という屋根を突き破り、柱という柱を引き倒し、壁という壁を叩き割り、残骸という残骸を燃やし尽くした。
余りにも徹底した破壊ぶりは、モンゴルウマ娘が全ての立体構造物を憎悪しているかの様だった。
この日を境に、ルーシ諸国は文化もろとも
『自分の生家を一日中探して歩いたが見つからず、途方に暮れて切り株に腰掛けた時、それが家先の薪割り場である事に、初めて気がついた』
たまたま旅に出ていて天災を免れた者の記録である。
破壊された事すら分からない破壊──モンゴルウマ娘はルーシを、文字通り真っ平らにし、黒海北部地域を人類植民以前の姿に戻してしまった。
この自然回帰により、以降ルーシ地域はヨーロッパ世界と明確に運命が別れたと言われる。
しかし、如何に報復を完遂しようとも、失われた者が戻る訳ではない。
韋駄天の如く先鋒を駆け続けたジェベは、唐突に病に倒れた。その時まで病気らしい病気をした事のない大将軍の罹患である。
皆は慌てふためいたが、看病のかいなく──ジェベは帰らぬウマ娘となった。
モンゴルウマ娘は勇士の死を嘆き、ジェベの遺体をモンゴル高原に連れ帰ろうとしたが、今際の際に、
「お願い、トレーナーと一緒に居させて」
と言い残された事を思い出し、ジェベはその地で葬られた。
《四駿四狗》初めての欠員であり、残された七将軍は大いに涙を流したが、チンギスは一滴の涙も流さなかった。
必ずや汝の忠節に報いる──遂に約束を果たす事の叶わなかったチンギスが「大ハーンたる者、臣下の前で涙を流してはならない」というジェベの諌言に、せめて忠実であろうとしたからだと伝わる。
『韋駄天の勇士ジェベ、指導人と共に在り──』
真の勇士を称えた石碑が黒海のほとりに建立された。以後、故人を慕った参拝者が絶える事はなく、現代においても石碑は献花に包まれている。
これが《ルーシの悲劇》と呼ばれる事件である。
一様に簡潔極まる中世モンゴル帝国の史録においても《ルーシの悲劇》は特異的であり、事細かに顛末が残されている。
この事からも、当時のモンゴルウマ娘たちにとって、どれだけ衝撃の大きい事件だったか伺えよう。
衝撃が大きかったのは帝国側だけではない。規模から言えばむしろヨーロッパ世界の方が激震したと言えよう。
黒海北岸と言えば、もはや西ヨーロッパ世界の玄関口である。正体不明のウマ娘軍団が、玄関口を跡形も無くしてしまったという報告が流れ込んだ時、如何に欧州諸王の心胆を寒からしめただろうか。
《ルーシの悲劇》は欧州側で、また別の意味合いを持って史書に記録されたのである。