《ルーシの悲劇》以降、モンゴルウマ娘たちは明らかにトレーナーを使者に送るのを渋る様になった。
ヨーロッパ世界への西進に当たって、事前交渉なら、自分たちでもやってやれない事はないだろうと考えた。
早速、モンゴル皇帝の名の元に親書がしたためられた。筆記係のモンゴルウマ娘には、くれぐれも丁重な文面が求められた。
「何も使者を小出しにする必要も無かろう」とはチンギスの見解で、従って宛先には全ヨーロッパ諸国が選ばれた。
心配するトレーナーたちの制止を振り払うと、選び抜かれた剽悍な早ウマは一斉に欧州各地へ散らばった。
親書の内容は概ね以下の通りである。
『何もしないので、首都の真ん中を通らせて欲しいです。出来ればご飯も下さい。お願いします』
モンゴルウマ娘渾身の
特に激高したのが、モンゴル軍が目と鼻の先にまで迫ったポーランド王である。チンギスの親書を細切れに破り捨てると、王は逆に欧州全土へ檄文を発した。
『ヨーロッパは空前の危機に瀕した。忠実なる神の信徒に告げる、今こそ過去の遺恨を捨てよ。我々は力を合わせ、異教の蛮族が、神の土地を
欧州諸王は、ポーランド王に全く同調し、続々とポーランドに集結し始めた。
また、バチカンの宗教指導者が、これを支持した事により、参集した欧州連合軍は正式に《十字軍》であると認められた。
連合軍はポーランド西部のレグニツァに集結したため《レグニツァ十字軍》と呼ばれた。
以上の通り、事前交渉に大失敗したモンゴルウマ娘たちは首を傾げた。渾身の親書に対する大量の絶縁状、宣戦布告状に埋もれて、チンギスはしょげ返ったという。
この交渉決裂について、ウマ娘朝モンゴル帝国研究の第一人者、世界的権威にして自らもウマ娘という女博士は、
「わからない。」
と述べ、中世ヨーロッパ社会における排他性と宗教の関係、へと議論を展開させているが──研究の焦点が合っているのか疑問に思うのは筆者だけであろうか?
ともかく、モンゴル帝国と欧州連合は完全に決裂し、対決が避けられないものとなったのは間違いない。
中世ヨーロッパ世界におけるウマ娘について述べておこう。
ご存知の通り、中世ヨーロッパとは、ウマ娘にとっての《暗黒時代》であった。
理由は一つ、
ローマ帝国時代。オリンピック種目としても人気を博した《戦車競バ》は、大々的な催しとして行われていた。
しかし、謎のウマ娘集団フン族の移動に発端する、ゲルマン民族大移動により帝国が崩壊すると、中世ヨーロッパ世界はその文化を継承する事が出来なかった(代わりにアラブ世界が継承した)。
中世ヨーロッパ世界において、もっぱら人気を博したのは《
重鎧で身を固めたウマ娘
時に命すら落としかねず、模擬戦争の意味合いも強いジョストは、貴族階級を熱狂させた。
封建社会の諸侯=貴族は、如何に優れた駆士を所有するか、が一種のステータスであった。そのため貴族は熱心にウマ娘たちを集め、指導し、ウマ娘たちもそれに応えた。
彼らは常に血なまぐさい競技に飢えており、加えて自ら命を張らずとも良いのだから、尚更であった。
中世ヨーロッパにおいて、ウマ娘の社会的地位は決して高かったとは言えない。
当時は荘園を中心に、未だ閉鎖性の強い社会である。荘園内で産まれたウマ娘は、その中で生涯を終える事がほとんどであった。
才覚に優れ、領主に見初められれば《駆士》として取り立てられるケースはあった。ジョストで活躍すれば、賞賛を受け、一定水準以上の生活が保証されたが、政治の担い手に食い込む事は極稀であった。
ここで誤解しないで欲しいのは、特別ウマ娘が虐げられていた訳では無い、という点である。
モンゴル高原や、一部の例外を除いて、人口的マイノリティである彼女たちだったが──それでも自然に人間に混じって
そもそも、厳格な身分制度による権利格差は、ウマ娘に限らず人間にも同様であった。逆に活躍の可能性があるだけ、庶民より高待遇であったと言えよう。
ウマ娘《駆士》は、しばしばロマンスの対象ともなる憧れの役職であったが、常に試合に明け暮れていた訳ではない。
試合と訓練の合間には、荘園に戻って、農民たちと一緒に畑を耕していた。人間より遥かに力持ちの彼女らは、大変重宝されたという。
実は、駆士という役職──ウマ娘側には、さほど
人々に囲まれて、一緒に汗水を垂らし、畑を耕していた方が、余程充実感を得られたという。
『私たちが麦の世話をしていると、領主様からジョストに呼ばれたわ。なんでも急な催しだと言うの。しょうがない事ね! もうすぐ刈り入れ時だっていうのに──』
当時大変人気のあったジョスト選手の日記である。
これは中世ヨーロッパの人間にとって、いや現代の我々ですら、大きな誤解をしているが──本質的にウマ娘は戦争を好まない種族なのだ。
ウマ娘たちは、孤独を嫌い、和を好み、人間に寄り添ってくれる。悪意に敏感で、仁愛を尊ぶ、高潔な
国家や民族などというフィクションに囚われ続け、有史以来、互いに傷付け合っている
彼女らが戦争に参加するとすれば、大概が我々人間に請願されたからであり、自ずから進んで、という事はまずなかった。
この性質が、歴史上《ウマ娘王朝》が数少ない理由に合致している。
しかし、モンゴル帝国に代表される様に、何らかの理由で《移動》をした時、強烈な結果を史書に残した。
スキタイ、匈奴、パルティア、フン族、マジャール、トュルク──これらに代表される遊牧系ウマ娘が、歴史に及ぼした影響の多大さは、皆様の聞き及ぶ所であろう。
人類史とは、大多数の人間が争う合間に、鮮烈なウマ娘の活躍が挟まれ、紡ぎ出される物語である。
チンギス・ハーンがモンゴルウマ娘たちに敬愛される根本も、内紛を制したからではなかった。
モンゴル高原に再び平和と幸福をもたらしたからである。
事実、チンギスはモンゴルダービーの発案者である事を誇っても、人殺しを誇る事は生涯無かった。
他人を傷付ける事は、彼女たちにとって自慢の種になり得なかったのだ。
話は冒頭に戻る。
身内同士ですら疑い、欺き、血みどろの争いを繰り広げる──そんな中世ヨーロッパの人間が、モンゴルウマ娘たちを受容する事は到底不可能であった。
また、モンゴルウマ娘たちも彼らの薄暗く屈折した心情を理解するのは、本能的に不可能であったろう。
そういった相互不理解が、結局は戦争に繋がってしまったのである。
ここに、レグニツァ十字軍 VS ウマ娘朝モンゴル帝国の戦いが勃発した。
中世最大の会戦と言われ、同時に最大の一方的勝負と言われた《レグニツァの戦い》。
または《