ヴィレッジ 1919   作:ペニーボイス

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憂い

 

 

 

 

 

 

 ドミトレスク家の家系図を遡ると、かの名門ハプスブルク家に辿り着くという。

 トランシルヴァニアがハプスブルク家統治下のハンガリーに組み込まれた時から、ドミトレスク家はこの村一帯を統治していた。

 そんなドミトレスク家の当主が馬車に乗るのをやめてドイツ製の高級車に乗るようになったのは、1913年のバルカン戦争に出征したゲオルゲ・ドミトレスクが、当地で蔓延していたコレラで亡くなった後からである。

 陸軍の将官でもあったゲオルゲには、妻と3人の娘がいた。

 夫婦の間に男児はなく、オルチーナ・ドミトレスクは夫の跡を継いで、歴史あるドミトレスク城の城主となったのだ。

 

 

 ゲオルゲは近代文明というやつを嫌っていた。

 この時代、先進科学に対する上流階級の偏見は特別な事ではなく、オーストリア皇帝やイギリス国王も自動車に乗るのを嫌がったとされる。

 この時代の自動車その他機械類といえば信頼性に難があったので、万一の事態が致命的になりかねない上流階級の人々がそれを嫌うのは当然かもしれない。

 

 ただし、オルチーナ・ドミトレスクは例外であった。

 村で唯一の技術者であったカール・ハイゼンベルクの勧めもあって、彼女は馬車から自動車に乗り換えた。

 しかしながら、村一帯を治めるマダムが自ら自動車を運転していては眉唾ものである。

 そこで運転手が必要となったわけだが、幸運な事に私にその白羽の矢が立ったのだ。

 

 

 

 私の父、クリスティアン・アッペルフェルドはゲオルゲ・ドミトレスク将軍と共に第二次バルカン戦争に出征し、将軍と同じようにコレラで亡くなってしまった。

 その時私は15才。

 母は父を愛していたあまり、私が家督を継ぐ事になるといったことを伝えて数日後に亡くなってしまう。

 15才の青二才が1人で生きるには、この寒村はあまりにも厳しい環境であるわけだが。

 そこに救いの手を差し伸べてくれたのが、父が仕えていたドミトレスク家だった。

 

 

 

 オルチーナ様はまだ何も知らない子供だった私に、父と同じく執事として仕える事をお求めになった。

 とはいえ、私が成長するまで、どちらが仕えているのか分からない状態であった。

 というのも、この身長2m90cmのマダムは、まだ私より幼かった3人の娘の面倒を見ながらも、何の血縁もない私の面倒まで見てくださったからだ。

 

 文字の読み書き、計算の仕方、テーブルマナーや言葉遣い。

 食事は3人の娘さん達と一緒に取り、テーブルマナーがキチンと身についた。

 オルチーナ様はたかだか使用人の息子に、そこまでの教育を施してくださった。

 

 この御恩は何があっても忘れる事はできないだろう。

 

 

 当時の自動車…特にドイツの高級車ともなると製作に時間を要するわけで、さらにそれをトランシルヴァニアまで運んでくるとなると余計時間がかかる。

 オルチーナ様の元にドイツ製高級車が届くまで、発注から1年の月日を要したわけだが、この車が届いた時、彼女は私に新しい任務を与えた。

 カール・ハイゼンベルクの指導の下、この新時代の乗り物を操縦する事になったのだ。

 

 世界大戦が勃発する中、私はこの新時代の乗り物の操縦を楽しんでいた。

 ハイゼンベルクは気難しいところもあったが中々に面白い男で、私にとっては兄のような存在だった。

 彼のおかげで車の操縦を早々に習得できたし、ひと月後にはオルチーナ様を乗せてベネヴィエント家の邸宅まで運転していた。

 

 運転手は楽しい仕事だったが、世界大戦の足音はもうすぐそこまで来ていた。

 ルーマニアは英仏からの要請に応えるべく、戦争の準備を進めていたのだ。

 私はまさに徴兵適齢期で、猫背の漁夫モローと共に出征する事になった。

 ハイゼンベルクは戦争に行きたがっていたが、村で唯一のエンジニアを戦地に送るわけにもいかなかった。

 

 そういうわけで、現在に至る。

 私は軍隊で運転の腕を更に磨けた。

 故に帰郷したらすぐに勤めを果たす気満々であったのだが、オルチーナ様から最初に賜った任務は、彼女の晩餐に参加する事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ねえ、セバスティアン。何か面白い土産話はない?」

 

「カサンドラ!話す時は食べ物を飲み込んでからとあれほどっ………はぁぁ」

 

 

 オルチーナ様が呆れて天を仰ぐ姿を見るのも懐かしく感じる。

 私はサラミの断片を飲み込んでから、カサンドラの質問に質問を返す。

 

 

「面白い土産話?」

 

「ええ!戦地での武勇伝!…そうね、機関銃で迫り来る敵をぶっ殺したとか」

 

「言葉遣いッ!」

 

 

 再び呆れ果てるオルチーナ様を傍目に、私は一人考え込む。

 カサンドラが何故そんな事を聞きたがっているのかは分からないし、とてもお年頃の淑女の趣味とは思えない。

 当たり障りのない回答を考えていると、ベイラが助け舟を出してくれた。

 

 

「カサンドラ、セバスティアンも困っているでしょう?そんな質問はやめなさい。戦争は華やかなものではないわ。」

 

「………ふーん」

 

「あなたにはもう少し"華やかさ"が必要よ、カサンドラ。ドミトレスク家の娘としての自覚を持ってちょうだい、お願いだから!」

 

 

 肝心のカサンドラはオルチーナ様の忠告もどこ吹く風のご様子である。

 私としてはせっかく晩餐にご招待いただいたのに、何も話さずに終わるのは心苦しく思えていた。

 そこで、戦地で流行っていた冗談を口にする。

 

 

「じゃあ……私は軍隊でも運転手をしてたんだが、その時に聞いた話をしよう。」

 

 

 カサンドラが目を輝かせ、ダニエラがこちらを向き、ベイラは微笑みをこちらに向ける。

 オルチーナ様もワイングラスを机に置いて、こちらの話に耳を傾けている様子だった。

 

 

「ソンムの戦いで、あるイギリスのパイロットが捕虜になった。パイロットはドイツ兵に、自分の脚を切断して、ロンドンを飛行船で爆撃するときに一緒に投下するように頼んだ。次の爆撃では腕を、その次には胴体を。そしてとうとう、残りは頭だけになったとき、ドイツ兵はこう言った。『気持ちは分かるがね、お前さん。次の頼みは聞けないな。だって、お前さんはそうやってロンドンに帰る気なんだろう?』」

 

 

 カサンドラが吹き出して、ベイラは上品に笑う。

 ダニエラは口にワインを含んでいたから大変だ。

 オルチーナ様もダニエラを嗜めつつも、この鉄板ネタにご満悦の様子だった。

 

 

「面白い話ね、セバスティアン。誰か分からないけど、その話を思いついた人間は中々の人間だわ。………さて娘達、もう寝なさい。明日は教会に行かないと。セバスティアン、帰ったばかりで悪いけれど、明日の朝娘達を教会まで送ってくれるかしら?」

 

「マザー・ミランダの所に?」

 

「ええ。明日は先祖の墓地の手入れをしないと。」

 

「喜んで。私も両親の墓地を手入れしませんと。」

 

「心配しなくても、あなたのご両親のお墓は娘達に手入れさせてあるわ。出征する兵士の憂いを断つのは領主の務めだもの。」

 

「大変ありがたい限りです、オルチーナ様。」

 

「…本当によく戻ってくれたわ。戻れなかった者も多かった。」

 

 

 オルチーナ様がそう言って、俯いた。

 私も戦地で死んでしまった仲間たちの事が脳裏に浮かぶ。

 イシュトヴァンは毒ガスにやられてしまった。

 例によってマスクを装着したモローを笑っている内に、本当に毒ガス弾が着弾して吸い込んでしまったのだ。

 シルヴェストリはブカレストの戦いで、敵の機銃弾を浴びて死んだ。

 スタンはテッサロニキで重砲の砲弾にやられた。

 ツェラーンも、ロシュも。

 その他3人の男達も、何らかの理由で、ついに生きて故郷へは戻れなかったのである。

 私とモローが生き残ったのは正に幸運でしかない。

 

 

「……教会堂で祈ってきます。死んだ仲間達のために。」

 

「セバスティアン、残念だけど…今は教会堂に立ち入る事はできないの。」

 

「?…何だって?」

 

 

 ベイラの言葉に、私は耳を疑った。

 この地にとってカトリック教会は、最も神聖な場所である。

 かつてトランシルヴァニアはオスマン帝国の支配下に置かれた。

 異教徒どもの圧政から逃れたとき、その心の支えとなっていたのはカトリック教会である。

 この村の住人達は、代々敬虔なカトリック教徒であった。

 

 

「………マザー・ミランダの娘さんが病気だそうよ。流行り病だっていうの。」

 

「それはいつの話なんだ、ベイラ?」

 

「1年前。あまり容態は良くないみたいで…」

 

「プロテスタントの男を教会に入れたりするから!バチが当たったのよ!」

 

「カサンドラ!やめなさい!…アレはマザー・ミランダの御慈悲だったの!私達は敬意をもって、彼女の選択を理解しなければならないわ。」

 

 

 カサンドラが毒づいて、オルチーナ様がそれを咎める。

 私には何がなんだか分からない。

 1年前、俺がまだモルダヴィアにいた頃、何かあったのだろうか?

 

 

「何でもないわ、セバスティアン。どうか忘れてちょうだい。」

 

「………はぁ」

 

「…色々とごめんなさいね。さて、あなたも早く休んで。軍の自動車と私の高級車では扱いも違うでしょうから、元の感覚を取り戻して。」

 

「そういえば…侍女のフランチェスカは私の頼みを聞いてくれてましたか?」

 

 

 私の質問に、オルチーナ様があっけらかんとした様子を見せた事に、私は何か悪い予兆を見出した。

 

 

「……フランチェスカが?…いいえ、特には聞いてないけれど、何か頼んでいたの?」

 

「ええ、はい。フランチェスカには定期的に車のエンジンを掛けるように頼んでいました。」

 

「あの子!………ごめんなさい、セバスティアン。きっとあの子は何もしてないわ。」

 

「もしかして…車は4年間手付かずに…」

 

「戦時体制でガソリンも入手に制限がかかっていたから乗ることもなくて…」

 

「わわわ分かりました、大丈夫です、オルチーナ様。ただ、お嬢様方をお送りさせていただいた後に、ハイゼンベルクの工廠へ行く事をご許可いただければ…」

 

「ええ、許可しましょう。本当に色々とごめんなさい。苦労をかけるわね。」

 

「とんでもありません、オルチーナ様。それでは、私はこの辺で失礼致します。」

 

 

 

 侍女達が食器の片付けに入ってきたので、私は"おいとま"する事にした。

 フランチェスカなんかに頼み事をする私も私で落ち度がある。

 あの娘は昔からどこか抜けているのだ。

 

 

 何はともあれ…気がかりな事もあるが…私はオルチーナ様に与えられている自室に入って早めに休む事にする。

 車はもう4年もエンジンをかけていない。

 明日は少し早起きをする必要がある。

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