ヴィレッジ 1919   作:ペニーボイス

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喪失

 

 

 

 

 オルチーナ様曰く、カール・ハイゼンベルクはプラハで自由主義思想に"感染"した。

 村から出て行く前"忠実な"村人の1人であった彼は、帰って来た時には民主主義者になっていたのである。

 若者というのは自身が得た知識をとにかく使ってみたいという衝動に駆られやすいのかもしれない。

 私にも思い当たる節があるから、あまり人の事は言えないが。

 ただ、カール・ハイゼンベルクに他の若者と違う点があるとすれば、それはきっと、彼の場合は得た知識を的確に使用するだけの技量があるということだろう。

 

 

 

 私はドミトレスク城の応接室の前で、オルチーナ様とハイゼンベルクが討論を終えるのを待っている。

 そう、討論だ。

 感情だけに頼った口論や、机上の空論を並べ続ける議論ではない。

 理性と知識によって、そう遠くない未来のために今すべき事を話し合う、建設的な会話が応接室ではなされている。

 

 

 

「アンタの統治を否定するつもりはないんだ、オルチーナさん。アンタが良い領主である事に疑いの余地はない。だが村人達をいつまでも政治に無関心な状態にさせておくことは危険ですらある。」

 

「ええ、あなたの危惧はよく分かる。そのために組合を設立して、その……トラ…?」

 

「トラクターだ。」

 

「ええ、そう。トラクターを導入して、彼らの手で運用を行わせたいという志は立派よ。……分かりました、あなたの案を受け入れましょう。」

 

「そりゃあ、ありがてえ!」

 

「ただし。定期的に組合から私に運用に関する報告書を出させる事、そして、私がいつでも組合の方針に介入できる権限を備えてちょうだい。」

 

「………まあ、仕方ねえ。そこは妥協するさ。アンタほど理解ある領主はそうそういない、これは間違いないからな。」

 

 

 応接室のドアの奥から聞こえていた討論の結論が出たようで、やがてドアが開いてハイゼンベルクが現れる。

 次いでオルチーナ様がお顔を出し、私にお命じになった。

 

 

「セバスティアン、ハイゼンベルクを工廠まで送ってあげて。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりドイツ製の高級車はちげえな!聞いてみろよ、このエンジン音!プラハにもこんな馬力のエンジンはねえよ!」

 

 

 ハイゼンベルクはドミトレスク家の高級車にご満悦の様子だった。

 もっとも、それは乗り心地の問題ではなく技術的な関心にあったようだ。

 彼は助手席に座り、まるで初めて闘牛を見た若者のように興奮している。

 そんな彼に、私は今日の討論の成果を聞いてみることにした。

 

 

「カールさん、今日はどうでした?」

 

「言うことねえよ。あのデカ女は俺の要求をちゃんと理解してくれた。そして、彼女の要求もまた理解できる…理にかなった要求だからな。」

 

「介入の権限の話ですか?」

 

「ああ。この村は決して裕福じゃねえ。余裕なんてほとんどないし、10年に1度は餓死者も出てる。そんな経済状態じゃあ、この村の7割を占める第一次産業従事者は子供を増やすわけにはいかない。…つまり、人口の増加は望めないわけだ。」

 

「では、どうすれば?」

 

「そこで機械の出番ってわけよ!農業用トラクターが一台でもあれば生産効率は間違いなく上がる。生産効率が上がれば、村は豊かになる。村が豊かになれば…」

 

「人口も増える」

 

「そう、そしてまた生産効率が上がり、良好な経済循環が続く。だが問題は運用だ。あのデカ女はあくまで統治者、直接農業に従事するわけじゃねえ。だから」

 

「ドミトレスク家が運用しては、適切な運用が阻害される。」

 

「その通り。あのデカ女から教育を受けただけあるな。」

 

 

 ハイゼンベルクがオルチーナ様を"デカ女"と呼ぶのは、決して蔑称ではない。

 一度勘違いして咎めた事はあるが、結局のところ彼の言う"デカ女"は、"デカくて頼りになる女"の略称であったのだ。

 確かに誤解を招きやすい呼び名ではあるが、ハイゼンベルクは信用のできる相手にしかその呼び名を三人称として使うことがなかった。

 実のところ、ハイゼンベルクは村の誰よりもオルチーナ様を信頼している。

 だから臆する事なく直言できるし、その際感情的になったりはしない。

 オルチーナ様もハイゼンベルクを評価している。

「彼の"薬"はあまりに苦いけれど、劇的な効果がある…この村には必要よ」と。

 

 

「…だから、村人達に組合を作らせて運用させるんだ。これには勿論、村人達を政治教育する側面もあるがな。」

 

「率直に言うとカールさん、それが心配なんです。村人達が政治に関心を持ち出したら、オルチーナ様に反逆を企てる輩も出るかもしれない。」

 

「気持ちは分かるが、杞憂だと思うぞ。少なくともあのデカ女が領主をやってる内は、そんな奴は現れない。何たって完璧に近い統治なんだからな。お前が心配すべきはデカ女の統治が終わった後、だ。」

 

「終わった後?」

 

「デカ女だって不死身じゃない。人間として生まれたからにはいつか死ぬ。デカ女の後はだれが引き継ぐ?彼女が天寿を全うしても、ベイラはまだまだ若い。ブカレストの役人共に煙を撒かれて、いいようにされるとは思わないか?」

 

「………それは…」

 

「だからベイラを支える人間がいる。或いはカサンドラかダニエラかもしれねえが。とにかく、村人達が政治に関心を持てば、ブカレストの役人が口八丁で物を喋っても、少なくとも警告はできる。」

 

「おおっ、なるほど!」

 

 

 ハンドルを切りながらも、彼の思慮の深さに感動する。

 こんな感嘆詞が口から滑り出るのもいつぶりであろうか。

 彼は口先だけで"革命"を唱える夢想家の類ではなく、寧ろ堅実な保守派であった。

 

 

「では、オルチーナ様の要求した権限にはどう言う意味が?…もし、カールさんの要求の真意を彼女が理解していたとすれば、矛盾するように思えるのですが」

 

「そう思うのも無理はねえな。ただ、デカ女は自分の権力に固執したわけじゃねえ。あの権限を求めたのは…立場の弱い人間のためだ。」

 

「………?」

 

「村人達が効率よく農業用トラクターを使うようになったら、組合の力も増す。その組合の中で実力を持つ者が、やがては運用方針を決めるようになるだろう。ここまでは良いんだが、全ての人間がマザー・ミランダのような聖人というわけじゃねえ。組合はややもすると、効率を優先しすぎるあまり、非効率な農地への貸出を拒否するかもしれない。」

 

「………」

 

「組合を通じて政治を学んだ村人は、その理念の範を組合の中に求めるだろう。つまり雛形ってわけだ。もし弱者の切り捨てが組合の基本理念になれば、それが村全体に波及してもおかしくはない。そうなると…言い方は悪いんだが……村人達はドナやモローみたいな奴まで切り捨てるようになる。」

 

「ああ!それでオルチーナ様は…」

 

「そうだ。皮肉なしに素晴らしい領主だぞ、あのデカ女。彼女は組合の理念がねじ曲がらないように監視したいんだ。ただそれは本来なら組合の中でカタをつけなきゃいけない話なんだがな。…まあ、安全装置ってことよ。運用費は組合が捻出するが、トラクター自体はデカ女が買う。デカ女の権限はこれで担保される。…まぁ、組合の運用費も結局はドミトレスク家の資産が元金だ。」

 

 

 ハイゼンベルクは単にトラクターを導入したいわけではない。

 それは、彼独自の思い描くヴィジョンがあっての事だった。

 流石はハイゼンベルク。

 プラハの魅力的な生活より、村の事を選んだ男は一味違う。

 

 

 助手席に座る無精髭の技術者に感心している間に、自動車は村の中心である教会に差し掛かりつつあった。

 この村の住人達は最近"人集りを作る"という競技に熱中しているのか、今日もそこには人集りができていた。

 ハイゼンベルクはその人集りを指差して、私に話しかける。

 

 

「おい、ありゃあ一体何の騒ぎだ?」

 

「さあ……何でしょう?」

 

 

 人集りの方に近づくと、怒声が耳をつんざいた。

 どうやら1人の男が声を荒げて教会に迫っていて、周囲の人々は彼を止めようとしているようだ。

 

 

「出てこい!ミランダ!俺達に説明しろ!」

 

「アンタ、やめて!」

 

「ありゃあイシュトヴァンの親父さんじゃねえか。それにカミさんもいる。…クソ、またか。…セバスティアン、ここで車を止めてくれ。あの親父さんを宥めてくる…お前はこっちに来るんじゃねえぞ!」

 

「…はい?…人足がいるなら加勢しますよ?」

 

「いいから、言った通りにしてくれ。イシュトヴァンの親父さんは錯乱しちまってんだ。」

 

 

 とりあえずハイゼンベルクの言う通りに、車を止めて運転席で何が起きているのかを遠巻きに観察する。

 イシュトヴァン…モローを笑っている内に毒ガスを吸い込んでしまったあの可哀想な男…の父親とは、何度か面識があった。

 腕っ節の強さは有名だったが、彼は決してそれを他者に危害を加えるために使おうとはしなかった。

 私の記憶にある彼の印象は、いつも穏やかで大らかな人物像である。

 しかし、今、親父さんはハイゼンベルクの言うように錯乱してしまったようだ。

 片手に酒瓶を握り、何人もの男達やカミさんが止めるのも聞かずに暴れている。

 きっと息子を失った事に耐えられなかったのだろう。

 

 

 暴れ続けるイシュトヴァンの親父さんを止めるには、その腕力もあってハイゼンベルクが加わっただけでは焼石に水に思える。

 私は段々と心配になってきた。

 この事態をただ遠巻きに見ているだけで本当にいいのだろうかと、少し罪深い気持ちにもなる。

 

 イシュトヴァンの親父さんは、より一層声を荒げ始めた。

 周囲の雑踏などかき消してしまうほど声を張り上げて、教会に向けて怒鳴り散らしている。

 

 

「ミランダ!いつまで隠れてるつもりだ!どうせ()()()()()()()も死んじまったんだろう!この罰当たりなクソ尼がッ!!」

 

 

 とても教会のマザーに向けて言っていい台詞ではない。

 返事のない教会は、親父さんの怒りを増長させてしまう。

 彼は遂にあらん限りの力でもって周囲の男たちを振り解いた。

 男達の多くは倒れ込み、ハイゼンベルクも地面に投げ出される。

 

 その時、それまで離れた場所から親父さんを止めようとしていたカミさんが彼に抱きつき、その愚行を止めようと懇願する。

 

 

「やめておくれ、お前さん!もう何をしてもあの子は戻ってこないんだよ!」

 

 

 すると親父さんはカミさんに向かって平手打ちをする。

 ただの平手打ちとは思えない音が辺りにこだまして、カミさんはその場に転んでしまった。

 親父さんがそのままカミさんに近づいてるのを見て、私はもう耐えきれなくなる。

 

 運転席のドアを開け、高級車から躍り出た。

 親父さんは酒瓶を投げ捨てて、今度はポケットに手を突っ込んでいる。

 何をする気は知らないが、このままでは彼自身も後悔するような結果になるのは日を見るより明らかだ。

 

 

「だいたい、おめぇのせいだ!おめぇが出征に賛成なんかするから…!」

 

「アンタだってしたじゃない!」

 

「うるせえ!その口閉じねえと…」

 

「親父さん!!」

 

 

 カミさんににじり寄っている親父さんの背中に呼びかける。

 彼らの奥では地面に投げ出されたハイゼンベルクがようやく腰をあげていたが、そちらへ向かっている私を見て喚いた。

 

 

「馬鹿野郎!戻ってろ!」

 

 

 だが、その時にはイシュトヴァンの親父さんは既に振り返って私の姿を認めていた。

 彼はその両目から涙を流しながらも、私のことを睨みつける。

 どうやら、4年の時を経ても私のことは覚えているらしい。

 

 

「おめぇ、この!倅は国のために死んだんだ!おめぇはどんなツラ晒して戻ってきやがった!」

 

 

 親父さんは怒りを足取りに変えてこちらへまっすぐやってくる。

 これは何発か殴られるかもしれない。

 だが、親父さんの背後では投げ出された男達がようやく立ち上がりつつあった。

 彼らがすぐに割って入ってくれるはず。

 そんな考えが甘かったのかもしれない。

 

 

 

 ドスッ!!

 

 

 

 イシュトヴァンの親父さんが私に向かって腕を伸ばすと、低いくぐもったような音が聞こえた。

 直後に私は腹部に激しい痛みを覚え、思わずそちらに目線を向ける。

 そこには一本のナイフがあり、その刃を私に突き立てていた。

 

 再び親父さんに目を向ける。

 先ほどまでアルコールと怒りによって真っ赤になっていた彼の顔は、段々と青ざめていく。

 あんなに怒鳴り散らしていたにも関わらず、彼の声はじきに震え始めた。

 

 

「………そんな…お前…いや……違うんだ…俺は………こんなつもりじゃ………」

 

 

 親父さんの怒りが一気に収束したおかげで、ナイフはそれ以上深く刺さらずに済む。

 だが私は全身から力が出て行くのを感じて、その場に倒れ込んでしまった。

 すぐに親父さんと同じくらい顔を真っ青にしたハイゼンベルクが飛んできて、私の腹部を覗き込む。

 

 

「あの車にいろって言っただろうが!おい!おい!しっかりしろ!大丈夫だ、傷は浅い!…誰かすぐに医者を呼んで来い!」

 

 

 ハイゼンベルクの向こう側には他の男たちがいた。

 彼らの顔も既に青白い。

 その場でオロオロとする彼らに、今度はハイゼンベルクが怒鳴り散らす。

 

 

「誰か医者を呼んで来いってんだ!突っ立ってんじゃねえ!」

 

 

 男達の何人かが、村で唯一の医者を呼びに行く。

 ハイゼンベルクは私の負傷部位を抑え、その向こうでは両手についた私の血を見て屁垂れ込んでいるイシュトヴァンの親父さんを、カミさんが引っ叩いていた。

 

 

「アンタ!なんてことしたんだい!あの人は何も悪くないし、あの子の友達じゃないか!」

 

「ううっ…すまねえ……すまねえ……なんで…こんな事に………」

 

「………わ、私は大丈夫ですからっ…」

 

「喋るんじゃねえ、馬鹿!医者はまだか!?…おい、死ぬなよ、俺を見ろ!せっかく戦争から帰ったのに、こんなところで死んじまったらドナもやりきれねえ!」

 

「なんで……そのことを……」

 

「ッ……悪かった、悪かったからもう喋るな!お前が死んだら俺もイシュトヴァンの親父さんもドミトレスクのデカ女に殺されちまう!」

 

 

 ようやく医者がやってくると、ハイゼンベルクは傷の手当てを医者に任せて、ドイツ製の高級車に向かって行く。

 医者が応急処置を終え、私が他の村人達によって自動車に乗せられると、車はすぐに出発する。

 車はドミトレスク城に引き返す事になり、その城門の前ではすでにオルチーナ様が待っていた。

 彼女を見て安心したのか、私の意識は遠のいていき、そして深い眠りへと誘った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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