ヴィレッジ 1919   作:ペニーボイス

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失踪

 

 

 

 

 

 

 2週間後

 

 

 

 

 

 傷の治りは早かった。

 私はもう自分の足で歩けるようになり、今はモローの小屋のそばで釣り糸を垂らしている。

 まあ、何ともない冬の午後の、この時期には珍しい晴天。

 絵に描いたように平和な日で、あまりに平和なせいか我々の釣果は芳しくない。

 モローは2、3匹魚を釣り上げているが、その彼にとっても今日は"シケてる"そうだ。

 ピクリとも動かない竿先をぼんやりと見つめていると、隣のモローが私に切り出す。

 

 

「腹の具合はどうなんだい?」

 

「かなり良くなったよ、モロー。痛みはまだ残ってるが…こうやってお前と釣りを楽しめるくらいには良くなった。」

 

 

 医者の診断によると、私の傷はそれが原因で寝込んだ割にはあまりにも軽い傷ということだった。

 そもそもイシュトヴァンの親父さんは本当に私を殺そうとしてナイフを準備したわけじゃない。

 凶器に使用されたのは小刀というにはあまりに小さなナイフで、親父さんにはたまにこれで木材を削って彫刻を嗜む趣味があった。

 そんなちっぽけなナイフでもあの大男が振るえば充分私を殺せたかもしれないが、先も言ったように親父さんは偶発的に私を刺し、その後すぐ正気に戻ったのだ。

 だから実際の傷は私が思っていたよりずっと浅かったし、出血の割には治りは早い。

 そう考えるとあの場でヘタレ込んだのが情けなくすら思える。

 オルチーナ様やドナにも余計な心配をかけてしまった…私も若者とはいえ、そろそろ家庭を考えてもいい歳だ。

 あんな冒険はもっと後進の人間に譲るべきだったかもしれない…もちろん冗談だが。

 

 

「……聞いたよ、婚約したんだって?」

 

「うわ…どこまで広まってるんだ、その話。」

 

「水臭いじゃないか、アッペルフェルド!」

 

「怒らないでくれ。お前にも伝えるつもりだったんだが…その…何というか……分かるだろ、私だってまだ信じられないんだ。相手はあのドナだぞ?私のような男が、ベネヴィエント家の一員になるっていうんだから。」

 

「何となく気持ちは分かるが…そのためにオルチーナ様と養子縁組したんだろう?」

 

「ああ、そっちは既に済んでる。…正直参ったよ。養子縁組を終えた瞬間からオルチーナ様が全力で"母親をしてくる"んだから。」

 

「そうなのか?…おれには想像もつかないぞ。」

 

「ここに来る時もだ。ただ釣りに行きたいって言っただけなのに、『釣り…?大丈夫?1人でやりきれるの?』だとか仰って……別に真新しい事をしようってんじゃないんだぞ。実のお袋だって、あそこまで過保護じゃなかった。」

 

「あはははははっ!苦労が多いなぁ、アッペルフェルド!…ところで、そのオルチーナ様なんだが…」

 

「何だ?」

 

「さっきからお前の後ろにいるぞ」

 

「ゔぇえええいッ!?」

 

 

 モローの言った通り、振り返ると私の背後の茂みから、悲しげな顔をしたオルチーナ様がこちらを覗き込んでいた。

 私は驚きのあまり前につんのめり、そのまま釣り糸を垂らしている湖に落ちそうになる。

 幸いオルチーナ様が私の襟元を掴んで支えてくださったので、この冬場に全身ずぶ濡れになるなんて事にはならなかった。

 その代わりに凄まじいまでの気まずさを味わう事になる。

 

 

「オ、オルチーナ様…いつの間に…」

 

「はあ…心配になって着いてきてみれば…そんなに私のことが不満?」

 

 

 ああ良かった、今日のオルチーナ様はまだ理性を保っていらっしゃる。

 最近の彼女は事あるごとに母性を醸し出すようになってしまったし、私に対する対応は使用人に対してのそれでも養子に対するそれでもなくなっていた。

 何というか…私がこんなこと言うのもおかしいのだが…ドナと私を婚約させるためではなく、オルチーナ様が私を息子として扱いたいがために養子縁組したのではないかと疑いたくなるような変貌具合である。

 

 

「いえ、不満など滅相もありません。」

 

「では何故私の心配を理解してくれないの?」

 

「心配なされ過ぎです、いくらなんでも。」

 

「そんな事ないわ!あなたはもう、私の大切な息子になったのよ?」

 

「ええ、本当に感謝していますが…その…こんな事をしなくても…」

 

「ああ、もう、セバスティアン!お願いだから"ママ"を困らせないで!」

 

「ママ……?………ママッ!」

 

 

 オルチーナ様が変な事をおっしゃるものだから、私の隣にいるモローが釣竿を手放して彼女の方へ向き直る。

 

 モロー、本当に気持ちは分かるんだが、変なスイッチを入れるんじゃない。

 そしてオルチーナ様もいい加減正気に戻ってください。

 オルチーナ様もオルチーナ様で"なにがしかのスイッチ"とか入ってたりされますか?

 ならば私が責任を持ってそのスイッチを切らせていただきますので。

 

 

「…はぁ、これがハンコーキというものなのかもしれないわね」

 

違います

 

「さて。私はただセバスティアンの後を追ってきたわけではないわ。モロー、私はあなたに聞かなければならない事があるの。」

 

「………ママ………ママ…」

 

 

 呆けたように固まっているモローの様子を見て取ると、オルチーナ様は彼の首に手を伸ばし、その後ろ側を押す。

 するとモローは一度直立不動の姿勢になり、目を上下させてから正気に戻った。

 本当に何かしらのスイッチがあったらしい。

 

 

「あっ!ああっ、これはオルチーナ様!」

 

「ええ、モロー。あなたも元気そうで何よりね。…ところで、フランチェスカを見てないかしら?」

 

「ゔぇッ!?………フ、フランチェスカなんて見てません!」

 

 

 何故モローが明らかに動揺したのか分からないし、オルチーナ様がフランチェスカの動向を尋ねたのかもわからない。

 

 フランチェスカはイカれてるんじゃないかというほどの"おてんば"で、大ポカをやらかしたと思ったら、勝手に城を出てほっつき歩くというような真似もする。

 私から言わせると、アレこそ情緒不安定だ。

 主人の動向を周囲に尋ねて回る侍女なら多くいるかもしれないが、侍女の動向を周囲に尋ねて回る主人なんてドミトレスク城くらいにしかいないのではなかろうか。

 

 

「フランチェスカならまた戻ってきますよ。今までもそうでしたから。」

 

「ええセバスティアン…私もそうは思うのだけれど、あの娘がこんな冬場に"お散歩"に出かけることはなかったから、少し心配なの。」

 

「彼女に何かあったのですか!?」

 

「…モロー、白状なさい。実を言うと、他の侍女達はあなたとフランチェスカの関係を知っているのよ?」

 

「待ってください、オルチーナ様。モローとフランチェスカの関係についてお聞きしても?」

 

「察しなさい、セバスティアン!モローだって若者よ?それも勝利に終わった戦争から戻ってきた若者。婚約を済ませているのがあなただけだと思った?」

 

「…………ッ!」

 

 

 驚いてモローの方を見ると、彼は明らかに私から目線を逸らして口笛を吹いている。

 何が"水臭い"だ、このちゃっかり者!

 

 

「ひょっとして今までフランチェスカが勝手に城を出てたのは…」

 

「きっとモローに会うためよ。あなた達が出征してる間、あの娘は勝手に城から出て行く事がなかったわ。でもどこかうわの空な感じだった。」

 

 

 私が出征したことで、ドナは気が気でなかったらしい。

 恐らくフランチェスカも同様の気持ちだったはずだ。

 だからといって、4年間車の保守を丸々忘れるのはどうかと思うが。

 

 

「あなたがフランチェスカと逢引していたことは知ってるの。でもあなたが会っていないと言うのであれば…本格的に心配ね。モロー、思い当たるところはないかしら?」

 

「………いいえ、オルチーナ様。出征前彼女は教会にはよく行っていましたが…今は封鎖されてますし…」

 

「そうね。教会にもあなたのところにもいないのであれば…彼女一体どこに行ったのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オルチーナ様とドミトレスク城に戻り、お嬢様方と晩餐を共にする。

 今日はその席にドナもいた。

 彼女はオルチーナ様から"花嫁修行"なるものを教わっているらしく、ここ数日はドミトレスク城で起居している。

 改めて"家族"を得ることができたからか、ドナの対人恐怖症は随分と良好な経過を辿っているようで、今では彼女はオルチーナ様のお嬢様方とさえ、ベールなしの対話ができるようになっていた。

 彼女がオルチーナ様やシモン以外の人間と、そんな事ができるようになった事に驚きを覚えつつも嬉しく思う。

 なら、彼女が頑張っているように私も頑張らなければ。

 

 

「オルチーナ様、明日より職務に復帰してもよろしいでしょうか?」

 

「…正気?あなた身体に穴を開けられたのよ?」

 

「どうかご心配なく。お医者様からも"無理をしなければ"という条件付きではありますが、許可をいただいておりますので。」

 

「………」

 

「大丈夫です、オルチーナ様。今日だってモローと釣りをしていたのですから。…それにドナが頑張っているのに、私だけ寝込んでいては心苦しく思います。」

 

「…そうね、分かりました。あなたには職務に復帰してもらいましょう。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 私がオルチーナ様に謝意を述べると、今度はダニエラが口を開く。

 

 

「ところで、お母様。フランチェスカはまだ戻っていないの?」

 

「ええ。本当に、どこに行ってるのかしら。」

 

「まぁ、今までも朝まで帰ってこない時があったじゃない。」

 

 

 カサンドラが手元のサラダを突きながらそう言った。

 娘を心配する母親のような表情を浮かべるオルチーナ様とは対照的に、お嬢様方は"よくあること"というような態度である。

 無理もない、本当に"よくあること"なのだから。

 しかしそれでもオルチーナ様は安心できないようで、スープを啜るベイラに問いかけた。

 

 

「でも、モローのところへは行ってないそうよ。」

 

「じゃあ教会……あ、教会は封鎖されてるし…ドナはフランチェスカがどこに行ったと思う?」

 

「え?私………?」

 

「ええ。あなたがフランチェスカだとすれば、どこに行くと思う?」

 

「…………う〜ん……こんな綺麗な月の夜だから…きっと、雪の野原に座って………詩を詠むと思う………」

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

(かわいい)

 

 

 ただの晩餐会がドナを愛でる会に変わりつつあったが、夕食の殆どの皿は空になってしまったので、晩餐会はお開きになる。

 侍女達が部屋に入ってきて食器を片付けて始めると、オルチーナ様は恐らくドナに職人級の食器洗浄術を教え込むために侍女達と出て行った。

 私もお嬢様方に挨拶を述べて自室へと戻る。

 

 

 就寝の準備をしながら、フランチェスカが本当にどこへ行ったのか自身も気にかかっていることに気がついた。

 モローには大丈夫だと言ったが、しかし理性的に考えると不自然ではある。

 フランチェスカの事だから彼との婚約で舞い上がってしまい、突拍子もない事をしているのが容易に想像できるが、しかし、フランチェスカは月の下で詩を詠む類いの娘ではない。

 

 

 まあ、明日には帰ってくるだろう。

 私はそう思いつつ、ベッドに身体を預けて眠りにつく。

 ところが、フランチェスカは翌朝になっても帰ってこなかった。

 

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