トレーナーになることにした。3年契約で   作:とくめい

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競馬にわかです


プロローグ

 汚い世界で生きてきた、という自負はある。

 

 まともに職に就くこともなく、日がなギャンブルで小銭稼ぎに明け暮れる毎日。あるいは、酒と煙草に呑んでは呑まれる堕落した生活。人生の落伍者、と辞書で引いたら俺が類語で登場してもおかしくないだろう。

 ひと昔前は前途多望な神童だの異才だの呼ばれたものだが、ここ近年もはや、その錆びついた才能は公営ギャンブルと違法ギャンブルにしか発揮されていない。

 とはいえ俺は俺なりに人生をエンジョイしてきた訳で、ワンカップ酒と3級品でも煙草さえ嗜むことができればこのまま落ちこぼれて行っても何の異論もないのだが。

 

「そんな俺に今更、真人間になれって言っても無理だよ。やよいちゃ――理事長」

 

 つらつらと並べられた言い訳に渋面を浮かべたのは、日本ウマ娘トレーニングセンター学園の現理事長である秋川やよい。実に数年振りの再会は、案の定俺の一人負けで始まった。

 手に持った扇子をトントンと叩きながら、普段は快活なその瞳が困惑気に揺れる。

 俺と彼女を挟んだガラス張りのローテーブルには、『特別嘱託制トレーナー雇用契約書』。

 その書類から視線を外して、明らかに上等な湯呑に口を付ける。

 

「指摘ッ。あなたの功績はそんなに生易しいものじゃない筈だ! 幾つの日本最年少記録を重ねてきたと思っている!」

「人格は才能に比例しないよ」

「この私が! 問題がないと言っているッ!」

 

 端的に言うと、俺はスカウトを受けていた。

 それも、このトレーニングセンター学園に所属するトレーナーとしてだ。本来は専門の養成学校を経て、学科試験に通った者だけが成れるエリート街道である。

 そんなトレーナー職に誘われた俺がどう考えるかというと……答えはもちろん、NOだ。今更まともなレールに外れるくらいなら研究者を辞めて半ニートにはなっていない。

 ごくりと緑茶を喉に通してから、改めて俺は首を振った。

 下手に話が長引いても面倒だ。正式に断って帰ってしまおう。

 

「確かに、向こうではウマ関連の研究をしてはいたけどさ。個人的な確認を行ったまでだよ」

「――【ウマ娘の運動生理に関する研究】ですか。従来的に人間と比されることの多いウマ娘について、四足歩行の哺乳類とのデータ比較を徹底的に行ったと聞いています」

 

 横にいた女性に口を挟まれる。

 理事長秘書の駿川(はやかわ)たづなさんだ。

 黒いラインの入った深緑のスーツはどこか見覚えがあった。

 

「あー、最後に書いた論文ね、それ。ありがちなテーマだよ」

「……この論文で、ウマ娘の運動生理学研究が10年は進んだとされていますが」

「へえ、それは初めて聞いたな」

 

 げらげら笑っていると、小さな溜息が聞こえた。どうも呆れられた様子である。

 しかし懐かしい話だ。当時、大学にいた頃はまだ、それなりに社会性と人生に対するやる気が残っていた頃で、件のそれを含めて何本かの論文を出したものだ。そういえばあれを書くのには随分と知己のウマ娘に協力して貰ったなあ。

 まあ、とはいえ。

 

「俺のやりたいことはもう終わったのさ。誘いは有り難かったけど、出涸らしの身には過ぎた役割だよ」

 

 肩をすくめてそういうと、理事長の眉がむむむと顰められた。

 古い親戚の彼女から『どうしてもあなたの力が必要なんだ』と言われて重い腰は上げたものの、まさかトレーナー業務に就いてほしいだなんて言われるとは思ってもみなかった。

 若いというより幼いと言うべき秋川やよいは、俺と違って日向に住む人間だ。そして、まだ歳こそ若いが今後の日本競バ界を牽引し得る稀有な人材だ。

 俺のような人間と血の繋がりがあることには同情するが、俺とは関係のないところで何とか頑張ってほしいものだ。

 

「否定っ。それでも私にはあなたが……!」

「大体さ、研究者とかコンサルの立場で呼ばれるなら、まだ理解できたけど、何で『トレーナー』なの?」

 

 一つ、疑問に思ったのはその点だった。

 確かに俺の経歴だけを見るなら、飛び級での大学進学から院教育まで進み、最終的に博士号まで取得した。在院中の論文も幾つか受賞したものもあるし、モノによっては未だに選考中のだったり、著書になったものもある。

 そんな人物を果たして現場指導職のトレーナーとして招集するだろうか?

 

「確かにトレーナー資格は修士に付いてきたけど、実務経験なんてないよ?」

「……それは、その」

 

 言い淀んだ理事長に代わり、口を開いたのはたづな秘書だった。

 薄く微笑みを浮かべていた彼女は、困ったように口元を歪めて俺を見やる。

 

「理事長は、今、新しい試みを考えているんです」

 

 ほう、と相槌を打つ。

 この学園の責任者たる彼女のことだし、一つや二つの新イベントを考えていてもおかしくはない。

 続きを促すと、たづな秘書は声をひそめてこう言った。

 

「現段階で詳しくは説明できまませんが……今年度から、競バ界に大きな変化があります。それは、このトレセン学園本部を中心としながら、界隈全体に多大な影響を与えるものです」

「ふぅン。それで人手がいるってこと? それも特に最前線の、トゥインクルシリーズで」

「肯定!」

「しかしそれなら、なおのこと即戦力の方が良いんじゃ……って、界隈全体の変化ってことは地方からの引き抜きも厳しいか」

「ご推察の通りです。ただでさえトレーナー不足が叫ばれる現状で無理を通せば、中央地方間での軋轢を生みかねません」

 

 ……うーん。具体的に何をするつもりか知らないけど、準備不足じゃないの? それ。

 

「否定はしません」

「たづな!?」

 

 驚愕ッ! とショックを受けたようにやよい理事長が叫ぶ。

 昔から無鉄砲なところは変わらないな、彼女も。

 

「――ただ、人材が欲しいというだけじゃない! 『信頼できる』人物が近くにいてほしい! そう思っている!」

 

 呆れるほど真っすぐに胸を張って、彼女は俺の目を視る。

 いっそ恥ずかしささえ感じるばかりのストレートな誘い文句を受けて、思わず俺も考え込んでしまう。言ってみれば、別に、断る必然性は最初からなかったのだ。断る理由は、有り体に言えば面倒だから働きたくない、の一言に尽きる。

 その上で多少は仲の良かった親戚の子供にどうしてもとお願いされれば、多少は揺れてしまうぐらいの情が俺にも残っていたようだ。

 大きく深い溜息をついて、たっぷり30秒。

 ついでに煙草を吸おうとして、室内に灰皿がないことに気付くまでもう30秒。

 じっと見つめる2人の視線に、負けたように俺は一つ頷いた。

 

「……特別嘱託ってことは、勤務形態は通常社員と違うよね?」

 

 今までの如何に断ろうかという声色が変わったのが見て取れたのか、理事長は喜色満面に頷いた。

 

「肯定ッ! 特に出勤日や時間に決まりはないっ。ただし、週に一度は報告書が必要となる」

 

 週報か。

 まあ、毎日と言われないだけ十分ではある。

 

「なお、契約期間は3年間としている。これは先にたづなから説明があった新企画が軌道に乗るのが3年後の見込みだからだ。……けど、そこから継続して契約して欲しいとも思う!」

 

 それは確約できないなあ。

 ……けど、3年ならギリギリ許容範囲かな。

 

「もしご希望であれば、3年後以降は研究職として契約して頂いても問題ありませんよ。当学園内であればご自由に、もしくは関連施設の研究室への斡旋も可能です」

 

 随分と至れり尽くせりじゃないか。

 確かに自分でも(書類上は)優秀な人物だと思っていたけど、それにしても融通がよく利く。

 

「当然ッ! あなたの才能が在野に埋もれるぐらいなら、この程度は理事長の裁量ッ!」

 

 力強く頷く彼女の髪が大きく揺れて、確固たる自信の基にこの交渉を行いに来たことが感じられる。そりゃまあ、理事長とその秘書が単独で面接してる時点でコネとは言え特殊だとは思ったけど。

 ……はあ。

 この数年、屑みたいな人生を送っていたけど年貢の納め時らしい。

 自分より年下の女の子がここまでするとは、やはりあの母親の血を引いてるだけあるな。

 観念したように溜息を吐いて、暫く目を瞑る。10秒ほど、覚悟を決めて。

 

「……断るつもりで来たから、印鑑がないんだ。サインでもいい?」

「ッ! やってくれるか!?」

「本当は、今世では働く気はなかったんだけどね。とりあえず3年だけなら、やよいちゃん……失礼、理事長の顔を立てますよ」

「不要! 敬語じゃなくていいし、昔の通り、やよいちゃんでいい!」

「……雇用関係なんだからそうは行かないでしょう」

 

 むむっ!と頬を膨らませる彼女を宥める。

 俺は屑だし社会性はゼロだけど、社会道徳は守るタイプだ。何より、半分以上は理事長のコネ採用である俺が公私混同のような立場を取れば、彼女の立場そのものに悪影響を及ぼしかねない。

 そのようなことをつらつらと語るも、未だに不満気な表情を浮かべている。

 救いを求めるように隣のたづなさんに視線を向けると、彼女は落としどころを探ってくれた。

  

「少なくとも、業務時間外であれば大きな問題にはならないのではないでしょうか? もちろん、公的な場は別としてですが……」

「賛成っ! 気を遣われる方が辛いっ!」

「……まあ、やよいちゃんがそれで良いなら」

 

 にっこりと笑顔を浮かべるやよい理事長は、快活に笑い声をあげた。

 ……他に人がいる時は敬語にしよう。

 

 そして彼女は思いついたように理事長机まで走ると、そのまま俺の書類にポンと印を突いた。「ああ、そういえば苗字が一緒なんですね」……たづなさんの言う通り、俺も秋川ではあるけど、それはそれとして何かに引っかかる奴では?

 

「……うむ! 後は、こちらで記載した内容に問題がないか確認してくれ。たづな、控えを彼に」

 

「書類の偽造では?」

「――あなたが訴えなければ、問題なしっ!」

 

どういう企業コンプライアンスだ。

 

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