トレーナーになることにした。3年契約で   作:とくめい

3 / 5
アグネスタキオン2

 昼下がりの校舎一角は、ある種のどよめきに包まれていた。昨日から流れる噂話に、新人トレーナーからベテラントレーナーまで、あるいはウマ娘達までもが意識を奪われていた。

 その噂というのは『あの奇人ぶりで有名なアグネスタキオンが選抜レースに出たばかりか、トレーナーと専属契約を結んだ』というもの。

 彼女は以前よりその血筋や僅かばかりに見せていた実力の片鱗からデビューに期待が寄せられていたが、しかし、その実態はレースどころか授業にさえ真面目に出席しない問題児。

 このまま行けばデビューどころかトレセン学園への所属さえ危ぶまれるのでは――と、一部から心配されていた矢先の出来事に、周囲はあれやこれやと想像を膨らませていた。

 曰く「流石に彼女も退学は嫌だったから渋々契約したのだろう」とか。「今回のスカウトは腕が良かったのだろう」とか。はたまた「いつもの実験に失敗して性格が(まともな方に)ねじ曲がったのでは?」とか。

 その真偽はどうであれ、少なくともこれだけは共通事実として認識されていた。

 『翌月のメイクデビュー戦にはアグネスタキオンが出バする』と。

 

 

 

「そこまで。タキオン、水分補給後、インターバルを5分取る。次は腹筋トレーニングに移るぞ」

 

 ランニングマシンが既定の距離を計測したところで声を掛けると、大きく息を吐きながら彼女は頷いた。ウマ娘用に特殊改良された学園のトレーニング用機器は、総じて運動強度が高い。現段階で完成とは言えない彼女の身体での長時間使用は故障に繋がりかねない。短時間かつ高密度のトレーニングが良いだろう。

 

「うーん。実に基礎的なトレーニングの比重が高いねえ、君の訓練方針は」

「これでも本来のジュニア級よりは高めの負荷を取っている。ただ、今の調子ならもう一段階トレーニングレベルを上げてもいいかもな」

 

 タキオンがふむと頷き、マットに寝転がる。

 足を抑えてやりながら俺は言葉を続けた。

 

「少なくともデビューまでは基礎トレだ。タキオンの最高到達速度は既に一線級だが、レースは速さだけじゃ勝てないからな」

 

 彼女は逃げ馬じゃない。脚質で言えば先行がベスト、レース状況によっては差しが戦術選択肢に上がるだろう。ならば、前方から抜け出す、または後方から追い上げる筋力が必要となる。

 出来れば持久力も鍛えたいところだが……こちらは並行強化しつつも、優先度は下げていいだろう。当面、タキオンの出走レース候補は中距離以下でまとめてある。長距離レースの対策にしてもクラシック級の10月までに間に合わせられればいい。

 ……それに、彼女はアグネスタキオンだ。可能な限り脚は使わせたくない。

 

「左右の捻りが足りてないぞ。呼吸は身体を起こしながら息を吐くことを意識しながら、もう2セット。インターバルは各1分だ」

「了……解っ!」

「――よし、腹筋そこまで。今日の予定は終了だな。ストレッチは念入りにしてから終わるぞ……お疲れ」

 

 意外に、と言ってよいのか、タキオンは練習には熱心だった。

 俺が決めたメニューに特に口出しすることもなく、黙々と内容をこなしていく様は、下手をすれば優等生に見えてしまった。

 

「君が私の要望に合わせてトレーニング時間を短く、その分、研究に回せるようにしてくれたんだ。時間中ぐらいまともに取り組むとも」

「昨日サボったのは?」

「ちょうど研究が捗っていてねえ。あそこで席を外すと、結果を取り戻すのに、より時間が掛かるだろうことが予想されたからさ」

 

 悪びれもしない。というより、本当に悪気があったわけではないのだろう。

単純に彼女は、研究実験とトレーニングに掛かる合計時間を計算し、その場で実験を進めた方が結果的に総合計時間が短くなると判断しただけだ。

 無駄を嫌い、効率化する。その考えは嫌いじゃない。強いて問題点を上げれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

「君も中々まともな人間じゃないねぇ」

「……しかし。どこにいるかも分からないのは面倒なんだよな。タキオン、GPSでも付けててくれないか?」

「嫌だけど」

 

 何を考えてるんだ、と濁った眼で非難される。君にだけはそのセリフを吐いてもらいたくないんだが――さりとて、トレーナーとしては担当ウマ娘の動向ぐらいは把握しておきたいものである。何せ、トレーニング時間中にタキオンが問題を起こせば一部の責任はトレーナーの俺にも降りかかってくるのだから。

 そんな声を掛けながら冷却用にアイシングスプレーを投げてやると、渋面を浮かべた彼女が文句を垂れた。

 

「だから、前から言ってる通り君のトレーナー室を使わせてくれよー。それなら私は研究室の確保ができるし、君は私の管理ができる。まさに一石二鳥じゃないかな?」

 

 実験装置も君の部屋に置いてくれよ、いい提案じゃないかい? なんてのたまうタキオンに頭が痛くなる。この一週間でタキオンが授業をサボった回数は22回で、いずれも空き教室で化学実験をしていたことを確認している。先日も教室棟の一角がボヤ騒ぎになっていたのが記憶に新しい。

 そんな彼女にトレーナー室を引き渡してやれば、一ヵ月もしない内に俺の部屋がなくなるか、俺の職がなくなるかの二択になりそうだ。

 どうだい? と自信気に聞いてくる彼女に、どうやったらそのように胸が張れるものかと疑問に思う。

 

「……少なくとも、合成実験をしないと約束するなら考慮する。フラスコも試薬も一般教室で使うもんじゃないだろ」

「えー? 理論と実験を切り離せって言うのかい?」

「シミュレーションでいいだろ。今やシリコンチップの中で研究する時代だぜ」

「インシリコ創薬の可能性については全く同意するが、家庭レベルの端末に実用性があるとは思えないね」

 

 君がスーパーコンピュータでも用意してくれるならそれでもいいけどねえ、等とぼやきながら、アイシングを済ませたタキオンからスプレー缶を受け取る。なお、彼女の言うレベルの高性能端末を用意するのであれば、1日のリース料で俺の年収が丸ごとぶっ飛ぶ計算である。……スパコンは無理でも、一般端末をかき集めてクラスター化すれば何とかなるか?

 

「ま、どちらにしても金が要るんだが。タキオンの実家から引っ張ってこれないのか? 名家の御令嬢だろ?」

「うーん……実に率直な質問だが、その答えは否と言っておこうか」

「へえ。……もしかして実家と折り合い悪かったりする?」

 

 それだったら悪いことを聞いたが、と謝りかけた俺に、彼女は高笑いして否定を掛けた。

 

「いや何、単純なことだよ。――今まで研究資金を無心し過ぎて、とうとう実の両親からも見放されかけてるというだけさ! アッハッハッハ!」

 

 10秒ほど沈黙が続いてから。

 俺の「……昼飯でも行くか」の一言にタキオンは小さく頷いた。

 

 

 

 ちょうど昼時のカフェテリアには中高等部を問わず、多くのウマ娘達が集まっていた。一般に、ウマ娘は食事が好きだ。同年代のヒト種とほぼ近しい身体特徴を持ちながらも、食事量は個バ差あれ数倍~数十倍にも及ぶ。

 そこで、トレセン学園では育ち盛りの彼女達の食生活を支える意味でも生徒用カフェテリアを併設していた。実に、トレセン学園に通学する生徒なら格安で良質な食事がお代わり自由(※)で提供されるという優遇っぷり。(※一部例外除く)

 また、トレーナーである俺も福利厚生の一環として社食代わりに利用することが出来るようになっている。残念ながら生徒達ほど割安ではないのだが、日替わりランチがワンコインで食べられるのだから文句は言うまい。

 

「一部のトレーナーは担当ウマ娘の食事メニューまで厳密に指導しているらしいが……タキオンには必要ないだろう。もし必要であれば、献立ぐらいなら俺が作成するが」

「なあに、経口から補給するだけの行為にこだわりはないとも。……いや、心配せずとも栄養バランスは考慮しているよ? その胡乱気な表情をやめたまえよ」

「食事と称してシリアルバーとサプリで済ませている訳ではないよな?」

 

 俺の疑問に、タキオンはまさか。と首を振った。

 

「もちろん自炊しているさ。昨日は確か……そう、トマトとニンジンと鶏の胸肉だったかな」

「へえ、トマト煮込みにでもしたのか?」

 

 俺の疑問に、タキオンはまさか。と首を振った。

 

「ミキサーに放り込んで飲み干したとも。無論、足りない栄養素はサプリメントで補完しているから安心してくれたまえ」 

「ひょっとしてタキオン君はバ鹿なのかな?」

 

 想像より3段階は人間性に欠けた回答だった。よくも自炊という表現を使用したものだ。それと比較するなら、ネアンデルタール人の方がまともに調理をしていたと言えるだろう。

 

「仕方がないじゃないか。昨日は特に実験が進んで、カフェテリアに来る暇もなくてね……いやあ、トレーナー君の研究資料は実に有意義な内容だった! 私の研究もまた一歩、いや三歩は発展したと言っていいだろう!」

 

 上機嫌に笑うタキオンを横目に、思わず溜息が出てしまう。強くせがまれて5年前の資料と、そして、ここに来てからの知見を加筆したデータをくれてやったのだが、どうも裏目に出たらしい。

 食にこだわりがない、というレベルではない。彼女にとっては自身の研究進捗こそが全てであり、他の全ての事象は一段階下の次元でしかないのだろう。

 どうしたものか――と頭を悩ませていると、ふと目の前を漆黒が横切った。

タキオンより低い身長に、その腰まで伸びた長い黒髪。

 そんな彼女を見た瞬間、つらつらと喋り続けていたタキオンの語り口が止まった。

 

「……つまりだ。君の仮定したようにウマ娘の両脚を四足動物の後肢に当たると考えると、中殿筋と大腿二頭筋の接続こそが――んん? おや! カフェじゃないか!」

 

 そりゃここはカフェテリアだが。と返そうとしたところで、目の前の華奢な少女がこちらを振り向いた。金色の瞳が気だるげにタキオンを見つめている。

 

 カフェーーで青鹿毛と来れば、思い浮かぶのはただ一頭の馬だった。菊花賞から有馬記念、そして春の天皇賞のG1レースを全勝した割にいまいち知名度の低かった名馬……マンハッタンカフェ。

 まあ途中挟んだ日経賞で入着できなかったり、故障判明前のラストラン凱旋門賞で惨敗していたり、残念なところも多いのだが。

 とはいえ菊花賞、有馬記念、春天を三連勝したのは、シンボリルドルフとマンハッタンカフェを除いて他にいない。オルフェーヴルもナリタブライアンもゴールドシップだって成し遂げてない大記録だ。

 当時の年度代表馬にも選ばれたジャングルポケットにも負けなしで、世代最強馬だったと言っても過言ではないだろう。

 まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()訳だが。

 

「……アナタですか。それに、そちらは……ああ。トレーナーさんが付いたという噂は本当だったんですね」

「あ、ああ。と言っても先週からの話だけど」

 

 ぺこり、と頭を下げられる。少し憐れんだような感情を目に浮かべてこちらを見ていた。あれ? もしかして同情されてる?

 

「いやあ、良いところに来たねカフェ。ちょうど昨日新薬が出来たところなんだ。是非とも君に協力して貰いたいのだが」

「……ですから、前にも伝えたように、アナタの実験にはもう参加しないと何度も言っています」

「まあまあ、そんなこと言わずに! 私と君の仲だろう?」

「アナタと仲良くなった覚えはありませんが」

「えー! 私と君、お互いハグレ者同士仲良く――はしていないが。理解し合って――も来ていないが。いないが、それなりに気は合っていたじゃないか!」

 

 胡散臭くショックを受けるタキオンに、マンハッタンカフェは小さく吐息を洩らした。このやり取りだけで、何となく両者の関係が掴めたような気がした。

 ぐるん、といきなりタキオンの瞳がこちらに回転した。赤い眼光が訴えかけるように鋭く尖って俺の視線を貫く。

 

「トレーナー君からも彼女を説得してくれないか? ああそれと、ウマ・ヒト対照実験の為に君にも服薬して貰いたいのだが」

 

 どう考えても無茶振りだった。大体、俺とマンハッタンカフェは今が初対面だ。しかし思わず視線を下に向けると、タキオンよりも一回り背の低いマンハッタンカフェと目が合った。

 少し不安げに瞳を揺らす彼女は、どう見ても被害者のそれにしか見えない。

 俺は大きく頷いてからタキオンを指差した。

 

「どうしても我慢出来なかったら一発ぐらいは殴ってもいいと思うよ」

「……ありがとうございます。……覚えておきます」

「あれー! 君、私の担当トレーナーじゃなかったっけ!?」

 

 小声で足だけは勘弁してやってくれ。とカフェに言い含めると、彼女は薄く笑って、それから頷いてくれた。




平日は仕事とウマ娘とFGO(ログイン勢)とパワプロアプリ(ログイン勢)で中々書く時間が取れません

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。