トレーナーになることにした。3年契約で 作:とくめい
「後方集団からじわっと差を詰めて、アグネスタキオンが前からは5,6番手。各バが34コーナーの中間に向かいます。先頭はマイトリートで600を迎えます。……ここでアグネスタキオンが早目2番手に上がってきました! マイトリート先頭ですが外からはアグネスタキオン! アグネスタキオン追い込んできた! 内に入ったのはデュオタージェ、前の3頭、しかし抜けたのはアグネスタキオン! アグネスタキオン先頭でゴールしました! 勝ち時計は――――、上がり4ハロンは――……」
ジュニア級メイクデビュー戦、阪神芝中距離2000は、当然のようにタキオンが圧勝した。当然だ。既に彼女の実力はジュニア級に収まるレベルをかけ離れている。仮にこのまま重賞レースに出しても、G1以上の限られた大舞台でなければ、十分勝ちの目はあるだろう。
前世と同じ道を踏むのであれば、タキオンはホープフルステークス(旧:ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス)に進むことになる。
後に東京優駿やジャパンカップで勝ち鞍を挙げることになる『ジャングルポケット』NHKマイルカップ勝ち鞍の『クロフネ』らを相手に2馬身ちぎって2分0秒8のレコードタイムを叩き出し、世間に鮮烈な印象を植え付けたのだ。なお、このレコードタイムは20年経っても破られることはなかった筈だ。
中距離の括りで考えればこのホープフルステークスか、あるいはG3に格落ちするが、京都ジュニアステークス、京成杯あたりがタキオンの次走にふさわしいだろう。
そんなことをつらつらと話していたのは、阪神競馬場からの帰りの新幹線の中のことである。
俺が某・大阪名物の豚饅をつまみながら今後の展開を説明する一方で、タキオンはデビュー戦のデータを解析に回していた。ソフトウェアに対してスペック不足のラップトップがディスクから悲鳴を上げる。機体が熱を発して持ちきれなくなったのか、彼女は車載テーブルにそれを置きなおして、俺にじっとりとした視線を向けた。
「君の開発したシステムが素晴らしいのは認めるがねえ……些か要求スペックが過剰過ぎないか?」
「言ったろ、元々の設計思想は汎用機での使用を想定していたんだ。幾ら高性能でもノート端末じゃ動作に無理がある」
端的に言えば俺が作成したのは、出走映像データを元に選手の身体骨格を分析し、走行速度のデータ化、そしてパフォーマンスの精度を数値化するソフトウェアだ。数値化したデータはデータベースに格納され、以後のデータ分析、比較に利用される仕組みとなっている。つまり、高精度な入力データが多いほど、高精度な解析が可能となる仕組みだ。
サンプルとして直近の重賞レースから見繕ってデータベースに突っ込んでいるが、あまりにもタキオンのレースに関係のないデータを入れると逆に学習精度が悪くなるのが難点だ。例えばダートのデータなんてあってもタキオンの走りには無駄だしな。
「言っておくけど、今は格納データが少ないからこの程度の負荷で済んでるだけだ。データベースが膨らんでいく以上、更に処理速度は落ちるぞ」
「えー。……まあ、君のお陰で解析作業がほぼ自動化されたことは素直に感謝しているけどさあ」
ぶつぶつと愚痴を言う彼女は、諦めたようにラップトップを放置して、新大阪駅で買ったばかりのチーズケーキを口にした。底面にレーズンが敷かれたヒト用のそれと違って、ウマ娘用にはカットされたニンジンが敷き詰められていた。
表面に焼き印がされたコック帽のおじさんに前世ぶりに挨拶をして、一切ればかりをタキオンの隙をついて奪ってやる。「あっ、こら!」と叱られながら口に運んでから、俺は手元のスマートフォンに目星をつけていたラック型のサーバ機を映し出した。
「今回の賞金で買っていいなら、ホスティング化してやれるけど」
「おいおい、レース賞金は私の脚で獲得したんだろう? ……幾らぐらいかな?」
「俺と君の賞金取り分が9割方ぶっ飛ぶかな」
「何を当たり前のように私の分まで勘定に入れているんだ」
「しょうがないだろ。研究には金が掛かるもんだ」
「私の研究費用も必要だろう!?」
わーたーしーのぶーんー! と叫ぶタキオンを横目に眺める。
思い返せば、久々の大仕事ではあった。当初からタキオンのメイクデビューまでには開発を間に合わせようとしていたのだが、製作中に「あの機能が欲しい」だとか「こういった解析がしたい」とか平気な顔で要件を上げてくるウマ娘がいるのだから堪ったものではない。
最初に俺が「自動解析用のシステムを構築する」と言った時に彼女から懐疑的な視線が飛んできて、たまには度肝を抜かしてやろうと張り切り過ぎたのが良くなかった。β版での前ジャパンカップの解析結果を見たタキオンが、翌日には追加機能の要望一覧表を持ってきた時はその分厚さに吐き気を催したものだ。全部開発したけど。
何と、これが人月単価0万円の大プロジェクトだ。
このままURAに売り飛ばせばそれなりの値段が付くと思うんだが。
「それにしても、トレーナー君にそちらの才能もあったとはねえ」
「むしろこっちが本業だ。30年前から」
「君は20代だろう」
おっと口が滑った。
誤魔化すように咳払いを入れる。
「得意分野でぐらい研究協力してやろうってことだよ」
「おや、随分献身的じゃないか?」
「協調性が高い、ぐらいの表現にしてくれ」
長いとは言えない付き合いの中で分かったのは、タキオンが最も生産性を発揮するのは薬理学、それも新薬の研究開発だということ。
本来は数年単位の長いスパンで行うそれを、彼女の天才性と独創性、ついでに倫理性(のなさ)で極端に短い期間で基礎研究から臨床試験まで進めることが出来ている。
以前は自身を含むウマ娘のデータ収集から行い、その結果を分析解析し、それから創薬に入っていたようだが……時間の無駄に過ぎる。
今後の基本方針としてタキオンには薬理研究に集中させるつもりだ。そんなことを話すと、彼女はくつくつと噛み殺すような声を挙げた。
「くくっ。ま、私としては願ってもない話だが……ついでに、健康なヒト男性の被検体があればパーフェクトなんだがね」
「考慮しておこう。それより、話を元に戻して次走の件だけど」
話を断ち切る形に、彼女は僅かに不満げにこちらを向き直った。
そんな彼女に、以前から溜めていたレースプランを展開する。
「間隔がかなり空くことになるが、年末のホープフルステークスへの出バでどうだ? その場合は弥生賞には出バしないことが前提だが」
「ふぅン、根拠はあるのかい?」
「クラシック三冠を獲りに行く布石だ」
確たる根拠があるわけではないが、と前置きした上で俺はトレーナーノートを広げた。予定の上ではホープフルステークスの次に皐月賞、ダービー、菊花賞……と、いわゆる三冠レースを軸に挙げている。
大前提として、無駄なレースに出るつもりはない。
「色々理由はあるが……一言で言えば、
「時間は有限だ。その思想に同意するが、随分強気な発言だねえ」
「正直、ホープフルも出たくないけどな。このまま皐月賞に直行したいぐらいだが、出走制限を満たさないんだからしょうがない」
「デビュー戦の次走が皐月賞のウマ娘は聞いたことがないね」
皐月賞に出バするウマ娘達の前走は、弥生賞かホープフルステークスの経験バがほぼ全てを占める。あるいは、両レースとも出バしていることも十分あり得る。
コース・距離で言えば京成杯も候補に上がるが……前世においては京成杯の勝ち馬が皐月賞で連帯に絡んだケースが非常に限られていた。エイシンフラッシュが3着になった程度か。
「ホープフルか弥生賞かは正直どちらでもいいんだ。出走制限の緩さとレース間隔の長さでホープフルとしたが」
弥生賞から皐月賞の間は短い。
もしも弥生賞が稍重や重バ場になれば、次走までに消耗が残ることも考えられる。万一、タキオンの脚に余計な負担を掛けてしまいかねない。
「とはいえ、今までの内容は俺の考えだ。間隔が空くことを嫌って弥生賞コースってのもありだが……」
「構わないよ」
即答だった。
「
視線を遠く、口元に薄い笑みを浮かべてタキオンはそう呟いた。
下手をすれば「デビューはしたんだからもういいだろう?」と言って研究生活に引き籠られる可能性も想定していたので、彼女の回答は上々だ。
安心した、という表現が正しいのか俺は胸を撫で下ろす。鳴り物入りでトレーナー業に就いたが、担当ウマ娘にヘソを曲げられてレースに出バすら出来ず……等という事態になれば、やよいちゃんに何を言われるものか。
しかし、これで年末のホープフルステークスまでは時間の確保が出来た。今後のトレーニングメニューと予定を詰めていかなければ……と皮算用を始めていたところで、こほん。という咳音。
「それで、もう半分の理由はあるのかい?」
不意を突かれたような問いかけに、俺の言葉が詰まった。
「何がって、クラシック路線に進む理由だよ。ティアラ路線に進んでもおかしくないと思っていたんだがね」
当然の疑問と言えた。
前世のアグネスタキオンという牡馬ならともかく、今世のウマ娘アグネスタキオンにはトリプルティアラを目指す資格がある。
朱色の瞳に見つめられながら、俺の脳裏には真っ当な回答が浮かび上がる。
『桜花賞が彼女の脚質に合わないから』というのは当然あった。1,600mのマイル戦ではタキオンの加速力を活かしきれない。中長距離戦に比べ、差し切る前に先行バに逃げ切られるリスクが高いだろう。ただし桜花賞を出走回避する手もあり、確固たる理由に挙げる程ではない。
『クラシック最終戦が菊花賞となる為、長距離対策に時間を取れる』というのも大きな理由の一つだった。中距離適正が高いタキオンだが、今後のトレーニングで持久力を高めていけば、3,000mレースでも十分勝機はあるだろう。
……そんなことを幾らか説明しようかと思って口を開いた俺は、果たして、全く違う言葉を紡いでいた。
「見たかったから」
ん? とタキオンが疑問を口にした。
思わず放ってしまったそれは、あまり口にするべき話題ではないんだけど、別にいいかな。とも思う。
言ったって分かりやしない。
それに、理由が聞きたいと言ったのは彼女だ。
――何だかんだ言って、俺が初めて彼女の名前を聞いたあの日からずっと思っていたこと。それを吐き出した。
「トレーナー君? 一体、何を……」
「――君が、ジャングルポケットもダンツフレームもクロフネもマンハッタンカフェも全員差し切って……いや、うん。そうだな」
「有り体に言うなら――
タキオンの両目が、僅かばかりに開かれた。
耳がぴくりと動いて、釣られるようにベンゼン環の髪飾りが揺らめく。
少し余計なことまで話し過ぎたかもしれない、と俺はそこで口を閉じた。
「私が果てになったところを見たい、か。――くくくっ。中々どうして、痛いところを突いてくるじゃないか」
「俺もトレーナーとして、あるいは研究者として協力するさ」
「そうか……うん、そうか! ――皐月賞までが勝負だな」
「今、何か言ったか?」
何でもないとも。と笑うタキオンが、やはりモルモットが欲しいなあ。とこちらに怪しげな視線を向けてくる。
……しばらくはタキオンとのトレーニング漬けの日々になるだろうし、その間に俺も薬学でも勉強しようかな。得体のしれない薬剤を飲むほどの勇気はないが、中身が知れた医薬品を少量試すぐらいならトレーナーの仕事の範疇だろう。いや本当に?
「ところでカフェはともかく、知らない名前が多いように感じたが……地方かどこかのウマ娘かな?」
なお、タキオンが続けた言葉には黙秘権を行使した。
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