小さな恋の歌 作:風鈴ちりん
公園でお兄ちゃんと出会ってから、一週間が経ちました。
「また一緒に漫画を読もうね」って言ってくれた、お兄ちゃん。
なのに私ときたら、あれから一度も公園に行くことができていないのです。
「はぅぅぅ……」
ピアノ教室の帰り。
今日も私は公園のすぐそばまで行きます。
でも、公園に足を踏み入れることができません。
それは――勇気がないから。
〝もしも、お兄ちゃんが覚えてなかったらどうしよう〟
〝ちょっとした口約束のつもりで、本気じゃなかったらどうしよう〟
〝日にちとかもちゃんと決めてなかったし〟
〝痛い子だって思われちゃうかも〟
そんなネガティブなことばかり考えてしまい、お兄ちゃんに会いに行くことができないのです。
それに、なんだかお兄ちゃんのことを考えると、ほっぺが熱くなっちゃうし。
わたわたしちゃって、ちゃんとおしゃべりできないかもしれないし。
そうなると、すっごく恥ずかしい!
「…………きょ、今日はもう帰ろうかな」
午後の日差しを浴びてキラキラしている公園にくるりと背を向けて、家路につきました。
おうちに帰ってベッドに寝転ぶと、また別の後悔がやってきます。
もしかして、お兄ちゃん、私が来るのを待ってくれてるかも。
ずっと待っててくれていたら、どうしよう。
迷惑を、かけちゃってるかも。
でもでも、もう一週間もたっちゃったから、顔を合わせづらいよぉ。
「うぅぅ~」
私は、天井のルームライトを見つめながら、思わず変な声を上げちゃいました。
※
結局、次の一週間も公園に行く勇気は出なくって。
またピアノ教室の日がやってきてしまいました。
その日は、課題曲を弾く日。
私は緊張して、鍵盤に向かいます。
おうちでも一生懸命練習はしているから。
きっと合格はもらえるだろうと思っていました。
けれども。
メトロノームのカチカチカチという音と、私の指の動きはズレていきます。
どうして?
焦れば焦るほど、タッチミスも増えていき。
弾き終えたときは、恥ずかしくてうつむいてしまいました。
「上原さん、気持ちが心に表れてるわ」
先生が言いました。
「気持ち?」
「なにか悩み事があるんじゃないかしら? 心がここにあらずって感じよ?」
そっか――この一週間、お兄ちゃんのことばかり考えて悩んでいた。
ピアノのことは、ほとんど考えてなかったかも。
ダメダメだ、私。
「先生、ごめんなさい」
私はぺこりと頭を下げました。
※
ピアノ教室を出ると、少し空の色が暗くなっていました。
まだ夕方にもなっていないから、曇り空のせいかな。
まるで、ダメダメな私の心を映しているみたいで、嫌になっちゃいます。
今日、天気予報では晴れだったのに。
うつむき加減でとぼとぼと歩いていると――ぽつり。
「あれ?」
冷たいものがつむじを打ちました。
これってもしかして。
「雨?」
見上げた瞬間、ざぁぁぁっ。
バケツをひっくり返したような突然の雨が、私を濡らします。
うそっ。
傘なんて持ってきてないのに。
私は半べそになって駆けだしました。
でも――ぺしゃんっ。
急いで駆け出して足がもつれちゃって。
どろどろになった歩道に転んでしまいます。
「い、いたいよぉ」
膝、すりむいちゃったかも。
そう思って足元を見ると、真っ白なワンピースのスカートが、茶色く汚れてしまっていました。
それは、一番お気に入りのワンピース。
ふわふわっとした、お姫様みたいな雰囲気で。
私には似合わないって思ってずっと着ていなかったんだけど。
もし、今度公園でお兄ちゃんに会えたら、見てほしいって思ってて。
結局公園には行けなかったけど、着てきたのに。
「ふぇっ」
じわっと目じりに、涙が溜まってきます。
わ、私、もう4年生なのに。
泣いちゃうなんて、ダメなのに。
でも、もう止まりません。
私は、声を上げて泣き出してしまいました。
お兄ちゃんのこと、ピアノのこと、汚れちゃったお洋服のこと。
いろんなことがごちゃごちゃになって、悲しみがあふれちゃいます。
でも。
その時です。
「あの。もしかして、なずなちゃん?」
後ろから、私の大好きな声が聞こえていました。
それはもちろん、お兄ちゃんの声。
でも、そんなはず、ないよね。
これはきっと、私の妄想――。
「なずなちゃんだよね? 転んだの? 大丈夫?」
ところが、お兄ちゃんの声は、続きます。
やがて大きな手がすっと差し出されて。
私が顔を上げるとそこには、お兄ちゃんの顔がありました。
優しい表情。
本物のお兄ちゃんです!
「お、お兄ちゃん、なんで?」
思わず訊いてしまいます。
するとお兄ちゃんが言いました
「さっきまで公園で本読んでたんだけど、雨が降ったから帰ろうかなって思って」
向かいの歩道を指さしました。
「あっちを歩いてたら小さな女の子が転んだのが見えたから。大変だ!と思って道路を渡ってきたんだ」
ハンカチを取り出し、私に手渡してくれます。
「でもびっくりしたよ。よくみるとなずなちゃんだから。怪我、してない?」
「だ、大丈夫」
私は、赤い顔でコクコクとうなづきました。
二週間ぶりのお兄ちゃん。
頭の中が真っ白になって、うまく言葉が出てきません。
本当は、公園に行かなくてごめんなさいとか、助けに来てくれてありがとうとか。
言いたい言葉、いっぱいあるのに。
「なずなちゃん、膝。すりむいてる」
お兄ちゃんが、私の膝を指さしました。
「た、たいしたことないです」
「駄目だよ。黴菌が入っちゃうよ。とはいえ、絆創膏とか消毒液とか持ってないし……」
お兄ちゃんが、少し悩むしぐさをしてから、言いました。
「あのさ。僕の家、すぐそこだから。行こう」
「ふ、ふぇ!?」
びっくりです!
お兄ちゃんの、おうち⁉
「ななななんで?」
思わず目がぐるぐるになちゃいます!
でも、お兄ちゃんは真剣な表情で。
「だってなずなちゃん、怪我してるし。ずくずくに濡れて、服も汚れちゃってるよ。このままだと風邪ひいちゃうかもしれない。僕んちで傷の手当てして、お風呂入りなよ。傘も貸してあげるから」
さらっとすごい提案をしてきます!
お、男の人のおうちなんて、行ったことないよぉ。
「どんどん雨脚が強くなってるから、早く」
あっ。
お兄ちゃんが、私の手を握りました。
大きくて、温かい手。
ちょっとだけ、ざらざらしてる。
お胸のドキドキ、もっと大きくなってくる。
もう、心臓が爆発しちゃいそうだよぉ。
私は、すぅっと深呼吸して、心を決めて。
精一杯の勇気で、お兄ちゃんの手を握り返しました。
「さ、行こう」
お兄ちゃんが笑顔で答えてくれます。
その笑顔を見ると、胸がもっとドキドキする。
〝お兄ちゃんは、ドキドキ、しないのかな?〟
大きな手をきゅっと握りながら、そんなことを考えました。