小さな恋の歌 作:風鈴ちりん
お兄ちゃんのおうちは、本当にすぐそこでした。
白い壁の、素敵なおうちです。
「ただいま!」
お兄ちゃんが扉を開けます。
「急な雨でずくずくになっちゃったよ」
「あら、大変ね」
お兄ちゃんより少し大人っぽい女の人が奥から出てきました。
し、知らない人っ。
思わず体がこわばります。
お顔が似てる。
お兄ちゃんの、お姉さんかな?
よ、よく考えたらお兄ちゃんのおうちって、家族の方がいるよね?
ど、どうしよう。
「っていうか、その子は?」
「はぅっ」
案の定、お姉さん(?)が私のことを見つめてきます。
「ちっちゃ。小学生?」
「ひゃ、ひゃいっ」
私は慌てふためいて返事しました。
「あ、あの、さくら小学校の4年生です」
「じゃ、私の後輩だ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。もう10年以上前に卒業したけど」
「てか姉さん、怖がってるから」
お兄ちゃんが会話に入ってくれました。
「この子さ、道で転んじゃったから。お風呂入れてあげてよ。あと、服も洗濯してあげてほしい」
「しょうがないなー」
お姉さんが私に目線を合わせます。
「お名前なんてーの?」
「あ、う、上原なずなでしゅ」
「なずなちゃんね。かわいい」
「ふぇ!?」
突然の褒め言葉に戸惑ってる私の背中を押すお姉さん。
あっという間に洗面所へ連れていかれてしまいました。
「お風呂たまってないからシャワーになっちゃうけどごめんねー。ほら、お洋服脱ぎな。洗っといてあげるから」
「あ、あぁぁあの」
あまりのスピードにお目めぐるぐるになっていると。
「はい、ばんざーい」
あっという間にワンピースを脱がされて。
気が付いたらお風呂場にいました。
「シャンプーとかボディソープ、自由に使っていいからねー」
扉の向こうからお姉さんが言います。
「は、はい」
私が答えると、ごぅんごぅんと洗濯機の回る音が。
ワンピースも下着も、洗ってくれているみたいです。
ちょ、ちょっと恥ずかしいけど、ありがとうございます。
※
お風呂を上がると、バスタオルと着替えが置いてありました。
私が普段着ないような、ポップでかわいいお洋服。
お姉さんが私ぐらいの年の頃のかな?
知らない人のお洋服を着るのは初めてで、少し変な気分だけど、不思議な温かさを感じます。
「あ、ありがとうございます」
お洋服を着て、リビングに行くとお姉さんがいました。
「全然気にしなくっていいよー。似合ってるね」
「これ、お姉さんのですか?」
「そっ。小学生の時の」
「かわいいお洋服ですね」
「なずなちゃんのワンピースも可愛いよ。汚れが残らないようにちゃんと洗ってあげるからね」
そんな会話をしていると、お兄ちゃんが二階の階段から降りてきました。
「なずなちゃん。お風呂あがったんだね」
「は、はいっ」
「姉さん、服乾いてる?」
「そんなすぐに乾くわけないでしょ」
「そうなんだ」
「普段、家事しないからそんなこともわかんないのよ」
「あははは……」
家族って感じの会話。
お兄ちゃんが照れ隠しに頭をかくのって初めて見ました。
ちょっと可愛いかも。
「それじゃ、まだ時間かかるみたいだし。なずなちゃん。僕の部屋においでよ」
「え、お、お部屋ですか?」
「うん。漫画たくさんあるから。読んでていいよ」
あ、そ、そういう意味ですか。
い、いえ、他意がないのはわかってるんですけど。
というかお兄ちゃん、私のこときっと、女の子として認識してないですよね……。
単に近所の子供ってぐらいにしか感じてないのかも。
そのことは、なんだか少し悲しいけど、でも。
お兄ちゃんのお部屋には、行ってみたいです。
私は、こくんとうなづきました。
※
お、男の人のお部屋。
は、初めてです!
私は、思わずきょろきょろとお部屋を見回してしまいます。
棚いっぱいの漫画、それにCD。
壁には、私は詳しくないけど、たぶんロックバンドさんのポスター。
私のよりずっと大きなお勉強机には、辞書や教科書がたくさん。
お兄ちゃんって大学生なんですよね。
太くて大きな辞書なんて、私は開いたことないから、なんだか憧れちゃいます。
「あはは、ちょっと散らかってるかな」
「あ、ご、ごめんなさい」
じろじろ見ていたから、お兄ちゃんに気を遣われちゃった!
私はあわてて言います。
「ち、違うんです。そ、その、むしろすごく素敵だなって。わ、私、男の人のお部屋って入ったのが初めてで、その、も、もっと散らかってるのかなって思ってたんですけど、すごくきれいで。か、カッコいいと思いますっ!」
そこまで一気にまくし立ててから、はっと我に帰りました。
い、いま、カッコいいって口に出して言っちゃった。
な、なんだか恥ずかしいよぉ。
私の悪い癖。
緊張しちゃうと早口になって、思ったことをそのまま言っちゃうんです。
「あ、ありがとう……」
はぅぅ、お兄ちゃんもなんだか恥ずかしそうです。
「そ、そっか、男の部屋とか意識する年頃なんだな……」
「え?」
「あ、い、いや、なんでもないんだ。そ、それよりさ。ほら、マンガ読みたいって言ってたでしょ」
お兄ちゃんが、本棚を指さします。
それで私は、大事なことを思い出しました。
それは、お兄ちゃんにまだちゃんと謝っていないということ。
私のほうから「またマンガ読ませて」ってお願いしたのに、公園に一度も行けなかったこと。
なのに、再会した私にこんなにやさしくしてくれること。
ちゃんと、マンガ読みたいって言ったことを覚えていてくれたこと。
お兄ちゃんの優しさと、自分の情けなさで、胸がいっぱいになります。
私は気が付くと。
泣き出してしまっていました。
※
私が急に泣いちゃったからお兄ちゃんはびっくりしていたけど。
「お兄ちゃんごめんなさい」って泣き声で言ったら、優しげな表情で私が泣き止むまで待っていてくれました。
少し心が落ち着いてきて、ようやく泣き止んだ私に、ゆっくりと問いかけてくれました。
「ごめんなさいって、どうしたの? なずなちゃんは謝らなきゃいけないようなこと、何もしてないよ? もしよかったら、何があったのか教えて?」
お兄ちゃんって、本当にやさしい!
私は、泣いた後だから、まだお鼻がスンスンいっちゃっていて、恥ずかしかったけど、ちゃんと説明しました。
なんだか恥ずかしくて、公園に行けなかったこと。
お兄ちゃんとの約束を破っちゃったこと。
お兄ちゃんが私のこと覚えてないかもって考えてたのが、お兄ちゃんを信用していないみたいで、自分でもすごく嫌だったこと。
なのに、お兄ちゃんは、やさしいお兄ちゃんで。
そのことが、うれしくて、でも悲しくて、泣いちゃったこと。
全部聞いてから、お兄ちゃんが、そっと私の手を握りました。
「教えてくれてありがとう。なずなちゃんはすごくいい子だね。他人のことをちゃんと思いやることができるんだね」
私の瞳を見て、そう言ってくれました。
「大丈夫だよ。全然怒ってなんていないよ。公園のことも、何か他の用事があるのかなって思ってたし、こうして、ちゃんと説明してくれたことがむしろうれしいよ」
ぎゅっ。
お兄ちゃんが、私を抱きしめました。
お兄ちゃんの大きな体が、私の体に触れて――はわわわわわっ。
す、すごくドキドキします。
でも、あったかくて、気持ちよくて。
ドキドキするのに、心が落ち着いて、ずっとこうしていたくなります。
私も、勇気を出して。
ぎゅっと、自分のほうからも、お兄ちゃんに抱き着きました。
※
私を抱きしめた行動は、お兄ちゃんも思わずしちゃったことみたいで。
体を離した後、すっごく照れて「ご、ごめんね。変なことしちゃった」って言ってました。
え、えへへ。
ちょっぴり恥ずかしかったけど、なずなも、うれしかったよ?
あのね、あのね、お兄ちゃんにぎゅってされると、心がぽわぽわって暖かくなるの。
「これからも、お部屋で二人きりの時、たまにしてほしいです」ってお願いしたら、お兄ちゃんはもっと真っ赤になっちゃいました♪
そのあとは、二人でたくさん漫画を読みました。
お兄ちゃんは、お姉さんの影響で少女漫画をたくさん持ってるみたいです。
読んでみたかった漫画、何冊も読んじゃった!
漫画を読むとき、お兄ちゃんの膝の上で読みました。
お膝の上がいいですってお願いすると、お兄ちゃんはちょっぴり照れながら、いいよって言ってくれました。
お兄ちゃんの膝の上で、一緒に少女漫画を読んで――
恋愛のシーンがあった時、お兄ちゃんのことを考えたら、ドキドキしちゃった!
お、お兄ちゃんには、そのことは内緒です!
※
こんこん。
扉をたたく音。
「なずなちゃん、お洋服、きれいになったよー」
お姉さんが、私の白いワンピースを持ってきてくれました。
わぁ、真っ白になってます!
「ありがとうございます!」
私は、お気に入りワンピースを抱きしめます。
「どうするー? 私のお古はあげるよ。着替えても、そのまま帰ってもいいけど」
「あ、あの……」
お姉さんに耳打ちします。
「お、お兄ちゃんに、お気に入りのワンピース見てほしいから、お着換えしてもいいですか?」
「ふふふ、オッケー」
お姉さんが、なんだかニマニマしながら親指を上げました。
※
お姉さんの部屋でお着換えをさせてもらって。
お気に入りのワンピースを着て、もう一度、お兄ちゃんのお部屋へ。
「じゃーん! かわいいでしょ!」
お姉さんが妙に張り切って、私をお兄ちゃんの前に押し出します。
「うん、白いワンピースにあってるね! あれ? 髪の毛、結んだ?」
「う、うん」
「私がやってあげたのよ」
そうなのです。
お姉さんが「せっかくだからもっともっと可愛くしようよ」って言いだして、髪のサイドを結んでくれたんです。
私に似合うよって、淡いピンク色のリボンもくれたの。
「ど、どうですか?」
ちょっぴり緊張してる私に、お兄ちゃんが言ってくれました。
「リボンも髪型も似合ってる! すっごく可愛いよ!」
「え、えへへ」
お兄ちゃんに褒めてもらえると、ほっぺが熱くなります。
すごく、うれしい。
今日は、ダメダメな日って思ってたけど、私の勘違いで。
本当はすっごく素敵な日でした!
※
おうちに帰る時、玄関まで見送りに来てくれたお兄ちゃんが言いました。
「なずなちゃんさえ良ければ、いつでも漫画読みに来ていいよ」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。もちろんだよ」
私は、ふわふわとした、雲の上を歩くような気持ちで帰り道を歩きました。
なんだか心がうきうきして、思わず鼻歌を口ずさんじゃいます。
それは、ピアノ教室で、今一生懸命練習している課題曲。
海外の、有名な古い歌。
歌詞は英語なので私はわからないけれど、恋の歌だってピアノの先生が言っていました。
そのことを教えてもらった時は、何も感じなかったけど、今は。
メロディを鼻歌で歌っていると。
お兄ちゃんのお顔が、心に浮かんできます。
ふふふっ。
また、ドキドキ。
なんだか嬉しくて、くすぐったくて。
きっとこれが恋なんだって、思いました。