「風紀委員の職務は、基本的な学校生活での風紀維持、そして特別行事などが行われる場合の違反行為の取り締まりに大別されます。どちらにしても、この学校では校内の巡回が専らになるでしょうね」
「なるほど」
律夏は、メモ帳に『特にやることはなし』と記入する。
「……それ以外の仕事が全くもってないわけではありません。現に花女では制服チェックや持ち物検査を行っています」
「あ、はい。……見ました?」
「見ました。すみません。だからといって見過ごせるわけではないので」
「手厳しい……」
一睨みされるので、その冷たさに凪紗のそれを感じ取ってすぐさま訂正線を引く。
成り行きに任せていたとはいえ、ひかりとの話は存外に盛り上がった。お互いに同じ年の妹――ひまりといい、羽丘に通っているそうだ――がおり、さらにバンド活動まで行っている(実際には、凪紗はそれに至っているわけではないが)と分かったからだ。
そうしている間に各校の代表者が到着したので、未だに人員確保のおぼつかない志哲高校代表の二名は、副会長が担当することになるであろう財務を除き、ひとまず最優先で確認すべき職務について、先駆者の師事を仰ぐこととなった。
「まったく……真面目な人だと伺っていたので安心していたのに」
「ちなみに、それは誰から?」
「そちらの生活指導の先生です。確か、左門先生という方だったと」
「すでにロックオンされてるし……というかあの人、生活指導なのか……」
今までは部活動に精力を注いでいた律夏にとって、生徒会や校内での活動に割く関心などはある筈もなかった。
最も、現在ではそうもいかなくなった事情が加わって、学校という場が生活の外側として扱われている節さえあった。
したがって、「それくらい知っていて下さい……」とこめかみに手を当てて呆れる彼女に弁明の余地はあるはずであると、律夏は密かに主張したがっていたのだった。
「氷川さんは真面目、というよりも厳格な人なんですね」
「風紀委員なら当然です。若葉さんもその自覚を持ってください」
「善処します」
「努力をすることは前提条件です。結果を伴ってもらわなければ意味がありません」
参考人・花女の風紀委員長代理である氷川紗夜の眼光は、その肩書きに十分に見合うものであった。
努めて平静を保ちながら、その激烈な視線に対抗する。果たして風紀委員に必須のものなのだろうか、そんな馬鹿げた考えはその眼圧によって霧散した。
――どうすればこんな女子高校生にそぐわない目付きができるのだろう。
彼女のもつ鋭利さを通じてその背後にあるものを考える。凪紗のバンドメンバー(仮)と同じように。
彼女の厳しさは、
目的は分からないが、彼女からは自らを律し、高めることに余念がないといった印象が見受けられる。
「……なるべく強く、と睨んだ筈なのですが」
「手を加えないで下さい。というか恐いので睨まないで下さい」
「それはあなた次第です。この学校は進学校とはいえ共学ですし、女子高の花女や羽丘よりも異性間のトラブルなど問題が起きやすいのですから、しっかりしてもらわないと」
「そ、そこまで起こるもんなんですか」
「予測できないからこそ、問題なのです。訳の分からない髪型をして、訳の分からない変形ギターを掻き鳴らす問題児も、残念ながら当校にいるのですから」
どこかで聞いたような話である。
ともかく、凪紗がその中に入っていないことを祈りながら、「そ、そうなんですか」と返すのが、律夏にとっての精一杯だった。
「ずいぶん盛り上がってるね~、順調に進んでる?」
「会長」
「盛り上がってはいません。志哲高校内の風紀がこの人に任せられていると思うと不安なので、指導しているだけです」
一通りの協議を終えたひかりがやってきた。どうやら紗夜とは面識があるらしく、それなりの間柄であることを感じさせる。
「初対面の人にこれだけ紗夜ちゃんがしゃべってるところなんて見たことないよ」
「しゃべっている、というより猛烈な追及という方が適切ですけど」
「ええ。これは事務的な会話であって、何らこの人への個人的興味を示すものではありませんから」
「ちょっと?わざわざめった刺しにすることはないでしょ」
こちらを
「ふふっ……ほら、息ぴったりじゃん。やっぱり、天才の妹を持つ者同士の苦労が共有できたのかな?」
「「え?」」
間抜けにも聞こえる反応は、二人同時に発されたものでもあった。それを見てひかりが笑い転げる傍ら、紗夜と律夏は目を丸くして互いに視線を交わしていたのだった。
♬
夕暮れ時の長い影が二筋、誰もいない舗道を暗く染める。
交流会の後片付けを終えて、各校生徒会の面々はそれぞれに帰路に就いたが、偶然にも紗夜の自宅への道のりがほとんど同じだったということで、ひかりに紗夜を家まで送り届けるよう命じられた。
渋い表情をされるかと思っていた律夏は、それを大した抵抗もなく受け入れた紗夜に意想外の念を覚えたのだった。
「なるほど、それでは妹さん――凪紗さんは、若葉さんの妹さんだったのですね」
「そうです。というか、凪紗を知っているんですか?」
「ついこの間、花女では一年生の実力試験がありました。成績上位者は獲得点数が名前とともに掲示されるのですが……その、全教科で満点を取った生徒が一年生にいる、という話を聞いて、見に行ったのです」
「あー……」
規格外、という言葉が凪紗にはよく似合っているということを、律夏は常々感じている。偏差値で学校を測るということをしたくはないが、これが花女に比べて偏差値が五は高い志哲、そして羽丘でも彼女は満点を取ってしまうだろう。
彼女が花女を志望したのは、ただ『制服が可愛かった』から。女子にとって死活問題であることは重々承知の上だが、全国の受験生がこの事情を知れば憤死しそうなくらいには、凪紗は他の追随を許さないほどの実力を誇り、それ故に興味を失ってしまっている。
「私も勉学を疎かにしたことはありませんが、それでも焦りを覚えました」と紗夜は口にした。彼女は、凪紗の示した結果について、かなりの評価を下しているらしい。
そうだとしたら、その根底にある感情はなんだろうか。
「まあ、あれは色々とイレギュラーなもので……でも、問題児というわけではないと思いますよ」
「別に目をつけているとか、そういう訳ではないのです。……むしろ、私はあなたの方が気になっています」
「えっ」
急にそんなことを言われるものだから、立ち止まって吃驚を滲ませると、紗夜は自らの失言に気付いたようで、それまでの冷静さが霞んでいくほどに慌てていた。
夕日に顔が赤く染まるというのは、小説特有の表現ではないだろうか。実際にそれを注意深く観察しようとした経験がないので分からない――そんな風に考えていたら、矢継ぎ早に訂正の言が飛来した。
「ちっ、違います。
「ああ、いや、なにも言ってないんですけど。まあ、それは分かってますから」
そういう意味、とはどんな意味ですか――もしそんなことを(多少のゲス顔で)聞こうものなら、射殺すような目で返されて失禁してしまうだろう。律夏はそう予感して口を固く閉じた。
それでは、彼女が気になったのはどんな意味の上でなのだろうか。
一つだけ、心当たりがあった。
「氷川さんにも妹さんがいるんでしたよね。それ関係で、ってことでしょうか」
「……察しがいいですね」
「実力は遠く及びませんが、
苦笑混じりに自分の頭を撫でつけた。紗夜はそんな律夏に対して、不思議そうな、ともすれば怒気の見え隠れする表情で相対した。
「私は、知りたいのです。……なぜ、笑っていられるのですか。妹さんに、悔しさを感じないのですか」
「……氷川さんが、そう感じていると捉えてもいいですか」
「っ……」
悪手なのは分かっているが、質問に質問で返すと、紗夜はまるで西日の眩しさから目を隠すように俯いた。
それに対する回答はなかった。それでも、それが肯定を暗示していることなど、すぐに分かった。
そして、もう一つ――凪紗のバンドを巡る問題、そして氷川紗夜の厳格な性格についてのひとつの解に、律夏は辿り着いたのだ。
「さっき初めて話したときから、氷川さんは自分に厳しい人だ、と思っていました。それはきっと、妹さんがウチの妹と同じように、生まれながらに色んな才能を持っていて、それに追い抜かれないようするからでしょう」
「自分に厳しい、ですか。私が言うのも何ですが、
「結果としてそうなっているだけ、という風に解釈しました。……まあ、睨まれると怖いですが」
「……」
「そう、それです、すげえ怖いんで。いや、すいません。勘弁してください」
土下座も厭っていられないほどの猛吹雪が律夏を襲う。紗夜は冗談を言っているのかと思っているのかもしれないが、これは比喩ではなくまさに凍てつく冷たさだ。
「ところで、俺の予想は当たっていますか」とそれを敢えて流して、ひとまず凍死を免れる。
「……外れているわけではありません、事実、日菜――妹に対する競争心というものが私の中にありますから」
「その日菜さんってもしかして、氷川さんと双子だったりしますか?」
「え、ええ……そうですが、どうして?」
「それなら確かに、姉妹間で比べられる場面が増えると思ったからです。うちは兄妹だから、家族内の役割やそれぞれに掛けられる期待が違ってくる」
「しかし、すべてがそのように違うわけではないでしょう。はじめに私があなたに詰問――いえ、質問したことは、そういうことです」
なにやら怪しい単語が聞こえたような気もするが、今は彼女に対して出来るだけ正確な回答をすることが先決だと、律夏は考え直した。
いわゆるアイデンティティに関する問題に、律夏自身も悩むことがあった。だから、似たような懊悩を抱える彼女に対して誠実に向き合いたいと思ったのだ。
「これが氷川さんにとって役に立つ回答になるかは分かりませんが」
「もとより期待していません。解答は自分で探すものですから」
氷川紗夜は、自分に対してどこまでも清廉であろうとしているように思える。苦しみはそれ故に生じるものである。
努力して、走り続けて――その過程にある意味を、彼女は忘れている。結果を追い求めすぎている。
声援、脚光、それらが与えられる妹の影で、孤独感に苛まれて、それ故に、自分のために自己を高めることを狂ったように信じ、必要とし続けている。
だから、彼女の返答が自分の立てた理論のうちに収まるものと知って、律夏はその確信を深めるのであった。
凪紗は俺の一つ下の妹です。
幼少期から今に至るまで、そこまで大きな喧嘩や仲違いをすることなく、仲良くやってこれたと、自分では思います。
だけど、言い換えればそこにはあるべきコミュニケーションがなかった。思いをぶつけることをしてこなかったんだ。
どれだけ努力を重ねても、凪紗は軽々とそれを飛び越えていく。そんな日々を続けていくうちに自分に失望して、いつしか
劣等感に溺れて、自分を忘れようとしていたんです。一番の間違いは、そういう思いを、凪紗に伝えていなかったことです。
――今は、そうではないと?
少なくとも、かつてのように自分を責めて、
俺はあいつの兄で、あいつに代わるものではない――そんな風に、考えるようになったから。
――そのきっかけは、何なのですか?
そう訊かれたときに、律夏は今になって気が付いた。
この話を進める以上は、若葉家の事情について紗夜を踏み込ませることになる。そうなれば、自らが求めていた答を知って、紗夜は後悔してしまうかもしれない。
完全な日没が近づいている。もう三十分もすれば、互いの表情が読み取れなくなるくらいの宵闇が辺りを覆うだろう。
逡巡の間、言葉は出ない。紗夜は訝しげにこちらを見据えていた。
今は、まだ。
その気持ちが確かにあった。けれど、役立つか分からぬ配慮に言葉を濁してしまえば、
配慮とは何だ。
彼女は知りたいと言った。それなら、余計なものはいらない――虚飾に逃げてしまうことは、不誠実そのものではないのか。
そうだ。
思えば、今までは家族のことをひた隠しにしてきた。恵にも、山吹家のひとたちにも、きっと知られてしまったら、関係が変わっていくような気がして。
だからこそ、出会って一日と経っていない紗夜は、一度も明かしたことのない秘密を曝け出すのに、心理的な障壁の生じない存在だった。
建前も本音も、同じ方向を向いている。
自分の発言には責任を持ちたい。だから、後悔はしない。
夕景が失われ、道の向こうから列を成した街路灯に光が与えられていく。その前に、律夏は多少の戸惑いこそあれど、強い意志とともに語り始めたのだった。
修正前に読まれた方々は、ひまりの姉の名前を考えるのに最後まで葛藤した爪痕に困惑されたかも知れません。申し訳ない……。