「えっ!?」
短く、驚愕の声音が凪紗たち三人から漏れた。
りみによって明かされた騒動の理由――それは、ゆりたちグリグリのメンバーが、未だSPACEへ到着する気配を見せていないことだった。
「台風で飛行機が遅れちゃって……まだ修学旅行から戻ってないの」
「で、でも、向かってるんだよね!それなら、来るまで待てば……」
「ダメだね」
香澄の提案は、鋭く冷たい言葉で否定された。主はオーナーのものだった。
「客を待たせるなんて許さないよ。何があろうとステージに立つ……客の期待を裏切るようなバンドはダメだ」
「もし、このまま間に合わなかったらどうなるんですか」
「二度とうちの敷居を跨がせない」
「っ…」
強い語調は頑なな意志とともに、夢見る少女たちに現実の厳しさを知らしめるのに十分なものだった。
しかしながら、それは音楽を提供する者としての常識、そして矜持でもあるのだなと、凪紗は苦もなく推察し、筋の通った発言だと理解することができた。
周りの少女たちも彼女と同じように、悔しさを滲ませながらもオーナーの命令を受け入れることができる――反論一つ出なかったり、諦めに眉尻を下げて嘆息していた――一人を除いては。
「りみちゃん、できるだけ、時間延ばしてみるから」
「は、はい!」
りみの肩に掌を添えて、一人のバンドメンバーが言う。
今はそれに頼るしかないと、りみは祈るように返事をした。
残された時間は、まるで真夏の炎天下に置かれた氷菓のように溶けていった。
MC、そして予定外の曲目の演奏を加えてライブ時間は大きく引き延ばされたが、それでも、ゆりたちを空港から待つだけの時間を賄いきれるものではなかった。
「オーナー!最後のバンドのステージが……!」
「……間に合わなかったようだね」
オーナーは仕方なしといったように瞑目し、そして楽屋を出ていく。既にステージでは照明が落とされようとしており、それを悟った観客たちが、グリグリの不在に僅かなどよめきを漏らしていた。
「お姉ちゃん……」
「な、なんとかしなくちゃ……!」
りみの悲痛にも聞こえる呟きが、香澄の使命感を滾らせる。
そのまま、つかつかとステージに続く舞台袖へと歩き出した――その右腕を、凪紗が取った。
「ちょっと待って。牛込さん、少し、聞いてくれる?」
「う、うん」
非常口の緑灯が灯る。ライブの終わり――ラストを飾るはずだったバンドは、もうそのステージに立つことはないと、喧騒が一段と大きくなってゆく。
広がる焦燥感に駆られ、駆け出そうとした香澄を制して、目を向けた。
「香澄、このままステージで歌うつもりだったでしょ」
「え!なんで分かったの!?」
「はあ!?」
理由はそれぞれに、表情を驚きに染めた香澄と有咲。
「だいたい分かっちゃうんだよね」と得意気な笑みで返したら、その笑みのまま、りみに告げてみる。
「だから、私たちもそうするつもり。グリグリのライブ、見られないのは嫌だから。……そこに、牛込さんが居てくれたらいいなって、思うんだ」
「わ、私っ!?」
「そう。香澄よりは弾けるだろうから、ギターが私、有咲がキーボード、それで、牛込さんがベース」
「おいっ!私もう弾けねーっての!」
「大丈夫でしょ。香澄お得意の曲くらいなら」
「それって……なんだよ?」
心当たりがない有咲が、未だに演奏が割り当てられていない香澄へ向き直る。
はじめはぽかんとした表情を浮かべていた香澄だったが、「ほら、好きな曲、なんかない?」と言うと、
「きらきら星!」
と即答した。
彼女が『きらきら星』の歌を好んでいることは、凪紗自身も初めて耳にしたことだ。
だが、そんな気はしていた――香澄の、透き通るような感性に合う曲は、きっと単純だけど、どこまでも美しいのだろうと。
「ほら、これなら簡単でしょ?有咲も主旋律くらいならなんとかなるよね?」
「はあ!?ステージだぞ?そんな粗末なもの見ほはせられねーって!」
「粗末でも弾けるんだ?」
「うぐっ……」
「ね、私はどうすればいいの?」
「香澄はおっきな声で歌って。音が分からなくなったら、有咲の伴奏をよく聞いてね」
「おっけー!有咲、お願いねっ!」
「くそ……覚えてろよ」
「ふっふーん、そんな可愛いツインテで睨まれても可愛いだけだよ」
ウインクを見せつけて、それからりみに視線を送る。悪く言えば同調圧力、しかし、りみがそれに従わなくてもステージには出るつもりだった。
「……私。できないよ……」
りみは俯いて、そう答える。多分、それが彼女なりの精いっぱいの勇気――バンドを組む以上、その調和を乱したくないというのは、恐らく正しい。
だけど、それ以上に、この子と バンドをやってみたい。
音合わせもしたことがない、何なら楽器に触れるのがこれで数回目だったとしても。
今、この四人で一つの音を奏でてみたいのだ。
「でも、何もしなかったら、グリグリが終わっちゃうんだよ!?そんなの、絶対ヤだよ!」
香澄がそう言って加わる。相変わらず、星空を映したような輝きに溢れている。
りみは、香澄の
「ね、牛込さん」
声を掛けると、小さくりみの肩が震えた。揺れ動く心、その緊張に葛藤しているのだと思った。
「多分、牛込さんにとってのゆりさんって、すっごく尊敬できる、かっこいいお姉さんなんだろうね」
「う、うん。いつも私に、ベースを教えてくれて……バンドでは、完璧にこなしちゃうの。私とは、大違いで」
「バンドを組むんだったら、お姉さんと同じくらいに演奏できるようにならないといけない――そう思ったんだよね」
「えっ――」
意想外に染まったりみの顔が上がった。どうやら
それならば、凪紗の取るべき方法は――
「それなら、私たちと練習しようよ。今日はその一日目――お姉さんを助けるためにもなれば、一石二鳥じゃない?」
そう言って、手を差し出した。
はっきり言えば、凪紗自身も緊張感に靡いている節はある。実際、ステージに立ってギターを持てば膝が笑ってしまうのは目に見えているのだ。
だから、隣に立っている人がいるとしたら、多い方がいい。
「失敗して当たり前。ダメで元々かもしれないけど、何かが変わるかもしれないでしょ?」
「っ……」
尚も、答えはなかった。
凪紗はただ、言葉を、思いを継いでいくだけ――それがりみの心に届くと信じて。
「お願い、私たちに力を貸してっ!」
「私たちは、ゆりさんじゃなくて、
何度転んでも、歩き出すその隣はキミがいい。
香澄と凪紗の掌にもう一つ、小さな指が添えられた。
♬
「待ってくださいっ!」
香澄の叫びが、ステージ全体に広がった。
それとともに、凪紗たちは「やってしまった」と、いよいよ決意を固める。
「ひっ……」
微かな悲鳴はステージ袖から出てきたばかりのりみのものだった。それも当たり前で、フロアに残った――それでも数の多い人々の双眸を向けられるのは、流石の凪紗も、そして香澄も、慣れているとは言い難い。
だけど、想い、そして決意が、退くことを許さない――香澄が言葉を続ける間に、勝手を知ったりみに演奏前の準備を進めていく。
「私、戸山香澄っていいます!……私たちはまだ、バンドを組んだわけじゃないんですけど、グリグリが――ゆりさんたちが来るまで、演奏を聞いて欲しいんですっ」
「えっ、誰?」
「ていうか、ゆりまだ来てないの?」
反応は様々だが、明らかにこの闖入者に対して疑いと興味の目が向いている。
備品のギターのチューニングをし、そして有咲に主旋律を確認していた凪紗にも、同様の視線が突き刺さる。
うまくいく保証なんてない。そもそも、弾き終わってもゆりたちが来なければ意味がないのだ。
――でもっ!
「こ、これで大丈夫だよ。市ヶ谷さんは?」
「っ……よし、覚えた。一通り弾けるはず」
「オッケー。ありがと、りみ。後は、
りみからギターを受け取って、ストラップを肩口に掛けて持ち上げる。
どのみちここまできたら、もう引き返すことなんてできないのだから、あとは精いっぱい弾くだけなのだ。
半ば投げやりに、香澄の握るマイクスタンドの隣へ歩み寄った。
「同じく、若葉凪紗です。聞いてください、私たちの『きらきら星』」
――行くよ。
示し合わせるように、四つの視線がぶつかった。
わん、つー、すりー、ふぉーと小声でカウントを交わし、凪紗は最初のコード――Dコードを慎重に鳴らし、続いてAコード、そしてGコード……というように指を運んでいく。
意識はすべて目の前のギターに割かれている。けれど、その外で響き渡る和音に、支えるようなベースの低音、彩るようなキーボードの旋律、そして香澄の歌声が組み合わさっていくのが、なんとなく感じられた。
「きーらーきーらーひーかーるー、おーそーらーのーほーしーよー♪」
「っ……」
一つのフレーズ、たったそれだけで凪紗の心が揺れた。
これを『ヤバい』なんて平易な言葉で表現していい筈がない。だけど、ヤバい。
演奏を通して、心に溢れた感情が、この場の四人に繋がっているのだ。
「まばたきしてはー、みんなをみてるー♪」
一フレーズ、また一フレーズと奏でるうちに、その運指に慣れてきて、顔を上げることが出来るようになる。
りみは集中しつつも笑顔で、有咲はたまにとちって焦りながらも香澄の歌声に追いついて、そして香澄は、向けられる視線を一身に集めながら、その全てに答えているようだった。
「――みんなのうたがー、とどくといいなー♪ きらきらひかるー、おそらのほしよー!」
集められたものを、何倍のエネルギーと光に変えて放つように、香澄の歌が終幕を迎える。四人は息を切らしながら、舞台袖を窺っていたのだった。
「まだ来てない!?」
「う、うん。もうすぐそこなんだけど、まだ走ってるって――!」
「ど、どうするんだよ!」
三人の問うような表情に、凪紗は焦燥を抑えながらも思考する。
できる曲はこれだけ。それならば歌詞を変える?いや、咄嗟にできる芸当じゃない。なら音色は?それだともはや別の曲になってしまう――
「っ、そうだ!ハモる、私ハモるから、もっかいやろう!」
「えええ!?」
「ちょ、おまどんだけ……っ」
「できる!なんたって学年一位だからねっ」
「すっごーい!」
マイクを切っていないので、四人のやりとりは聴衆に筒抜けであり、どっと笑い声が返された。
その中には確かに失笑もあったけれど、
「いいよーっ!がんばれーっ!」
そんな、まるでお遊戯会を応援する父母のような声援も含まれていたのである。
「よし、もっかいこう!……せーのっ」
「「きーらーきーらーひーかーるー♪ おーそーらーのーほーしーよー♪」」
主旋律の進む方向へ、その周りを飛び回るように音を紡いでいく。
もちろん、ギターも忘れてはいけない。その構成音をヒントにしながら、時に香澄と重なるように歌声を響かせる。
ふと、昔、小学校で受けた音楽の授業を思い返した。あの頃感じていたような、成長の名で誤魔化して忘れてきたような思い出とその感覚が、オーディエンスの振るサイリウムの光で蘇ってくる。
――キラキラって、こんな風な感覚なのかな。
それはまさしく、香澄の口にした『キラキラ』だと確信した。ちらり、隣を眺めれば、心の底から喜びを湛えた瞳で、香澄がこちらに目を合わせてきた。
「「――みんなのうたがー、とどくといいなー♪」」
再び、重なっていた歌声は離れゆく。真っすぐで綺麗な情念に光を与えるように、凪紗は香澄との調和を保っていた。
気付けば、みんなが口ずさんでいた。りみや有咲、そしてオーディエンスまでも一体になっていた気がした。
「「きらきらひかるー、おそらのほしよー♪」」
ゆっくりと着地するように、その旋律を締めくくる。Dコードが一弦、一弦と鳴らされた。
沈黙が、再び舞い戻る。
しかし、先程のような焦燥はもうなかった。
「……ありがとう、ございましたっ!」
息を切らした香澄がそう告げたその瞬間、割れんばかりの拍手がステージの面々を迎えた。
「よかったよー!」
「ギターの子、ハモりすっごい上手だった!」
演奏技術が甘いのはもちろん、ろくに合わせたこともない中で、出来る限りのことが出来た。
拍手と、現実離れした充足感の中で呆然と揺蕩いながら、冷静にも凪紗はそう結論付ける。
後は、その時が来るのを祈るだけ――
「おまたせーっ!」
「っ……!?」
その声に振り向かないうちに、黄色い叫び声が上がる。ステージ袖、大きく手を振るのは、江戸川楽器店で会ったそのバンドのベース担当だった。
「わぁ……!リィ先輩っ!」
香澄が歓喜を露わにして、彼女の名を呼ぶ。そして、マイクは無事に掉尾を飾るバンドへと手渡されたのである。