Girls Code×Boys Tone   作:瀬田

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#12:絵空事(ボーイズサイド)

「いらっしゃいませ」

 

 律夏は歓迎の声を張り上げながら、商品棚を野菜の青色に埋めていく。

 平日の夕方、つまり奥様方の戦場にあって、つい十分前に陳列した野菜――今日は春キャベツが安い――が次々に消えていく。この分では、あながち社員の発注ミスも怪我の功名となるくらいの勢いだ。

 残された外葉を素早く片付けながら、次のものを用意しようと段ボールに手を掛けたとき、視界の端に眩しい橙色を見つけた。

 

「あれ、若葉。バイト中?」

「ん……お、北沢。そうそう」

 

 真向いの入り口近くの扉から入ってきた客の一人が恵だった。

 思えば、距離があるとはいえ商店街に位置しているこの青果店で彼に会わないというのも不思議な話だった。

 

「へえ、ここだったんだね。いつも人多いから見つからなかったのかな」

「そうだろうな。俺も半年くらい前からいるけど、一度も会ったことなかったな」

 

 カッターで薄く段ボールに切り込みを入れ、バーコード付の紫の結束テープで葉を固定しながら、恵にそう返した。

 

 今では手慣れたもので、バックヤードで一箱ごとに作業するよりも効率が良い。

 

「おおー!すっごーい!」

「……?」

 

 ふと、そんな仕事風景を興味津々の表情で見つめていた恵の隣の女の子に、律夏は気が付いた。

 

「ねーねー店員さん、これはぐみもやっていい!?」

「え、えーと……北沢、どういうことか説明してくれ」

「あはは。はぐみ、若葉の仕事の邪魔しちゃだめだよ」

 

 ぽん、と少女の頭に手を置いて恵が制すると、「むー……わかった」と不満げに引き下がる。

 よく見てみれば、二人の髪色や髪質がそっくりだった。それならば、一つだけ心当たりがある。

 

「ああ、もしかして妹さんか」

「そう。はぐみ、こっちは友達の若葉だよ」

「にーちゃんの友達!やっほー!!!はぐみだよっ」

「こら、一つ上の先輩なんだから敬語使いな」

「別に気にしないって。……よろしく、若葉律夏です。凪紗と同じクラスだよね?」

「! なぎのこと知ってるの?」

「凪紗は妹なんだ」

「えーっ!」

 

 目を丸くしたはぐみからは、分かりやすく驚きの意が伝わってくる。表裏のない、天真爛漫な印象を律夏は抱いた。

 

「意外かな」

「うん!だってなぎ、なんでもできるし、すっごいお姉さんっぽいんだもん、さーやみたいに!」

「さーや……ああ、山吹さんちの」

「若葉、知ってるの?」

「ああ、時々凪紗の話に出てくるよ。よく一緒にいるらしい」

「香澄ちゃんもだよ!すっごい楽しそうなの」

 

 クラスでの凪紗の立ち振る舞いを聞けば聞くほど、今度こそは中学時代の轍を踏まないようにと意気込んでいる様子が想像できてしまった。

 しかしながら、最近の様子を見ている限りではバンドを始め、夢中になって楽しむことのできる環境にあるように思えて、律夏は内心で胸を撫で下ろしたのだった。

 

「っと、そろそろお客さんも増えてきたね。じゃあこの辺で、頑張ってね」

「ああ。はぐみちゃん、凪紗のことよろしくな」

「うんっ!じゃーね、()()兄ちゃん」

「こらこら……」

 

 再び恵に諫められる彼女は人との距離が近いのだろう。だけど、それも裏を返せば誰とでも仲良くなれるということだ。

 凪紗にとってはまったく新しいタイプの人種だろう――そう考えると、歴戦の()()()()を繰り返した彼女の戸惑う姿が目に浮かんで、ついつい苦笑が浮かんでしまう。

 

「――よし」

 

 輝く笑顔が遠ざかって、手を振るのを止めた律夏は、三角巾を強く結びなおすのだった。

 

 

     ♬

 

 

「文化祭……ですか」

「そう!この辺りの高校の中では、花女が六月の頭、一週間遅れで羽丘、そして志哲(うち)が二学期にやることになってるんだ」

 

 週一回の生徒会活動日の放課後、執行部の特別教室ではそんな議題が浮上した。

 軽い説明を挟んだひかりの傍ら、真新しいホワイトボードに恵が地図らしきものを貼り付け、隣にこれからの予定らしきものを書き込んでいく。

 

「準備にまだまだ余裕のある志哲は、この二校への応援に行くのが恒例なんだよね」

「応援ってのは?」

「まあ、基本は見回りだよね。――風紀委員長お得意の」

「それは俺だけ駆り出されるっていう認識でいいのか?」

 

 思わずはああ、という歎声が漏れ出てしまうことに気付いていたが、今更訂正する気にもなれない。

 結局生徒会の定員は埋まることなく、三人――実務レベルでは二人と半人で仕事が回っている。

 

「もちろん私たちも行くよ~。ただ、見回りまで参加するとなると厳しいかな」

「向こうの生徒会メンバーが抜けた穴の補填もあるしね」

「それはキツそ……充実してそうですね」

 

 もちろんこの訂正は嫌味が半分、もう半分は諦念である。

 将来はきっと、インターンをしてから入社しよう――そう決意して、律夏は「それで、当日はどういう感じで動けばいいんですか」とホワイトボードへ目を向けた。

 

「話が早くて助かるよ」

「えっとねー、この間の定例報告会のときの紗夜ちゃん覚えてる?この後、花女の生徒会の子たちと一緒に来るから、あの子と予定の擦り合わせをして欲しいんだよね」

「二人は?」

「私たちも向こうの生徒会長さんと話すつもり。その後で微調整しようかなって」

「なるほど」

 

 となれば、氷川紗夜と仕事の打ち合わせをするのはこれで二回目となる。ひかりや恵の手助けを受けられないため、些細な失言が命取りになると、武者震いが身体を駆ける。

 しかしながら、律夏はそれとは別に一つの気構えを固めていた。

 

「っと、そんな話してたら早速メッセージ……あっ、花女、もう着いたって。少し迎えに行ってくるね。北沢くん、一緒にいい?」

「ええ」

 

 白塗りの引き戸から二人が部屋を出ると、少しだけ温度が下がった気がしたが、それに構わず窓を開ける。

 風が吹き込んで、机に用意していた資料が捲れる音が聞こえていた。

 

 

 

『父を、亡くしたんです』

『……ッ』

 

 律夏は、眼前の少女へそう告げた。

 

 薄暮がもたらす妖しい暗闇は、まさに誰そ彼――紗夜の表情を分からなくさせていた。それでも、その息遣いから予想できるくらいには、それなりの衝撃を与えているように思われた。

 

『母はその騒動で心を病んでしまって――残された俺たちは、皮肉にもお互いの役割というものを明確にすることができたんです。家族を守ることが俺の役割だと、そう父に誓ったから』

 

 零した言辞に対して声は返らない。いかなる衝迫が彼女の心に渦巻いているのか、もしかすれば気を遣わせてしまっているかもしれない。

 だけど、これが彼女の問いに対する答えだった。

 

『氷川さん。あなたの言った通り、これは俺個人の事情であって、何ら氷川さんに生き方を強制するものではありません。でも』

 

 妹と比較され続け、それが招いた感情は、程度はどうあれ律夏と紗夜が共有していたものなのだろう。

 

 紗夜は今も、どこまでも自己に正善であろうとするがゆえに苦しみ続けている。父の死によって、比較されるという状況そのものを失っている自分が、その曲がって錆びついた心で彼女の心を――その奥深くに隠れた影から逃れようとする気持ちを捉えることなんてできない。

 

 それでも、律夏にとって紗夜はあったかもしれない自分の未来であり、だからこそ伝えたい想いがあった。

 

『劣等感から始まってもいいんです。努力を続けたことそのものが、意味を成すときがきっとくる――だから、自分を認めてあげてくれませんか』

 

 出過ぎたことを言ってしまってすみません、と付け加えた。同い年の高校生に、それもこんな易い言葉で十年来の苦悩が納得できるものではないと分かっていた。

 彼女が自分を愛していられるように、などと願うのは、ひどく傲慢で自分勝手な絵空事だろう。

 

 遂に、街路灯が二人を眩く照らす。浮かび上がった紗夜の表情に、光る滴を見た。

 

『……っ、ごめん、なさい』

『いえ。こちらこそ、分かったような口を』

 

 ポケットからハンカチを取り出して、一回り背の低い紗夜へ差し出す。きっとそんなものでは、罪悪感は拭えないのだろう。

 はらはらと流れ落ちる涙と、少し枯れた声に、律夏は後悔しそうになった。けれど、するわけにもいかず、願わくば、彼女に負わせてしまった傷が浅いことを祈って、星のない夜空を見上げるばかりだった。

 

 

 

「失礼します」

「っ……どうぞ」

 

 意識の外から響いてきた声に、辛うじて反応する。扉の方に視線を移せば、擦りガラスの向こう側でアイスグリーンの髪らしき色が見えた。

 律夏はそれが氷川紗夜であることをすぐに悟って、ごくりと生唾を呑んだ。

 

「失礼します」

 

 からら、という音とともに凛とした表情が覗く。それは、初対面のときとそう変わらなくて、律夏はもう忘れてしまったのではないか、とそれを疑うほどであった。

 

「会長と一緒じゃなかったんですか?」

「ええ。文化祭で使用する音響機材をお借りしたく、体育館の方へ」

「そうですか。……これ、よかったら飲んでください」

 

 事情を背に聞きながら、ポットから注いだ紅茶を差し出すと、「ありがとうございます」と紗夜は流麗な仕草で受け取った。この間初めて会ったばかりでこういった感想を抱くのもおかしいが、彼女らしい、涼しげな所作だった。

 その裏に秘めた感情が、律夏は予想できない。理解に苦しんでいるというよりは、もはやその範疇の外、といったところだ。

 だからだろうか。ふと向き合ってぶつかった視線に、先日のものとは違う恐怖――不気味さといったほうがよいのかもしれない――を覚えた。

 

「それで、文化祭での見回りの件ですよね。俺の担当はどんな感じで――」

「その前に、お話したいことがあります。この間の、帰り道のことで」

 

 やはり、彼女は覚えていた。浅慮の後悔と憂いが、下がった眉尻から伝わってくる。

 

「あなたの事情も知らずに、安易な考えで訊いてしまったこと――本当にすみませんでした」

 

 責められるべきは自分だというように、詫びとともに頭を下げるので、慌ててそれを制する。

 

「やめてください……俺の方こそ、聞かれればなんでも答えていいわけではないのに、つい」

「いえ、若葉さんは悪くはありません。悪いのは私で」

「いや、俺です」

 

 お互いがお互いを庇っては、自分の非を主張する。

 「私が」、「俺が」と言葉が被って、そこで初めて、律夏はなんとも間抜けな問答を繰り返していることに気が付いた。どうやら眼前の彼女も同じようで、おそらく自分と同じだろう丸くなった目をしていて、思わず吹き出してしまう。

 

「……すみません、なんだか可笑しくて」

「いえ。俺も、気を遣いすぎていたというか、つい必死になってしまって」

 

 一通り笑い終わると、紗夜は「許して頂けるのですか」と訊いてきた。やはり、その気持ちは変わらないらしかった。

 

「こちらこそ。氷川さんの私情に踏み入ったのは俺ですから。初めて会った日にする話ではなかったですね」

「それもそうかもしれません。思えば、初対面で妹についての話をしたのは、あなたくらいなものです」

「共通点とはいえ、まさか妹さんとの間にそんな事情があったとは知らなくて……その点に関しては、俺も浅慮でした」

「あ、あなたまで頭を下げないでください!……それなら、お互いさまということで、この話は終わりにしましょう」

 

 内心で一息吐いて、「分かりました」と返す。

 少し吹っ切れたような紗夜の表情は、あの日の苦い表情とは対照的に見えた。

 

「……しかし、あなたが指摘したことはほとんど事実のようなものでした。だから、あなたが最後に言ってくれたことについて、少し考えたのです」

「えっと……あれはその、同じ境遇だからこそ分かることがあるというか……すみません、死ぬほど生意気でした」

「……そうですね。何を分かったような口を、とは思いました」

「思ったんすね」

「それでも」

 

 不意に、紗夜の言葉がそこで途切れる。気になって、律夏が彼女の方を向くと、それを待っていたかのように、

 

「あなたが言ったように――自分を認められるようになるときを、待ってみようとも思えました」

 

 と、彼女はふっと小さく笑みを浮かべるのだった。

 

「……事情が似ているというだけで、氷川さんがそうなれるという保証はありませんが」

「その辺りは、あなたの振る舞いを参考にさせてもらいます」

「解答は自分で探すものではなかったんですか?」

「私の解答ではなく、あなたの考え方を知りたいのです。それを直接的に活かす、という訳ではなく、似た境遇をもつ方が周りにいるというだけで、少なくとも興味が湧くのは、至極当然のことですから」

「……」

 

 そんな結論を突き付けた佇まいは至って敢然としており、律夏は呆気にとられてしまった。

 つい先日は個人的興味などないとひかりに言い放っていた姿が懐かしい。どうやら妹との確執は深刻な問題を抱えているらしく、それだけに自分への追究は必要なものなのだと考えているのだろう。

 しかしながら、予想外の宣言は続く。

 

「……どんな形であれ、あなたの事情を知ってしまいました。もちろん秘密は守りますし、その責任についても負うつもりです。非はあなたにあると言うのなら、あなたも同じように、抱えているものを私に話してもらえないでしょうか」

「えっ?」

「同じような境遇の、同じ風紀委員のよしみですから」

「……よしみで家庭事情を暴露していくのはちょっと」

「今更ですよ」

「……それもそうですね」

 

 思えば、このことを打ち明けた後のことを考えていなかった。つまり、無意識のうちに自分は誰かに知って、聞いてほしかったのだろう。凪紗にも話すことのできない隠れた思いを――

 紗夜はそれを見抜いていたのだろうか。それを承諾すると、包容力のある微笑みを口元に漂わせるのだった。

 

「さて、先に打ち合わせを済ませてしまいましょう。まずは当日のスケジュールから――」

 

 強い人だと、律夏はそう思った。そして同時に、自分の感情を受け入れてくれる人の存在を、なによりも得難く感じられたのだった。

 窓辺に吹き込む風が冷たくなって、思いのほか時間が経っていたことに気付く。

 紗夜の言葉に耳を傾けながら、今はその涼しさと心地よさに身を任せていよう――そう思っていた。

 

 

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