ガールズサイドでは主に凪紗(妹)視点。ボーイズサイドでは律夏(兄)視点で描いていきます。
命短し、恋せよ乙女というフレーズは、いつから存在しているのだろうか。
入学式が行われる花咲川高校への通学路、凪紗はそんなことを考えていた。
時代遅れの路面電車の車窓からは、まるでこの町へ脚を踏み入れた
――見つけられるかな…
一週間前、兄は高校でたくさんの経験をもたらす何かを、そして心からやってみたいと思うものを見つけてこい、と言った。しかも、それを応援するために、バイトをしてお金を貯めてきて、さらにはこれからの家のことは全て自分に任せろと言うではないか。
凪紗は、これまでにないプレッシャーを感じた。それは、兄が自分のためにしてくれたことに等しい価値をもつ『何か』を、果たして本当に見つけ出せるのか、という不安に直結していた。
凪紗は天才肌である。それだけに、何かに全身全霊をもって打ち込める、と感じたことがない。勉強は必要なものなので続けてはいるが、とっくに高校生の範囲など学び終えて興味は尽きている。たまに数学に苦戦している
反対側の車窓をなんとなく眺めながら、あのフレーズを思い出す。花咲川は女子高だから、まさか恋愛でもあるまい。そもそも興味を感じない。
『…案外、近くにいる人が見つけてくれるかもしれないぞ』
律夏はこうも言った。つまるところ、興味を向ける範囲は「人」でもいいらしい。
自分にない何かを、そこから学び取れる何かを持ち併せている人が、その感性でもって見つけ出してくれるかもしれない。
「…はぁ」
自然とため息が漏れる。
そんな衝撃的な体験や出会いが、花女にあるのだろうか。あったとしても、それを見つけられるのだろうか。
やけに抽象的な物言いをした兄が含ませていたことは、このことなのだろう。つまり、すべては自分で見つけなければいけないということ――
「…はぁ」
繰り返し、ため息。
兄は自分のような万能型の才能を持っているとはいえない。勉強なら、はっきり言って自分の方がよくできる。なのに、そんな相手に
――兄さんって、そういうところ、すごい。
直感なのか、それともしっかりとした考えがあるのか。はたまたその両方か。
何もかもを分かったような、すっかり大人びた目線で語る一つ上の兄に、凪紗は呆れていた。それでも口角が上がっていたが、それを自覚していない。
「「…」」
「はっ…!」
周囲の目線――しかも一部は制服の同じ女の子たち――に気付いて、急いで頬を両手で挟んでほぐすようにぐりぐりと、零れるものを抑え込んだのだった。
♬
光溢れるソメイヨシノのアーチを潜り抜けると、花咲川女子学園、その高等部の校舎が見えてくる。近くには中等部の校舎もあり、姉妹で仲良く通っている生徒たちもいるとかいないとか。
その中で一際目立つ場所――人だかりができている西側玄関では、きっとクラス分けの発表が行われているのだろう。
「うへぇ…すっごい」
凪紗は、苦手な人混みに鈍る歩みで、そこへ近づいていく。
始めは、A組から。
”若葉”の苗字は大体最後を飾ることが多い。だから、二列に表示されている名前欄の右下だろう。
「えっ、と…」
右列を、ご近所さん(になるであろう人々)を覚えるためにも上から辿っていく。指差すポイントが、自然にそれをなぞるように目線とともに低くなっていく。
戸山…早すぎる。花園…このあたりか。山吹…そろそろ。
「「……あった!」」
「むぎゅっ」
若葉凪紗の名を見つけて、思わず声を上げかけたその瞬間だった。
両隣の少女たちの肩に挟まれるようにして、間抜けな声が出てしまったのだ。
「わっ!」
「あ、ごめん……大丈夫?」
「う、うん」
名も知らない彼女たちよりも一回り背の低かった凪紗は、故意でないとはいえその衝撃によろける。
かたや驚き、かたや心配を表情に出してこちらを見つめた二人に、凪紗はなんとか立ち直って答えるのだった。
「……あっ、ご、ごめんね!掲示板ばっかり見てて……」
「私もそうだったし、気にしないで……ってか、猫耳?」
「へ?」
ワンテンポ遅れて謝ってきた彼女に気にしていない旨を伝えつつ、凪紗の視線は彼女の髪に釘付けになった。
ひょこっ、と左右に突き出すような髪型は、まるで猫の耳のよう。
――こんな髪型、見たことない。
「……その髪型のことじゃない?」
「ああ、これ?これは星!星型だよっ」
「星型……なるほど?」
どう見ても初見で
異質すぎる、この子…
「ふふっ…絶対納得してないよね、それ」
そんな二人の様子に笑いを堪え切れなかったのだろうか、もう一人の少女がそう言った。
「えーっ。可愛くないかなぁ?」
「まあ、可愛いならいいのか」
「いいのだっ」
「ふふふっ……」
髪型は可愛さやおしゃれのためにあるのだから、彼女からすれば似合っていればなんでもいいらしい。
なんだか本質的だな、と思って適当に返事をすると、星型ヘアーの彼女はにっと笑った。
そんな会話に、もう一人の彼女がまた笑う。
「ねねっ、何組だった?」
「ああ、A組だよ」
「私も」
「ほんと!?どこどこ!?」
「山吹沙綾、ほら、あそこだよ」
「私はその下、若葉凪紗」
「やまぶき……わかば……あった!私はね―、戸山香澄!」
偶然にも、自分の名を見つけるための目印にしていたのが彼女たちということらしい。
なにか大切なものを取りこぼすまいとするように、自分の名を繰り返す戸山香澄という少女に、凪紗はどこか新鮮さを感じていた。
「若葉さんに、戸山さんか…二人とも、中学で見たことないし外部生だよね?どうしてうちに来たの?」
「えっとね、妹がここの中学に通ってて、楽しそうだなーって!」
「そうなんだ。若葉さんは?」
「うーん、楽しそうっていうのは、私も戸山さんと同じ感じかな…あと、制服かわいいし」
「そうそう!それで花女に決めたんだ!」
「あはは。大事だよね、制服」
一方、山吹沙綾という少女は、花女の制服の裾を摘まんで、少し不満げに呟く。
「私、内部生だからさ…半分はそこの中学から持ち上がりで、制服もそのままだから、なにも変わらないっていうか…」
変化がない環境では、やはりいつか飽きがくる。そう言っているのだろうか。
凪紗がこの少女について得ることのできる情報源は、せいぜいその表情くらいだ。しかしながら、彼女の言葉の意味するところは、他にもあるような気がした。
遠くにある、手の届かない何かに憧れて、それでも手を伸ばせずにいるような――
「でもっ」
そんなとき、星型ヘアーの少女が切り出した。
「高校生だし、何か始まる感じしない?」
「え?何かって…」
不意を突かれて、沙綾が疑問を隠すことなく、首を傾げる。
「だって、新しい友達が
「お……おおう」
なんの恥ずかしげもなく、なんの断りもなく……たぶん、なんの考えもなく。
彼女はそう言ってのけたのだ。
ある意味(嫌な意味だ)女子らしくない、飾り気のない笑顔に凪紗がたじろいでいると、沙綾がまた吹き出す。
「ふふっ……戸山さん、やっぱり面白いなぁ」
「えっ、そう?」
「面白いよ。あと、友達認定が早い」
「え!早すぎた!?」
「あははっ……ううん、そんなことないよ。ねっ」
「うん。戸山さんが眩しくてびっくりした。……よろしくね」
「!」
凪紗は、香澄に向けて手を差し出した。それを見て、一気に輝きを増した瞳がこちらを見つめる。
どこまでも純粋な光。まるで星のようだった。
「うんっ、よろしく!香澄でいいよ!」
「そっか。じゃあ私も、凪紗でいいよ」
「私も、よろしくしていいかな。沙綾って呼んでね」
「もちろん!やったぁ!」
よろしくね、凪紗、沙綾!と底抜けに明るい声で返される。
握られた掌から、熱量の高まりが伝わってきた。凪紗は、それが何か、強い力を孕んだもののように感じられてならなかった。
桜の花弁を巻き上げながら、春風が三人の横を通り過ぎていく。
♬
三人で一緒に、高等部の校舎も知っている沙綾に導かれる形で一年A組の教室へ。
道中で隣を歩く沙綾の纏っていたパンの匂いに香澄が反応すると、彼女は自分の家がパン屋を経営していることを明かした。
商店街にあるらしく、後で行ってみようかと話をしながら教室へ赴く。
「そっか、
「あ、そうだね」
「むう、私だけかぁ」
「あはは。まあ、知らない子たちとお話するのもいいんじゃない?」
「ホームルーム終わったら忘れてないよね!?」
「あー、私忘れっぽいからなぁ、どうだろなぁ」
「えええ!?」
「あはは」
冗談冗談、と香澄を宥めると、頬を膨らませながらも「また後でね」と自分の席を探しに行った。
そんな彼女を見送って、「それじゃ、私たちも行こうか」と沙綾の声に従って歩く。
「えっと、この辺かな…あっ、やっぱりお隣だったね」
沙綾の指し示した座席の右上には、入学に関するお祝いメッセージとともに、自分の名前が書いてあった。
厳しい入試を乗り越え、自分の意志で入学を果たした生徒にとっては、こういう些細なことが嬉しかったりするのだろうかと、他人事のように凪紗は考えていた。
「…うん」
「改めてよろしくね。凪紗」
「こちらこそ、沙綾」
多分、自分が外部生であることを慮ってくれているのだろう。努めて明るく振舞っているということを、凪紗は感じ取った。さりげなく相手の表情や仕草に目を向け、その裏に隠された心の動きを読み取るということに慣れているのだろう。不自然さを感じることはなく、高校生らしからぬ落ち着きと思いやりに溢れていたのだった。
沙綾について知っていることはまだまだ多くはない。それでも、少なくとも彼女は、山吹沙綾という人間は、凪紗にとって価値のあるものを持っているような気がした。
だから、彼女を知ってみようと思えた。
――まずは、第一歩。
出会いは何の偶然か分からないけれど、香澄も含めて、もしかしたらこの二人が、二人が持っているものが、自分を変えてくれるかもしれない。
そう考えて、彼女の微笑みに微笑みで応える。透き通った瞳に映った自分は、自然と笑えていたと思う。
教室の引き戸がからからと音を立てて開かれると、そこからグレーのスーツ姿をした教師(おそらく担任なのだろう)が教卓へと足を踏み入れた。
生徒たちはそれに合わせるように、会話を打ち切ったり、読んでいた本を閉じたりして彼女へと意識を傾ける。
静かになるまで何分かかりました、というテンプレを口にするまでもなく、すぐに教室が静寂に包まれる。
中学校ではなかなかにやんちゃな少年少女たちが揃っていたので、やはり高校生、それも女子校となると落ち着きのある子が増えるのだろうか、となんだか年長者の気分だった。
――まあ、年相応の対極みたいな精神年齢のがうちにはいるけど。
「こんにちは。皆さん、入学おめでとうございます。今日からA組の担任になります、中井です。入学式はこのあと十時からホールで行われる予定ですが、その前に自己紹介をしましょう」
女子校だからだろうか、先生も女性だった。年も近そうで、優しそうな雰囲気が伝わってきて凪紗は安心していた。
「名前の早い人から、順番ですね。皆さん、もう高校生ですから自己PRであることを意識してくださいね」
彼女の言葉に、十人十色の反応を示すクラスメイトたち。
「もうみんな知ってるしなぁ」と言わんばかりの表情を浮かべた隣の内部生が、「外部の子もいるんだから」と前の席の沙綾に
きめ細かな対応が素でできてしまうのは、凪紗にはない能力だ。天才肌だからといって、そういうものを持ち併せているわけではない。
沙綾の見守るような視線を、
凪紗は律夏になる必要がない。それは才能の多寡という意味ではなく、自分を支えてくれる存在として彼をみているからだ。年も違うし、性別も違う。比べたことも比べられたこともなく、自然と今の関係に収まっている。
今の暮らしになってからもそうだ。自分を活躍させてあげられるように努力してくれたのは他でもなく律夏である。
まるで、それが当たり前だというように。
――だから、尊敬できるんだよね。
ならば沙綾はどうだろうか。彼女が自分を気遣って、ときに支えてくれたとしても、それだけの理由――つまり堅牢な関係性を、自分たちが持っているとはいえない。よしんばこれからそんな関係を築くことができたとしても、彼女は自分の姉にはなれない。一人のクラスメイトなのだ。
比較されることもあるだろうし、知らないから、信頼しようと手探りでその距離を埋め合う――よく言えば対等で
彼女を尊敬するには、まだ時間が浅すぎる。それに、
――やっぱり、知りたいな。
気付けば自己紹介の時間が始まっている。
気弱なトップバッターのそれを聞きながら、真摯な目線を送る沙綾の横顔を、少しの間だけ見つめていたのだった。